bell 4...先生とエリナ。
「エリナ!遅よう。」
誰がために鐘は鳴る。
沢木エリナ。
私はイギリス人の祖父を持つクオーターだ。
「エリナ遅よう!今日もずいぶんなセレブ登校なことで。」
副担任の澤山輝基が出欠簿を持ちながら教室のドアの前に立っている。
「今日はいつもより早く来たつもりなんだけど。」
「もう5限の授業しか残ってないんですけど!」
輝基は出欠簿をペラペラとめくって私に見せた。
「そろそろ本当にやばいんだぞ。週三日でいいからちゃんと朝から終わりまで居ろよ。な?」
私はいつもどおり適当に答えて教室に入った。
隣の席の小百美が話しかけてくる。
小百美と私は遅刻、サボり仲間だ。
「エリナおはよ!ねーねーそのネックレスってティファニーだよね?可愛い〜買ったのー?」
「まぁ。でも安物だよ。」
そう言って私はオープンハートをつまんでみせた。それでも小百美は羨ましそうに瞳をキラキラとさせている。
私は携帯電話を取り出しメモリをピコピコやり始めた。
「…こいつでいっか。」
「こいつって?何かあんの?」
小百美がチョコレートを食べながら聞いてきた。
「今日の夜ご飯♪小百美も来る?何か美味しいものおごってもらおうよ。」
私はお金に囲まれて生きていることに幸せを感じる人間だ。
だから高くても美味しいものを食べ、持ち物や着るものもブランドでなければ嫌なのだ。
世の中、お金が全てだ。
「あたしいいや!今日ちょっと予定あるし…ごめんね。」
「そっか。大丈夫だよ。」
小百美がダメだとしたら…誰を誘おうか、私は頭の中で友達の顔を思い浮かべた。
だけどまったく出てこない。
そりゃそうだ。
私は週二日学校に出てくればいい方なのだ。
それも午後だけ。
そんなやつに話しかけてくる女の子なんていったら、小百美くらいだ。
クオーターらしい顔立ちからか、くだらない男なら数え切れないほど話しかけてくる。
だから私の携帯のメモリはくだらないアドレスばかりで溢れている。
「だったら俺と飯でも行くか〜!超美味しい所知ってるよ♪」
輝基だ。
私の前の席の椅子に腰掛けてこっちを向いた。
「何で教師の輝基とご飯なんか食べに行かなきゃいけないの?冗談じゃないし!」
私は隣に座っている小百美からチョコレートを取って口に入れた。
「澤山、もしかしてエリナ誘ってんの?無理無理!教師と生徒だから〜あはは!」
小百美がケラケラ笑いながら澤山をからかった。
すると澤山は急に真面目な顔して、
「そうじゃなくて。そんな男と遊んでたって虚しいだけでしょ?飯食いたいなら、俺がおごってやる!だから貴重な青春の時間をくだらないやつに費やすなってこと。」
「…あたし安いものは口にしない主義だから!それからあたしと食事するんなら何かプレゼントくらい用意してよね。」
私はツンとした態度で輝基の要求を飲んだ。
輝基はハッハッハと大きく笑いながら任せとけ!と言って教室をあとにしていった。
私の指にはブルガリのリングが掛かっている。
首にはティファニー、腕にはサマンサ。
美容院は青山に通い、洋服も安物は絶対に身につけない。
かばんも靴もだ。
お財布はルイヴィトン。
化粧品はディオールにシャネルと決めている。
高価な物で身を固めることで、いつしか私自身の価値も決まると考えるようになってしまった。
その日の夜、制服から私服に着替えた私は輝基とご飯屋さんへ向かった。
「よし着いた!ここだ!」
「…何ここ?」
輝基は満面の笑みで答えた。
「わんだ♪」
「居酒屋じゃん!」
「美味しいんだぞ〜わんは!さぁ、入ろ。」
輝基に引っ張られるまま中へ入った。
