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幕間

 

 ◇◆◇




「…シュランの方で不審な動きが」


 片膝を付き、頭を垂れた宰相はその言葉を伝える相手の表情を垣間見る事もない。統一された所作はまるで機械的であった。


「……そうか。《獣王》はまた不在か」


 覇気の無い眠た気な声色。興味を持たない形式ばかりの返事を声の主は返す。


「はっ、しかしながらあのお方が姿を消すのはいつもの事。それよりも今は竜王宮へ牽制を」


 宰相の言葉に、目の前の豪奢な椅子に座るその人は贅を尽くされたマントを僅かに揺らした。


「良い。おまえに任せる」


 気怠い声とよもや欠伸まで噛み殺したのは────病に伏せるトゥーリ国第十五代国王に代わって政を執り行う皇子ユーテシア。その人である。


 宰相の顔を確認する事もなく、ユーテシアは傍に控えさせていた何人かの美姫を伴って、自室へ背を向けた。

 その背中を見届ける事なく宰相は笑う。

 年若い皇子は傀儡同然。床に伏して延命の術で生きながらえている王など最早脅威ではない。



 ならばーーーーー崇高な高みへは此の手が最も近い、と。








 時を同じくして聖域。

 小さな玩具のような住家の外で客人であろう偉丈夫が緑の絨毯に豪快に寝転んでいた。

 紅い髪は燃えるように煌めき、今は閉じられている双瞼は金色に輝く。端整な顔立ちながら右目の上を黒い傷跡が痛々しく線を引く。只それすらも装飾に見えるのは、他者を圧倒する雰囲気に、絶対的な者だけが持ち得る覇気、醸し出される独特の色気であろうか。



 ゼンは、今しがた鈍った体を隙無く動かせていた所であった。しかし、やはり此処は大陸唯一の場所。体が思うように動かない。それは歯痒く、また久しぶりの感覚でゼンはまずは捨て置き、緑に体を倒した。

 この地に迷い込んだのは全くの偶然だ。元々奔放な獣族である。血の騒ぎに駆られるように皇国へ向かったは良いが、途中理性を無くした竜に襲われ、船上であった為海の上では分が悪いと不本意ながら移転の術を使った。元々魔力が少ない為高度な魔術を使うのはリスクが伴うが、《聖域》に飛ぶとはまさに予想外。



 結界に跳ね返される危険もあったが、しかし、就任の儀で訪れた以来のこの地は受け入れを拒まず、目にしたのは更に予想を超えるものであった。


 ーーーゼンは空を仰ぐ。



 理知高き竜の暴走、聖域、長きに姿を消していたアファカーンの出現、白銀に紫水晶の色を持つ少女。



 偶然か、幾重にも張り巡らされた必然の証か。


 しかし、全く、聖域とは未知。


 思うように体が動かぬ上に獣化も出来ぬ。何より神気が満ち過ぎている。此の地で精霊以外の者が住まうとは考えもしなかった。

 ゼンの脳裏に浮かんだのは幼い少女。白銀の細い髪は希少であり、ゼンは歴史で耳にしただけで実際目にするのは初めてであった。零れ落ちそうな程大きな瞳の色は純粋な紫。角度によってその色を変える事も先程知った。太陽の光を浴びた事が無いと言っても過言ではない白い肌に乗る小さな赤い唇。華奢な体。あれは皇国で売られていた人形のようだ。十にも満たない幼女だろうが、やけに子供らしくない。

 見た所特別強い魔力を有しているようには見えないが、この場所に在るということは、まあ、そういうこと、なのだろう。

 伝承、などという下らないものに流される気はないが、目にした存在は伝えられているものとは程遠い。

 特別な、なにか、と問われればアファカーンに存在を許されていることか。


 なんにせよ、歴史が動くな。


 面倒なことだ、とゼンはひとつ大きな欠伸をした。







「……アレの存在は、アレが拒もうが否応なしに世界を巻き込むであろうな」



 音も立てず、ゼンのすぐ横に立ち、まるで今しがたの思考を読んだように声を出したのは《アファカーン》。名工が一生かけても作り上げることの出来ないであろうその美貌は一切の表情をのせない為、ゼンには不快なものでしかない。



