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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第四章 輝ける姿

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杁012 示される結果

 顔が濡れた。

 充分に水に浸した布で頭を思い切り引っ叩かれたような痛みが、じわりと滲むように広がる。


「くっ」


 頭と括った髪を大きく振って、顔に纏わる水を弾き飛ばす。

 まともに水を受けて、服も少々濡れてしまったようだ。

 綺麗に全身にぶつかってくると思ったが、案外上半身だけ、ほとんど顔だけに留まっていたらしい。

 被害が少ないのであれば、願ったりだ。

 アブロームが発動しなかったのには驚いたが、防御がいらないのであればそれに越したことはない。


 会場がやけに静かに感じる。

 耳にまで水が入ってしまったか。

 私は濡れたまぶたを開いた。


「……え」


 目を開けると、そこは薄暗い廊下だった。

 すぐ後ろには医務室の扉が。

 正面の廊下の先には、歓声が沸き立つ明るい闘技演習場が広がっている。


「ロッカ=ウィルコークス、身体に異常はありませんか」

「えっ、は?」


 救護室の小さな窓の向こう側から、緊急救護担当の若い女性導師が優しく声をかけてきた。

 だが、私は優しい声にもツンケンした声色で答えてしまうほどに、冷静ではなかった。

 今私は、一体どうなっているのか。

 頭が混乱して、なかなか事態を飲み込めない。


「ロッカ=ウィルコークス?」

「負けたのか」


 私は震え声で呟いた。


「ええ、ここに転送されたということであれば、それは間違いありません」


 私の声に対して、至って平静に導師が答える。

 そっけない返しに、思うところもあったけど、当然の反応だ。

 この導師さんの役目は、敗北した魔道士の手当をすることなのだから。


 ここは闘技演習場の治療室。

 敗北した魔道士は転送されて、ここへと移される。

 私がここに立っているということはつまり、私は紛れも無く、ルウナに負けたということなのだ。


「……」


 それでも腹の中に燻るこの感情は、認めたくないと言っている。

 でも私は闘いに敗れた。間違いない。


 頭からあの量の水を被っておいて、被害が頭だけに留まるはずもないのだ。

 重く感じたのは、瞬間的にでもそれなりの圧力を受けた証である。

 途中で転送されていなかったならば、呻きたくなるくらいの痛みを味わっていたに違いない。

 濡れた場所も、頭だけに留まらなかっただろう。


「いいぞー! ルウナ!」

「さすがだ、ルウナ!」


 廊下の先は観覧席へと続いている。

 私は歓声の響く方向へと、ブーツの底を引きずりながら近づいていった。


「……」


 廊下から観覧席に出すぎてしまわないように、薄暗い手前で立ち止まる。

 それでも会場から沸き立つ声援は、壇上中央のルウナに惜しみなく投げかけられていた。


 勝者は壇上で喝采を受ける。

 敗者は治療室で、具合を訊かれるだけ。

 その惨めさを、私は身をもって体験した。


 壇上の真ん中では、ルウナが軽くワンドを掲げて声援に答えていた。

 白い石の上は広範囲が水で浸されており、所々は凍っている。

 あの上で闘っている最中には気付けなかったが、水が支配する領域は、とても広い。

 水に阻まれた私は、近づいて攻撃に移ることすらできなかった。

 観覧席からでは、さぞ一方的な闘いに映ったことだろう。

 もともと、負けて当然の闘いではあったのはわかる。

 わかるんだけど……。


「やっぱり、ルウナはさすがAクラスといったところね」

「王道ではありますけど、実に綺麗な闘い方でしたね。危なげが無かったです」


 廊下の端に立つ私は、すぐ近くの席に座る人の話し声を聞き取ることが出来た。

 話す姿こそ見えないものの、私は声に耳をそばだてる。


「鉄魔術や雷魔術も強力ですけどね、やはり環境が関わってくれば、水魔術の応用力は一二歩先を行きますね」

「そうね。まぁ、けど相手は特異科だから」


 特異科。またかよ。相変わらず、侮蔑するような言い方だ。

 私が慣れてないのは、その通りだけどさ。


「しかし、ルウナがロッカ=ウィルコークスを圧倒的に追い込んで倒したということは」

「ええ、ルウナは強い」

「彼女はナタリーには負けましたが、あれも僅差でしたからね。不意打ちだったというのもあり、優劣を一言で下せるものではないです」


