函009 囲む焚き火
今日の講義が終わった、その夜のこと。
私は学園寮の裏に足を運んでいた。
学徒寮の無駄に広い裏庭のすぐ近くに、小川が流れている。
小川といっても人工的に掘られた所を流れているので、風情なんてものはない。
小魚も子蟹もおらず、苔を撫でて流れるだけの寂しげな川だった。
その脇に石を集めたかまどを作り、薪を配置する。
焚き火を作るのだ。
大きな石や薪の用意は、力仕事である。
その上すっかり暗くなった夜間、作業は難航……するものなのであるが、にも関わらず、これらの作業は比較的すぐに終わった。
『フンッ!』
主に、ライカンさんのおかげだ。
魔力によって身体強化が施された彼の力は、一言で表現して凄い。
ちょっとした石を運ぶのもすぐに済ませてしまうし、薪を手刀で割っていた。
いや、薪を割るというよりは……引きちぎっているに近いだろうか。力任せ、ここに極まれりといった感じである。
久々に、私よりも強い身体強化が使える相手に出会った気がした。
……こんな人も一応、理学を勉強してるんだよなぁ。
見たところ、インテリなタイプには全く見えないので、やっぱり特異科というものは、特異科なのだろうと再認識する。
ともかく、屋外料理の下準備は私が来て数分で完了してしまい、早速調理の準備に取り掛かるようだった。
「じゃあ後はライカンが適当にやっちゃうよね?」
『おう、任せておけ!』
「ちゃんと細かくしてくれよ、ライカンに切らせたんじゃいつも大きすぎるんだからな」
『ハッハッハ! おう、気を付けておこう、あの時はすまなかった』
「いやいや、気にしてないよ。けど、さすがに火が通ってないと腹を下すからね」
集まったのはライカン、ヒューゴ、ボウマを含む特異科の三人。それと私を含めてだから、四人か。私以外は、それぞれが食材を持ち寄ってきたらしい。
ライカンがこの話題を挙げた時にはその場にもうちょっと居合わせていたと思うけど、他の人は大体いつも集まらず、常にこのメンバーなのだとか。
「よぉーし……うひひ、ライカンのメシはうまいからな! ロッカはその椅子にでも座って、ゆっくり待っててくれぃ」
「あ、うん」
「なんたってロッカは主役だしね」
そう。
この唐突に始まった屋外料理会は、私の入学を歓迎して行われたものだ。
講義が終わった後、ライカンさんが『そういえばロッカの歓迎会がまだだったな!』とか言い出して、そこからあれよあれよという間に決まったのである。
何も持ってこなかった私はせめて、何か手伝えることはないかと言い出したかったんだけど、私は料理がそこまで得意ではなかった。
劇的に不味いものを作ってしまうというわけではないし、故郷でもよく作ってはいたんだけど、右腕の不器用さのおかげで、見た目の良い料理が作れないのだ。
けど、自分用の雑な料理はあまり人に見られたくなかったので、何もしないでくれという皆の気遣いは内心、少しありがたかったのだが。
ただ、みんなが動いていて自分は何もしないというのは慣れていない。
私は申し訳程度の手伝いとして、大鍋を置くための即席石かまどを補強することにした。
幸い、近くに石が沢山あったので、思い通りのものが作れそうである。
風よけを追加し、空気の通り道、埋め立て、土も使いながら形成してゆく。
石や土に触れている時がこの数日中で最も落ち着いた時間になるというのも、ちょっと悲しい話である。
本当、飽々してはいるんだけど。
『さあ食え! どんどん食え! 作りすぎてしまったくらいだからな!』
豪快に食材を放り込んだ煮込み料理。
完成したものは、そんな感じだった。
芋も野菜も肉も何もかも、とりあえず順番に放り込んで強火で煮る。あとは塩と、よくわからない何かを入れただけ。
シンプルで良いが、見た目は気にしていない。ライカンの料理には、特に見た目も関係なかったらしい。
けど見た目に反して、鍋の中からは良い匂いが漂ってきている。
見た目も無骨なので、私が手伝っても良かったのかもしれない。
「ん……うまい」
口に入れてみると、想像以上に美味かった。
出来たてであるとか、素材の味が良いとかではなく、普通に私が作れるであろう物以上の味だったのである。
見た目はゴツゴツに切られた食材の寄せ集めなのに、不思議なことだ。
途中に入れてたタレに、この美味しさの秘密でもあるのだろうか?
