籠002 上回る大金
ゾディアトス導師の挨拶が終わると、学徒は全員速やかに解散となり、私達特異科も自分たちの講義室へと返された。
あとはマコ導師による百分の講義をひとつ受けるだけで、今日は終わりである。
「術の発動に成功しただと」
講義室の机の上に何十冊もの書物を重ねたクラインが、珍しく驚いたような顔を見せた。
私が昨日の特訓後に行った、自主練習での出来事について話したのである。
「うん、最後に一発だけね。暴発気味だったけど、やたらでかいのが出たんだ」
「もう一度試したか」
「ううん、まだ」
「ふむ」
猫背の状態から木製の背もたれに腰を預けたクラインが、ボウマの投げた紙くず砲弾を華麗に避ける。涼しい顔して、慣れたものである。
「一度発動したということは、術の形は既にほとんど掴んでいるようだな」
「そうなの?」
「その可能性は高い」
口は止めず、手も止めない。
クラインは本をめくりながら、合間に小さな栞をはさみつつ、言葉を続ける。
「修得が早いのは驚きだが、良い誤算だな。だが、属性術は発動が安定しなければ意味が無い。今日も試してみるといい。十回中に九回発動できれば、修得したと判断して良いだろう」
そう言われても、多分失敗する時には九回も発動できず、先に精神が擦り切れてしまうだろう。
昨日の最後にはたまたま上手く発動したが、今日もその地続きにできるとは限らない。
死力を尽くして発動させた魔術だったが、同じような条件でしか発動しないとなると、それは困る。
なんとか平時にも使えるようになりたいんだけど……。
「ゾディアトス導師の来訪で、字選室の使用予約が立て込んでいる。その関係で、オレは急ぎで資料の整理をしなければならない。今日は手を貸せないぞ、ウィルコークス君」
「あ、うん、大丈夫。まあ、一人でもやれることはあるだろうしさ」
実を言えば少し不安だけど、やること自体は変わらない。理学式の資料をよく見ながら、特訓に励むとしよう。
あ。けど今日の魔術の特訓、どこでやろう。
マコ導師によるわかりやすい理学の講義後、ボウマを肩に担いでぐるぐる回っている暇そうなライカンに話しかけてみた。
「ねえライカン、ちょっといいかな」
『おう、どうした、ロッカ』
「魔術の練習をしたいんだけど、この辺に広くて人目につかないような広場……って、あるかな」
『ないな』
「ないねぇ」
ライカン、自信たっぷりの即答だった。
腕を組むライカンの肩上では、同じようなポーズでボウマも“うむうむ”と頷いている。
『ここらでは、閑静な広場などは無いからな。ルマリの枯噴水広場のように打ってつけの場所はあるのだが、遠くでは駄目なのだろう』
「んー、できれば、まぁね……無いなら無いで、仕方ないけど」
ここから広場までは結構な時間を歩く必要がある。
ミネオマルタは広いのだ。ラビノッチを追っていたように、なりふり構わず全力で走ればそれなりの早さで到着できるだろうが、そこまでして広場に行きたいわけでもない。
それに、昨日のようなミスで毎度毎度危機に瀕していては身がもたない。一人では特訓したくないというのが、私の本音である。
忙しそうなクラインに、わざわざ遠い広場まで付き合ってもらうのも気が引ける。
出来ることなら、近場で済ませたかったんだけど……。
「ああ、そうだ、君たち」
私が悩んでいると、本をまとめたクラインが話の輪に入ってきた。
同時にヒューゴにも声がかけられ、ウサギ騒動の時の五人が集められる。
「捕らえたラビノッチの生体素材についてだが、処理した毛皮の買い取り手が見つかった。これで無事、全ての素材の売却が済んだことになる」
「おお、ついにか」
「うひょー、やったー」
クライン主導で進められていたラビノッチの骨やら革やらの売買が、どうやら上手くいったらしい。
実際にどんな買い手に渡ったのかは知らないが、これは良いニュースである。
「そして、やはりというべきか、ラビノッチの白い個体は稀少なものらしい。買い取りの内容も予想を大きく上回る形となった。一人三千YENで分配するぞ」
「さんぜん!?」
「おお、三千ときたか」
クラインは腰に掛けたポーチの中から、無造作に大金を取り出した。
千YEN紙幣が、私達の人数分、一人三枚なので十二枚。
見たこともない大量の紙幣に、私は恐れ慄いた。この表現は大げさなものではない。
『おお、すごいじゃないかクライン。随分と儲かったんだな』
「やったー! なんでも買えちゃうぞ、これ!」
「皆頑張ったからね。僕はあまり活躍できなかったけど、ありがたくいただいておくよ」
