箕016 迎え撃つ殿
『厄介だな』
ライカンが自慢の豪腕で鉄の輪をふっ飛ばしながら言う。
鉄の輪は甲高い悲鳴をあげながら、乱回転して茂みへと消えていった。
「ああ、厄介だ。“スティ・バーマル”」
クラインはその手から黒い鉄の盾を打ち出して、走り来る鉄の輪を食い止めている。
大きな盾に阻まれた車輪達は跳ね返され、後続の輪にぶつかりながら土の上に倒れてゆく。
「これ、ボウマに当たったら大変なことになるよね?」
『なるだろうな。ボウマはひとつのことに夢中になるし、何よりウサギを追いながら妨害を防ぐなんて、そんな器用な真似はできない奴だ』
私も鉄の輪を思い切り蹴っ飛ばし、なんとか攻撃を防いでいる。
やってくる速さも大きさも違うそれらの対処は、鉄針を避けるよりも遥かに容易だったが、数が数である。
それに、こいつらを私達より先に行かせれば、ボウマに当たってしまうかもしれない。
なんてことを考えてしまえば、ただ無責任に避けるわけにはいかない。
私達は円鉄がやってくる後ろを向きながら前進を続け、健気に一本一本を迎撃し続けていた。
しかし、大人しくいつまでも守りの姿勢を貫いていられるかといえば、そんなことはない。
「クッソ……誰だよ、こんな事してくる奴は!」
怒りに任せて強化した右手で、猛スピードで襲い来る円鉄を掴んで止める。
何十キロもあろうそいつを、これもまた怒りの赴くままに持ち上げて、ブン投げる。
が、さすがに投げ返したところで、それがこの鉄の輪の見えざる元凶のいけ好かない面に当たってくれるわけでもない。
私の怒りは、遠くの土の上に落ちるに留まった。
「これは“円鉄のレドリア”の仕業だな」
「レドリアって、どっかで聞いたことあるな」
「“パイク・ナタリー”配下の馬鹿の一人だ。鉄の輪を放つ魔術を得意としている」
「またナタリーか!」
取り巻きが多いのは知ってたけど、まさかそいつらが報復してくるとは思わなかった。
動機は、まさかナタリーの報復じゃないだろうな。
あの戦いはあの戦いで、もう片はついたはずだ。
「金魚の糞まで全部綺麗にするまで学園生活を楽しめないってのは、さすがに勘弁だよ」
私は喧嘩っ早いかもしれないけど、喧嘩が好きなわけじゃないんだ。
いちいち絡まれたってこっちが困ってしまう。
『昼前にも、俺達が兎狩りへ出る前に様子を伺っていた連中がいたからな、そいつらだとすれば、二人はいるぞ』
「えっ、その時からいたのかよ」
昼前から今までということはつまり……。
私達は何時間も走り続けていたはずだけど、まさかそれをずっと追いかけて。
あ、私達の作戦会議を聞いていたのだとすれば、何も追いかけっこに付き合わなくたって、森の近くで待ち伏せしていればいいのか。
……なんだか、私達の努力を簡単に踏みにじられているようで、更なる怒りが湧いてきたぞ。
喧嘩が好きじゃないというのは撤回すべきだろうか。
「このまま邪魔をされ続けては後々の捕縛に支障を来たすな」
クラインがついに、その場に立ち止まる。
「ライカン、君の速さは捕獲そのものの要だ。ボウマとヒューゴを守りながら、先へ行け」
『お前はどうするつもりだ、クライン』
「ウィルコークス君と残る。二人で馬鹿共を食い止める」
「私もか」
ライカンについていくのも、ここに残るのも、私の中ではどちらでも良かった。
今の私の気分は、兎を直に捕らえるも良し、喧嘩を売ってきた奴らを殴るもまた良しだったからである。
私はクラインと並ぶように、その場に立ち止まった。
景気付けに、野暮ったく走り寄る鉄の輪を豪快に殴り飛ばしてやる。
「ライカン、そういうことだから、頼んだよ!」
『おうよ、任せておけ!』
こうして、私とクラインは森の道に残り、ライカンは先へと進んでいった。
大抵、古臭い物語ではこうして道半ばで殿として残るのは損な役回りだと、私は思う。
けど、今は違う。
姑息でムカつく奴らを直に殴ってやれるのだ。考えてみれば、なかなか良い立場じゃあないか。
私が準備運動と肩を回している間に、森の中から小さな声が聞こえてきた。
「“スティントゥ・ティーラ”!」
遠くの木の葉から、小鳥の群れが一斉に飛び立つ。
何かが来る。
私は、確かな攻撃の予感に身構えた。
詠唱らしいものは、私の耳にもかすかに聞こえてきた。
どこかで相手が魔術を発動させたのは間違いない。
それに、木の茂みからは鳥の群れも飛んでいった。
きっとあの辺りに敵が潜んでいるのだろう。攻撃魔術も、同じくあそこから飛来するはずだ。
そう、驚かされた鳥の群れがこっちへ飛んできて……こっち……ん?