『ハッハッハ! 美味いかロッカ、どんどん食え! 食わないとでかくならんぞ!』
あんたは父さんかっての。
……食べるけど。
火を囲むようにして、持ち込んだ古い木椅子に腰掛ける私たち。
それぞれが皿に料理を大盛りし、談笑しながら飯を食う。
肉ばかりを皿に盛るボウマをヒューゴがたしなめ、ライカンは熱い芋をがじがじと少しずつ齧っている。
大雑把な料理、囲む焚火。
この感じは懐かしい。
都会なミネオマルタで、こんな素朴な雰囲気を味わえるとは思わなかった。
心が和む。
「なあ、ロッカはどうして特異科へ?」
「ん?」
ヒューゴがエールを煽りながら訊いてきた。
「みんな色々な事情があってここに来るからね。そりゃ、適当に楽したい人も多いんだろうけど」
「中には真面目に魔術を勉強しようって来る人もいるからなー」
『俺とかな』
「あー……」
理由か。
私が額の上に考え事を浮かべていると、三人は完全に聞き手の体勢になっていた。答えなくてはならない状況らしい。
「父さんに言われて仕方なく」ではちょっと、かっこ悪いだろうか。それはそれで、事実なんだけど。
……父さんが私をここへ押し込んだ理由でも答えようかな。
「うちって、結構貧乏でさ」
途端に空気が重くなった気がした。けど、隠すことでもないので言っておこうか。
「父さんの仕事を……ヤマでの仕事を手伝ってたんだけど、最近は採れる量も減ってきてね」
本当は二人でやったほうが効率がいいんだけど。
「そんな時、父さんがこの学園の……特異性を持つ人が入学できるっていう制度を見つけてきてさ。私に特異性があるのはずっと前にわかってた事だし、即決だったんだよ」
本当は随分と揉めたんだけど。
「うちの事情もあったし、来ない理由はなかったね」
本当は父さんが心配だ。
まぁ、そこまでは言うまい。うちの事情は、うちの事情だ。
「なるほどね、確かにここに入ればほとんどが援助される……ちょっとした手伝いで数年間、最高の環境でよろしくやっていける」
「あたしらの先輩なんかやる気の無さがやばかったなぁー。あたしもそんな感じだったけどにぇ」
『腑抜け共だったな。何の目標もなくダラダラするだけの輩ばかりだった』
私は自分の人生に明確な見通しを持っているわけじゃない。だから偉そうには言えないけど、そんな生き方は嫌だ。
生まれたからには、最終的には何かを残してやりたい。ヤマの男たちも口々にそう言っていた。
それはあいつらの口だけかもしれないけど、その考え方自体は正しいと思うし、私自身がずっと憧れてきたものでもある。
……けどここで、私に何ができるというのだろうか。
私が一生懸命にやってきた事といえば、ヤマでの仕事くらいなものだし……。
「なあロッカ。君はこの学園で何がしたい?」
「え? 何がしたいって……そんな事言われても」
「何もしたくないわけじゃあないんだろ? 最近の講義も、寝ずに耳を傾けてたみたいだったしさ」
そう、何もしないのは、嫌だ。
ズルズルとダラダラと生きて、命の欠片を口から垂れ流すような生き方だけは、どうしてもする気にはなれない。
「……何もしない、のは嫌、かな。だって、そんな生き方って、無意味だし」
私が曖昧とした心中を語ると、匙を止めて聞き入っていた皆がうんうんと頷いた。
「だな、僕らもそうだよ。風の噂に聞くような、無気力人間なんてごめんだね」
「あたしもー」
『俺もだ』
この三人は特異科の中でも、特にやる気があるようだ。
何かに打ち込む意欲、というやつである。
確かに彼ら、ヒューゴもライカンも、講義中に寝ている所を見たことはない。
……しかしボウマはどうだろう。結構寝てる気がするけど。記憶違いかな。いやでもボウマは……。
「じゃあどうだろう。特異科とはいえ、魔術が使えないわけじゃないんだ。ロッカも僕らと一緒に、魔道士を目指してみないか?」
「魔道士を目指す……?」
「そう、魔道士を目指すんだ。特異科生なら特異科生なりに、ね」
口から鶏肉がこぼれ、皿のスープにポシャリと落ちた。
魔道士。魔術を使って戦う職業。
そんなの、考えたこともないし、ヒューゴに言われた今でもしばらくの間、意味がわからなかった。
「ま、待ってよ。私は理学なんて全然わかんないし……」
「ロッカ、ここは理学校だよ。僕達が特異科生とはいえ、学ぶ権利は平等に与えられている。なかなか無い機会、ものにしようじゃないか」
「無理だよ、私の覚えの悪さじゃ。そもそも、勉強ってのが向いてないし、どう頑張っても魔道士なんか無理だって」
初等学校には通っていた。
ただ、二、三日に一回は仕事に行っていたので、授業なんて聞いていなかった事が多い。
それを差し引いても私の物覚えは悪いのだ。
理学も語学も史学だって、十を聞いても一を知れるか。なんも向いちゃいない。
そんな私が、たとえ最先端の理学学校に通っているからって、理学のハカセだとか、ましてや魔道士だとかになれるはずもない。
なにより……。
「それに……私は、私達は特異体質があるじゃないか」
