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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第三章 弾ける爆風

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箕017 燃え滾る釜

 ルマリの枯噴水広場。

 周囲の林とは打って変わって、一切の木々がないこの広場は、地面が白い煉瓦で埋めつくされている。

 幾何学模様を描いた煉瓦の地面には、ところどころに側溝のような溝があり、中央から放射状に伸びているのだが、そこに水が流れている様子も、流れていたような痕跡もない。


 ルマリとは人名なのか、地名なのか。何を示しているのか、水の国に明るいわけでもない私にはわからない。だが枯噴水とは、この水気のない側溝を指しているのだろう。

 昔は何らかの機構で水を噴き上げていたのかもしれないこの場所は、今ではただ、だだっぴろく白い広場でしかなかった。

 まさに、枯噴水広場。


「やあ、ロッカ。遅かったね」

「クゥ……」


 ルマリの枯噴水広場にたどり着くと、そこでは三人が待っていた。

 白レンガの眩しい広場の真ん中では、ライカンがウサギの耳と脚を掴んでいる。

 “やったぞ”と言いたげにウサギが掲げられるが、掲げなくてもライカンの背丈だ。十分によく見えている。


 ラビノッチはライカンの手中に収まり、大人しくうなだれていた。

 所々、爆発のせいか雷撃のせいか、白い毛がコゲついている部分はあったものの、傷はほとんど見られない。

 ボウマの爆風でメチャクチャになってないだろうかと心配していたけど、無事なようで何よりだ。


「無事に、捕まえられたんだね」

「へへーん」


 土まみれのボウマが鼻をこすって、誇らしげだ。

 隣のヒューゴは朗らかに笑っている。


「いやあ、ビックリしたよ。ボウマが爆風でラビノッチを吹き飛ばしながら連れてきた時は、なんの冗談かと思ったね」

「わりわり、ほんとはそのまま仕留めたかったんだけど、こいつ、けっこー逃げるからさぁ」


 ボウマはラビノッチの腹の毛をがしがしと弄りながら言った。

 “そのまま仕留めたかった”。昨日までの私なら、冗談と受け取って聞いていたかもしれない。


「でも、案外あっさり捕まえることができたよ。僕の得意圏内に入れば、あとはすぐに無力化できたしね」

「どうやって?」

「もちろんコレさ」


 そう言って、ヒューゴは流木の杖を掲げてみせる。

 いや、そりゃあもちろん、魔術で捕まえたんだろうけどさ。


『そっちは大丈夫だったのか? クラインがいるから、特に心配はしてなかったんだが』

「問題ない」


 ライカンの言葉に、クラインは短く頷いて答える。

 彼の短い肯定こそが、実際全くその通りであったことを表してはいるのだが、ここまで“なんともない”ような澄まし顔と短い言葉で片付けられてしまうあの三人が、憐れで仕方なかった。