「“スティ・バーマル”」
私が状況についてゆけず呆けている間に、視界を暗黒の鉄壁が覆い尽くした。
直後のけたたましい金属の衝突音に、肩が驚き跳ね上がる。
「君は馬鹿か。体力自慢なら、せめて避けるくらいしたらどうなんだ」
「あっ」
クラインはその手から生み出した大きな鉄板の壁に靴の底を当て、思い切り蹴りながら言った。
薄い鉄板の守りは容易く傾いて、前方へと倒れこみ、消滅する。
「あ」
土の上に散らばる鋭利な金属片たちを見て、その時私は初めて、飛来したものが群鳥でなく、魔術による攻撃だったことに気づいたのである。
「スティントゥ・ティーラを、鉄片を同時に七つも射出、“チッパー・ロビナ”の仕業だな」
「また二つ名。魔道士め、どいつもこいつも」
土の上に転がる鉄片はどれも一定の形で作られてはいないものの、人に当たれば刺さるくらいの鋭さはもっている。
ガラスを砕いたような鋭利な刃先は粗いものの、それだけに負うことになる傷は、凄惨なものとなりそうだった。
こんなものを人に向けて撃ち放つのだから、正気の沙汰でないことは明白だ。
向こうはほとんど、私を殺すつもりで来ていやがる。
「ウィルコークス君、ここは」
「コソコソ隠れてんじゃねえぞ! やるってんなら堂々とかかってこいッ!」
「……」
私はクラインの言葉を掻き消して、心のままに怒号をあげた。
売られた喧嘩を全て攫って買い漁るつもりは毛頭ないが、相手がそれだけの気分にさせてくるのであれば話は別だ。
「……まさか、わざわざ出てくるとはな。馬鹿の考えることはよくわからん」
相手も私の挑発に乗ってきたか、林の中から姿を現し始めた。
黒髪を肩までで切りそろえた、ニヤついた顔の女。
黒髪を背中まで伸ばした、ニヤついた顔の女。
あと、ぱっとしない表情の白髪の男。
木陰から現われたのは、全部で三人。
いずれも学徒らしい年齢の魔道士だった。
呼びかけて素直に姿を見せてくるのは、喧嘩に対して多少でも矜持があるのか、数の多さゆえに自信があるのか、私には判断がつかない。
まぁ、どっちでもいい。
とりあえずぶん殴ってやることに変わりはない。
「ロッカ=ウィルコークスぅ……ゴチャゴチャ細かいことは言わねえ。ナタリーさんの顔に泥をかけた報復、ここで受けてもらうぜ」
「へえ」
短いほうの黒髪の女が、曇った銀色のワンドをこちらに向けて、宣告する。
相手の言い分は逆恨みにも程があるが、それはまあ、良しとしよう。
「おいロビナ、建前はどこに飛んでった。俺らは魔獣を狙って……」
「うっせえジキル、煽られたまま黙って隠れてられっかよ」
「……だめだこりゃ。レドリア、ロビナを止めてくれ、これじゃ打ち合わせと……」
「日和ったのジキル?」
「お前もか……」
相手方は予想通り、ナタリーの配下だった。
奴らの動機も私の頭で想像できる程度のもの。
わかりやすくてありがたい限りだ。
「おい、ロッカ! 啖呵を切ったからには、覚悟ができてるんだろうなぁ!?」
当然、覚悟は出来ている。
ここは導師の目もなく、細かいルールも定められていない屋外だ。
ナタリーとの闘いでは慣れない動きに四苦八苦したけど、今の私なら全力全開で勝負ができる。
自信たっぷりにやってきた相手には悪いけど、ぜんぜん負ける気はしない。
私は一歩、前に踏み出した。
肩の後ろから、クラインの眠そうな声が聞こえてくる。
「ウィルコークス君、相手の顔が割れた以上、こいつらに構うことはない。それでも襲ってくるようであれば、学園に報告すればそれだけで……」
「ふざけんな、そんなのただの逃げじゃんか」
「は?」
右の拳を握り、左の掌に打ち付ける。
バチン、と良い音が辺りに響いた。
「いいよ、かかってきな。学園へ報告なんて、根暗な真似は一切無しにしてやる。存分にやってやろうじゃねーか」
