箕014 弾ける爆風
「わ、すごいな」
深緑の天井は、森に入ってすぐに高くなった。
入口付近を低い木で固め、それ以降を段々と高くすることで、まるで自分が小さくなってしまったかのような錯覚を生み出す、不思議な樹木トンネルである。
魔法の森。
なんて言葉が頭を過ぎったが、巨木の合間を縫ってスイスイと進んでゆくウサギを見ては、そんな考えにうつつを抜かしている暇はない。
「クライン! ラビノッチ、速すぎるんだけど!」
「追え」
簡単かつぞんざいに言ってくれるものの、生憎とここはひらけた屋根の上ではない。
ラビノッチは幹を蹴りながらすいすいと自在に進んでゆくものの、こちらは必死になって木を避けなくてはならない。
足元だって劣悪だ。
こちらだってラビノッチのように太い幹や枝を足場にしてやりたいが、そう都合よく、跳躍した後に足場があるわけでもない。
何回かは樹木を足場にラビノッチへ接近できるものの、運悪くそのまま土の上に着地してしまう事もある。
よく手入れされた地面とはいえ、下草がないわけではない。そもそも、ここは人が入るべきではない、やわらかな土の上なのだ。
足を取られる地面では走ろうにもちょっとしたタイムロスが生まれ、結果、本調子の速さを取り戻して木の上に戻るまでに、ラビノッチに距離を離されてしまっている。
ただラビノッチも、本来ウサギにはない両足の翼が邪魔になるのか、全く止まらずにというわけにもいかないようではあるが、それでも小回りの効く身体と、野生の反射神経は森林の中で活かされている。
状況としては明らかに、人間にとって不利な環境であった。
「雷魔術も、限界が来たな……!」
特に足の遅いクラインなどは、魔術を放ちながら走る余裕がなくなっている。
両手に蓄えた魔術も乱発によって薄れ、ついには消滅してしまった。
ラビノッチへの牽制が無くなった今、頼れるのはライカンの驚異的な身体能力だけだった。
『“イグネンプト・スロープ”!』
突き出したライカンの脚からは黒い砂鉄が噴き出して、即席のワイヤーとなって遠くの巨木にぶち当たる。
砂鉄は幹へと乱雑に絡み付いて固定され、
『ヌゥンッ!』
ライカンの桁外れの脚力によって、その身を勢い良く蹴手繰り寄せる。
彼は本能的にそんな真似をやってのけるが、仮に頑丈なロープだったとしても、私にはできない芸当である。
片足でロープを引いて何メートルも跳ぶなんて、身体強化を込みにしたって、絶対に可笑しい。
しぶとく追い続けるライカンは頼もしかったが、想像を絶する肉体派な動きに、私や、同じように追いかける傭兵達は若干、引き気味であった。
『ええいっ! ちょこまかと小賢しいッ!』
「クゥゥッ!」
しかし驚くべきはラビノッチの頭の良さである。
ライカンの放つ砂鉄のロープは紙一重で避けるし、クラインの魔術を警戒してか、下手に横道を逸れることもない。
むしろ木々を縫いながら進んでゆくために、身体に幅を取る私達は木を避けるために必然的に遅くなってしまう。
もしもここが等間隔に林立する公園ではない自然の森であったならば、もうとっくに姿を晦まされていることだろう。
「クゥッ!」
「あっ!」
『くそっ!』
ようやく森林地帯での体運びも慣れてきた頃、ラビノッチは突然に、進路を真横に切った。
行く先は、樹高が五、六メートル程度の細い林。
「しまった! ライカン、なんとかならない!?」
『無理だ! さすがにここは!』
当然、か細い幹は蹴ることも出来ない。
かといって木を踏み壊しながら進めるかといえば、そんな芸当は不可能である。
「んばぁーっ!」
「クゥッ!」