 盗み聞きした話に、ふと気付かされる。

 以前にナタリーとルウナが闘い、そのときは長期戦になりながらも、ルウナの意表をつく魔術でナタリーが勝利した。

 その後に私が、死にかけながらナタリーを倒した。

 今は、私とルウナが闘い、ルウナが圧勝を収めた。


 関係上は、私とルウナとナタリーは三すくみのような状態になっている。

 ところが、ルウナに限っていえば、彼女は私に圧勝してしまった。

 ルウナとナタリーの闘いでも、どちらかが圧倒的に勝っていたわけではなく、ルウナは良いところまで善戦できていた。

 ナタリーに敗北しているとはいえ、ルウナの評価が上回るのは、当然のことなのかもしれない。


「これをきっかけに、水属性の派閥も調子を上げてきそうね」


 派閥?

 その言葉に私は硬直した。


「ルウナの率いる三年Aクラス水属性専攻のグループですね。あそこにミスイはいませんが、この結果が広まれば、まぁ、そういう認識にはなりそうです」

「三年Aの支配者はルウナ、か」


 そういえば、ナタリー戦が始まる前の控室でも同じようなことを聞いた気がする。

 ルウナは水属性専攻の立場を気にしていて……。

 ということは、ルウナが私に勝って、グループが、え?


「今回ロッカ=ウィルコークスとの闘技演習を設定したのも、力を誇示する目的があったのかもしれません」

「相手もまさか、ルウナにあそこまで圧倒されるとは思っていなかったんでしょうね」

「あはは、結果は酷いものでしたけどね」

「ふ、まあ、ね」


 観覧席の見えざる二人は、そんな風に笑い合っていた。

 私は笑えない。自分の表情が、どんどん失せてゆく。


「……」


 壇上で軽く手を振っていたルウナが、こちらの観覧席を見た。

 私は思わず廊下を引き返したくなってしまったが、遠くのルウナと目が合ってしまった。逃げることはできない。

 そんな私の心情を知ってか知らずか、白い壇上に立つルウナは。


 口元にかすかな笑みを浮かべながら、私に軽く頭を下げた。


「……!」


 私は今度こそ、逃げるように廊下を走り出した。

 石の廊下でけたたましい音を立てながら、私は駆ける。


 なんでこんなことをしているのか、私にもわからない。

 それでも腹の中で燻って感情に火が燈されてしまったのだ。

 どうにか、ここから動かずにはいられない。


 走ってどうするんだ。

 ルウナと合うのか。会って、何を話すというんだ。

 “おめでとう”とでも言ってやるのか。“お疲れ様”とでも労ってやるのか。

 ありえない。闘う前には一応、そうするつもりでは、あったはずなのに。




「あら」


 むしゃくしゃして階段を下りる私を待ち受けるように、その壁に背を預けるようにして立つ女がいた。

 紺髪に薄暗い瞳。真っ白な肌。

 “冷徹のミスイ”だ。


「負けましたね」

「!」


 ミスイは口元を歪めてそう言った。

 その声色も、言葉にも、私に対する労いの感情などは、微塵も込められていない。


「負けたから、なんだよ」

「圧倒的でしたね」


 微笑むように細められた目。

 人形のような顔の女は、趣味の悪い笑みをこちらに向けていた。

 こいつも、私を嘲笑っている。腹の中の収まり切らない怒りが、尚の事熱せられ、ふつふつと泡立ってくる。


「だから、なんだってんだよ。ハッキリ言いやがれ」


 私はミスイに近づいて、右腕で顔の脇の壁を殴りつけた。

 やってから後悔する。

 こんなの、どこまでいったところで、ただの八つ当たりでしかないのに。

 ミスイの目はただただ冷徹で、私の蛮行にも冷ややかな視線を送るだけだった。


「いえ、ただ。あれで魔道士のつもりだったのかな、と」

「……!」

「それだけです。あの、邪魔なので、どいてもらえますか」


 ミスイが私の腹に手を当てて、軽く押した。

 私の体は何の抵抗もできず、紙のように容易く押し返されて、反対側の壁に背をぶつけてしまう。


「……」


 身体に力が入らない。


「あーあ。見て、損しました」


 冷めた目で更に言い放ち、ミスイはゆっくりと階段を降りていった。

 淡々とした足音だけが、九階と十階との静かな狭間で響いている。


「……」


 舌打ちを鳴らす気力すらも無い。

 私はミスイの足音が聞こえなくなるのを見計らってから、死に際のような足取りで八階に降り、第二棟を後にした。


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