特異性を持つ人間は、その人間が先天的に最も得意とする魔術属性が変質する。
確かに私は特異性がある属性術だけは扱える。
けど、欠陥属性が扱えるからって、それで魔道士を名乗るなんて、とんでもないことなのではないか。
「逆転の発想だよ、ロッカ。特異性を逆に、利用するんだよ」
ヒューゴの言ってる意味がわからない。意味のわからないことを言う人は頭が良さそうに見える。
けど、彼の言ってる事は間違っているきがする。
この件については、私にも無理だってことは理解できる。
「特異性は何にでもマイナスに働くわけじゃない。ものによっては、それがよりプラスになったり、思いがけない力になったりするんだ」
「なんだよそれ……」
思考回路が焼き切れそうな私をよそに、ヒューゴは地面に預けた流木の杖を拾い上げ、私の眼前に軽く掲げてみせた。
杖の出っ張った先には、湿った地面の土で汚れ、どこかから飛んできた落ち葉が汚らしく張り付いている。
「見てくれ、ロッカ」
「杖を?」
「そうだ、いくよ……“テルス”」
ヒューゴが呪文を唱えた。
炎が出るか水が出るかと、近すぎる距離に身構えたが……これと言って大きな変化はない。
ただ、ささやかな優しい風が前髪を揺らしていた事に気付く。
「風の魔術?」
「そう、僕の特異属性である風の初等術だ」
「……普通にできてるように見えるけど、風」
「それはどうだろう? 杖をよく見て」
杖はかまどの熱を巻き込みながら、生ぬるい風を辺りに吹かせている。
ヒューゴの髪も、私の髪も風に煽られている。
ただの風だ。そう思う。
ちゃんと発動しているし、風はしっかり吹いている。特異性があるとは思えない。
が、杖の先に目線が止まり、私はようやくおかしな点に気がついた。
杖の先端で、木の葉がくるくると回っていたのだ。
「か、風が回って……木の葉を回しているのか。まるで竜巻みたい」
「そう、これが僕の特異性。“風が右向きの渦を巻く”、風の方向に関わる、割と重大な欠陥だよ」
風が、より強さを増した。
杖の先で回っていた木の葉は浅く浮き上がり、空中でもなお、薄い身体で踊り続けている。
「右回りに吹く僕の風は、普通の風の術みたいに真っ直ぐ吹いてくれない。だから物を強く吹き飛ばす事もできなければ、遠くの標的に風を当てることも難しい」
右回りの風。
ヒューゴが私に見せてくれた魔術は一見して、魔術として成り立っているように見える。
しかし、螺旋状に吹いてしまう風は、物を押して運ぶ事に長けていないのだろう。
遠くの敵に得意魔術が当てられない魔道士というのは、確かに大きなリスクとなる。
そう、リスクだ。
この特異性は、ヒューゴが魔道士への道を諦めるに足る理由となるはずだ。
逆転の発想と言ったって、遠くの敵に当たらないこの欠陥魔術で、一体どうするというのだ。
「ちょっと癖のある風だ。けど、僕はこの術が本当に使えないものだとは思ってはいない」
「……どういうこと?」
気づけば黙っているボウマも、表情なんて読めないけどライカンも、口元をニヤニヤさせながら私の様子を伺っていた。
私には二人の、これからの展開に期待するような眼差しの理由がわからない。
「確かにエネルギーロスの多い魔術だとは思う。だけど幸い、僕はこの魔術が得意だ。それこそ、初等理学を習い始めた頃には既に風魔術が使えていたくらいにはね」
「……だからって、特異性のある魔術なんか」
「これを見ても、そう言えるかな? ロッカ」
ぶん、と風が震える音がした。
音の直後、ヒューゴの杖の上で浮かんでいた木の葉がボロボロに千切れ、欠片は紙吹雪のように舞って、自然のそよ風に流されてゆく。
魔術は一瞬のうちに、木の葉を八つ裂きにしてみせたのだ。渦巻く強力な、ヒューゴのつむじ風が。
「ね?」
「……」
微笑むヒューゴが恐ろしく見える。
髪を弄ぶ風の余波が凶器のように感じられ、私の額から冷や汗が流れた。
ヒューゴは話をしながら、今の一瞬の間に風を強くしたのだ。
渦巻く風は小さなかまいたちのように杖の上に吹き荒れ、中心の木の葉をズタズタに引き裂いてしまった。
もしもそのつむじ風が、より大きいものだったら。
風吹くそこに、人が居たとしたら。
……ただ正面から吹く烈風以上のものに、なるのではないか。
「人と違うからって、それが間違っているとは限らない。違っていても、その違いには工夫一つでどうにかできるものがあるはずなんだ」
「うむうむ、ヒューゴぉ、お前良いこと言ったぞ。パセリくれてやる」
「おいボウマ、野菜もちゃんと食えよな」
最後はボウマに茶化されたヒューゴだったが、その間際に見せた淋しげな表情は、昔の出来事を思い起こしていたのかもしれない。
ヒューゴは何かしらのきっかけで自分の魔術に向き合い、自分の展望を見出したのだろう。
「……んぐ」
こぼした大きな鶏肉をフォークで刺して、食い千切る。
奥歯で固い筋をゴリゴリと噛みながら考える。
……使い方次第で上手くいく?
