表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第三章 弾ける爆風

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/545

箕019 沈みゆく山際

 ミネオマルタ西部、軒を連ねる煉瓦工房の煙突が、石造りの街のために灰色の煙を吐き出す。

 顔料を混ぜた、良質な薄水色の貝煉瓦。

 使う材料や作業行程は、数百年、数千年もの昔から変わらずに、ここに受け継がれているのだという。


「もうすぐ郊外だぞ、あと少し、我慢してくれ」


 イズヴェルが麻袋を撫でた。

 そして、彼は考える。

 昔と変わらぬ都市。昔と変わらぬ建物。

 ならばどうして、この小さな魔獣はミネオマルタへと迷いこんだのだろうか。


 立ち上る煙。甲高く鳴り響く鐘。雑踏をゆく人々。

 ミネオマルタは、ラビノッチにとって優しい街ではない。

 お互いに、到底、馴染める環境ではないのだ。

 街は異物であるラビノッチを排斥しようと攻撃的になり、結果として当然のように、彼は傷ついてしまった。


「でも、大丈夫だ」


 縄張りに踏み込んだよそ者は、深く傷つけられる。殺されることだってある。

 しかし、逃げれば大丈夫だ。

 縄張りを出て、遠く離れてしまえば、縄張りのヌシは執拗には追ってこないのだ。

 街の中にいる間は賞金首となっているラビノッチも、外界に出ればただの魔獣。

 害性の低い、自由気ままに走り飛ぶだけの、鳥とそう変わらぬ存在に変わるだろう。

 となれば、誰も捉えるのが困難なラビノッチを追いかけようとは思わない。


「君は自由になる」


 煉瓦工房を通り過ぎ、馬車駅を通り過ぎ、田畑を通り過ぎ、小川を跨ぎ、イズヴェルはそこに辿り着いた。


 そこは、何もない。ただ果てしなく街道が続くだけの、広い一本道である。

 しかし辺りには木々が連なり、遠くには小高い山の姿も見える。

 人の手が入っていない部分も多いこの道は、自然そのもの。向こう側の山に行けば、魔獣たちが多く生息する地帯にだって辿り着けるだろう。


 イズヴェルは彼方に霞んで見える山を眺め、空飛ぶウサギの姿を夢想する。

 そして急ぎの用を思い出したように、硬く結んだ麻袋の紐を解き始めた。


 袋から顔を出したのは、白い毛並みのウサギの顔。

 可愛らしいこの顔だけを見れば、誰も魔獣だとは思わないだろう。


 ラビノッチは鼻をひくつかせて、辺りの匂いを探っている。

 雷の術によって奪われた意識は戻ったようで、這い出てくる前足も、少々動きは悪かったが、概ねは健常に袋を退けようとしている。

 そして周りに害気がないのを確認したのか、覚悟を決めたように、一気に袋から飛び出した。


 イズヴェルは素早い動きに少々驚いたものの、すぐにその表情を微笑みへと変える。

 晶沈鱗(ショウシヅリ)のロッドを傍らに置き、片膝をついて、目線を下げる。

 そしてラビノッチの頭を大事そうに撫でてやるのだが、当のラビノッチはちっとも気持ちよくなさそうに首を振り、イズヴェルから離れてしまった。

 イズヴェルは苦笑したが、それで良いだろうと思った。


 ――人と関わらない。それが魔獣というものだろうから。


「さあ、お行き」


 イズヴェルは警戒させないよう、町側へと数歩離れた。

 逃してやる身として、ちゃんと自然へ戻るのを見届けなければと思ったからだ。


「……? どうした」


 ところが、ウサギは一向に逃げようとしない。

 向こうに見える山にも、そばの林へも、駆け込もうとしなかった。

 ただひょこひょこと右前足をいびつに動かしながら、イズヴェルの足元に近づいているのだ。


「こ、困ったな」


 イズヴェルは焦ったように白髪を掻き、しかしその割には満更でもなさそうな顔を浮かべていた。

 助けた魔獣が、人に懐く。彼自身もよく読んでいる冒険譚などでは、見慣れきった話の流れである。

 しかしそんなありきたりな流れは彼は好きだったし、憧れてもいた。


「魔獣を飼うのは、大変なんだぞ?」


 足元に近づいてきたラビノッチを撫でようと、屈む。

 イズヴェルが再び手を伸ばして、しかしその手はまたしても拒まれた。


「え?」


 ラビノッチはイズヴェルさえも無視し、前足をひょこひょこと動かしながら、ゆっくり歩いてゆく。

 一歩ずつ、しかし意志を持って確実に、ミネオマルタの方向へと。

 当然、イズヴェルは困惑したし、焦った。


「こ、こら、そっちは危険だ。行ってはいけない」


 もう一度大きく手を伸ばそうとするものの、またしてもラビノッチはそれを避けた。

 今度は拒否を明確とした、逃げるような早足で。

 これにはイズヴェルも、傍らに置いたロッドを持って立ち上がるしか無かった。