「……」
背後からクラインの冷めた視線を感じるが、今の私は目の前の敵に釘付けだ。
「良い度胸だ! しばらく寮で休んでもらうぜぇ、ロッカ!」
ロビナというらしい女が、ワンドで空を切って、構えを取る。
「クライン、貴方にも積年の怨みっていうものがあるわ。二人仲良く、ここで倒れてもらうわよ?」
レドリアと呼ばれた女も、握った細身のワンドを真横に伸ばす。
「あー……まぁ、なんだ……三対二なら、なんとかなるだろ!」
白髪のジキルもやる気らしい。
よし、戦わないっていうなら見逃してやったけど、こいつも同じように殴ってやろう。
「……鉄の国は、どいつもこいつも馬鹿揃いだな」
澄ました態度だったクラインも、相手がやる気な以上は動かざるを得ないようだ。
これで、二対三。
数で見れば、私達にとって不利な闘いが始まった。
「“スティントゥ・ティーラ”!」
「“スティ・リオ・フウル”」
先手を打ったのは相手側。
ロビナは乱暴に叩きつけるように杖を振り下ろし、レドリアは手の中で回しながら、優雅に杖を振った。
同じような長さのワンドだが、振り方は全く対照的。後者に至っては真面目に振っているのかすら疑わしい。
が、すぐにどちらも容赦の無い攻撃であることを、私は思い知ることとなる。
「うっ!」
クラインが左に飛び退いて、私は右に飛び退いた。
その丁度中間を無数の鉄片が通り過ぎて、無関係な樹木の幹に突き刺さる。
鳥に啄かれたような良い音は、殺傷能力のある証だった。
「!」
数の多い魔術を避けたからといって、その達成感に酔いしれている暇はない。
レドリアが放ったもうひとつの魔術が、私を襲おうとしている。
「避けられるかしらね!」
十メートル近くある距離から私のすぐ傍まで近づいてきたのは、先程からずっと私達の手を煩わせていた鉄の輪であった。
三本の大きな鉄の輪は、その足元に土煙を上げるほどの速さで回転し、わずかにその身を傾けながら、こちらへ走ってくる。
数が三本というだけでも頭が痛いのに、このリングは魔術投擲のくせに弧を描きながら、迂回するように走っているから、尚の事たちが悪い。
全ての攻撃が真正面からやってくるなら、その対処はまだ楽だってのに。
「“ジキア・テルドガッド”」
ところが、こちらも伊達に複数ではない。
相手が三人でも、こっちは二人いる。
私がどのリングからぶん殴って跳ね返してやろうかと考える間に、既にクラインは動いていたのだ。
「なっ、んですって……!」
術を放ったレドリアが、驚きのあまりに手の中で回すバトンを取りこぼしそうになる。
私も、目の前で起きた現象をいまいち理解できなくて、その場で硬直してしまった。
「丁度いい。対複数戦で試したい術があったところだ」
私のすぐそこにまで迫っていた鉄の車輪達は、突然エネルギーが尽きてしまったかのようにその場に倒れ、動かなくなった。
車輪を何かが撃ち落としたとか、何かに阻まれたとか、そんなことは一切ない。
ただ車輪だけがひとりでに、静かに、速やかに倒れたのだ。
「君たちにはゴーレム代わりにでもなってもらおう」
銀の指環で飾られたクラインの両手が、正面へ向けられた。
相方を失った眼鏡のレンズが、昼の木漏れ日を受けて白く光る。
「ビビってんじゃねえ! 先にクラインを潰せ!」
「おう、大賛成だ……! “スティグジム”!」
臨戦態勢に入ったクラインの姿を見て、相手は標的をひとつに絞ったようだ。
棒立ちしていた白髪の男も杖を横に振り、魔術を行使する。
ジキルの杖から撃ちだされたのは、私が持っているタクト程度のサイズの小さな鉄針だった。
闘技演習の際にナタリーが放っていたような針よりも、ずっと小さい。