 あいつら、それなりに気合入れて襲いかかって来たのに。まぁ、どうでもいいんだけど。


「あとはラビノッチを捕殺するだけだな」

「そうだね。一思いにやろうか」

「おー」


 クラインの提案に、今更になって反対する者はいない。

 ラビノッチには痛みなく、手早く死んでもらおうということで、ここは満場一致だった。

 たまにこのシメに抵抗を覚えるような人もいるらしいけど、さすがは金に目が眩んだ特異科生のみんなだ。私を含めて何の躊躇も無い辺りは流石である。




 首の骨を折る。脈を切って血を流す。強化したなんぞで思い切り頭をぶん殴る。

 方法は色々な案が上がったが、状態よく、かつなるべく苦痛のないように捕殺するために、最終的にクラインの雷の術でシメる事となった。

 頭部に高威力の雷の術を当て、絶命させるのだとか。そんな方法もあるのかと、ちょっと感心した。

 なんて話を聞くと先ほど倒れた三人がまた脳裏に浮かんでくるけど、ジキルを蹴った時に声がしたので多分、大丈夫なはず。仮に死んでたとしても私は関係ない。


『小憎たらしい魔獣だったが、こいつも生きるためにやったことだ。クライン、躊躇はせず、一思いに頼むぞ』

「当然だ。この程度の術で失敗はしない」


 ライカンが抑え、クラインが手をかざす。

 これからその悪戯小僧な一生に幕を下ろすラビノッチは、最後のここでも抵抗する様子はなかった。

 いや、こいつは何をされるのか、その時になるまでわからないのかもしれない。

 ただそのまま握られ、手をかざされ、まだ死ぬときではないのだと、極限状態に置かれているわけではないのだと思っているのかもしれない。

 だからせめて、そのままの状態で殺してやって欲しい。


 言わず、私はクラインの猫背を見守った。

 ヒューゴも神妙な表情で立っている。

 この時ばかりは、騒がしいボウマも沈黙していた。


「“イグジム(雷よ)”……」


 静かな詠唱が始まった。




「“ラテル(廻れ)フウテル(閉ざせ)イオニアル(煉獄の炎)”!」

「!?」


 叫ぶような詠唱が、次の句を遮った。


 白レンガの広場が、赤く眩い炎の渦に包まれる。


「……!」

『何だ!?』


 高い炎の壁が広場を包んでいた。

 それはあっという間に、まるであらかじめ地面にフゲン油でも撒かれていたかのような速さで燃え上がり、私達を包囲してしまった。

 突然の発火現象に、膨張した空気が熱を帯びて舞い込んでくる。

 ボウマの術の煽りを受けた時とはまた違う、純粋な炎による熱波であるためか、感じる熱さも一段上だ。


 あまりに突然のことで、ついさっきまでの二対三の闘いによる緊張も、私の筋を動かすには至らなかった。

 私はただ、あの日を幻視して立ち竦んでいただけ。

 動いたのは、咄嗟に顔を覆ったヒューゴに、ウサギを手放してしまったライカン。

 そして、地に両手を当てたクラインだった。


「“スティ・ラギロール(鉄よ地を覆え)”」


 魔術の黒い鉄板が、私達が立つ地面を覆う。


「“イオニス(消し炭となれ)コルドゥラ(我が領域を)アブゥー(侵す愚者め)”!」


 そして、更に火の勢いが増した。


「“遵法の釜”か、良い術だ」


 クラインは感心したように、どうせまたろくでもないことを呟いたのだろうが、それを聞き取ることは叶わなかった。

 私達を囲む炎の壁が生み出す空気の音が、あまりにもうるさかったのだ。

 バチバチと弾けるような、ゴウゴウと滾るような、ビュウビュウと抜けるような、巨大な焚き火を作っても鳴らせないような、凄まじい音。

 四方を丸く囲む炎の垣。ご丁寧なことに、天井すらも火炎のドームに覆われている。

 地獄に放り込まれてしまったかのような音と光景に、私の体が更に竦み上がるのは、仕方ない事だった。


『これはなんだ、クライン!?』

「反応系設置型の火属性魔術だ」


 ライカンの問いにクラインが簡潔に答える。


「これ、まずくないか?」

「炎に近づかなければ害はない」


 ヒューゴの懸念にクラインが即答する。


「あつい!」

「しばらく我慢だ」


 ボウマの文句をクラインが即断する。