もうこれ以上は駄目かと諦めかけたその時である。
小さな木の茂みから、大きな影がラビノッチの前に落ちてきた。
ライカンの背丈では入れない、細く小さな木々の中から現われたもの。
それは、体中に木の葉をくっつけたボウマであった。
「せぇーの……」
「!?」
頭を下に向けたまま落下するボウマが向けた右手には、赤い輝きに満ちていた。
そういえば、私は今までボウマに聞くことを忘れていた。
彼女が持つ、魔術の得意属性と、その特異性を。
そして、聞かなかったことを後悔することとなる。
「“ボカーン”!」
ボウマの右手から顕れたもの。
それはそう、まさに、紛れもなく爆風であった。
赤い輝きが大きく膨らんで、透過した向こうの景色を歪ませる。
熱波は音と同じ速さで、瞬く間もなく近くにあるものを飲み込んでしまった。
瑞々しい枝も、青々とした木の葉も。
細いとはいえ、しっかり真っ直ぐ丈夫に伸びていた幹すらも。
ボウマの右手より生じた爆風は全てを捻じ曲げ、へし折り、焦げ付かせた。
光度を抑えた、しかし熱を帯びる赤い閃光は、咄嗟に顔を保護した私の手をぴりぴりと刺激する。
魔力による身体強化がなければどうなっていたか。
辺りで黒く染まる乾いた木片を見ると、想像したくもないことである。
「クゥゥッ!」
「うぐっ!」
翼に熱風を受けたラビノッチは軽々と吹き飛び、低木から弾き出された。
ボウマの使う術を知らなかった私は、爆風に煽られて幹に叩きつけられる。
クラインやライカンは慣れたもので、ボウマが飛び出した瞬間には既に距離を取っていたらしく、離れた場所で無傷のままであった。
……聞かなかった私も悪いけど、知ってるなら前もって言って欲しかった。
「うひひぃー! お前がラビノッチだなぁ!」
「クゥッ……!」
逆立ちで地面に降り立ったボウマは、目にかかる前髪が捲れる前にその体を身軽に立て直した。
純白の毛を所々焦がされ、何枚かの羽毛を宙に手放したラビノッチと対峙する。
ボウマの弧を描く口の中に、野竜のような八重歯が獰猛に輝いた。
「悪いけど、おやつのためだ。あんたにはヒューゴんとこ行くまでに、爆死してもらうじぇ」
にたりと笑うボウマの姿に魔力的な悪寒を悟ったか、ラビノッチが再び動き出す。
ボウマのいる狭い低木地帯を避けるように、森林公園の中央へと。
「いひゃー! 逃げろ逃げろ! “バーン”ッ!」
逃げるウサギの背に向けて、ボウマが再び魔術を放つ。
今度は人を巻き込まない範囲の、ラビノッチだけに向けられたものだったので、じっくりと見ることができた。
差し出されたボウマの掌が赤く輝く。
そして、そこを起点として、前方が“爆発する”。
火を噴くでも、火が飛ぶでもない。
切羽を一気に崩すための発破と同じ、熱を帯びた空気の炸裂であった。
「クゥウッ……!」
「待てやごるぁぁああぁー!」
爆風に煽られたラビノッチは空中での姿勢を崩し、立て直すために速さが削がれてしまう。
その隙に、ボウマが素早く駆け寄る。
爆破と接近。とんでもない応酬が今、私の目の前で始まった。
『あれがボウマの特異性だ』
ライカンが私の隣に立って、呟くように言った。
そうしている間にも、森の先では爆破を伴う追いかけっこが繰り広げられ、轟音が響くたびに木々は深刻なダメージを負い、枝葉はゴミのように宙を舞い続ける。
『“火の術が爆発に変わる”。火を熾せないせいで実用性に乏しいが、見ての通り、とんでもない威力だ。詠唱なんか、聞いての通りメチャクチャなんだけどな』
「……ボウマ、あんなに危険な特異性だったなんて」
普段のボウマから垣間見える傍若無人さと、目に映るはた迷惑な光景がぴったりと重なり合ってしまった。
