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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第四章 輝ける姿

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杁009 意識する水

 ルウナが去った後、私達は九階に登ってきた鉄檻を棟内へ運び入れた。

 その後は専用の設置場所に檻を運び、檻の下に木の厚板を敷いて固定し、周りに専用の資材を置いて、ひとまずの仕事は完了だ。

 言うは易し。ここまでの作業、特に檻の固定などは、一言では済まないくらいの労力が必要であった。


 階段を登る以上に苦労したことは、全てが終わった後のソーニャを見れば明らかである。


 それでも私の頭に、仕事の記憶は額の汗ほども残らなかった。

 汗を流すちょっとした労働も、鉄檻の中で静かに蠢く灼鉱竜も、私の傾いた心を立て直すには至らない。


 明日、ルウナと決闘する。

 私のちっぽけな頭を占有する懸念は、それだけであった。




 形だけ講義室に戻っても、やることはない。

 特異科はこの後いつもと同じく早々の解散となり、各々が自由行動を許される。

 学園内をうろつこうが、一足先に食堂の良い席を取っていようが、学園の外ですれちがう旅人の数を数えていようが、一切が自由だ。

 つまり、よほど話し好きな奴でもない限りは、講義室に残ろうなんて思わないのだ。


 話をする機会があるとすれば、ここが最後となるだろう。


 誰に。

 奴にである。


「ユノボイド君! ユノボイド君はいらっしゃいますか!」

「なんだ、ルゲ」

「いらっしゃった! ちょうどいいところに!」


 クラインに話しかけようと体の向きを変えた途端、割り込みで金髪博士君がやってきた。

 間の悪いことだ。私は向きを変えた体をさりげなく、席を立つための動作に偽装した。


 横目から伺える彼とルゲという魔族科の男の会話は、かなり盛り上がっているように見えた。

 普段は文章の最後をちぎったものを投げつけるように話すクラインが、きちんとした言葉で会話している。

 入り込む余地は、なさそうだ。


 しかし、冷静によく考えてみよう。

 私は今、クラインに水魔術について訊ねようとした。

 それって、あまりにも無神経じゃないだろうか。

 水魔術を扱えないことを誰よりも気にしているであろうクラインに、水魔術について訊ねる。


 ……軽率すぎたな。

 ルゲには感謝しなくてはならないだろう。

 邪魔をされたはされたが、思い留まれて良かった。




 クラインはルゲと一緒にどこかへと向かったようだ。

 “逆鱗から察するに、希少な若い母竜ですね”と言っていたが、きっと件の灼鉱竜について、頭の良い会話に華を咲かせているのだろう。

 ともあれ、魔術において最も頼りになるあいつは去っていったわけだ。


 と、いうことになると、困ったな。

 明日のために水魔術について、予習をしておきたいんだけどな。




「どうしたんだいロッカ、浮かない顔してるけど」

「ヒューゴ」


 私の表情を勝手に読み取ったのはヒューゴだった。

 ヒューゴ、そうだ、その手があった。

 彼もそこそこ、魔術に詳しかったはずだ。


「実は、水魔術について悩んでるんだけど」


 歯切れの悪い私の切り出し方だったが、ヒューゴはそれだけで“うんうん”と頷いた。

 もしかして、明日私が闘技演習に臨むことを既に知っているのかな。


「クラインのこと、気にしてるのか?」

「え」


 そうじゃないらしい。

 気遣うような小さな声で言われても困ってしまう。

 惜しいけど違うんだ、ヒューゴ。

 確かにクラインについても、思う事はあるんだけどさ。


「クラインっていうより、水魔術自体が気になるかな」

「水魔術、か」

「うん」

「なんだ、ロッカは水魔術を使ってみたいのかい?」

「いや、まぁ使ってみたいといえば使ってみたいんだけど……」


 私の水属性の発展は望み薄と言われているだけに、力を入れて習得したいとは思えない。

 それならば、どっちかといえば薪木を燃せる火属性の方に力を入れたいな。


「水魔術は戦闘でも生活でも実用的な属性術だからね。覚えたくなる気持ちは、よく分かるよ」

「ヒューゴは使えるの?」

「はは、僕は駄目だったなぁ。火属性なら、ちょっとは使えるんだけどね」

「おおー」

「なんだよそれ、大げさだな」


 いや、ヒューゴが風の他に火属性まで扱えるというのが、素直に凄いと思えたからこそ、私も感嘆の声を漏らしてしまったのだ。

 まさかこの特異科で、クラインの他に二つ以上の属性を扱える人がいるとは、思っていなかったから。

 それだけ彼は、日々真面目に理学に取り組んでいるということなのだろう。ノート取ってるし。私も取ろうかな。いや、やめておこう。私は字が下手だ。


「僕は使えないけど、闘技演習場でよく見かける魔術といえばやっぱり、火と水だね」

「そうなんだ」

「火と水は、魔道士が初めに習う属性でもあるからね。愛着を持って、そのまま極めようとする人も多いんだろう」


 今までの少ない経験から、戦いに使うのは主に鉄魔術だと思っていたけど。

 どうもそれは偏った考えらしい。


「でも、これも国や地域によるんだけどね。雷の国だと雷魔術が一番人気だし、鉄の国だと鉄魔術が盛んに習得されているようだから。この学園で水魔術の使い手が目につくのには、そんな事情も加味してる」

「はぇえ」

「ともあれ、大抵は火と水属性が人気であることは変わらないんだけどね」


 ヒューゴは物知りだ。他の国の事情まで知っているとは。

 でもそれ、嘘じゃないだろうな。


「闘技演習で見る水魔術は、面白いもんだよ。力の流れや大きさがわかりやすく目に見えるし、水を放射したり、凍らせたりもできる。一発の威力を出しにくい属性だけど、見る分には逆に楽しくてね」