 一日のハッピーエンドから終末のデッドエンドに急転換を迎えようとするパニックの中で、ただ一人クラインだけが、全てを知っていたかのように冷静だった。

 他の皆も、突然の出来事に慌てていたが、“とりあえずクラインだ”とばかりに彼に質問を浴びせる辺り、対応は適切だ。

 たった一人私だけが、口すら開けられない。


「あーっ、ラビノッチがぁ!」

『あ!』


 五人がオレンジ色の光に包まれる中、ボウマが炎の壁を指差した。

 そこに見えた白い影を見て、ライカンが“しまった”とがら空きの両手で狼の頭を抑える。


「クゥッ」


 ボウマの指の先で飛んでいるのは、まんまとライカンの拘束から逃れ仰せたラビノッチ。

 つい十数秒前の大人しさはどこへ行ったか、炎の壁に穿たれた一メートルほどの風穴に向かって跳躍し、大きく翼を広げていた。

 頭と目が良い、めざとい魔獣だ。私達よりも強い生存本能で、咄嗟に生き残る活路を見出したのだろう。


「やばい、逃げられ……!」


 数日の苦労が無為になる。

 そんな呑気で意地汚い危機感から、ようやく私の口は言葉を紡いだ。


「“イグジム(感電せよ)”」

「クッ!」


 ところがラビノッチは逃げきれなかった。

 火炎地獄の出口から飛び出しきる前に、魔術の雷によって体の自由を奪われてしまったのだ。


「……」

「あれは……」


 ただ、それはクラインによるものではない。

 私達五人の中の誰でもなければ、まして、私にとっては面識すらない人物による魔術だった。


「すまない。しばらくの間、大人しくして欲しかったんだ」


 炎の壁に穿たれた穴から伸びる長いロッド。

 杖の先石に触れたラビノッチは感電し、力なく地面に落ちる。


「ラビノッチだけではなく……君たちにも」


 炎の壁を、まるでそれが色のついた空気であるように当然の如く突き破って、一人の男が現われた。

 男は炎をすり抜けてラビノッチに歩み寄り、倒れた白い毛並みを恭しく撫でて、その胸に抱き上げる。


 短い白髪に、褐色の肌。

 辺りに満ちた炎のように紅い瞳。

 まだまだ背の低い、年齢で言えばボウマと同じかそれ以下であろう、青臭い子供がそこにいた。


「君は……属性科のイズヴェル=カーンじゃないか」


 それは熱さによるものか、緊張によるものか。ヒューゴが額の汗を拭いながら、呟くように言う。

 属性科。その単語を聞くだけで、反射的に顔を歪められるようになるのも、そう遠い話ではなさそうだ。


『捕った後の獲物を横取りした上、邪魔者を蒸し焼きとは感心せんな。狩りにも作法というものがあるのを知らんのか、優等生よ』

「あたしが頑張って捕まえたラビノッチだぞ! こっちに返せぇ! ぼけなす!」


 子供だからといってライカンが、ましてボウマの対応が軟化するはずもない。

 私達を囲む火炎地獄の原因は彼にあるのだ。これは立派な、暴力を用いた横取りである。

 やっていることは盗賊達と何ら変わらない。


「“激昂のイズヴェル”、何のつもりか知らないが、そいつはオレ達が捕らえた捕獲指定魔獣だ。返してもらおうか」

「断るよ、“名誉司書(ライブラリアン)”」

「ほう」


 地面に手を預けたままのクラインが、ゆっくりと猫背を保って立ち上がる。

 眼鏡の片レンズは滾る業火の明かりを映し、レンズの欠落した片方は敵意に満ちた眼光を光らせていた。


 クラインが静かに怒りを発露させている。

 それを目の当たりにしてもなお、イズヴェルという属性科の子供は毅然とした態度でこちらを睨んだままだ。


「この魔獣は僕が自然へ返す。君達には殺させないよ」

「……は?」


 少年が言い放った言葉の間抜けさに、私の喉からもつい、間抜けな声が漏れてしまった。


「人には人の領域があり、魔獣には魔獣の領域がある。領域を侵すことは、あってはならないことだよな。彼らだって、縄張りという概念は理解している。だから踏み入った者には、容赦しない」


 イズヴェルは変声期を過ぎていない高めの声で、続ける。


「だが僕ら人間は違うだろう。高い知性を持っている。誤ってこちら側へ踏み込んだ魔獣を、同じ魔獣のように征伐する必要など、無いはずだ。君たちは、そうは思わないのかい」