あれは、決してボウマに渡ってはいけない力だと思う。
「“ドッカーン”ッ!」
姿の見えない森の奥で、赤い輝きと無数の木の葉が舞い上がる。
鼓膜を打つ爆音に、思わず体が竦んでしまった。
……とんでもない。とんでもなく、危険な魔術だ。
『出会った頃は、今ほど大人しくなかったのだ。今では随分丸くなったが、前はもっと魔術を乱発する、手に負えないワルガキだったんだぞ』
「うっわ」
今でもかなり悪戯好きだと思うけど、それ以上なのだという。
しかもあんな物騒な魔術を乱発していたと。
ちょっと、関わりたくないタイプの相手だ。
「よし、上手くいったな。毛皮は傷つくだろうが、あとはボウマがよろしくやってくれるだろう。奴が加わった以上は危険だから深入りはできないが、オレらも後を追うぞ」
「うん、わかっ……た」
ケープについた土を払いながら、クラインは爆発によって拓けた林道を先導する。
横目にちらりと見えた彼の眼鏡は、ボウマによる爆破被害を被ったのか、片方のレンズが欠落していた。
「ボウマの爆風が届く距離に居る限り、ラビノッチといえどもまともには飛べまい。複雑な風を生み出せるヒューゴのところまで追い込めば、オレ達の勝利は確定する」
早歩きに似合わぬ猫背で先をゆくクラインが、これからの流れを自信たっぷりに予言する。
『ボウマの生み出す瞬間的な風圧で体勢を崩し、ヒューゴのつむじ風が動きを捉える』
「そこを私達がシメるわけか」
そう。こう、指を入れて、クイッと。
『脚と耳を思い切り掴めば、抵抗もできんだろう。風を吹かせてくるかもしれんが……まぁ、所詮はウサギ。トドメを刺すのに時間はかからんだろうな』
残すは最後の仕上げのみだ。
ライカンの砂鉄やボウマの爆発で白い毛皮が傷んだかもしれないけど、それを除いてもまだまだ健全な部位は残っているはず。
ラビノッチ本体の価値も合わせれば、総額はだいたい一万三千YENくらい。
一人あたり、えっと。二千六百YENくらいの報酬になるのかな。
これだけ貰えれば、とりあえずは御の字だ。
ラビノッチが“ご勘弁を”と情けを乞うのであれば、あともう一往復くらい、屋根の上を走ってやってもいい。
二千六百YENとは、私の中でそれだけの価値があった。
「おい、学徒。俺達は水国より正式に依頼を受けた、捕獲・討伐のプロだ。追い詰められた魔獣は危険だぞ。初心者がそう不用意に手を出すもんじゃない。ここから先は、“カナルオルム”にまかせておけ」
「……」
私はそんなやる気の最中にあったので、未だにしつこくつきまとう傭兵達は煩わしいものでしかなかった。
ここから先はとか何とか言っておきながら、つまりは最後の手柄だけを横取りするという魂胆が見え透いている。
本人もそれを苦しい主張だとわかっているのか、声色もどこか必死だ。
しかし当然ながら、こんな奴らを相手にクラインが口を開くはずもない。
公園に入る前、屋根の上までは二十何人もいた傭兵たちは、途中の突風や爆発により、今ではたったの三、四人程度に数を減らしている。
警官は全てを私達に託したのか、もうここまで追いかけては来ていない。私達の獲物を横取りしようというふてえ野郎共は、揃いも揃って“カナルオルム”のみである。
金にしか目がいってない、そんな連中の集まりだ。
百歩中の百歩を譲って彼らに任せたとしても、ラビノッチを捕獲するだけの力が無いことは明らかだった。
「おい。あんたたちさ」
「な、何だ」
だから、語らぬクラインの代わりに私が代弁してやるのだ。
ここまできて奴らに邪魔をされてラビノッチを逃したとあっては、私の怒りも腸の中に収まりきらないだろうから。
