その1
こがれは空を落ちる。
落ち続ける。
当然ながら途中でピタリと静止することもないし、ゆるやかに減速してるなんてこともない。
自分が置かれている状況は全く分からないわけだが。
そんなこがれにも小学校のたし算並みに簡単に分かってる事がひとつだけある。
それは、このままの速度で地面に叩きつけられれば自分は『きまぐれシェフのあらびきハンバーグ』の材料になってもおかしくない状態になるだろうって事だ。
痛い、では多分すまないだろう。
超痛いでも役不足だ。
超超超超超痛いくらい?
──と、そんな具合に。
ご覧になっていただければ分かるように、こがれの脳内は千々に乱れ切っていた。
自分の元へスプリンターレベルの圧倒的スピードで豪快に走って近づいてくる死神。
秒単位でクローズアップしていく大地を見据える視線の端にその姿をとらえながら、こがれは古今東西のあらゆる神様へ祈りを捧げていた。
キリスト、アッラー、ブッダ、八百万の神は言うに及ばず。
最終的には突然脳内に閃いた『キルマリエーバーギールガンモロド神』なんて、こがれ自身ちっとも聞いた事のない名前の神様にまで手を合わせて祈る始末である。
──しかし。
そんなことじゃ、もちろん大地から放たれる重力はこがれを解放してはくれない。
ハンバーグになる未来はもう目と鼻の先、秒読み段階にまで近づいていた。
眼下に広がる黒々とした森の木々の姿がこがれにも視認できるくらいに、もう大地はすぐそこだった。
試合終了。
ゲームオーバー。
残念、こがれの冒険はここで終わってしまった。
……そんな文字がこがれの脳内で盆踊りする。
「いやあああああ! もうダメええええええ!!!」
結局、最後の最後まで気絶することなく。
こがれは絶叫しながら、森の木々の合間にストレートに突っ込んだ。
◇◇◇◇
「──ええええぇぇぇぇぇ……っはっ??!!」
自身の絶叫の煩さでこがれはハッと目を覚ます。
見えたのは渋い色をした木目の天井。
こがれはそこが部屋の中にあるベッドの上だと知ると、心底ホッとしたように息を吐く。
「よかった、夢だった……」
神様に祈った甲斐があったと、こがれは思った。
いかんせん最後に祈りを捧げたのが『キルマリエーバーギールガンモロド神』だったので複雑な気分ではあったけど。
やれやれとばかりにベッドの上で脱力するこがれ。しかし、次の瞬間「ん?」と怪訝そうに眉をひそめた。
どうにも周囲に違和感を覚える。
てっきり自分の部屋で目を覚ましたものだとばかり思っていたのだが……何時から自分の布団はベッドになったんだろうか? しかも、前のせんべい布団に比べてフワフワのフッカフカのヤツに。
いや、そもそも久慈家荘は全室和室だった筈。
いつの間にこんなログハウスチックな内装に改装したのだろうか?
とてもじゃないが大家さんとこにそんな余裕があるとは思えないし、あんなオンボロをリフォームするくらいなら新築を建てた方が断然安上がりな筈だし。
……そんなアホなことを真面目に考えてたこがれだったけど、さすがに心の端っこの方ではここが見ず知らずの場所だって事は分かっていた。
ただ、認めるにはちょっぴりの時間と勇気が必要だっただけだ。
「ちょ……ちょっと、ここどこ!? って──あいたーーー!!」
ようやくその二つを揃える事ができたこがれは、今さら感溢れるものの慌ててベッドから跳ね起きようとして──盛大にベッドの下に転落した。
硬い板張りの床で強かに額を強打し、その上でゴロゴロとのたうつ。
そして、そこではじめてこがれは、自分の手足がロープでグルグル巻きにされていた事に気づいたのである。
こがれは『クイーン・オブ・普通娘』であると同時に『クイーン・オブ・鈍感娘』でもあるのだ。
「わ、私、なんで縛られてるの? しかも、ご丁寧にこんなギッチギチに」
自身の手足を縛るロープに対してじたばたと悪戦苦闘を繰り広げるも、それはこがれのカロリーを無駄に消費させるだけで終了した。なんせ、それはもう『親の仇!』ってくらいにキツく縛ってあるのである。
「ようやく、夢から覚めたと思ったのに……」
冷たい床の上でモゴモゴとイモムシしながら、こがれは厭世とした表情で天井の木目の数を数え始めた。特に理由は無い、他にする事がなかったのである。そしてそんな彼女の脳裏では、どうしてこんな状況になったのかという様々な考えが去来しては消えていく。
超国家機関の陰謀説、古代文明人の復活説、火星人の侵略説等々etc.
