箕010 研がれるダガー
屋外演習場の傍には、ミネオマルタ十五世をかたどった見事なブロンズ像が建てられている。
歴史の長いミネオマルタ国立理学学園ではこういった像の類は古くから多く配置されており、大して珍しくもないのだが、これに限っては別である。
というのも、ミネオマルタ十五世のブロンズ像だけは学園の敷地内に二つ配置されており、もう一つは学園の庭園中央に並ぶ歴代国王像群の中にあるのに対して、この像だけが複製され、つい十数年前に追加されたためである。
なぜわざわざ同じ像を最近になって配置したのか。
それは、理学機関の双璧たるミネオマルタ、その対となるミトポワナの学園が、実に見事なミネオマルタ十五世の彫像を学園内に展示したので、それに対抗するためという、実にくだらない理由があるのだが、それはまさしく本当にくだらないエピソードにまみれているので、ここでは詳細を割愛する。
重要なのは、広場の中で無駄に強い存在感を示すブロンズ像の石台の陰に、二人の学徒が身を潜めているということである。
“雷鎖のジキル”と“チッパー・ロビナ”。
彼らはそこで特異科学徒達の話の一部始終を聞き、五人が学園外へ去ってゆくのを確認した。
「……森林公園、ルマリの枯噴水広場、だってよ。ククク、場所まで教えてくれるとは親切じゃないか」
ロビナは背中を冷たい石に密着させながら、曇った笑いを零した。
しかし彼女の横に並ぶジキルの表情は、全く楽しそうではない。
「相手は“名誉司書クライン”だぞ」
「バッカ、相手はロッカだけで良いんだよ。それに、真正面からやり合うわけじゃねーんだ。不意をついてサクサクッとやってやれば良いのさ」
「そういうの、通じるのかね……とてもじゃないが、自信は無いぞ」
「ウサギを狙って放った魔術でした。言い訳はその一言で十分だろ? 相手は無警戒で無抵抗、やってやれないこたぁないさ」
自信溢れるロビナに対して、やはりジキルはどこまでも気が進まないようだった。
同じ属性科のAクラスで、実力にも大きな差はないはずの二人の反応がここまで違うのも可笑しなものであるが、それはどういう意味であれ、各々の危機感の違いであると言って差し支えない。
「そんな心配すんなよジキル。レドリアにも声をかけるさ。やるからには、確実にやる」
「“円鉄のレドリア”、“チッパー・ロビナ”……まぁ、俺ら鉄属性専攻の中では、不意打ちできる確率は高いかねぇ」
レドリア、ロビナは、共に鉄魔術の優秀な使い手である。
まだまだ魔道士の修練生に過ぎない学徒とはいえ、属性科の三年、それもAクラスに籍を置く者ともなれば、その実力は並みの傭兵ギルドメンバーでも歯が立たないほどだ。
実際、彼女らは時々、討伐ギルドで小金稼ぎなどを画策するような事もある。
ランクにしてD程度までの魔獣や魔族であれば、彼女らでも十分に討伐が可能だろう。
「いいかジキル。ラビノッチ討伐は、学徒全てに出された事実上の都市内での魔術使用許可だ。それに加えて、視界の悪い森の中ってオマケまで付いてきてやがる。こんな美味しい理由がついたチャンスだ、放っておくわけにいかねえだろ?」
「……まぁ、そうかもしれないけどな」
ジキルの気は、やはりどこか進まない。
彼にとって、ナタリーの立つ瀬が無いことはあまり重要ではないし、むしろナタリーのメンツを取り戻すために危険を冒すことの方が憂慮されたのだ。
といっても、断るだけの判断材料も、言う気迫もない。
頑なに断れば、女子連中からのもっと解りやすい危険が待ち構えているだけだからだ。
ジキルはどうすることもできず、ただいつものようにため息ひとつで全てを諦め、面倒事に付き合わされる覚悟を決めることしか出来なかった。
そのうちに後ろ暗い陰謀は着々とロビナ主導で進められ、昼休みにはその実行メンバーが第二棟内の噴水前に集結していた。
“雷鎖のジキル”、“チッパー・ロビナ”、“円鉄のレドリア”。
特に珍しくもない、鉄属性専攻のナタリー配下達のよくあるグループであった。
「つーわけでロッカを殺しにいくぞ」
ロビナが息巻く。
「ええ、さっさと引導渡しに行きましょ」
レドリアが頷く。
「ちょっと待て、殺しは不味いだろ、殺しは」
ジキルが制止する。
短いながらも、この簡潔なやり取りこそが、彼女らの普段の関係をも明快に表していた。
「なんだよジキル、今更怖気づいたのか?」
「だからミスイに負けるのよ」
「いやいやいや! ミスイとは元々勝算ないってわかってただろ! 今回も似たようなものだしさぁ!」
張り詰めたような属性科の第二棟の廊下で、三人の騒がしい話声が石に反響してよく響く。
が、鉄属性専攻の者達が騒ぐのはいつもの事なので、誰も気にしてはいない。
しばらく早口で捲し立てて話のペースを得たジキルは、ごほんと低く咳払いして、切り込むべき所に切り込むことにした。
「……お前ら、こっちが間違って手出ししておいて、向こうがそれを素直に信じると思うか? あっちが何もしないなんて保証はないだろうが」
「まーそりゃあ、そうだけどな」
「その時はその時で、闘えば良いだけよね」
「お前らな……」
ジキルに比べれば、ロビナとレドリアは同じくらい楽天的な性格であった。
それだけ自分の魔術に自信を持っているというわけでもあるのだが。
「闘技演習場の記録を見たか? “名誉司書クライン”の戦績は、四十四戦中四十四勝だぞ」
ジキルは差し迫った状況に向かいつつあることを、なるべく真剣な顔と声色で言い聞かせる。
「つっても、それ、一対一の話でしょ? 確かにヤバいとは思うけどさぁ、私らが三人でかかれば、クラインなんか倒せるって」
「他の特異科連中は、闘技演習場で見かけたこともないしねぇ」
それでも女子二人はどこかお気楽なままで、しかしそれだけに腹が据わっていた。
そして、ロビナの目つきが鋭くなる。
「いくらナタリーさんを倒したことのあるクラインでも、三対一の不利までは崩せねーよ」
「……」
彼女らが放つ殺気にも近い気迫に、ジキルは譲るべきではないタイミングで押し黙ってしまう。
およそ一年前の、“事件”とも言うべきナタリーの敗北。
あの時の出来事を口に出した途端、彼女らの雰囲気は硬化し、切れ味の鋭いものに一変するのだ。
「向こうが反撃してくるなら、私らは私らで、鋼の実力で弾き返すだけだ。違うか?」
「それともジキル。鉄専攻のAは特異科より弱いだなんて。そんな不名誉な烙印を捺されたまま、ここを卒業して国に帰るつもり?」
国。故郷。
鉄城都市メインヘイム。
ジキルの頭の中に、圧倒的な高さと頼もしさで立ちはだかる、巨大な鉄の城塞が思い起こされた。
「……そういうのを引き合いに出されると、まぁな。やるしかねえんだよな」
彼はやっぱり、ため息をつく。




