函005 類稀なる者達
なだらかな雛壇状のテーブルに学徒が並び、教壇側の壁は一面が黒板となっている。
マコ導師は、そこに石灰棒を走らせた。
“魔術の属性”
「現在まで、式や体系が具体的に確立された魔術の属性は、八つ存在します」
文字を書き終えると、マコ導師は石灰棒で黒板を二度叩いた。
後で聞いた話だけど、これは彼が学徒に出題する時の癖であるらしい。
無意識のものだが、眠気にやられた学徒が覚醒する良い目覚ましとして評判なのだとか。
「ボウマさん、属性術に定められている属性をひとつ、言ってみてください」
「ほのおー!」
ボウマが細い両手を掲げ、元気よく叫ぶ。
飛び跳ねたその姿を見ると、なんとなく初等学校の頃を思い出した。
「ふふ、正解です。でも正しくは火、ですよ?」
「そーなんだ! マコちゃん物知り!」
「先生ですからー」
黒板に“火”の文字が加えられた。
……なんだか、こういう授業って懐かしい。
「では次にユノボイド君、同じく属性をひとつ挙げてください」
「影」
眼鏡の野郎は本に目線を落としたまま、間を開けずに答えた。
一言か。澄ましやがって。
「いきなりマイナーなところを答えましたねー……正解です、でもユノボイド君、講義中に関係ない本を読むのは駄目ですよ?」
「大丈夫、もうすぐ添削が終わります」
「添削もだめー」
と言いつつも、マコ導師が彼を無理矢理にやめさせることはなかった。
悪ガキを甘やかしてしまう導師さんの典型である。別に、そういうのが嫌いなわけじゃないけど。
続けて、黒板には“影”の字が加えられる。
マコ導師がマイナーと言うだけあって、私もよく覚えていない属性だった。
「ノムエル君、他にはどんな属性があるでしょうか?」
「うん、じゃあ、僕は風をもらっておきましょうかね」
「はい、正解です!」
黒板に“風”が書き加えられる。
影を黒板の真上にもってきて、風や火はそれより下に位置しているところを見るに、それぞれ決まった位置のようなものがあるらしい。
そういえば、そんな図を見たことが、あったような、なかったような。
……駄目だ、興味が無かったから全然覚えてない。
「ポールウッド君は、他に属性を上げられますか?」
『もちろんです、マコ先生! 雷を忘れてもらっちゃあ困ります!』
機人の大男は大声で唸りながら立ち上がった。
狼を模した頭の中で輝く紅い眼光ランプが、平時の数倍の明るさで輝いている。機人が興奮している証だ。
「すわれぇライカン、前見えないぞー」
『おう、悪いなボウマ』
「ふふ」
マコ導師は“雷”を書き加えた。
「じゃあ次、では……ウィルコークスさん、いってみましょうか」
「!」
次に指名されたのは私だった。
心音がグンと強く高鳴るのがわかる。薄々と、転入初日の講義中には何度も指名されるだろうとは思っていたが、予感は的中らしい。
「えーっと……」
私は、家庭の事情により勉強不足だった。初等学校でも、理学の授業は大して受けていない。
そもそも出席自体が疎らだ。いや、サボってたわけじゃない。父さんの仕事の手伝いが多かっただけ。
それでも、ここまで基礎的な部分ともなれば、どれだけ学の無い者でも一つや二つは答えられるものだ。
これはそれだけ世間一般の、常識的な質問である。
ましてここは、その分野の最先端施設。
在学していて答えられないのは、いくら特異科とはいえ、赤っ恥もいいところだ。
「んと、じゃあ鉄……で」
「はい正解です! 鉄も強力な属性のひとつとして有名ですね」
「……」
更に“鉄”の字が書き加えられた。
鉄。確かに馴染み深いものではあるんだけどな。
思わず、ため息が溢れてしまった。
「ここまで来て、肝心な属性が抜けちゃってますね……もっと人気のある属性、エスペタルさん、答えてくれますか?」
「ん? それくらい、さすがの私でも答えられますけど……」
指名されたのは金髪の美少女、ソーニャだ。
彼女は立てて開いた書物の陰に爪やすりを隠していた。
「え、水でしょ。引っ掛けか何か?」
「はい、正解です! これはもっと早くに出ても良かったんですけどね」
火、水、鉄、風、雷、影。
マコはそこに、更に“光”と“闇”を書き加えた。
火、水、鉄、風、雷が五角形を作る。
その上に、影、光、闇が並ぶ。
「これら八つが、現在までに判明している理学的な属性の全てです」
それらが世界を構成しているだとか、それらを司る神が世界を総ているだとかいう、大それた御伽話に繋がるわけではない。
魔力から変換できる式が確立されている現象が、これら八つに分類できるというだけの話だ。
「私たち生命には見えざる魂があり、魂からは見えざる魔力が湧いているとされています。その魔力を操舵する技術に“気術”と“魔術”があり、魔力をなるべくそのままの形で利用するものが気術で……式を通じて現象を成すものが、私達魔道士の得意とする、魔術の方ですね」
魔道士は魔術を扱う者。
後天的に身につく場合も多いが、ある程度は才能に依存しているらしく、論理自体を理解できたとしても、実践できる者は少ない。限られた者のみが扱える技術だ。
……私もそうだ。
勉強は全然していないけど、一種類だけは扱える。
別に褒められたものじゃ、ないんだけど。
「魔術を生業として食い扶持を稼ぐ人は多いですし、もちろん、指導する立場にいる魔導師である私も、当然その一人です」
魔術を生活の糧として利用できるレベルにまで昇華できる者は更に少数だ。