「ああ、威力が低いとなかなか決着しないから」

「そうそう。中級保護でも時間がかかったりする。水対水なんかだと、環境の打ち消し合い、泥仕合だね。観客にはそれがウケるわけだけどさ」


 水と水との戦いが泥仕合。

 言いたいことはなんとなくわかるんだけど、変な表現だ。


 けど確かに、水魔術は魔術投擲でも鉄魔術ほどの飛距離が出ないと聞いた。

 かといって遠距離攻撃の手段が全くない私とは違うのだ。魔術師同士が無闇に接近するなんてことも、ほとんどないのだろう。

 だから間合いでなくとも魔術を使って、牽制が多くなるのだ。

 遠くからの水の掛け合い。なるほど、泥仕合に違いない。


 しかし、ならばこそ、逆に思い切って近づく隙は多いのではないだろうか。


 ナタリーの時は、すさまじい早さと命中精度の鉄針に翻弄された。

 綺麗に当たればその時点で試合が終わることは間違いないし、避けざるを得ない。

 けど相手も避けやすい位置には撃ってこないので、思った通りに避けられない。

 あの時は随分と苦戦を強いられた。


 でも水魔術が相手なら、どうだ。

 水魔術は威力が低い。水流には確かにそれなりの圧力や破壊力があるだろうが、水は水に違いない。

 ちょっと浴びる程度ならぬれるだけでダメージにもならないし、直撃を免れればそのまま距離を詰めてやれる。


 私のイメージの中では、ナタリーの時ほど苦戦するという光景が全く浮かんで来なかった。


「ありがとう、ヒューゴ。水魔術、ちょっと詳しくなったよ」

「どういたしまして。クラインは水魔術のこと、気にしてないだろうから大丈夫だよ」


 だから、別にクラインを意識して聞いたんじゃないって言ってるだろが。

 もうわざわざ訂正しないけどさ。




 私が扱える魔術は、今のところ二種類のみ。


 杖の先に球状の岩を出現させる“ステイ(顕鉄)”。

 杖を地面に当てて、地面から柱を作り出す“スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”。

 このたった二種類だけだ。

 一日で魔術を覚えて翌日モノにするなんてクラインじみた真似は多分できないので、明日もこの二種類だけで闘うことになるのは、間違いないだろう。


 アブロームは地面に杖を当てて発動させなければならず、魔術投擲することはできないので、本当にただ柱を生み出すだけの魔術と言って良い。

 もちろんそこから柱を盾にする、柱を倒して攻撃するなどといった芸当に派生はできるものの、基本は生み出すだけの魔術だ。


 もうひとつの、鉄属性の初等魔術でもあるステイ。

 こちらも杖の先から物を発生させるだけの魔術である事は、アブロームと同じ。

 ただしこの初等術には、“魔術投擲ができる”という長所がある。


「“ステイ(顕鉄)”」


 鑽鏨(サンザン)のタクトを軽く上に掲げ、手首の力を効かせて真横から斬りつけるように詠唱し、そして振る。

 楯衝紋の中から理学式を描くように駆ける魔力。

 振られたタクトの先に灯る妖光が、鋭い曲線の軌跡を描く。


 杖の先端から頭大の丸い岩が顕れて、そのままゴドン、と屋外演習場の石タイルの上に落ちた。

 そのサイズは、赤陳(アカヒネ)のタクトの時とそう変わらない。


 さて、問題のステイだ。有識者の見解によれば、この岩は魔術投擲ができるとのことである。

 魔術投擲。それさえできればこの初等術も、遠距離に対応できる強力な攻撃魔術となってくれることは疑いようもないんだけどな。