しかしその針は、ただの鋭いだけのものではない。針の全体は、弾ける青色の輝きに包まれている。
記憶に新しい私は、それがすぐに雷気である事を悟った。
あの針に触れてしまえば、いや、近付くだけでも、雷気によって体の自由が奪われるかもしれない。
「芸のない」
しかしクラインは、射出された決して遅くはない鉄針に、冷静に手をかざす。
それだけで、針は襲い来る速度よりも速やかに、地に落ちた。
今の一瞬で何が起きたのかも、私にはわからない。
「くっ……! “スティントゥ”……」
「“イグズ・ディア”」
ロビナが詠唱を紡ぎきる前に、それを予期していたかのようなクラインの詠唱が先に完了する。
「ぐぁっ!?」
クラインの左手から伸びる雷光が、掲げられたロビナのワンドを打った。
呂金製であろう金属のワンドだ。それが高く掲げられているのだから、これはいい的でしかない。
吸い込まれるようにワンドへ流れた雷、そのまま彼女の身体を駆け巡ったことだろう。
ロビナは強く両手で杖を握りしめたまま、仰向けで土の上に倒れた。
「よくもロビナをっ!“スティ・フェイブルム・スティラム”!」
「おいレドリアっ!」
仲間が倒されたことに激昂したか、レドリアは鬼のように表情を歪めた。
それは魔術によるものか、ワンドの先に大きな楕円形の刃を出現させ、クラインの元へと走り寄る。
彼女のワンドは短めだが、先端に生まれた刃はワンドと同じかそれ以上の長さがある。
当然、斬りつけられれば軽い怪我では済まないだろう。
だが、クラインの目は“それがどうした”とでも言いたそうな、退屈そうなものであった。
「“テルス・ラギル・ヘテル”」
「ひぁっ!?」
突如発生した上昇気流が、辺りの乾いた土を巻き込んで色を宿す。
一点に集中する気流が向かう先は、クラインに走り寄るレドリアの正面。
ラビノッチを彷彿とさせる凶暴な風はレドリアの綺麗な長髪を吹き上げ乱し、魔力で強化されているであろうその身体は、軽々と宙に浮かされる。
「痛っ……!」
そして数メートルも浮かされ、風は突然、吹き荒ぶ方向を上から下へと変化させる。
レドリアの体は風のままに、土の上に勢い良く叩きつけられた。
衝撃でワンドが手を滑り、離れた地面に突き刺さる。
クライン、女にも容赦は無し。
「くっ……私はまだ」
レドリアは打ち付けた身体を、それでも震わせながら立ち上がろうとするが、
「“イグズ・ディア”」
「ぎゃっ!?」
「えっ」
クラインは彼女の言葉に聞く耳など持たず、片膝をつくレドリアにトドメの一撃を見舞う。
細い雷に打たれたレドリアの体はビクリと跳ねて、静かに倒れた。
やりすぎだとは思わないけど、無慈悲だなと思った。
「すいません、俺らが悪かったです。もう勘弁してください」
「……」
ジキルはいつの間にか杖を遠くへ投げ捨てて、私達に土下座している。
額を地につけ、綺麗な白髪を惜しげも無く公園の土に晒した、それはもう見事な土下座であった。
「“イグズ・ディア”」
「うぎゃ!」
「おい」
そんな奴にも、クラインの魔術は降りかかるのであった。
ジキルはどこから出したのかよくわからない声で呻き、他の二人と同じように沈黙する。
「終わったな」
「……いや、終わったけどさ」
クラインは涼しげに眼鏡の位置を整えながら言った。
「練習にもならん。ラビノッチを追うぞ」
「……追うけどさ」
土の上に、気絶した三人。
二対三の決闘は、私が何かをするまでもなく終了してしまった。
土の上で倒れる三人に同情の念も湧いたが、しかし三人がそれぞれ、私達に牙を向いてきたのは紛れもない事実である。
「おらっ」
「ぐふっ」
土下座のまま動かなくなっているジキルの脇腹を蹴って、仰向けに整えてやる。
せめてもの情けだ。
そして、私はクラインの背中を追うのであった。




