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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第一章 刻む鉄楔

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爪031 揺らめく鬼灯


 翌朝、私達は宿を出た後にロアさん達ラガブルの顔役の人らに挨拶をしてから、すぐに馬車で本領へと戻っていった。

 ラガブルは料理も美味しいし良い酒とも出会えて最高だったな……。つい帰り際にお店でウイスキーのボトルも買っちゃったよ。ラムみたいに強い酒だから、飲む時は気をつけないとな。昨日は結構酔っ払ったから、他人に迷惑を掛けない量に留めておかないと。なんにせよ、飲む時はミネオマルタに帰ってからになるだろうけどさ。


「どうしたんだいクライン? 眠そうだね」

「……ああ。少し、寝不足気味でな」

「珍しいね。僕から見ても随分良い宿だったけど」

「むひひ。きっと枕が合わないと眠れないんだじぇ」

「馬鹿な奴は自分の恥を他人の事のように語る」

「……やんのかてめぇこらぁ!」

「ちょっとボウマ! こんな狭いところで暴れないでよ!」


 幸いというか当たり前というか、帰り道の馬車では襲撃に遭うこともなく、至って静かに……いや少し騒々しくも楽しく、外の景色を満喫できた。

 うん。まぁ、旅行に来てるわけだしな……。移動中くらいゆっくりするのが普通だよな……。




「やあ、お帰りなさい。ラガブルはいかがだったろうか」


 ユノボイド本邸に戻ってきた私達は、玄関前でラウドさんからのお出迎えを受けた。

 そのラウドさんの格好はというと、両手に分厚い革手袋に背中に編みカゴという、明らかに野良仕事をやってそうな奇妙な装いである。

 言ってることはだいぶまともなのに姿の珍妙さのせいで咄嗟に言葉が出てこない。


「はい、とても整備の行き届いた素敵な港町でした! お魚の料理もとても美味ですね!」


 代表で答えたのはマコ導師である。さすが大人だ。こういう時すぐ言葉出てくるのってすごいや。

 私だったら“すごかったです”くらいしか咄嗟に出てこないもんな。


「牡蠣美味しかったにぇ」

『砦や練兵所なども見学させていただきました。詰めている方々の練度も高く、統率もとれている。ああいった魔道士の質の高さもまた、治安の良さの所以でしょうなぁ』

「おお、そう言っていただけると誇らしいよ。現地で働く彼らに聞かせればきっと喜ぶだろう。……さて、玄関前で立ち話しというのも嫌いではないが、皆さん馬車に揺られて疲れているだろう。一度中に入って、休憩するといい」

「はい、ありがとうございます!」


 ありがたい。短い時間でも馬車に揺られてると尻が痛くなるからな……。




 それから邸宅に案内された私達は、ふかふかのソファーが並ぶ広い部屋でゆったりとお茶を楽しんだ。

 応接間だろうか。他の部屋と比べると殺風景でもなく、調度品や絵画など彩りとなるものが多い部屋だ。そしてソファーが柔らかい。寮のベッドよりも柔らかいかもしれない。うちに一個ほしいなこれ……。


「父様はもうしばらくした後、母様方を連れてここにくるそうだ。それまではお茶を楽しめ、と言っていた」


 私とボウマが一人分のソファーで溶けかけていると、クラインが大げさな水差しのようなものを両手に抱えて部屋にやってきた。

 自分の家だから客扱いもされず、むしろ私達を歓待する側に回されているらしい。私達の中で一番旅行気分を味わえてなくてちょっと可愛そうな奴である。落ち着きはするんだろうけども。


「紅茶かハーブティーか、どちらにする」

「あ、じゃあ私は紅茶をいただけますか? あとできればお砂糖も……」

「あたしもハーブじゃなくて紅茶がいいじぇ」

『ふむ。俺はハーブティーをいただこうかな』

「僕もハーブティーで。……さっきラウドさんが摘んでたやつかな?」

「庭のやつ? あれそうだったの……あ、ロッカはどうする? 私は紅茶にするけど」

「えー」


 どうやらクラインの持っている水差しは両方ともお茶らしい。

 ハーブティーと紅茶かぁ……。


「じゃあ紅茶で頼むわ」

『ハーブティーの人気が薄いなぁ』

「いや、だってすっきりするお茶ってなんか苦手で……」

「私も嫌いじゃないけど、紅茶があるなら紅茶が良いわねぇ」

「……まぁ、オレは構わないけどな」


 クラインはマコ導師が紅茶を選んだ手前あからさまに嫌味を言うことはなかったが、なんとなくハーブティーを飲む人が少なくて寂しそうだった。

 ごめんなクライン。でも選択肢があるとやっぱ無難な方選んじまうんだわ……。




「ラガブルの砦と練兵場を見たならば、きっと皆さんはユノボイド領の防備については十分に勉強できたと思う。ロアから聞かされたかもしれないが、海岸に居座るグレーター・グマランは非常に厄介な魔族でね。ラガブルの港は常に奴らに脅かされ、航路も無理に開設された西側しか通じていない。大型船は通れないし物流も貧弱だが、それでも陸路よりは遥かに割が良い。今ではあの街もユノボイドの稼ぎ頭となってくれているよ」


