籠001 集う式場
ついに、リゲル=ゾディアトス導師が首都の学園にやってきた。
水国本島の端に位置する濃霧街ミトポワナからここまで旅をしてきたのだ。
途中何度も馬車を休ませたことだろうが、相当な長旅だったに違いない。
ゾディアトス導師は学園到着後、すぐに何人かの導師によって丁重に迎えられ、学徒が噂を耳にする間もなく個室に入った。
旅の疲れもあるだろうし、準備もあるだろう。
馬車の同伴者らしき人たちも素早く馬車を降りて、忍ぶような急ぐ歩調で建物に入っていった。
もちろん、その際に導師たちによる厳重な警備が敷かれていたのは、言うまでもない。
……もうちょっと私の特訓が遅ければ、ゾディアトス導師に大変な迷惑をかけていたかもしれないところだったな。
魔術が成功するとは思わなかったけど、まさか暴走紛いなことが起こるなんて、そっちは夢にも思っていなかった。
最後の一回は偶然にも成功したみたいだったけど、あんな危険な目に遭うのは二度と御免だ。
次からはなるべく一人ではやらず、ちゃんと誰かの付き添いでやるようにしよう。
……しかし、次もまた裏門でやるというわけにはいかないか。
やってみて分かったことだけど、あそこは意外と馬車などの出入りが多いようだし。
「人類史上初の全属性術士、か」
人で満員となった闘技演習場の観覧席で、クラインが呟いた。
今現在、私達特異科生を含めた全学徒が、この第二棟の闘技演習場に集結している。
満員御礼。そしてフィールド上の半分近くを埋め尽くす五、六学年の学徒たちの姿を見るに、言葉通りの全学徒が、目立った欠席もなくしっかり集まっていることは、疑う余地も無かった。
闘技演習場の白い壇上はこの一大イベントのためか、中央部はステージとして盛り上がり、その他の部分はフィールド上の学徒達のための椅子として凹凸を作っている。
ただ綺麗な四角を作るだけの装置かと思っていたが、そういうわけでもないらしい。こういった催し事の際には、ちゃんと役立つ設計となっているようだ。
観覧席から壇上の女性を眺める学徒達には、落ち着きが無い。とはいえ、その中で今日の講義後の予定について話すような者は、ほとんどいないだろう。
会場が全体的に騒がしく思えるのはつまり、壇上のゾディアトス導師に関する皆の話し声が尽きないためであった。
「全属性術士って何?」
「火、水、鉄、風、雷、影、光、闇の八つの属性術を修得した人に与えられる称号さ。ゾディアトス導師は三年前、つまり十七歳の時点でそれを手に入れた」
私の疑問に、後ろの席のヒューゴが答えてくれた。
「人類初の快挙だった。そして、その称号を手にしているのは、未だに彼女一人だけ」
ステージの上に立つ女性は、小柄だった。
秋色の髪は、長さ自体の手入れはされているようだが、それ以上に気を利かせているような、特別美しい言葉に例えるほどのものではない。
異質といえば、汚れが目立ちそうな純白のローブとケープがそうであるが、お洒落に気を使う首都の中ではそれほど目立つものでもないだろう。
歳を二十と聞いて、総じて納得のできる容姿だ。
私にはあそこに立つ一人の女性が、話に聞くそれほどの偉人であるとは信じられなかった。
彼女に助けられた身でありながらこんな事を考えるのも罰当たりかもしれない。
けど、彼女の容姿があまりに凡庸であることは、間違いないのだ。
「千数百年前、闇属性術の体系化に大きく貢献したクラームトという貴族がいた」
クラインが壇上の女性を見つめながら、長くなりそうな話しを始めた。
「天才である彼は長年の間、理学の研究に没頭し続けたが、光魔術に関する成果だけはほとんど挙げられなかった。潤沢な資金があっても、習得のための糸口が掴めなかったんだろう」
「それで?」
「彼は六十を過ぎた頃になって、“光魔術を習得した者に九十万YENの懸賞金を与える”という声明を出した」
九十万YEN。
それがとても昔の貴族らしい、馬鹿げた金額であるということだけは良くわかった。
