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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第一章 砕けるガラス
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函008 川泳ぐ盲魚

 特異科の生徒が利用する第五棟へは、広い庭の小川に掛けられた、幅三メートルほどの短い石橋が近道であるため、大体の者がここを利用するらしい。

 目に見えてわかる近道なので、私も初日からこの石橋を渡っていた。


 それはとある明朝、私が学園の正門を潜ってからすぐの、石橋での出来事である。


 その細い、本来立ち止まるべきではない石橋の上に、あろうことかどっしりと男が鎮座していたのだ。


「……何やってんの」

「ん?」


 クライン=ユノボイドである。

 またしても、会いたくない奴に出会ってしまった。


「オレが何をしているかと聞いたか」

「……ああ」

「これは一般的に釣りと呼ばれる行為だ。覚えておくといい、ウィルコークス君」

「……」


 こいつは他人を怒らせていないと心臓が止まる類の生き物なのだろうか。

 まあ、もはやそれは良い。いつものことだと受け流しておこう。


 クラインは小さな石橋の上から、瀬音の涼しげな小川に向けて、釣り糸を垂らしている。

 真っ直ぐな枝に糸を取り付けただけの、簡単な釣り竿だ。

 しかしどんな竿であれ、それが歴史ある学園の美しい庭に相応しくない物であることは、ここへ来て日の浅い私でも理解できる。


 できればこの変人に関わりたくない私だったが、中途半端に道を塞いだ疑問やわだかまりを、見ないフリして通り過ぎるわけにも行かなかった。


「ここで釣りしていいのかよ?」

「ペルラビッツ学園長の許可は取ってある、何も問題はない」

「ええ……許可降りてんのか……」

「この川にいる魚は全て、オレが放流したものだからな」

「アンタがかよ」


 学園を利用するだけ利用している男かと思いきや、まさか私物化紛いのことまでやっているとは思わなかった。

 まさか、学園の庭までその手が及んでいたとは、呆れを通り越して感心するしかない。

 その熱意の動力源が、相変わらずの謎である。


「む」

「お?」


 クラインが小川へ向けた竿が軋み、撓っている。

 手元は動いていないので、根がかりしているというわけではなさそうだった。


「引け引け、かかってるぞ」

「ええい、言われなくてもわかってる。うるさいな」


 竿を勢い良く引き上げると、一匹の白い魚がポンとあっさり跳ね上がり、朝日を受けて輝いた。

 私は一瞬それに、妖精のように美しい小魚だと見とれたが、それは本当に僅かな一瞬だけで、一秒も直視している間に、すぐに顔をしかめてしまった。


 釣り上げた白い魚は、全身が不自然なほどに白かった。

 体内中の血管がわずかに青く透けて見え、細かな肋骨は鱗のない表面に浮き彫りになっている。

 ぱくぱくと動く口元は健康的だったが、目はついていない。

 幽霊のように不気味な魚だ、とは私の内心であるが、後で知ったところでは、この魚は別名で幽魚(ゆうぎょ)とも呼ばれているらしい。その見立ては間違いではなかった。


「うげ、なにそれ気持ち悪……」

「主に洞窟や地下水に生息する魔獣の一種、クラヴァの幼魚だ。音に反応するから釣るのは難しいことではない。ちなみに、安定した環境で限界まで育ちきった成体は八十センチメートルにもなるそうだ」


 いらない情報を貰ってしまった。

 ……というか。


「魔獣なんて放流したのかよ」

「身は食用に向かず、討伐対象でもないため換金もできない。だが、少なくともこいつの肋骨だけは、オレにとって有益だ」


 クラインは白い小魚が咥える針を容赦なく引きちぎると、一言も祈ることなく小さなナイフで頭部を切断した。

 魚が捌かれる姿に抵抗はないが、胴体と切り離されてもなお岩の上で飛び跳ねるクラヴァの頭部には、生理的な嫌悪感を覚える。

 見ているだけで吐き気がするので、頼むからしっかり殺してやってほしい。


「これがクラヴァの肋骨だ」


 淡々と腹を割いて、すみやかに臓物を取り除いたクラインは、ピンセットで抜き取った針のような骨を掲げてみせた。

 骨なんかを見ても、と顔を引いたのは目に入れる直前だけ。

 いざその肋骨を視界に収めると、私の興味は僅かにそちらへ傾いた。


「……なにこれ、肋骨が光ってる?」


 ピンセットで取られた新鮮な肋骨は、陽を受けた加減によるものではない、黄緑色の不自然な光を帯びていた。


「盲目のクラヴァは、岩や外敵との接触によってすぐに体を損傷してしまう。その体をいち早く治療し延命するための能力が、この肋骨の先に備わっている」

「へえ、煎じて飲めば薬にでもなるっての?」

「そのまま使えば火傷に近い症状を引き起こす劇薬だろうな」

「劇薬……」


 その劇薬とやらを、クラインはピンセットで丹念に回収しては、小さな瓶の中に集めていた。

 その瓶を一体何に用いるのだろうか。私は気にしたくもなかった。


「毒は使いようによっては薬ともなるのだ。君には難しい話かもしれないがね」

「ぁあ?」

「わからないのは事実だろう?」

「……てめえ、友達いないだろ」

「良い推察だ、それを活かしたまえ」


 逆撫でする言葉の連続によって、ついに頭の中で何かが切れる音がしたが、その途端にふっ、と正気を取り戻す。


 思えば、どうして私は、このいけ好かないクラインなんかと隣り合って小川を眺めているのだろうか。

 冷静になって考えてみれば、クラインに話しかけた事自体が自分の過ちである。

 そう思えば、クラインの釣り竿を川へ蹴り飛ばす気にも、こいつを川へ突き落とす気にも、馬鹿馬鹿しくてなれやしない。


 私はそのまま黙って学園に向かって歩いて行ったし、クラインも私を見送ることなく、黙って次の釣り糸を川へ投じた。

 双方が無駄に突っかかり合って喧嘩にならない分、平穏でいい事かもしれない。


 しかし、クラインめ。本当に嫌な野郎だ。

 あいつの性格は、なんとかならないのだろうか?




挿絵(By みてみん)

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