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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第四章 輝ける姿

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杁002 茹で上がる卵

 ミネオマルタの朝は寒い。

 というのも、寮のベッドが窓際にあるため、窓を閉めきっていても夜の冷気に当てられやすいのである。

 ここが水暖炉から遠い事も理由のひとつだろう。

 そして、水暖炉が朝になると、丁度切れてしまうのも問題だった。


「んー」


 寝ぼけた頭を掻き、寒さに震えながらベッドを出る。

 以前変装用に購入した大きめのローブは、今では立派な寝間着として活躍している。

 とはいえそれでも、熱の切れた朝の寒さは、ここしばらく耐え難いものがあった。

 身震いが収まらない。


 ベッドの下に敷いておいたスカートの綺麗な折り目を確認して、私はすぐに暖炉へ向かう。

 理由は当然、部屋を温めるためである。


「安物なのかな」


 水暖炉。

 石造りの五十センチ程度の分厚い石箱は、綺麗な水で満たされている。

 底には砂利が敷き詰められており、その上に小さな鉄鍋が、三本の脚を、杭のように砂利の中に刺して立っていた。

 鍋の中には真っ白な石が幾つか入っており、その上から金網が敷かれ、鬆が立った大きな四角い重石で封をされている。

 重石からは一本の太い金属パイプが葦のように真上に伸び、稼働中にはそれが熱を放つ仕組みだ。


 これが、この部屋で私を寒さから守ってくれる暖炉、なんだけど。

 どうも熱の保ちが悪いようで、毎朝毎朝、寒さで起こされてしまう。

 試行錯誤として鍋の中の石の量を増やしたことはあったけど、短期的により排熱量が増えただけで、長く持続するわけではなかった。


 ヒューゴに教えてもらった水暖炉を長持ちさせる方法を昨晩、これに取り入れてみたんだけど、それも上手くいったわけではないようだ。

 水の中にただ物を入れるだけの簡単なものだったので、聞いていた時には半信半疑だったのだが、もうちょっと疑いの割合を高くしておけばよかったと思う。


「ヒューゴめ、また無意味な嘘をついたな」


 嘘か本当かわからないくらいの、つく必要のない嘘まで吹聴してくるので、対処が難しい。

 けどそれで大きな被害を被っているわけではないので、あまり強くいってやれないのが、毎度毎度騙されている私の悔しいところだった。

 悪戯っぽさなら、物理的なことをしでかしてくるボウマよりも陰湿である。

 彼はボウマのお目付け役のような立場で振る舞ってはいるが、見知った立場の人間からしてみれば、二人揃って二大悪戯小僧だ。


「うーん……」


 冷たい水に手を触れて、水の中の白い卵を取り出す。

 おそるおそる割ってみて、殻をめりめりと剥いてゆくと、それは見事なゆで卵であった。


「……ヒューゴめ」


 朝一番のゆで卵。

 塩気が足りてないけど、美味しかった。




 今日は学園に行く必要のない、いわゆる休日というものだった。

 休日があってもなくても、もともとの講義時間が二百分程度と少ない特異科にとっては大した違いはない。

 むしろ学ぶためにこの国へとやってきた私には、ちょっと退屈で、自堕落に感じてしまう日だ。

 見回って飽きない市場はすぐそこにあるものの、お金は無限ではない。

 理学なんて、と思っていた私ではあるが、毎日でも学園に通いたいというのが、近頃の本音である。


 さて、予定外の早起きとなってしまった。

 それは水暖炉とヒューゴとゆで卵のせいだけど、起きてしまったものは仕方がない。部屋を暖かくして二度寝に耽るのもアリといえばアリだけど、昼ごろに起き直すのも癪だ。

 どうせやることのない日だし、久々にゆっくりと時間を使うとしようじゃないか。


「……そうだ」