「だが“光魔術”という表現が曖昧だった。実は体系化されていない独性術であれば、一部に光の性質を持った魔術は当時から多少は存在していたからな。自分こそはという者が多く現われたせいで、騒ぎと有耶無耶のうちに、最終的にその懸賞は無効となってしまった」
人を集めておいてそりゃないな。
それは軽口を叩いた貴族が悪いだろう。
「その後クラームトは、すぐに新たな懸賞を発表し直した。“全属性術士となった者に、我が家の至宝を授ける”とな」
「なんか、そっちはそっちで光魔術を習得するだけよりも遥かに難しくなってねーか」
「最初の懸賞で押し寄せてきた者への、クラームトからの嫌がらせだったんだろう」
クラームト、それがどこのどいつだかは知らないが、随分と器の小さい貴族だってことは分かった。
「クラームトって奴は、無理難題のつもりでその懸賞をふっかけたわけね」
「ああ。だが千数百年の時を経て、魔道士達は知恵と意志を受け継ぎ、昨今ついに執念を花開かせた」
「無理難題に答えを出してしまったわけだ」
けどそれも三年前のこと。三年経った今でも全属性術士が彼女一人ということは、ゾディアトス導師の才覚というものは、他よりずっと突出したものなのだろう。
服や髪の見た目からは計ることのできない、偉人の英知。
年齢でいえば彼女は私の数個上だけど、私とは明らかに、立っている場所が違う。
「ミネオマルタ国立理学学園の皆さん、どうも。理総校のリゲルです」
魔具によって拡声された導師の声が、会場全体に響き渡る。
見た目にも違わない、中性的な声質である。
「あー、申し訳ない。生まれのせいか、どうも堅苦しいのは苦手でね。この話し方で進めさせてもらおうと思うよ。良いよね?」
ゾディアトス導師は壇上の脇に待機する導師に尋ねたらしかった。
棒立ちを決め込んでいた導師は突然の振りに対応できず、やけに慌てていたが、すぐに何度も首を縦に振っていた。
というより、ゾディアトス導師を相手にしては断りようもないだろう。
「皆さん御存知の通り、私は光魔術を習得してから三年、理総校を拠点に導師としての活動を続けてきた。光属性術を覚えたのはいいけど、それを理論として纏める作業はもっと大変でね、もう今ではだいぶ形になってきたけど、実はまだまだ、やることは残っている」
ゾディアトス導師が話し始めてから、会場の皆は一段と静まり返っている。
その様子からは、普段私がここで耳にするような、観覧席からの罵声や怒号などは一切無い。
ここにいる誰もが、フランクな姿勢を崩さない彼女の話を一片でも聞き逃すまいと、熱心に耳を傾けているのだ。
「しかしそれを全て理総校で終わらせるには、あまりにも時間が掛かりすぎる。ご存知だろう、ミトポワナは辺鄙な場所にあるからね、都市からそう簡単に来れる街じゃない。講義のために各国の魔導士を呼ぶには、かなり不便なところにある」
ミトポワナは水国本島の端だ。
本来秘境と言っても良い場所にあるのだから、そこへ行くには“留学”という言葉が似合うほどの時間と資金を要するだろう。
「私の役目は光属性術の継承だ。そのために、私はミネオマルタにやってきたのだ。もちろん体系化のための資料作りは基本として進めていくが、皆さんへの講義はそれ以上に熱心にやっていくつもりだ」
導師の表情は相変わらずの糸目の笑顔だったが、そこから発せられた言葉には会場が水を打ったように静まり返った。
鋭いほど真剣な空気は、無音として不気味なくらいはっきりと伝わってくる。
「光魔術を私だけで絶やさないためにも、どうか……」
ゾディアトス導師の顔が動き、こちらの観覧席へと向けられる。
遠くからなので、正確にはわからない。それでもこちらに目をやったような、そんな気がした。
「……意志ある者は、私の講義に出席してくれたまえ。歓迎する。以上だ」
終始不遜な態度で、ゾディアトス導師の挨拶は終わった。
それでも観覧席中からは、老若男女問わず、惜しみない拍手が贈られている。
ゾディアトス導師の来訪。
それは、私が想像していた以上の大きな出来事なのであった。




