杁014 噛み付く破片
貨幣偽造の常習犯グリッヒは、私の拳一発で頬骨を折り、ぶっ飛ばされた拍子にレンガの角に腹を打ってあばらも一本折った。
駐在所に突き出して、機人警官達に脅されるとすぐに余罪も吐いたようである。
クラインの言う通り、グリッヒは最近市場の銭回りを荒らしている張本人であると判明した。
グリッヒは普段、市場で菓子などを売る露店を開いて、その本性を装っている。
だがその実は、旅人などに釣り銭を返す際、掌の中で魔術で貨幣を生成し、実際の小銭の中に混ぜて渡すという、非常に高度な手口を用いた詐欺師だったのだ。
かつては行商として行く先々で支払いに小銭を混ぜたりだとか、また逆に、露店の品を買う際に使ったりだとかで、使った回数は数えきれないのだという。
貨幣は時間とともに溶けて消滅するとのことだが、小銭をじっと眺める商人や旅人はいない。仮に気付けた者がいたとしても、その場から立ち去ってしまえば、捜索のしようもないだろう。
実際、目の前で生み出された百YEN貨幣は忠実そのもので、本物と寸分変わらぬと言って過言はない出来栄えだった。
長年同じ魔術を使い続けた賜物であることに疑いの余地はない。
それだけに、グリッヒの罪は重い。
金は回るものだ。旅人相手にやってきた騙しの数々は、市場の会計に大きな混乱と、信用の低下をもたらした。
駐在所の警官が私達に報奨金を支払う際、“コケージ行きは免れないだろう”と言っていたことを思い出す。
ざまあみろだ。
せいぜい陽の当たらないクレバスの底の鉄檻で、寒さに震えながら余生を過ごすが良いだろう。
釣り銭を正確に数えて買い物をしていた私も、いつだか財布の中身が合わない事があった。
私もグリッヒの被害に遭っていたということである。
一発殴ってやった上にかけてやる慈悲などは、微塵もない。
夕時、強めの通り雨に降られた。
警官の駐在所から歩いて数分の小さな飲食店で、私とクラインは雨止みを待っている。
同じように雨宿りに訪れた通りすがりの傭兵や旅人が、夕食代わりの軽い食事と一緒に酒なども嗜んでいた。
二杯目の赤ビールを飲み始めても、私は警官に突き出したグリッヒへの怒りを未だに抱え、苛ついたままであった。
いや、酒が入ったからこその、より膨らんだ怒りなのだろう。
「どいつもこいつも、気に食わねえ奴ばっかだよ」
悪態つく私の手元を見て、クラインは優雅そうに紅茶を啜っている。
「それは、君が昼の闘技演習で負けた事と関係でもあるのか」
「お前、見てたのかよ」
「ああ」
「関係……なくは、ない」
こんなに美味しくない赤ビールも久々だ。
元々赤ビール自体、そんなに好きでもないけど。
なぜ頭に回ってくる酔いが、あの鍋の時のように楽しげでなく、望まぬ睡魔のように鬱陶しいのだろう。
「腹黒い奴らばっかりで、嫌になる」
それでも今のビールを飲まずにはいられない。
私は追加でもう一杯を頼むことにした。次を飲んでも、まだもう一杯いってしまうだろう。
帰り道が不安になるが、今の私にはどうでも良かった。
「ずるいんだ。ルウナも、あの詐欺商人も。やっと水の国で、良い感じに過ごせてると思えてきたのに」
「ルウナは闘技演習で不正をしていなかったが」
「そういう問題じゃねえよ、畜生」
クラインは、私が零す愚痴の受けてとしては器が歪すぎた。小さいでも大きいでもない、歪だ。
飲んで悪態ついてを交互にやっていきたい私は、どうもペースを乱されてしまう。
こんなに飲んでいても、くだを巻ききれない。煮え切らない思いだった。
「騙す、騙されるは世の常だ。騙される方が悪いなどと身も蓋もない事まで言うつもりはないが、騙されないようにする努力は必要だろう」
「辛気くせえ世の中だな、そいつは」
「ここは人間関係が限定された田舎とは違うのだよ、ウィルコークス君」
「チッ」
わかってる。そんなのは今更だ。わかりきっていたことだ。
でも比べてしまうのは仕方ないだろう。
私はずっと裏表のない、お互いに助け合うようなデムハムドの村で育ってきたのだ。
そこには、他人の荷物をかっぱらおうとする奴も、見ず知らずの客相手に贋金を掴ませる奴も、……人を名誉の踏み台にするため、笑顔で近付いてくるような奴だって、いなかったのだから。
「ルウナ……」
気が落ち込む。
怒りと同じくらいの悲しみと困惑に苛まれる。