 昨日は飲んだ食ったでそのまま眠りについてしまったので、身体は拭いたものの、少々臭うかもしれない。

 油臭いのは良いとしても、体臭がするのは、年頃の女としては、やっぱりちょっと困る。


 平々凡々であろう今日一日の、最初の行動を思いついた。

 朝からだけど、時間もあるし共同浴場に足を運ぼう。

 冷えた身体を温めれば、日が昇る昼までの繋ぎにもなるだろう。

 そうと決まれば、早速支度である。


「髪はそのままでいっか」


 かさばる荷物を持って、その後どこかに立ち寄るわけでもなし。

 わざわざ貴重品のジャケットを着込んで、髪を上げる必要もないだろう。

 盗まれるのも怖いので、持っていくのはタオルと小銭だけで充分だ。


「じゃあ、この格好のままでいっか」


 ゆったりした寝間着のローブに、下ろしたままの長い茶髪。

 そこにある本とあっちにある衣紋掛けでも抱えれば、私の姿は魔道士そのままに見えてしまうだろう。


 いや、実際に理学学園に通っているし、杖だって持っているんだから、名実ともに私も立派な魔道士なのかな。

 けど自分で名乗るにはまだ、頭がムズムズする。


 なんてことを考えている間に、また寒気が襲ってきた。

 さっさと支度して、浴場へ向かおう。




 ラビノッチを捕らえた後の夕食は、素朴ながらも豪華なものだった。

 肉は自前のものがあったので、駐在所で貰った報奨金を出し合って、夜の市場で葉物や芋、安くなった魚貝類、お酒、など様々なものを買い漁った。


 一番高くつくであろう肉を買う必要がなかったので、浮いた分だけ各々の好きな食材を持ち寄ることができたのは、とてもありがたいことだった。

 ウサギには改めて、深く感謝しなくてはならないだろう。


 ヒューゴはぼそぼそしたアカムギのパンを数切れと、数本のシードル、あとアカムギが詰まった小さな紙袋を。

 ボウマはオノトンとかいう大きめの蛙の脚肉を、“どうせウサギもすぐ食べちゃうし”と自信満々に6本刺しのお買い得品を。

 ライカンは味付けに安いアレチコショウを買ってきたようだ。

 が、後からライカンに聞いた話では、アレチコショウはこの国ではあまり出回るものではないらしく、人気でない割にそこそこ値が張ったらしい。

 私のいた地方でもかなり廉価な香辛料として有名だったので、買った時の値段を聞いた時にはつい、噛んでいた芋を皿の中に落としてしまった。

 しかし故郷の味の誘惑には勝てず、懐の暖かさもあってつい買ってしまったのだと。

 その気持はなんとなく、わかるかもしれない。


 私が持ち寄ったのは、市場に面した酒屋に置いてあったグログで、ついでに売れ残っていたレモンもいくつか買ってきた。

 食材はどうせ皆が集めるだろうからと、こっちの方面に走ったのだが、結果的には大成功だった。

 しかしボウマは年齢のおかげでお酒が飲めないので、別途レモン水もひとつ、購入した。

 わーいと無邪気に喜んでいたので、これも成功だった。


 問題はクラインだ。

 これも後からわかったことなのだが、ヒューゴが“ラビノッチを食べよう”と提案した時からどうも気乗りしていないなと思っていたら、あいつは動物の肉を食べないのだそうだ。

 魚くらいなら食べるらしいのだが、善意で奴の分の皿にラビノッチの大きめの肉を入れてやった時などは、それはもう何がそこまで彼の激情を駆り立てるのかというくらい怒ってしまった。

 皿の中に肉汁が入るのも、本当はあまり好きじゃないらしい。神経質すぎると思う。

 でも考えてみれば、肉を食べられないクラインにとってはラビノッチの肉に関しては一切取り分無しの三両損だ。

 そう思うと、ちょっと可愛そうである。


 なので酒の方をすすめてみたのだが、苦手だと即、バッサリと断られてしまった。

 ここで断られてしまっては私にしてやれることはない。

 が、クラインがこういった集まりで上機嫌になるなんて、そんな想像もできない状態になるわけではないらしい。鍋をつつくときでも、クラインはクラインで、いつも通りのすまし顔なのだそうだ。