「“ステイ(顕鉄)”!」


 何度やっても、岩はただただ重力に屈して落ちるばかり。

 大きな岩をゴトゴト落としているうちに、足元は灰色の岩で埋め尽くされてゆく。

 わざわざ根を詰めてボタカブダシを作っている気分になってきた。

 なんで私が精神を削ってまで仕事を増やさにゃならんのか。馬鹿馬鹿しい。


 なんとなく駄目だろうなとは思ってたけど、魔術投擲の挑戦も今回は見送ろう。当分は無理そうだ。

 新しい魔術を覚えるのも難しそうだし、どうあっても今手元にある駒だけで工夫するしか無さそうである。


 下に落とすしかないステイ。

 上に伸ばすしかないアブローム。

 私の魔術は横向きに飛んでいかない。困ったものだ。




 寮の自室に戻った。

 硬いバンゴを咀嚼しながら、ベッドの上で本を広げてみても、より良い作戦は得られない。

 本に記されている魔術戦の戦法は、どれも一般的な魔道士を基準に考えられていた。

 特異魔術を扱った戦いのセオリーなんてものはどこにも書かれていない。

 いや、それ以前に、遠距離攻撃の手段を持たない魔道士の勝ち筋自体が、書に記されていなかった。


 これをこう避けて、この隙に火の玉を撃って反撃する。

 これはこう凌いで、これで打ち返して、そしてこれを打ち出して反撃する。

 そんなのばっかりだ。いや、当然か。


 魔道士相手に近づいて殴って勝てるなら、誰も魔術なんか使わないに決まってる。

 相手が魔術を扱えて、自分も魔術を扱えて初めて、対等な戦いができるのだ。


「でも、ひとつくらい書いてないのかよ……」


 ぱらり。ぱらり。

 淀みないリズムでページを捲ってゆく。

 数分もしないうちに、文字の面をさらうように本を読破してしまった。

 内容は頭に入ってないが、目当てのものは見つからなかった。

 接近戦、書いてねえ。畜生。


「……痛くはなくても、負けたくは、ないなぁ」


 仰向けに寝っ転がると、棚に飾られた赤陳のタクトが目に映った。

 これは、ナタリーに折られた最初の杖だ。

 なんとか体裁を保って、棚の中に飾ってある。素朴な赤色は、いつも私の心を和ませてくれる。


 新しく鑽鏨のタクトを新調したけど、今回は折られないだろうな。大丈夫かな。

 いらぬ不安だけが募ってゆく。

 明日は、決闘なのだ。




 夕時、適当に運動をしながら考えても。

 朝、マコ導師のわかりやすい講義を拝聴していても。

 私の頭の中には、これといった明確な勝ち筋が浮かんでこなかった。


 あるといえば、なくもない。

 しかし結局、走り寄って柱を出したら倒して押しつぶす。それだけだ。

 戦法はナタリー戦の時と同じだが、果たして同じやり方が通用するだろうか。

 相手はルウナだ。二つ名はストーミィ・ルウナとかいったっけ。

 水魔術と風魔術を一緒に扱う魔道士だ。鉄魔術の使い手と闘うよりも、感触はかなり変わってくるだろう。

 未知の領域である。

 私のちっぽけな頭では、なんとも対策のしようがない。


「クライン、話があるんだけど」

「なんだ、ヒューゴ。俺は今忙しい」

「誤植探しがかい? まぁいいけどね。朝に魔族科のルゲが、灼鉱竜の逆鱗について、君と話をしたがっていたとだけ言っておくよ」

「それを早く言わないか」


 頼みの綱のクラインとヒューゴは、仲良く話しているようだ。

 入り込む余地は、な……くも、ないだろう。


 だが急に“今日の闘技演習で悩んでることがあるんだけど”と切り出されても、彼らにだって対処の仕様がないだろう。

