擦021 詰める距離
クラインとの訓練ですっかり慣れた二十メートルの間合い。
壇上には私とナタリーのみが立っており、既にお互いが杖を握っていた。
ナタリーは鉄製の長いバトルメイス。
私は赤陳製の軽いタクト。
相手は闘技演習に慣れている、正真正銘の魔道士だ。
この場での喧嘩慣れはしているだろうし、詠唱だって私よりずっと速い。
「闘技演習、開始!」
しかし、相手の杖は長いロッドだ。
杖の取り回しの差だけは、経験では覆せないものだろう。
身体強化を禁止されているこの場であれば、尚更に。
開始の宣言と同時に、私は軽く右へと跳ぶ。
開幕直後の速射を警戒してのステップだった。
ナタリーは杖を構えたままにやついて、動く気配はない。
杖を振る予兆もない不気味な姿だったが、こちらを侮って動かないのであれば、それは好機だ。
「来いよ、まずはテメェの成果を見てやるからな」
「上等……!」
クラインが挙げたナタリーの初動予測のうち、最も“ツ”いているパターンだ。
最悪は、序盤から躊躇なく本気で術を発動してくるような、エンターテイメント性のかけらもないパターン。これはナタリーの性格上有り得なかった。
次点で、足元など致命傷にならない位置へ攻撃を続ける、本気ではないものの攻撃の手を緩めないパターン。可能性の中では最も危険なパターンで、私はこれを警戒していた。
だがナタリーはそのどれでもない、最大級の油断である“初手を譲る”という選択をした。
馬鹿女め。
距離を詰めさせてくれるのであれば、願ったり叶ったりだ。
相手がそのつもりならば、遠慮無く五メートル圏内にまで迫らせてもらうぞ。
「おおおおッ!」
「来な。闘いの絵面になる間合いまで来いよ。ショーはそっから始めてやる」
ナタリーへまっすぐ駆ける。
十五メートル、十メートル。私は走る。
相手は必ず反撃する。あらゆる先制を許すはずがないのだ。
近づきすぎるのは私も危険だ。
いきなり五メートル圏内に入っては相手の魔術の餌食になるかもしれない。
焦らず長期戦前提で動く。
だから私が今やるべき事は……。
「“スティ・ラギロ・アブローム”!」
「!」
ナタリーの手前六メートルで術を発動させる。
走る最中に腰を屈め、赤陳の杖先で床を叩く。
さあ、見るが良い、ナタリー。
会場のエリート野郎共。
これが私の必殺技だ。他の魔術を使うとナタリーがかわいそうだから、今回はこれだけで戦ってやる。
白い石の床から、濃灰色の石柱が高く伸びる。
術の展開と共に、会場からどよめきが起こった。
水国の神聖なる闘技場に、無骨な雄々しい岩石が現れたのだ。無理もない。
これは火でも、水でも、鉄でも、風でも、雷でもない。
鉄の特異性、名付けるならば、岩魔術。
私以外には誰も使うことのできない魔術だ。
「へえ、アブロームか! アタシが式を忘れちまうくらい古くせえ術を使ってくるたァ……やっぱりクラインが噛んでやがるな!」
私との間に障害物が置かれることは相手にとって予想外だったか、ついにナタリーは動き出した。
素早く横へと踏み込んで、メイスを逆手側へ振りかぶっている。
魔術投擲の予備動作だ。
「防御体勢を整えようってんなら、こっちは攻めに入らせてもらっちゃうわよん! “スティ・レット”!」
「来たか!」
柱の影から飛び出したナタリー。
振られたメイスの先石が発光し、術を放つ。
「……!」
小さな投擲物の影。それはこちらへと矛を向ける、身の丈の長さはあろう巨大な鉄針である。
視認性の悪い小さなシルエットは脅威がこちらに向けられている証。
だが、どれだけ小さな影であろうと、私が狼狽えることはない。
こんなもの、何度も何度も、あらゆる体勢で避けてきたのだから。
「ふっ……!」
「お!?」
身を屈め、空を貫く鉄針の真下へ潜り込む。
鋭い針の先が後ろ髪を梳く。
石避けの訓練が功を奏した。
こんなに近い距離でも、集中さえしていれば簡単に避けられる!