「……なるほど。余程気に入ったのだな」


 ゼンはそのどこか客観的な物言いに違和感は覚えず、自分がここに来たのはやはり《必然》であったか、とただ思う。


「アレにはすぐ懐いた」


「精霊か?」


 確かに精霊の好みそうな容姿に、気性をしているようだ、と頷く。


「アレは少し阿保なのだ」


「……」


 どうやら冗談ではないらしい。

 虚をつかれたゼンに構わずサキは言葉を続けた。


「我はアレがこの地に産まれた事を知っていただけだ。害をなさなければ、その存在がどのようなものでも興味はない」


「では害をなしたか」


 ゼンの問いにサキは不快そうに眉を折る。少女と同じ質問をしたゼンに、少女の時では有り得なかった嫌悪を感じたのだ。質問には答えず、サキは風を巻き起こす。

 ビュウと切る音がして、ゼンの周りだけを嵐のような風圧が襲った。



 気に障ったか。しかし、大概にしろ。ゼンは舌打ちをすると、ブンと両手で風を切った。

 風壁を遮断した腕は刃で刺されたような切り傷が瞬時に形づき、赤く染まった。


「……そんなに大事か」


 それを気にした様子もなくゼンは問う。

 名を持つ、という事にゼンは純粋に驚いていた。ただの精霊ではない《精霊王》だ。使役するには力が大き過ぎる。世界さえ意のまま。だが名を与えた少女はその力を欲した訳ではないだろう。欲を持つにはあの少女は純粋過ぎる。



「主にも分かるであろう。今分からぬとも」


 表情を変えない声色。それでもその独特の気は人の意識を傾けるには充分である。しかし、《ゼン》も《唯一》。



「分かる必要など無い。俺が欲するのは騒ぐ血を更に駆り立てるものだ」



 同じ孤独を持てど、その感覚は天と地ほどに違う。ゼンは琥珀の瞳は力強く光る。


 試されているのだろう、ゼンは気付いてはいたがすでに、遅い。

 獣族は戦闘狂であると揶揄される程、気性が荒い。まして相手が強いなら強いほど。




 一方、青白い光気に纏われたサキは静かな威圧を讃え、紫がかった瞳は今幾つもの色を持つ遊色石のように輝いている。身につけているのは簡素な白いローブのみ。だが全ての攻撃を受け入れぬとばかりに目に見えぬ者達が膜を張り巡らせている。


 サキの見据える先には、紅蓮の炎。最大限ではないがこの地でこれだけの技量。鍛え上げたゼンの体躯はひとつの芸術のようにそこに在る。金色に輝く片目は燃えるように精霊王を見定め、右目を覆う傷跡はまるで、太陽を貫く竜のようにも見える。そう評した武将の首をゼンが迷いなく跳ねたのは大陸では周知の事実だがサキは知る由もない。


 激情を隠さぬ飢えた紅き魂。

 戦場では猛々しく酷く美しいだろう。


 サキは何の興味も持たぬ視線でそれを眺めた。


「….…無駄な争いに何の理があるのだ」



 ゼンの明らかな攻撃体制にサキは囁く。ゼンは不快さを隠さず、口の端だけあげた。


「はっ、驕るな。貴様を憎いとは思わない。だが慕うべきでもないだろう」


 初めてその存在を目にした時から、いずれこの《絶対》であり《唯一》の者に刃を向ける事になろうと感じていた。只、戦ってみたい。それだけだ。それが今なのか、ゼンにははっきりと断言出来ない。だが、高ぶる感情を抑制する気はなかった。


「…いくぞ」



 ゼンは右手に力を込め、瞬時に他を圧倒する自らの愛剣を呼んだ。








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