 言いたい事は大体わかった。

 というよりも、頭に流れる血の音がうるさくて、後半以降が聞き取れなかった。

 けど沸々と湧いてくるこの苛立ちが答えで間違いないだろう。

 “こいつは一発殴ってもいい”。そんなガキなのだと。


「だから君たちはしばらくそこで……」

「うるせえ」


 昨日の苦労は傭兵の馬鹿共のせいで無駄になった。

 今日はひたすらしつこく追いかけ回し、相変わらず役に立たない傭兵や、闇討ちしようと企んだ属性科連中たちを振り切って、ようやくラビノッチを捕まえた。


 そこで、もう終わりだと肩を降ろした途端に、お次はこれだ。

 最後の最後でまた妨害。気が滅入ったのは、もちろんそういった理由もある。

 しかし何よりも、よくわからんゴチャゴチャした考え方で、狩りなどとは全く無関係な方面から、他人の苦労を、私たちの苦労を易々と踏みにじろうとしている。それが一番許せなかったのだ。


「術はすぐに解けるさ。だからそれまで、大人しくしていてくれ」


 手前勝手な理論の上でいちいち問答してやるつもりはない。

 そっちが己の勝手を力で貫き通そうってんなら、こっちだってその土俵でやってやろうというものだ。


 つまりどういうことか。

 生意気な口上で無礼を働くガキのしつけは、いつの時代だって同じということだ。


「いいから返せっつってんだよ」

「!」


 鉄板の地面を踏みしめて、一気にイズヴェルのもとへ走り寄る。


 奴はまだ、炎の壁の外に出ていない。

 自分で出した術であるためか、熱による影響を受けていないようだった。


 なら、ここから出られる前に殴る。

 殴って、術を解かせて、ラビノッチを取り戻す。

 それが全てだ。他の解決法なんてありはしない。

 覚悟しろクソガキ。お前も故郷のあいつらと同じように、生意気な口をきけなくしてやる。




「君、死ぬぞ」

「……!」


 右腕を振りかぶった体勢のまま、あとは振り下ろすだけという形で動きは止まった。

 あと三歩だけ前に進んでガツンとやれば、イズヴェルとかいうこのガキも泣いて謝るというところだった。

 そこで私の脚は止まってしまった。


 分厚い壁があるわけではない。

 ただひたすら、強烈な熱気の壁を前に、怖気づいてしまったのである。


「聞いてなかったのかい? 言っただろう、壁に近づけば炎が襲ってくると」

「……」


 炎の壁が、反対側を強風で煽ったかのように、オレンジに輝く火炎をこちらへ伸ばしていた。

 イズヴェルを包むように、私に立ちはだかるように伸びる、無数の火炎。


 あと一歩でも近づけば、肌よりも先にまず、目が保たなくなるだろう。

 今の時点で灼熱地獄を味わっている私には、それが本能的に理解できた。


「なにせ“名誉司書(ライブラリアン)”がいるからね、全力を使わせてもらったよ。身体強化で守ったとしても、この炎に触れれば死は免れないと思ってくれ」


 触れたら焼け死ぬ炎。とんでもない話だな。火葬に使う分には丁度良さそうだ。

 けど、その言葉にきっと偽りはない。


 だからこそ、私は心の底からの疑問を、炎の中のイズヴェルに問いかけたのだ。

 大声量にて叫んでやりたかったが、それだけの熱い空気を肺へと送り込むことはできなかった。


「なんで、ここまでするんだよ」


 額と頬に汗を流しながら、不本意にも息苦しそうな声だった。

 私の詰まったような声色とは対照的に、イズヴェルは涼しげに答える。


「もちろん、正義のためだ」


 それが全ての答えなのだと言わんばかりに踵を返して、恥ずかしげもなく、奴はそう言い切った。

 ラビノッチを炎の壁に触れさせないよう、小さな穴に通しながら、イズヴェルは炎の外へと消えてゆく。

 私達はただ、その姿を見送ることしかできなかった。


「チッ」

『……ロッカ』


 そして私はすごすごと壁を離れ、皆の集まる鉄の床へと戻るのだった。

 ただただ苛立ちと、怒りと、空しさだけが、私の中に残っている。


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