「こっから先で私達の邪魔をしてみろ。飯を食うのに困るのが、金のせいだけじゃないようにしてやる」
「……!」
ポケットに手を入れたまま、自分の中で半分くらいの威圧を込めて脅しかけた。
「ふん」
それだけで傭兵連中は、その場に立ち止まってしまった。
もう私達の後を追うつもりもないようである。
遠ざかる姿は最後に唾を吐いていたが、私にとってそんなことはどうでも良い。
「あー、清々した」
『はは、やるじゃないか、ロッカ』
「ああいうの、目の前でやられたら手ぇ出しそうになるからさ。半分は本気だよ」
やっぱり、ああいう汚いことする連中は、嫌いだ。
口だけのスカブラならまだしも、こちらの仕事の邪魔までされたのでは、たまったもんじゃない。
昨日の徒労による鬱憤も一緒に晴らせたので、個人的な気分は実に爽快だった。
「ここまできたら傭兵とか、警官には譲れないよ。私達だけで捕まえよう」
「当たり前だ」
少し先の道で断続的に響く爆発音を聞きながら、さて、今日の鍋には何を入れようかと木漏れ日を眺める。眩しい黄緑と深緑の薄い光が、森の薄明かりに慣れた私の目を刺激した。
そうだ。ここ最近はずっと、野菜を食べてなかったな。
今日の夜は、鍋に野菜をたっぷり入れるとしよう。
“スティ・リオ・フウル”
私は油断していたわけじゃない。
確かに一瞬だけ上の空な気持ちでよそ見をしていたけど、気だけはしっかり張っていたつもりだ。
ボウマがラビノッチを取り逃がしたとあらば、すぐに森を駆ける準備ができていたし、突然の魔力の風に備えて、身体強化も解いてはいなかった。
だから、単純にこれは、予想外の出来事だったのだ。
人間のずる賢い不意打ちに、対応しきれなかった。それだけなのだ。
「いてっ!?」
『む』
ちょっとした落石を受けたような懐かしい衝撃が、無警戒な私の背中を襲った。
「な、なんだこれ……!」
しかしクラインならともかくとして、背筋を伸ばして歩く私の背中に物が落ちるなどはありえない。
私は背中を襲った痛みに作為的なものを感じ取り、すぐに“それ”を掴み取った。
もしもこれが傭兵共による妨害行為であったならば、もう何の容赦もしないという、殺意に満ちた気持ちで。
「な、なんだこれ……鉄の車輪……いや、ただの、輪?」
傭兵に殴られたか、石でも投げられたか。私が掴んだものは、振り向く前のわずかな間に浮かべた想像を全て裏切った。
私が手に取ったものは、何に使うものかもわからないような、ただただ大きな、背丈ほどもある鉄の輪っかだったのだから。
『クライン、これは……!』
「魔術だな」
「魔術!?」
魔術を用いた戦いは、私の記憶に新しい。
握ったままの凶器であるらしいそれを手放すと、銀色の鉄の輪はマヌケな金属音を響かせながら傾げて回り、土に倒れた。
たしかに、高級馬車の車輪から抜き取ったようなこんな金属、魔術以外で簡単に作り出せるものではないだろう。
「まさか、ここまで低レベルな真似をしてくるとはな。逆に予想できなかったが……気をつけろ、ウィルコークス君」
クラインの早歩きが、ついに“走り”となる。
そして早まった先導の足音と共に、森の中から馬車が走るような音が響いてきた。
「おそらく狙いは、君だ」
「……!」
『走るぞ、ロッカ』
「わかってる……!」
私を狙う者。そして鉄魔術。良い結びつきではないが、これは確かに、私達に対する悪意で間違いはなさそうだ。
「何が起こってんだよ……!」
走る私達の背中を追いかけるのは、林道の隙間を転がりながら走ってくる、無数の鉄の輪の群れであった。