「“スティ・ラギロ・アブローム”!」
「へえ、まさかこの距離から身体強化無しで避けるとはな!」
更に一歩踏み込んだ私は、目の前に石柱を出現させる。
これで二本目。距離は五メートル。
早くも私の攻撃圏内に入った。でも攻撃に移るにはまだ、手駒が足りない。
まだまだもっと、多くの石柱を出さなくては。
「アタシの弱点を理解してるみてーだな。確かに、鉄魔術は遮蔽物を出されるとやり難い……が」
ナタリーのメイスが上へ掲げられた。何かが来る。
「“スティ・ディ・レット”ォ!」
「! “スティ・ラギロ”……くっ!?」
相手の術を防ごうと杖を構えたが、間に合いそうもない。
床につけた杖を引き、再び目の前に迫る鉄針に精神を集中させる。
当たれば大怪我では済まされない二本の凶器。狙いは私の左足と右腕。
クラインは指環型の杖による小石の投擲でモーションが読み難かったけど、ナタリーの杖の動きは事前動作も大きく、非常にわかりやすい。
二本同時の攻撃であっても、どう避ければいいかは冷静に判断できる。
一瞬だけ無茶な体勢で身体をねじり、鋭い針先の射線を躱す。
鉄針を紙一重でやり過ごした。
返しで飛ばせる術はないものの、私は赤いタクトをナタリーへと向けてやった。
「どうだっ……!」
「へぇ! いい動きだ!」
ついに始まったナタリーとの決闘は、開始直後から息もつけぬ攻防へと発展してゆく。
避けの訓練をやっていて良かったと、心底思う。
もしもあの地獄のような訓練ではなく、講義後にちょっとやる程度の生ぬるいものであったなら、今日この時のような避け方はできなかったに違いない。
私は迫り来る鉄針のことごとくを強引な体勢で避けながら、大きな石柱を建て続けていた。
タクトの先で床を突き、呪文を早口に紡ぎ、岩をせり上げる。
「“スティ・ラギロ・アブローム”!」
術の発動、六回目。
つまり六本の石柱が建ったということである。
私は試合開始から、ナタリーの攻撃を全て避けつつ、六本の柱を立てることに成功していたのだ。
「どーした!? おっ勃ててるだけじゃ楽しめないわよぉん!?」
「うっ!」
無詠唱による不意打ちの鉄針が下腹部を狙って放たれた。
わずかに予兆の減らされた攻撃は、至近距離においては危険極まりない。
私は少しの余裕もなく、床を転げるように針を避ける。
見ての通り、結果だけ見れば順調とはいえ、その道のりは平坦ではない。
ナタリーとの距離は開いてしまった。
五メートルまで接近できたはいいものの、近距離を維持し続けることは難しかったのだ。
常に余裕な態度を崩さない相手も、過度に近づかれることへの危機感はあるのか、あまり距離を詰め過ぎると相手の魔術も本気さを増してくる。
二本同時、三本同時の鉄針攻撃には、たまらず距離を置かざるを得ない。
結局、十メートルの間合いから隙を見て近づくような戦況に落ち着いた。
寄せては返る、歯がゆい間合いだ。
「“スティ・ディ・レット”!」
そして、ナタリーの常時二本射出。
相手も防戦一方の私に痺れを切らしてきたか、術の力をどんどん強めている。
ただ逃げながら柱を作るだけだった私が、遠間にてさらに追い込まれつつあった。
「……なぁ、避けてはいるけど……」
「ただ障壁を出してるだけじゃねえ」
「ふっ、あれしか習ってないんじゃないの?」
「あれ何属性だよ、特異科はわかんねーや」
会場の声援や歓声も、試合の進行と共に段々と盛り下がってゆく。
当然だった。積極的に距離を詰めてはいるものの、私は基本的に逃げているだけだし、使う魔術はひとつだけ。
ナタリーの使う魔術も一種類ではあるが、それだけで私を苦しめているのだから、見た目につまらない試合なのは間違いない。
一方的に派手なリンチがあるわけでも、目まぐるしく入り乱れる攻防があるでもない。
守りに徹する私と攻勢を強めるナタリー。なんとも先の見えた闘いである。
わざわざ十階に足を運んだ野次馬共にはざまぁないと言ってやりたいところだ。
……が。
相手の優勢も、ここまでだ。
「さあ、行くよ」
「だぁから、さっさと来い……!?」
間合いは開いている。ナタリーの的確な攻撃には近づく隙がなかった。
しかし今、フィールド上に濫造された石柱が何本も建った今では、単純に魔術投擲を当てにいくのも難しいんじゃないのか。ナタリー。
「今度は“隠れながら”避けてやる!」
愚直に真っ直ぐ走り寄る動きは終わり。
フィールド上の柱が十本以上になった時、私の動きは次の段階へと移行する。これは、クラインとの打ち合わせの通りである。
生み出した石柱を盾にしながら、ナタリーに接近だ。
もしもナタリーに隙があるならば……石柱を蹴り倒して、攻勢にも出てやる!