 暫しのお茶休憩を挟んだ後、応接間にラウドさんら三人がやって来た。

 ラウドさんが穏やかに話している間、ベルベットさんは絵画の住人のように優雅にお茶を飲み、ウィスプさんは人形のように物静かに瞳を閉じている。


「とはいえ、ユノボイドは水産業ばかりの領ではない。ここ本領では魔道具工房が有名だし、魔道士育成のための家庭教師として身を立てている者も多くいる。……ああ、皆さんには馴染みが薄いかもしれないが、クモノスでは学園に通うよりも優秀な家庭教師から教わる者が多くてね。クラインやクリームもかつてはそうやって学んで来たんだよ」


 家庭教師に魔術を教わるのか……だからクリームさんもクラインもあんなに強いのだろうか?

 そういえばアルトもそうだって言ってたっけ。


「優秀な魔道士からの教えを受ければ、自ずと優秀な魔道士に近づく。効率は悪いし古臭い風習でもあることは確かだが……クモノスから精強な魔道士が排出されるのには、そんな文化的側面もあるのだと私は考えているよ」

「つまり重要なのは幼少期に金をかけることだ」

「……クライン、そういう言い方は直しなさい。それは紳士的ではない」

「はい」


 身も蓋もない話が吹きこぼれてきやがったな。さすがはクラインだ。

 いや肌感覚としちゃ十分にわかってるけどさ……真正面から生まれだ育ちだって言われるとげんなりするね。


「しかし……強い魔道士は、常に……名家から生まれるものでは、ない……」


 ぼそりと。か細く掠れるような声で、ウィスプさんが呟いた。


「歴史上、市井から英雄が現れることも珍しくないわ……そしてその英雄譚が、新たな“名家”を作っていくのよ……」


 細い声。小さな体。それでもウィスプさんの青い眼差しには、確かな力が籠もっている。

 ともすればこの部屋にいる誰よりも、その言葉には圧迫感がにじみ出ていた。


「……行きの馬車での護衛……報告は聞き及んでいるわ。とても……上手く、襲撃を退けたみたいね? 素晴らしいわ……近くで見られなかったのが残念なくらい……」


 パチ、パチ、パチと力ない拍手をプレゼントされた。

 いや……うん。声も小さくて穏やかそうなのに、やっぱりウィスプさんって苛烈な性格してるよな……。

 視界の端で唯一戦闘に参加してなかったソーニャがとても気まずそうな顔で紅茶を啜っている……。


「それに……聞いたわ。ロッカ=ウィルコークスさん……」

「えっ、私……ですか」

「そう。報告、聞いてるわ……貴女は特に、とても優秀なのだと……」


 ウィスプさんが喉元の火傷痕を指でなぞりながら、ニヤリと微笑む。

 褒められるのを嫌とは思わないけど、なんだか落ち着かない。


「もしかすると、貴女には……」

「ウィスプ。それは今言うべきことではないだろう?」


 言いかけた辺りで、隣のラウドさんが止めた。……ように、私には見えた。

 円縁眼鏡の奥で、切れ長の目が冷たい光を湛えている。


「……そう思う?」

「彼らは修学旅行のためにクモノスに来ているんだ。一番にやるべきことは、街を知ることだろう」

「……ええ。確かに。その通り。……ごめんなさいね、先程のは忘れて」

「ああ。旅行もある程度まとまった日数があるとはいえ、無為に時間を過ごすのはいけない。若者の時間ともなれば尚更だ。……だから、そうだね。今日からはまた別の町に……今度はユノボイド外の領に足を運んでみると良いだろう」


 別の領。ってことは、クモノス内の別の旧貴族が管理してる領ってことか。

 それならクラインもちょっとは旅行気分が出て、退屈しのぎになるかもしれない。


「クモノスは力ある旧貴族が集まって成り立つ街。ユノボイドだけでは決して語りきれない場所だ。他の領の産業や魔道士たちを見て、勉強してくると良い。そうだな……次は、トロードス領に足を運んでみるのも良いんじゃないかな」


 トロードス領。

 それは、シモリライトの採掘作業を請け負っている領だったはず。


 ……うん、楽しみだ!


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