籠003 笑う指導者達
学園長のバラン=ペルラビッツは、齢五十。
老齢の熟練した導師達を束ねるには、少々以上に若い人物である。
実際、ミネオマルタ国立理学学園の歴代学園長は、いずれも偉大な功績を残した大魔導師達であり、それに対してバランが残した功績は、その規模からすればいまいち見劣りするものだ。
バランが学園長として任命されたのは、三年前のことだ。
理由は単純なものである。
三年前の魔導士暗殺事件の最中、彼は偉大な魔導士達の身代わりとなるために、今もこうして学園長の任についているのだ。
首都のミネオマルタでは、その元々の警備の厳重さから、ほとんど被害はなかった。
しかし離れたミトポワナの理総校では、学徒から導師に至るまで、“暗殺者達”の手によって数多くの被害が出てしまったのだ。同時期に、鉄国や雷国でも深刻な被害が報告されている。
この高名な魔導士や理学研究者を狙った忌むべき大量殺人事件は、魔導士達にとって断固として立ち向かうべきものである。
しかし、被害の出ていないミネオマルタの学園内においては対岸の火事。その危機感はいまいち薄く、他人事のようなものだった。
トップとして君臨していた老獪な学園長は、嘘か真か、急病を理由として突如学園を去って隠居を決め込んだ。
それを皮切りにしてか、学園長以外の導師の何人かも、歳や体調などを口々に挙げて、疎開を始めてしまう。
ミネオマルタの理学導師達は、来る脅威に立ち向かうことなく、逃げることを選んだのだ。
それは、当時の状況からしてみれば、至極真っ当な判断であったかもしれない。
ところが事が終わり、ゾディアトス導師らの力によって問題の解決を迎えてしまえば、残ったものは全く損害のないミネオマルタの理学学園。
逃げ出した導師達が“導く立場にない”と後ろ指をさされるのも、仕方のない事であった。
以来、学園長の座にはバランが君臨し続けている。
その立場上、学園に戻れない導師達は大勢いたのだが、彼は未だにそれらの帰還を認めていない。学園に残った導師達にとっても、心情としては同じだろう。
身を挺して学徒を守れない者に、“導師”を名乗る資格はない。
それが、長きにわたって学園に巣食っていた老害を追放した、現導師達の総意である。
今は、バラン=ペルラビッツの学園長という立場に異を唱える者はいない。
抜けた導師達の穴を埋めるために杖士隊などからやってきたマコ=セドミストを筆頭とする若手導師達も、今ではすっかり板についている。
“新生”ミネオマルタの滑り出しは、三年目にして順調であると言えた。
「いやあ、古い人達が“私が学園にいなければ大変な損失になるぞ”と連日うるさくてですねぇ」
壮齢の男は、珍しく歯を見せて笑う。
「ははは、それは傑作ですね」
若い女性導師は、ソファーの上で本当に面白そうに腹を抑えている。
「若手から奪った成果で地位を得た身で、しかもあの老体で、これから何を成せるのかという話ですよ。まあ、私もそこまでは言ってやりませんがね。丁重にお断りしている次第なわけです」
「はは、向こう様が諦めるには時間がかかりそうだ。学園長も、お忙しいようで」
「なに、蚤取りに忙しいだけですよ。ゾディアトス導師ほどではありません」
二人はもう一度、高らかに笑う。
彼らに目を凝らしても袖の下に金貨を忍ばせるような素振りは見せないが、いつそこに金貨を投げ込み合ってもおかしくないような黒ずんだ会話が、そこで繰り広げられていた。
「ははは」
「いやぁー」
「……お招きいただき、ありがとうございます。学園長」
「こちらこそ。双璧がここまで歩み寄れたのも、貴女のおかげですよ、ゾディアトス導師」
二人は黒い笑みを朗らかなものに変え、固い握手を交わした。
三年以上、つまりミネオマルタの学園長が代替わりする以前の時代には、ミネオマルタの学園とミトポワナの学園は、同じ水国の理学機関でありながらも、お互いに対立を続けていた。
ゾディアトス導師はもっと以前から、光魔術の基礎理論をより深くまで掘り下げていたのだが、両学園の間に存在する溝は深く、光属性術の研究に必要な協力は不十分であったのだ。
その溝が埋まったのは、バランが学園長に就任したつい三年前である。
人を殺害することに特化した闇魔術。
禁断の属性術が猛威を振るった、“暗殺者達”による数多の惨劇。
もっと、二つの学園の距離が近ければ。
光魔術は早期に確立されていれば、“防御不可能”と言われる闇魔術に対抗し、あの凄惨な事件を防げたのかもしれない。
バランとリゲルの二人には、そういった後悔が常に付き纏っていたのだ。
「ミネオマルタの学徒たちは、皆良い子ばかりです。ご安心ください、導師」
「もとより、心配などはありませんよ」
「ありがとうございます。……基本的には、属性科の高学年に対して集中的な講義をお願いしたいのですが」
「もちろん、大丈夫です。私に出来ることであれば、何でも協力しますよ、学園長」
リゲルはいつもの様に微笑んだ。
胡散臭いと言われる彼女の笑顔だが、バラン学園長にはそれが嘘ではないと分かっている。
「学徒の皆さんは、皆日頃から熱心です。力を高め合い、競い合い……きっと、導師による光魔術の講義も、食いつくように聞かれることでしょう」
「食いつかれるですか、はは、それは怖いな」
「いえ、実際そういうものだと思いますよ。壇上では、彼らの気迫に押し負けないでくださいね」
「努力します」
リゲルは謙遜するが、彼女は“暗殺者達”に立ち向かい、自らの力で退けた身だ。
バランはもとより、彼女が気負いする心配などはしていなかった。
「ですが、だからこそ不安なのですよ、学園長」
「不安、とは」
聞けば、導師は弱ったような笑顔を浮かべた。
それは“嘘をつくときにも満面の笑顔を絶やさない”と云われる、リゲル導師には似合わない表情であった。
「資料もあります。立体構造模型も。助けとなるものは、沢山用意したつもりですがね……」
「はあ」
「それでも、学徒の皆さんが、私の講義についてこれるかどうか……」
バランは一瞬だけ、それがリゲルの冗談かと思い、調子を合わせて笑ってやろうかとも思った。
しかし、リゲルの表情は真剣に悩む、本物のそれである。
「ふむ……」
ゾディアトス導師の招致。
それは、水の国の魔道士達を明るい未来を導くものであると、この時のバラン学園長は信じていた。
事はそう容易く進まないものだと気づくには、まだもうちょっとだけ、時間が必要である。