本音を言えば、贋金掴まされたことなど、実に些細なものだ。
あんな怒りは、首謀者を一発殴った時点で晴れている。
都会の人間の腹黒さなども、この際は捨て置いてもいい。
拭い切れないのは、ルウナへの感情だった。
怒り。戸惑い。悔しさ。悲しみ。
様々な感情が渦巻いて、耐え切れなくなった私は、特に怒りを噴出してしまう。
そう、ルウナだ。
私は一体、どうすればいいんだろう。
「“ストーミィ・ルウナ”に負けて悔しいのか」
事情を知らないクラインは、物憂げな私の顔を直線的に解釈した。
いや、彼は事情を知っていても、同じように訊いてくるかもしれない。
とはいえ、彼の言うような感情も、なくはないのであるが。
「悔しいさ」
確かに私が勝っていれば、全てが丸く収まっていたとも言えるのだ。
闘技演習で負けて悔しがることも、ルウナの踏み台にされることもなかっただろう。
「でも、私に勝てる相手じゃないんだよ」
「そうだな」
彼女に勝つ。それは、無理な話である。
私は闘技演習場でルウナと戦ってみて、魔道士の強さというものを改めて実感した。
魔道士とは、魔獣や人を一切近づけさせずに闘う者を指す。
近づかせずに獲物を狩る。対象を無力化する。それが魔術の強みに他ならない。
短いタクトを一本握って、工夫を凝らして走り寄ったところで、そんな狼でもできるような戦法が通用するはずもなかったのだ。
殴って勝るが通用するなら、誰も魔道士なんか目指さない。
そんな、当然の事なのに。
「強い者に力が及ばない、その悔しさはオレにもよくわかる」
「クラインは強いだろ。負けなしだって聞いたけど」
「以前言ったはずだ、もう忘れたのか。オレには倒さなければならない奴がいると」
クラインはガラス棒で紅茶をかき混ぜながら、雫が流れる窓越しに通りを眺めた。
「君とオレとは、よく似ている」
「似てねーよ」
私は名誉を守るために即答した。
「特異性の話だ。頭の造りのことではない」
「その紅茶をもっと赤くされてえのか」
私の酔いが怒りに傾きつつあることも気にせず、クラインは澄ました風に続ける。
「君の特異性は鉄が岩になること。オレの特異性は水がガラスになることだ。どちらも元の属性は生成物関連で、特異性を帯びた生成物は鉱物に近い様相を呈し、脆い」
「……まぁ、そりゃあ鉄よりは脆いよ」
「それでも、君とオレとの特異性には違いがある」
クラインが紅茶をかきまぜるガラス棒を取り出して、右手の中にしっかりと握ると、それをおもむろに握り、折った。
パキン、という耳が驚く音の割に、ガラスの破片は飛び散らない。
ガラス棒は折れると共に、跡形もなく消えてしまったのだ。
「オレの魔術は、一部分でも砕ければ跡形もなく消滅する。だが、ウィルコークス君。君の魔術はそうではない」
「私のは……」
「君の魔術は砕けてもなお、その破片をしぶとくこの世に残す」
そう、私の岩魔術は、砕け散っても完全消滅しない。
時間とともに溶けるように無くなりはするが、一度に全てが消えてしまうということは無いのだ。
「一度負けたところで、それが何だ。君は意気消沈し、諦めるのか。何度身を砕かれてでも立ち向かい、勝利をもぎ取ればいいだろう」
こちらを刺すクラインの目は真剣そのものだった。
「オレにない可能性を、君の魔術は持っている。君はそれを、自分の可能性を……人々に、認めさせてやりたくはないのか。ウィルコークス君」
私はビールで苦くなった唾を飲み込んだ。
コップに注がれた残りの分も一気に煽って、酒臭い息を脇に捨てる。
答えは、決まってる。
今までのはただ、わざと弱気になっていただけ。酒を飲む理由が欲しかっただけさ。
「当たり前だろ。何もしないまま、ただ諦めてやるもんか」
確かに、今の私ではルウナには勝てない。けどそれは今だけだ。
ちょっと力を入れて食い縛れば、また十日かそこらで結果を覆すにまで至ってやる。
もう一度戦って、挑んで、そこで今度は私が勝つのだ。
そうすれば全ては解決する。
ゴチャゴチャした細かな心のわだかまりも、人の目も、全部底から覆してやれるだろう。
「ウィルコークス君」
「うん」
「あのルウナという女は、オレが個人的に気に食わない。対価や報酬はいらん。全面的に手伝ってやろう」
「ありがとう、クライン」
私は手を差し出した。
クラインから領収書を手渡された。
おうよ。