輝基は本当はお酒が大好きなくせに今日は一度も頼もうとはしなかった。
まぁ、この男はお酒も入っていないのにいつだって熱く語れる根っからの熱血教師なのだけど。
輝基はコップについた水滴をおしぼりで軽く拭きながら、ウーロン茶を飲んだ。
「エリナ。お前の宝物って何?」
「…何、急に。」
「いいから教えろよ。」
「…カルティエの時計かな。」
輝基は半分笑いながら半分ため息混じりに、
「俺が聞いてるのはそういうことじゃないの。何かないの?小さい頃から大切にしてきたものとか、ずっと捨てられないもんとかさ…」
小さい頃から大切にしてきたものとか、ずっと捨てられないもの…
あれは確か私がまだ小学校に入りたての頃だったような─
おじいちゃんの知り合いのイギリス人のパティシエの人が、作ってくれた小さなモンブラン。
私はその日初めてモンブランを食べて、美味しくって嬉しくって、いつか私もこんなモンブランを作れる人になりたいと─
幼いながら必死に作り方を書いたノートを大切に大切にしていたのだ。
だけどいつしかそんな夢は遠く消え、高価なもので幸せを信じるようになってしまった。
輝基はそんなくだらない子供じみた夢の話を真剣に聞いてくれた。
「全然くだらなくなんてないよ!すごい素敵な夢じゃんか〜。いまエリナが身につけてるブランド物より、よっぽどその夢のがキラキラしてると思うよ。」
「…なのかな。何かね、そのパティシエの人の手がね今でも忘れられないの。荒れてて、傷とかもあるんだけど…でもすっごく大きくて。あー、この大きな手でたくさんの人たちを幸せにしてるんだなぁってさ!」
なのにいつからなのだろう。
私は一体どこで変わってしまったのだろうか。
「なぁ…エリナ!今から海行かない?ドライブだ!」
「は!?急に何!?ちょっと輝基…!」
そうして私たちは海へ向かった。
夜のサザンビーチ。
「捨てよう!ティファニーもサマンサ?もブルガリも全部。」
輝基の顔が月明かりに照らされ、少しだけ色っぽく見えた。
「……。」
私が黙っていると輝基は言った。
「こんなんより素敵なプレゼント、用意してあるからさ!だから捨てなさい。大切なのはお金やブランド物じゃない。本当に大切なのは、そんな簡単に手に出来たり目に見えたりするものじゃないはずだよ。」
大切なものはお金やブランド物じゃない。
「…分かった。」
私は身につけている全てのものを外し輝基に渡した。
いらないものを外した瞬間、何だか重たい価値から解き放たれた気がした。
輝基はさらにこんな風に言った。
「身につけたものの高価さなんかでその人の価値なんて決まらないよ!たとえどんなボロっちぃ服着てたってエリナはエリナだ。たとえ職人になって手が荒れたって、エリナの価値は下がらない。それよりももっとお前の価値は上がるよ!一番高価で大切にしなきゃいけないもんは、エリナ自身なんだよ。」
一番高価で大切にしなきゃいけないものは、私自身。
「そんで、プレゼント!食え〜♪」
輝基はコンビニの袋から小さな箱を取り出してみせた。
「…あは!これ…モンブラン。」
夜の海辺で私は泣きながら、輝基とモンブランを食べた。
「美味いか?」
「うん、美味い!…あはは、美味しいよ先生」
泣きたいのか笑いたいのか、悲しいのか嬉しいのかよく分からなかった。
だけどなぜかこの胸は今まで生きてきた中で一番温かかった。
「良かった良かった。俺の宝物はお前らの笑顔だなぁ…」
「…ありがとね、先生!」
「い〜え。」
澤山輝基。
宝物は私たちの笑顔だとためらわずに言ってくれる副担任。
先生が宝物を教えてくれたから、私は一番大切なものをなくすことなく明日からもきっと生きていかれるのだ。