 いつも通りということで誰も気にかけたり、気遣ったりはしない。

 なので私も、あまり気にしないようにした。


 ラビノッチの存外固い肉を、皆で笑いながら一生懸命に咀嚼し、

 ボウマの買ってきたオノトンの肉のほうが美味いじゃないかと盛り上がり、

 野菜の減りが早いなと思ってみれば、目を離した隙にほとんどクラインが食べており、

 負けじと野菜の取り合いをしていたら、鍋の葉物がすぐに消えて、

 ライカンが大急ぎで夜の市場へ走って買いに行ったものの、何故か安売りのキノコを大量に抱えて戻ってきて、

 しょうが無いのでキノコ鍋に変更したらこれがまた案外美味しくて、

 最終的にはヒューゴのもってきたアカムギをぶちこんで、茸粥にして食べた。

 幸い、ラビノッチの旨味は強く効いていたので、アカムギの多少固めの食感は気にならなかった。


 そんなこんなで、そこそこに酔いを回しながら、昨日はあっという間に過ぎていったのだ。

 楽しかったかと聞かれれば、当然、楽しかったと胸を張って答えられる。

 皆と和気藹々と過ごした夜は、ミネオマルタでの大切な思い出のひとつとなるだろう。




「ふー」


 湯船にて、感嘆の息がこぼれた。

 立ち上る湯けむりを眺めると、昨日の鍋を思い出してしまう。

 あの味を思い出すだけで、またヨダレが垂れてしまいそうだ。

 さすがに公共の場所でそれはまずいだろう。

 私は濡れた左手で口元を拭った。


 周りに誰もいない事を確認して、更に湯船に深く、肩まで浸かり込む。

 体の芯から温まっていく感じだ。のぼせるくらいに温まっていれば、外に出ても寒さを感じないだろう。




「……でも、水、かぁ」


 孤独な大風呂の中で思い出すのは、鍋だけではない。

 この暑さからは炎を連想させるし、たゆたうものは嫌でも水を思い起こさせる。


 “激昂のイズヴェル”、そしてクラインの特異性。

 夕食の時には無かったもののように振舞っていたが、この二つはどうにも、私の中で強く引っかかっていたのだ。


「……」


 口元まで湯の中に沈め、水面に揺蕩う茶髪を眺め、考える。


 クラインは指環のために金を集めていると、魔道具店で私に話してくれた。

 彼が両手につけている指環は高価そうなものである。けど、それよりも更に高級な品を手に入れるために、まだまだ貪欲に稼いでいるのだという。


 強さを求めている、とすれば、彼が闘技演習場に執着していることも、やたらと沢山の魔術を使える事にも納得がいく。

 そして……自らの特異性を、個性や長所だとは思っていないということにも。


 誰が名付けたか、彼は“名誉司書(ライブラリアン)”と呼ばれているらしい。

 けど、彼の中の蔵書には……水の属性術が、記されていないのである。




 水魔術。

 つまり水属性術とは、粘性のほとんど無い液体を生み出す魔術の総称である。


 水を生み出し液体を操る水属性は、基本的な魔術の中でも特に習得が容易であり、日用的な利便性に富んでいる。

 いくつかある属性術の中でも特に有用な水魔術。その用途は、魔術戦闘全般、咄嗟の消火、幅の広い洗浄、物質の混合、真空の作成などと多岐に渡る。

 火属性や鉄属性と比べて破壊力こそないものの、威力の規模を操作しやすく、それゆえに他の場面でも広く利用できる。 

 魔道士がまず一番に習得すべきは水属性術であるとは、多くの初等理学機機関で言われる事であり、日常面でも特に秀でた性能を発揮する実態から見ても、実際正しいだろう。




「……やっぱり便利なんだな」


 書店で属性術の本を立ち読みしている。

 湯船で考えすぎて火照った身体を、今度は考えながら冷ますことにしたのだ。


 開いた本は、属性術に関する基礎的な書物。

 文字が大きく難しい言葉も少ないので、慣れていない私にも取っ付きやすかった。


 ページを進める。




 水属性術は日常生活でも高い能力を発揮するが、魔術戦においてもほぼ必須と言える活躍をみせる。