どの仮説をとっても突拍子がなかった。
突拍子はなかったのだが、こがれがロープでイモムシにされてるって状況だけは動かしがたい事実だった。
拉致監禁。
そんなシンプルな言葉に思い至ると、こがれはぶるりと蒼い顔をして身を震わせた。
そんな現実的な犯罪をやっちゃう人間の方が、超国家機関よりも古代文明人よりも火星人よりも、当然ながらよっぽど恐ろしかった。
「こ、ここはやっぱり誰かに助けを求めるべき……だよね?」
幸いな事に、というか。
手足はぐるぐる巻きなものの、なぜか猿轡がされてるわけでもないので声は自由に出せる。
みっちりぎゅうぎゅうな日本の住宅事情を鑑みれば、ここで大声を出せば誰かに気づいてもらえるかもしれない。
しかも、繁忙時の商店街において隅から隅まで絶叫を行き渡らせるこがれである。むしろ、そのあまりの煩さに犯人によって家から蹴り出されてもおかしくないレベルの持ち主なのだ。
「……よし。だ、誰か──」
──がちゃり。
心を決めたこがれが思いっきり息を吸い込み声を吐き出そうとしたところだった。
聞こえてきたのは、ドアノブが回る音。
それに合わせて部屋の扉がゆっくりと開いていく。
こがれは飛び出しかけていた声を慌てて口の中にしまいなおすと、息を詰まらせながら開いていく扉を見つめた。
入ってきたのは、小さな女の子だった。
腰まで届く緋色の髪。
強いクセがあるのかところどころが跳ねたりねじれたりしていて、どこか野暮ったい感じがする。しかし、それが髪の色と相俟ってみると、まるで燃えて揺らめく炎の様に綺麗にも見えるのだ。
そして、その顔の半分を覆ってしまいそうな前髪の奥。そこではエメラルドグリーンの瞳が、きらきらと濡れた輝きを放っていた。
扉を開ける為に足元に置いていたらしい。少女は手桶の様な物を両手で胸に抱え上げると、その桶に視線を落としながら、よたよたと危なっかしい動きで部屋の中へと入ってくる。
こがれは小さいとは言え同性の人間が現れた事に幾分か表情を緩める。そして、とりあえず声をかけてみようと考えた。
……例え、その少女が明らかに日本人じゃなくて、明らかに現代文明っぽくないファンタジーな衣装に身を包んでいて、明らかに『獣の耳』みたいなものが頭の上に生えていたとしても、だ。
「え、えっと……おはよう?」
「──?!!」
相手を驚かさないように、なるべく静かに声を掛けるこがれ。
しかし、その目論見は見事に外れてしまったらしい。
こがれの声に盛大に驚いた様子で身をのけぞらせた少女は、そのまま抱えていた桶の中身である水を床にぶちまけてしまう。
「わっ。だ、だいじょうぶ──」
そう声をかけるよりも早く。
驚愕の表情でこがれを見つめながらじりじりと後ずさった少女は、ぱたぱたと逃げるように扉の外へと走っていってしまった。
「な……なんだったんだろ……?」
呆気にとられた様子で、こがれもぱちくりと目を瞬かせる。
何かそこまで驚く様な事があったんだろうか?