「なるほど! まずは自分の戦場を整えたってわけぇ!?」
ナタリーは私の動きから、早くも目的を汲み取ったようだ。
上から見下ろす観覧席の人間なら、もっと早く気付いていたかもしれない。
障害物が無造作に立ち並ぶ、石柱の森。
この環境さえ作ってしまえば、私の勝利は目前にあるようなものだ。
「油断しすぎたな、ナタリー!」
「ははっ、なあに、もうちょっと油断しといてやってもいいぜぇ!?」
駆けて、物陰へ。また駆けて、物陰へ。
ただ鉄針を撃てばいいだけの時間は終わりだ。姿を隠す私に神経を使いながら戦ってもらう。
私なりに本を読んで研究して、基本くらいは抑えたつもりだ。
クラインに貸してもらった指導書、“魔術の回避”には、鉄魔術の弱点が記されていた。
火属性や風属性とは違い、物質生成系の魔術は広い範囲への攻撃に向いていないのだ。
だからひとつの壁で身を隠せるのであれば、攻撃はこちらへ届かない。
投擲による強力な鉄魔術が唯一防がれてしまうもの。
それは、同じ鉄属性による防御魔術なのだ。
「物陰に隠れていれば安全ってか!? テメェの劣化鉄魔術なんてなぁ……アタシの鉄なら、簡単にぶち壊せンだよ!“スティ・レット”!」
私目掛けて鉄針が飛来する。
力を込めた全力投擲だ。今までの投擲速度とは比較にならないほどの豪速である。
が、そんなものはマトモに相手をしない。目の前には、私が生み出した石柱が立ちはだかっているのだから。
聞き慣れた岩を砕く音が正面で響く。
鉄針が石柱に突き刺さった音である。
石柱は折れていない。また、裏側まで貫かれてもいなかった。
「あァん……?」
ナタリーの動きが止まった。会場も静かなざわめきに陥った。
隙ができた。今ならいける。
私は石柱の影から飛び出して、再びナタリーへと全力疾走を再開する。
居場所を眩ませたわけでもない私の再始動に、ナタリーは一瞬だけ呆気に取られたような顔を見せた。
「チィッ、クソヤロウが。中心までぶっ刺してやっただろ、今のは」
ナタリーは毒づきながら、無詠唱で鉄針を投げ放つ。
詠唱の無い突然の攻撃には、私の回避も少々オーバーになるが、仕方ない。
ブーツの底を強く擦り、床を滑って難を逃れる。
そしてまた別の石柱の陰へ。
「“スティ・レット”」
「……!」
石柱に身を隠した私へ、構わず鉄針の追撃がやってくる。
岩石にツルハシを突き立てる大きな音が間近で響き、私の鼓膜は懐かしい轟音に怯んだ。
「詠唱は鉄魔術、のくせに芯核は無しか? それとも、中心でもない別の場所にあるのか……」
ナタリーの冷めた独り言が小さくここまで聞こえてくる。
攻撃しながら、私の魔術を分析しているようだ。
……あまり物陰で長居もしていられない。
私も知らない私の魔術の弱点に、ナタリーは気付いてしまうかもしれないのだから。
私がまた接近を試みようと、脚に力を込めたその時である。
「“スティ・リオ・レット”!」
発動されたナタリーの鉄魔術。
三連続で響く破砕の轟音に、私の動きはピタリと止められてしまった。
ついに、ナタリーが鉄針の三本同時射出を使ってきたのだ。
「あ」