 ロッドを握ってからそれをどうするのかと自問するが、彼に答える暇などない。

 ラビノッチは助走をつけるように、リズムよく街道の土を踏みしめ、街の方角へと走ってゆく。


「待つんだ! 何故! そっちは、駄目なのに!」


 ラビノッチは耳を貸さない。たとえ彼の言葉の意味がわかっていたとしても、彼はこうして、自らの意志をもって走り続けていたことだろう。

 彼のやることはひとつである。

 ただただ黙って走り、両脚の翼を広げるのみであった。

 そしてある程度の速度に達した時、純白の両翼は大きく開いて、それと同時に高く跳躍した。


「ああっ!?」


 イズヴェルが叫び、上を見上げる。

 ラビノッチが飛んだのだ。

 まだまだ高さのない飛行ではあるものの、確実に飛んだ。

 風を受け、空気を切り、街に向かって飛んでしまった。

 彼は一度着地した後も、また再び同じように、今度は更に力を込めて大地を蹴って飛び上がるだろう。


 ラビノッチの目指す場所は言うまでもない。ミネオマルタである。

 なぜミネオマルタを目指す必要があったのか。


 もちろん、そこには新鮮で、栄養豊富で、大量の食料があちこちに転がっているためである。




「“イグズ(雷よ)ディア(放たれよ)”」

「クゥッ」


 飛翔したラビノッチの頭に、青光る稲妻が疾走した。

 バン、と銃でも撃ったような大きな音が静かな街道に響き、すぐに元の静寂が戻ってくる。


 速度をつけようと第一段階に入ったラビノッチの身体は、その早さのまま土の上に落ちて、小さな身体を地面に何度も打ちつけながら転がってゆく。

 純白の毛皮を土色に汚したラビノッチは、一足のブーツに当たってようやく動きを止めた。


 ブーツの持ち主は、先ほどのイズヴェルのように腰を屈めると、それもまたイズヴェルと同じように、ラビノッチの額に優しく手を触れる。

 そして、イズヴェルが何かを叫ぼうとする暇もなく、


「“イグジム(雷撃)”」


 彼の手からは二度目の雷光が迸り、それは至近距離によってラビノッチの頭部を貫いた。

 大きく跳ね、そして静かになったラビノッチの身体が、イズヴェルに全ての終わりを告げていた。


「……」


 イズヴェルが沈んだ目線を苦しげに持ち上げると、そこには雷撃の主たるクラインと、その後ろには四人の学徒が揃っていた。

 術の炎が切れてから、そのまま走ってここまでやってきたのだろう。

 彼らの到着時間は想定の範囲にはあったが、心のどこかで“もっと遅ければ”と叫びたい理不尽な気持ちが、陰鬱に燻った。


「あらゆる生き物は自分にとっての最適な住処を探し、そこに定住しようとする。人でも、当然、ウサギでも。魔獣や、魔族ですらも」


 クラインは足元のラビノッチを拾い上げ、その動かぬ瞳をしげしげと見つめる。


「このラビノッチは、経緯はどうであれ、この街に居続けると、間違いなく自分の意志で決めたのだろう」


 今はその瞳は何も語らなかったが。


「現にこいつは何度追われても逃げ、何度捕まりそうになっても逃げ続け、しかし、街から出ることだけはなかったのだから。つい、先ほどもな」


 クラインは純白の毛並みを手で荒っぽく払う。

 毛についた土はまだ奥の方に残っており、完全に綺麗なものとするには、一度水で洗う必要があるかもしれない。

 当然、その頃には毛皮だけになっているのだろうが。


「……クライン、僕は……僕のしていたことは、間違っているのか?」

「だろうな」


 震える声の少年に、クラインは淡白に答えた。


「人には人の領域があり、魔獣には魔獣の領域がある。

 君はそう言ったな。それは間違っていないだろう。しかし……

 領域を侵すことは、あってはならないとは。オレは、そうは思わない」


 クラインはイズヴェルに背を向けて、ラビノッチが向かうはずだった街へと歩き出す。


「領域を侵したければ、侵せばいい。常識を覆したければ、覆せば良い。力尽くで、それが通ると信じているならば、やればいいのだ。あらゆる逆風を一身に受ける覚悟が、そいつの中にあるのならば」


 果ての山際に傾き始めた陽光に背を向けて、クラインは歩いてゆく。

 同時に、その後ろにいた機人や、子供や、青年も、同じように街へ歩き始めた。


 ただ一人、目付きの鋭い少女だけがその場に残り、立ち尽くすイズヴェルをしばらく睨んでいたのだが、


「うっ……っく……」


 子供のように涙を流し、それでも嗚咽を堪えようとする彼の様を見てすぐに、ばつが悪そうに踵を返してしまった。


 イズヴェルは太陽が山の中に沈むまで、路上で泣き続けていたという。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