そこまで考えて、こがれはハッとしてからがっくしと頭を垂れた。
「ロープ……解いてもらえばよかった」
そう、こがれは相変わらず世にも奇妙なイモムシモードなのだ。
そりゃこんな姿を見れば大抵の人は驚いても仕方ないのかもしれない。床に額をあてたまま、こがれは地を這う様な長い長い嘆息を吐き出す。
その時だった。
──ぱたぱたぱたぱた……。
先ほど遠ざかっていった筈の小さな足音が部屋へと戻ってくるのにこがれは気づいた。
そして「そうか、何か道具が無いと小さな子にはロープなんて切れないもんね」と、少女が何か道具を取って自分を助けに来てくれたのだという希望に表情を明るくさせた。
……しかし。
その目論見はまたもや明後日の方向に外れてしまったらしい。
「──…………え、えーっと……」
部屋へと帰ってきた少女を見て、こがれは大いに反応に困った様子で目を細くする。
確かに少女は手に道具を持っていた。
しかし、それはこがれが思い描いてたハサミとかナイフとか、そーいう類のモノとはどうにも形が違っていた。
少女が手にしていたのは、彼女の身の丈と同じ位の棒の先にメチャクチャ鋭い金属製の部品が付いた長物。明らかに、これは『何かを切る』って用途よりも『何かを刺す』って用途の方に本領を発揮しそうなヤツで、なんて言うか『道具』って呼ぶよりも『武器』って呼んだ方がしっくりくるというか……むしろ『武器』そのもの。
見事なくらいに『槍』だった。
「う、うごくな! うごくと……刺す!」
「……え。え、え、ぇええええっ?!!」
ジャキンと槍の切っ先をこがれの顔面に向けながら、少女が声を張り上げる。
どこか舌ったらずな可愛いその声とは裏腹に、向けられた槍の矛先はよく磨かれている様で、ピカピカと光る剣呑な輝きは致命的な危険さを孕んでいた。
「ストップ、ストーーップ! 私が悪かったから! 驚かせたのは謝るから! だからその槍をどこか他所に向けてーー!!」
こがれはイモムシからシャクトリムシにチェンジし、ロープぐるぐる巻きの状態から必死に頭を下げまくった。
決して驚かせた気もなければ自分が悪いという気もないのだが、いかんせんあの槍の切っ先でサクッと来られると非常にマズい事になる。おそらく、サクッとそのまま三途の川の向こう側まで送られる事になるだろう。
「だ……だから、うごくな! サクッといってもいいのか!?」
「ダメです」
少女の言葉に、こがれはビタッとシャクトリムシを止めた。
……気丈な表情を見せていても、こがれに怯えているのだろうか。槍を構える少女の体は、フルフルと小刻みに震えていた。
おまけにその顔は、今にも泣き出しそうなくらいに切羽詰っている。
これ以上、少女を刺激するのは大変によろしくない……そう考えつつ、こがれはごくりと息を呑んだ。
もはや、こがれの命は少女の手の内だった。
動くなと言われれば動かずにいるしかない。
阿波踊りをしろと言われれば踊るしかない。
春町 こがれ、絶対絶命であった。
──しかし、救世主というのは意外と現れるモノらしい。
「ラルカ! ラルカ・メルカ!」
扉の外から聞こえてきたのは落ち着いた雰囲気を漂わせる女性の声。
その声に、少女はびくりと身を震わせて槍の切っ先を下ろす。
「ラルカ、いったい何をしているんです! ──……ああ。ちょっと目を離した隙に、やっぱりこんなことを」
扉をくぐって現れたのは、金色の髪をした長身の女性。
文句なしに、同性のこがれでも目が覚める程の美人さんだった。そしてやっぱり、明らかに日本人じゃなかった。
その女性はこがれの姿を見ると全てを察してくれたようで、額に手を当てると深々と嘆息していた。
「ごめんなさいね……悪い子じゃないんだけど、ちょっと人見知りが激しくて。人見知りのあまり、貴女が動きださないようにロープで縛っちゃったのね」
「は、はぁ……」
果たして人の手足をロープでぐるぐる巻きにして拘束したり、槍を突きつけたりするのを『人見知り』の言葉で片付けていいものかどうかはともかく。
金髪の女性は腰の鞘から引き抜いたナイフでこがれの手足を縛るロープをさっくり切り裂くと、手をとって立ち上がらせる。
そんなこがれが立ち上がる姿を見て、それまで金髪の女性の後ろでモジモジしていた少女──ラルカはまたも逃げるように部屋の外へと飛び出して行ってしまった。
「あっ……あの、大丈夫、なんですか?」
「気にしなくてもいいわ。お客さんにはいつもあんな感じだから……」
出て行ってしまった少女を気にかけるこがれに、金髪の女性はやわらかく微笑んで頭を振って見せる。
……お客が来る度に槍を向けているのは、果たして気にしなくていいレベルの問題なのだろうか。
先ほどの人見知りに続いて、こがれの脳内にまたも新たな問題が浮上してきた。
そんな事をこがれが考えているとは知らぬ様子で。
金髪の女性はこがれの顔を覗き込むようにちょっとだけ身をかがませると、ドキリとしちゃう素敵な笑顔を向けてくる。
「さぁ、自由になった。さて……夢見のお加減、いかがだったかしら? 可愛い異邦人さん」
夢見──果たしてこれは本当に現実なのだろうか。
もしかしたら、今も自分は夢を見て寝ぼけてるだけじゃないんだろうか。
いったい何がどうしてどうなってるのか、何が何やらさっぱりで。
金髪の女性の問いに「わりと最悪です」と答えそうになるのをグッとこらえ、こがれは曖昧な微苦笑を浮かべながら小さく肩を竦めてみせるのだった。
書ける内に書いておこう!
というわけで、第2話のはじまりでございます。
しかし……この主人公、なんか毎回やたらと叫んでんなぁ(・ω・`