砂煙を燻らせる石柱の上半分がよろめき、こちらに身体を傾けていた。
「まずい……!」
石柱がナタリーの攻撃に耐えきれず、真ん中から挫かれてしまったのだ。
このままでは私が自分の魔術に押し潰されてしまう。
そんな皮肉に満ちた負け方だけは御免である。
私は全力でその場から飛び出し、かといって怯える理由はないので、作戦通りナタリーの方へと走り出した。
「半分に折っても消滅しない!? 芯の無い生成物……!」
「今更気付いたか! “スティ・ラギロ・アブローム”!」
ナタリーは予想外の事態に大きな隙を見せてしまった。
これまで私が一度も攻勢に回っていなかったことも、彼女の油断を作った要因なのかもしれない。
だからこうして踏み込めた。
大きな隙を作ったナタリーとの距離、五メートルの圏内に!
タクトの先が床を叩き、床から石柱がそそり立つ。
それは今までの使い方では身を隠す壁でしかなかったものだ。
けどこの一撃は違う。
「んッ」
走り出したままの勢いで、右足のブーツの底を石柱に押し付ける。
そのまま両脚に力を込めて、前のめりになり、力を加え続けてゆく。
たとえ大きな石柱とはいえ、基礎も接地面積もない直立するだけの棒など、蹴倒す事に無理はない。
「らぁッ!」
「!?」
石柱は大きく傾いて、ナタリーの方へと倒れだした。
「うわっ、てめ……!」
とはいえ、距離はギリギリで五メートルといったところだ。
横へも後ろへも逃げられる、危機の到来を容易に感じ取れる攻撃への対処は、そう難しくない。
だからこそ私は、右腕を握りしめながら石柱と同時に動き出したのだ。
近づいて、避けた後のナタリーを直接攻撃してやるために。
「芯を壊せねえ術に魔術対抗はできねぇ……避けるしか!」
「避けられる!?」
「はっ!?」
ジャストミートだ。倒れる石柱を避けるために石柱の真横へ飛び退いたナタリーは、丁度私の目の前にやってきてしまった。
硬い右腕を握りしめた私の、真正面に。
身体強化はできないものの、渾身の力で鉄の右手を握り、重さに任せ、振り下ろすように殴りつける。
「っぐぁっ!?」
ナタリーの高い悲鳴が聞こえる。
私の鉄拳が大きな音を会場全体に響かせた。
「……ったぁ……!?」
高く響く金属音。
私の右手を鋭い痛みが襲う。
鉄拳はナタリーの身体に当たることはなかった。
またしても、いつかの時と同じように、鉄製の杖に防がれてしまったのだ。
しかも今回は私の拳には身体強化がかけられていない。
威力もなく、保護する力もない私の右拳は、ナタリーの防御によって激しい痛みだけを返されてしまった。
「ってー! クソ女が、また手が痺れちまったじゃねえか!」
「!」
ナタリーのトゲつきメイスが大きく真横に振り被られる。
私の拳で打っても一切歪まない堅強なメイスだ。
しかもトゲつき。あれで殴られれば、タダでは済まされないだろう。
私は咄嗟に真後ろへ飛び退いた。
「馬鹿」
どこかでクラインの声が聞こえた気がした。
「はい、ご苦労さまでぇす」
メイスを構えるナタリーが、後ろへ下がる私を嗤った。
凶悪な笑顔に、私の体中の汗が引く。
 