マッチ程度の火を熾したり、そよ風を吹かせるだけでは、酒の席の芸にすらならない。
複数存在する確立された属性の中で、己の得意とする属性がひとつでもなければ、曲がりなりにも魔道士とは呼べないだろう。
世界で活躍する魔道士は、魔術を敵への攻撃手段として使う者もいれば、工業分野に利用する者もいる。用途は様々だ。
「誰しも何かしらに得手、不得手があるように、魔道士にも得手、不得手とする属性があります」
そして魔道士の一番得意な属性というものも、ある程度先天的に決まっているらしい。
「ですが、魔道士の素質があり、得意な属性を持っている人の中でも極々、稀にですが……」
昔からろくに授業に出ていない私だが、この辺りの話はよく覚えていた。
ある意味で面白くないものであるが故に、強く印象に残っているのだ。
「自分の得意とする属性魔術を発動する際に、特異な発現を引き起こす人々が、本当に極稀に、存在します」
黒板に長く難しそうな言葉が書かれていく。
「それを、魔術的特異性。正式名は、先天的楯衝紋理学式形成不全といい……それが、皆さんの持つ性質なわけですねー」
……そんなに長ったらしい正式名称は、私も初めて聞いた。
魔術は本来、理論を理解した上でイメージを起こし、詠唱と共に発動する。らしい。
正しい発動には理学的な知識が必要で、理解の深まりと共に、術は洗練されてゆく。
といった説は、属性術を専攻した魔道士がよく主張する美徳だ。
魔術を使える者の中には生まれ持ってのセンスで魔術を発動させてしまう人もいるし、定められた詠唱が適当であるばかりか、無詠唱でも難なく行使できる人まで存在することも、決して珍しいことではない。
理論抜きでも、独自のセンスで2種類以上の属性術を行使できる者は、四百人に一人くらいはいるのだという。私もできる。
大抵の場合、そういった才能頼りの学のない魔術使いは、他属性を修めておらず、ひとつの属性しか使えない。
なのであるが、とはいえ、それでも魔術は生活を支える強みのひとつに他ならない。
そんな彼らは、真面目に勉強と修練に励む初等魔道士にとっては鼻つまみ者である。
しかし、運の良い中でも、更に特殊な事情を背負ってしまった者が、稀に現れてしまうらしいのだ。
「過去の人の例では、火属性の初等術、“イアノス”を発動させると、熱風が出てしまう方であったり……水の術である“キュート”を唱えても、風が吹くばかりであったり……逆に風を吹かせようと“テルス”を唱えると、煙を放ってしまう人もいたらしいですね」
自分にも理解できる初歩的な部分だ。
私の体質をどこか面白そうに宣告したヤブ理学医師も同じことを言っていた。
「特異性をもって生まれた人は、ある属性の魔術を発動させた時、何らかの原因によって、全く別の現象が起こってしまいます。引き起こされる現象は、実に様々です。その原因は、人が持つ魂から溢れる魔力の波長、魔力の紋様、楯衝紋の形が関わっているとされていますが……詳しくはまだ解明されていません」
気がつくとぼさぼさ髪のボウマは机にもたれかかり、船を漕いでいた。
「この極めて稀な魔術的特異性の謎を解明することは、魔系理学発展の鍵のひとつとされています。それは我々ミネオマルタ国立理学学園の目標の一つであり……理学学徒たる、みなさんの目標でもあることを、忘れないでいてくださいね」
マコ導師は締めにそう言った。
私は終始、不機嫌な表情のままだった。
他のクラスメイトはといえば、真顔のままでいる者もいれば、大口を開けてあくびする者もいる。
反面、真面目に強く頷いたり、目を輝かせる者はほとんどいない。
センスで魔術を行使できる選ばれし者の中でも更に珍しいとされる、魔術に特異性を持つ特待生たち。
そのような選ばれに選ばれた彼らが、授業に向ける意識の低さは、要するに。
やる気が無い。
ただただ、それに尽きた。
「……ふん」
当然だ。
私がこのエリート理学学園に入学できたのも、つまりは普段役に立たない珍奇な体質のおかげである。
このクラスの他の人たちも、ご多分に漏れずそうなのだ。
入学に際しての試験はなく、特異性を保持している体ひとつだけで入学できる。
快適な寮に住み込みできて、超優秀学園を卒業したというお墨付きまで貰えてしまう。
学科の特殊性から、他であるような厳しい進級試験もなく、授業数自体も少ない。
学徒としての特権を貰えるだけ貰うことができ、聞いた話では、時々特異性のある魔術を導師に披露したりするなどの簡単な実験を行うだけ。
非常に緩やかで、贅沢な学園生活を過ごすことが出来る、美味しい立場。
特異科とはつまり、そういう学科なのだ。
「……むう、ちょっとみなさん、真面目に聞いていますか?」
「なぁマコちゃん、あたし難しい話わかんないよぉー」
「もう、ボウマさんが入学した一番最初にもやりましたよ?」
「そうだっけぇー……?」
私より先輩であるはずのボウマは、この学科の認識すらもあやふやな様子である。
つまり彼女のような意識でもどうにかなってしまう自堕落な学科こそが、ここなのだ。
「はぁ」
何度目かのため息が出る。
“裕福な実験動物”というぴったりな言葉が、頭の中に浮かぶ。
貧しい自分にはありがたい学科ではある。
しかし、努力をせずに入れる学科体制であるが故に、世間の評判が良いわけではない事を、私は知っている。
田舎者で特異学徒。
ミネオマルタ国立理学学園への入学は、私にとっては同時に、複数のコンプレックスに苛まれる事でもあったのだ。