三千YEN。
つい最近贅沢な晩御飯を食べたばかりだというのに、さらにこれだ。
貧乏な私が、まさかこんな大金を個人で手にする日が来てしまうとは。
「……よし」
お金をジャケットのボタンつきポケットの中に大事に大事に仕舞いこむ。
そして、今日はギルドで父さんへの仕送り手続きをすることに決めた。
第五棟の階段を降りる際、いつになく人が多いように感じたのは、きっとゾディアトス導師の影響があるのだろう。どこかそわそわした魔道士の姿をいくつも見かけた。
ゾディアトス導師専用の部屋は第五棟の五階にあるので、それを目当てにでもしているのだろう。
けど、直に会いに行ってどうするっていうんだ。
そもそもゾディアトス導師のような人ともなれば、会うだけでも大変そうだけど。
「絢華団」
そんな私は、ゾディアトス導師の影響によって今日の予定を追いやられ、こんな場所にまで足を運んでしまった。
ここで仕送り手続きをしてから、広場に足を運んで魔術の特訓をしようという算段だ。
ミネオマルタ中央部にある大きな傭兵ギルド、絢華団。
街では特産品などが商人会員によって買い集められる。
御者会員は、荷運びを請け負い、運ぶ荷物や場所を決める。
物によっては行動を共にする用心棒としての会員なども、鳥馬車につくだろう。
安定した物流を支え、人々の仕事を滞り無く管理するのが、ギルド最大の役目だ。
そしてこの絢華団は、数あるギルドの中でも世界最大規模の組織である。
私も間接的にではあるが、仕事の関係でデムハムドの頃から世話になっている。
まぁ、世話になってるのは私らの上にいる雇い主なんだけどさ。
「……」
扉を開けると、そこには筋骨隆々の荒くれ共が酒を酌み交わしている最中で……ということはない。
中はあくまで大手のギルドらしく清潔であり、明らかに“剣と肉体で稼いでいます”という無骨な輩も、そう多くはない。
むしろ目につくのは専ら商人の方であり、六人体制の受付は彼らが占有している状態であった。
私はその中でも、一人分だけ空いていそうな列に並んだ。
故郷に仕送りするだけだし、大した時間や手数料も取られないだろう。
「ちょっと前にな、地下水路の定期調査をやったんだがね」
「ほう、そりゃあご苦労様」
ギルド内は色々な人の話し声で満ちているが、その中でもよく通る男の話し声が耳につく。
列の消化を待つだけの私は、ほとんど無意識のうちに、彼らの話に意識をそばだてた。
「水位が増した時期にデオルムが迷いこんで喧嘩でもしたのか、ブリリントンが泳いでいたのか、わからんのだが」
「うむ」
「水路の壁に痕があってな」
「物騒だな」
「そいつが上の方に来られて金網が破られなけりゃいいんだが」
「地上の水路にブリリントンか」
「うへへ、恐ろしいなんてもんじゃないなそりゃ」
思いがけず、不穏な話を聞いてしまった気がする。
天鱗魚ブリリントンか。確か、ものすごく硬い鱗を持つ魚なんだっけ。
鋭利な鱗は、ちょっと通って触れただけで、釣り糸も投網も引き裂いてしまうほど鋭利なのだとか。漁師泣かせの魚である。
ブリリントンはラビノッチと同じで、害性の高さからランクCに登録されている魔獣だ。
鉄の国の港にも出るので、漁師崩れの鉱夫から話を聞いたことがある。
私自体はブリリントンの姿を見たこともないんだけど、刺し身は絶品だという噂も耳にした。
ラビノッチの肉は残念なものだったけど、これがブリリントンなら、楽しめそうだ。
いや、わざわざ泳いでまで獲ろうとは思わないけどね。
そんな馬鹿なことを考えているうちに、列は進んで私の番がやってきた。
ギルドの受付嬢の紅い制服は気品が有り、絢の花を象った胸のバッヂは地味な制服の中で唯一、華やかさを演出している。
薄く微笑み対応してくれる彼女の仕事ぶりは、私じゃ今からでは到底なれそうもない、しかし未だに理想の女性の姿であった。
ギルドの受付といっても、ミネオマルタで働くくらいだ。彼女たちは、相当に選び抜かれた人材なのだろう。
ギルド員による手慣れた案内もあって、難なくデムハムドへの仕送り処理は完了した。
三千YENは私の手紙と一緒に封筒に入れられて、絢の花の刻印によって封をされた。
仕送り金が父さんのもとへ届くのは、まだまだ先だ。
もしも父さんがこれを突き返してくるとしても、それが私の方に戻ってくるのも、更にもっと先になるだろう。
そう考えると、本当に遠く離れた異国に来てしまったのだなと実感する。
私は心がホームシックに冒されないうちに、早々に公園へと足を運んだ。
特訓しよう、特訓。