その通りかもしれない。ヒューゴの言うことには一理あると思う。
けど、私の特異性がそれに当てはまるとは思えない。
ヒューゴの風は、頑張って練習を積めば、螺旋の風から竜巻になるかもしれないが、私の魔術はそう単純にいくだろうか?
……断言できる。
絶対に、私の特異性は有用ではない。
この学園で馬鹿正直に魔術を学び続けるなら、肉体強化の修行に明け暮れていたほうが随分と有意義であると、学の無い今の私だって断言できる。
「だからロッカ、君も僕らと一緒に魔術の練習をしないか? やっていくだけでも結構楽しいと思うし……」
「無理だよ」
右手で灰色の小石を摘み、焚き火の中に放り投げる。
「……ロッカの特異性はわからない。けど、最初からその属性を使えるのであれば、何であれそれを高めていけば……」
「な、ロッカ? 一緒にやってみない?」
『そうだぞロッカ、俺も自分の魔術というものに価値を感じていなかったが……』
「……こんな魔術じゃ、あってもなくても同じだよ……」
灰色の小石をまた、焚き火へ投げる。
「そりゃ、火とか水とか、風とか……雷とか……鉄でもいいさ。そういうものなら、使えたかもしんないよ」
灰色の小石を二つ、焚き火へ投げる。
「けど精神を研ぎ澄ませて、身体強化を解いて、ため息をつきながら使う魔術が“これ”じゃあさ……」
灰色の小石を三つ、焚き火へ投げる。
「ちょっと、どうしようもないんじゃない……って、思うんだよね……」
精一杯の集中を経て右手の中に現われる、一握り分の石。
卵くらいの大きさの、灰色の石。
故郷のヤマでよく見るような、何の変哲もない、路傍の石。
「……」
「……」
『……』
三人の押し黙った表情が語っている。
ああ、どうしようかな、なんて声をかけようかな、と。
どうしようもないんだ。わかってる。
私の特異性、その属性は鉄属性。
硬く鋭く、丈夫と言われる鉄の術。威力も高ければ、崩壊しにくい強力な属性術。
その鉄属性の特異性……“生み出す鉄が、岩石になる”。
そう。脆くて砕ける、鉄とは比べることもできない軟な岩。
それが私の背負った特異性だ。
工夫も何もない、ただ鉄が遥かに弱くなっただけの魔術である。
「……悪い、寮に戻らせて」
惨めな気持ちに目頭が熱くなる。
情けない姿を見せたくなかった私は、卵大の石を放り捨て、その場から逃げるように立ち去った。
ボウマが私を呼び止めていた気がするが、気にしない。私は踵を返し、早足で帰る。
皆と離れた途端に、鼻がぐずぐずと鳴る。ちょっと涙が出てきた。
自分に特異性があることなんて、最初からわかっている。
その事実を受け止めてから随分と時間も経っているし、この学園に入学して、惨めさを享受する覚悟も、ちょっとは決めていた。
けど自分と同じ境遇でいて、しかも自分よりも優秀な人を見てしまうと、その惨めさが倍にも膨らむ気持ちになってしまったのだ。
こんなのは、人と比べることではない。
自分の才能に落胆したってことは、私は他の人が自分よりも落ちこぼれでいてほしいのか。
そんな自問自答をして、わけもわからないままに自らを疑い、更に自分が嫌いになる。
灰色の石を見て、故郷のヤマを思い出してしまった。
あそこに帰りたい。ここは嫌だ。父さんに会いたいよ。
ああ、もう。
自分でも何を考えているのか、わからなくなってきた。
とにかく私は惨めだ。落ちこぼれだ。
加速していく憂鬱な気分だけが、夜の私を包んでいる。