 対人、対魔、対現象。威力を高めて放つことで、対物魔術としての用途をもこなしてしまう。

 押し流す、動きを封じる、叩きつける。魔術における環境侵食戦では火属性を大きく凌ぐ力を見せる。

 起伏のない平地での魔術戦闘では水属性術に勝るものは無いとまで言われ、巨大な闘技演習施設では多少の起伏が設けられる場合があるほどである。

 魔族との戦闘においても、人間を遥かに上回る巨体を遠ざける攻撃は有効で、基本的な魔力消費が高くないことも大きな利点。


 何より、派生系として存在する氷結魔術によって固体化できるという事こそが、他の属性術を凌ぐ大きな評価点として挙げられるだろう。

 水魔術によって押し出し、氷結させることで動きを封じ、抵抗の余地を奪ったところで大魔術によるトドメをさす。

 防御、攻撃、束縛、引導までの一連の流れを全て水魔術でバランス良く賄えてしまうので、水魔術のみを専攻した魔道士の戦闘能力は総じて高い。


 欠点らしい欠点を挙げるとすれば、地面の状況に左右されがちな面を持っているということと、魔術投擲を用いても遠距離まで飛ばすことができないという点程度である。


 逆に、水魔術を扱えない魔道士は、同じ環境侵食戦で効果を発揮する火属性術を扱う魔道士との闘いでは苦戦を強いられるだろう。




「火属性術を扱う魔道士との闘いでは、苦戦……か」


 イズヴェルが使った大規模な火属性術を思い浮かべる。

 取り囲む業火は、身体強化を身に纏っても苛烈な熱量を持っていた。ただの炎ではないのだろう。ライカンですら近づけなかったのだから間違いない。


 あの場面でクラインが水魔術を使えていたとすれば、きっと切り抜けられたのだろう。

 でもそれはできなかった。クラインは、水魔術を使えないから。

 広がった火を水で鎮火するだけ。魔術的な思考で考えれば全く難しいことでもない。

 しかしクラインの特異性はそれを封じてしまっている。


「……怒ってたよな、あいつ」


 本を閉じ、店を出る。

 降ろした髪はまだ完全に乾いていない。こういう時に火魔術や、風魔術があれば便利だけど、何年も勉強してまで覚えたいものでもない。

 けど、髪や顔を咄嗟に洗える水魔術なら、ちょっと欲しいかもしれな

いと思ってしまう。


「水、か」


 水魔術。

 考えるのは、クラインが水魔術を使えないことを吐露した際の、あの鋭い眼差しだ。

 強い怒りのような、苛立ちのようなものをもって私を睨んでいた。

 私を非難していたのかもしれない。とにかく不機嫌だったのは間違いない。


 常に周りを見下して、それに嫌な顔をしてみせるクラインだが、基本的には平静な奴だ。

 よくわからない場面で怒ったりもするが、大体においては静かで大人しいインテリ気質の男である。

 そんなあいつが、わかりやすく怒ってみせた。


「どうしてなんだろ」


 クラインにとっての水魔術。

 そこにはきっと、ただならない思いが篭っているに違いない。

 自分から深く入り込もうとまでは思わないものの、近いうちに知ってそうな人には聞いてみたいと思う。




 この日は特にやることもなかったのだが、ラビノッチの素材から得られるであろうお金を父さんに仕送りするための準備として、街にある運搬ギルドを下見するため、足を運んでおいた。

 大手である絢華団(けんかだん)と運搬専門である黒猫を訊ねたところ、どちらも似たり寄ったりな値段で送り届けてくれるようなので、デムハムドのクロエとも契約を結んでいた、一番とっつきやすい絢華団に頼むことに決めた。

 クラインからお金を受け取り次第、仕送りしようと思う。


 その後は、昨日見られなかったキャドバリ楔石橋でも拝もうかと思ったが、少々身体が痛かったのでやめておいた。

 楔石橋を見るのは、もうちょっと後になりそうである。


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