 唐突に助け舟を要求されたって、クラインにも限界はある。

 準備期間があまりにも短すぎたのだ。


 だから今回は、私一人でなんとかする。


 私は講義終了後、巨大な図書室に篭って読書をすることにした。

 静寂に包まれた古臭い室内。

 初めて入る学園の図書室に対する緊張は当然あったが、今は本そのものに縋りたい一心のほうが強い。

 私は飴色の長机で分厚い本を読む男らの前を横切って、目当ての本を探しだした。


 魔術戦関連の本が密集する地帯はすぐに見つかり、水魔術に関連する専門の本も多くあった。

 適当にそれらしいものを手にとって、その場で広げて目を通す。


 難しい言い回しや聞きなれない専門用語に圧し潰されそうになりながらも、聞いたような単語や、ためになりそうな優しい言葉を見つけては安堵する。

 しかし、結局のところ、私は本を広げて知識を貯めこんでいる気になっているだけでしかない。

 難しい本の内容を一朝一夕で、まして一刻ほどで記憶できるはずもないだろう。

 わかってはいた。わかっていても、気持ちだけ難解な本にかじりついていた。


 迫り来る時間は、本を握る手を汗ばませる。

 静寂とともに不明瞭に流れ去ってゆく時間が、私の思考を著しく乱す。

 単語ひとつすらも、なかなか頭に入ってはこない。


 悟る。図書室での足掻きも無駄だった。

 私は一時間もしないうちに、図書室を出た。


 ……どうしてこんなに緊張するんだろ。

 いや、闘う前なんだ。緊張して当たり前だろう。


「そうだ、闘技演習の詳しい予定……!」


 闘技演習自体の事で頭がいっぱいですっかり失念していた。

 演習の予約などは全てルウナがやってくれると言っていたけど、私はまだその詳細を確認していない。


 ああ、わからないことを分かる人任せするのは駄目だ、悪い癖だな。反省しよう。

 ここに来てから、親切なソーニャに頼りすぎているところもある。

 これからは何でも自分一人でできるようになるようにしなくちゃ。


 私は第二棟の、張り出しがなされる掲示板まで急いだ。

 もう既に始まっていたりしないよな。大丈夫だよな。




「クランブル・ロッカの闘技演習だって」

「相手は……あれ? サナドルの御令嬢か。中級保護だし」

「普通みたいね」

「でも、気になるよね」


 掲示板の前にたどり着く前に、人だかりの声が耳に入ってきた。

 もう始まっているなんてことはなかったようで、安心した。その半面、私の名前が話に出てきているのが、新たな不安の種として取って代わる。


「頭の一試合目だし、飯の前に見ようぜ」

「長くても十分くらいで終わるか。よし」


 話しているのは、第二棟を拠点とする属性科の学徒達らしかった。

 講義が早めに終わったのか、はたまた午前中の講義そのものがなかったのか、少なくはない人数が掲示板の前で気ままに世間話などを交わしている。


 なるほど、この様子だと、私もそろそろ中に入っておいた方が良さそうだ。

 その前に、私の控室がどっち側か確認しておかないと。


「ちょっと」

「ん? 何……あっ」

「見たいんだけど、いい」

「あ、は、はい」


 声をかけると、属性科の学徒たちは快く掲示板前のポジションを譲ってくれた。

 うーん、彼らみたいに、属性科の人も悪い人ばかりではないんだけどな。

 そこのところの見極めは、なかなか難しい。


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