擦018 一人震える個室
ついに私は、ここへやってきた。
闘技演習場。その控室である。
私はもうすぐ、自らの足で死闘へと赴かなくてはならない。
それはここへ来る前から、家を出る前から、何日も前から覚悟していた事だし、心の中で何度も頷いた決断だった。
「……はは」
乾いた笑いが口から漏れた。自分でも聞いたことのないような、情けない震え声だった。
何故私は笑ったのか。ガタガタと小刻みに震える自分の手を見てしまったからである。
情けないことだ。ナタリーとの決闘は、前々から覚悟していた事なのに。
いざ直前になってみると、手足の震えが止まらない。
自分の番まで堂々と待つつもりで控室へやってきたというのに。
外から漏れる大きな歓声を耳にした瞬間に、私の身体は震え上がってしまったのだ。
そんな恥ずかしい姿を隠すために、個室の中に閉じこもってしまっている。なんてザマだろう。
「こんな、弱虫だったっけ。私」
ジャケットの袖に顔を埋めてみても、右腕を優しく擦ってみても、懐から赤陳の杖を取り出して握ってみても、震えは収まりそうにない。そればかりか、どんどん酷くなる。
強い鼓動音は耳をそばだてずともうるさく響き、冷たい石の床に座っていても身体はじんわりと熱を帯びる。
頬から汗が垂れて、口の端に入り込む。
……しょっぱい。
「じゃあ、私行ってくるからね、ルウナ」
「ええ。リタ、頑張って」
「……!」
扉越しに女の子の声が聞こえてきた。
私と同じ、闘技演習を前にした人であることは間違いない。そして、声の主のうちの一人を、私は知っている。
個室の扉を隔てたすぐ向こうには、以前にナタリーに敗北したルウナがいるらしい。
私は思わず扉に耳を寄せてしまった。
「相手は“円鉄のレドリア”。鉄の輪を高速で飛ばしてくる魔道士よ。気をつけて」
「大丈夫、私は野蛮な鉄属性専攻なんかに負けないから」
「油断は駄目、あいつらは勝利に飢えた野獣だと思わないと……私と同じ轍を走ることになる」
「……うん、わかった。ありがと、ルウナ」
ルウナは誰かと話している。
内容を聞くに、これからルウナの友達が出陣するらしい。
二人の間にある空気は私と同じく、重々しいもののようだ。
鉄属性専攻の魔道士は、ルウナだけでなく他の人からも嫌われているのか。
「私の闘技演習が終わったら……次はロッカ=ウィルコークスの番なのね」
「!」
私の話が出てきた。ここにいるんだけど。
こんな場所で聞いてて良いのかな。いや、聞くしかないんだけど。
隠れたままなのは卑怯かな、と私が一人思っている間に、二人の話は当然の流れとして進んでゆく。
「ロッカ=ウィルコークスさんとナタリーの上級保護による演習……いえ、決闘ね。これが今日の演習場最大の注目カードになることは間違いない」
「だね。だからその直前の闘技演習、この試合で私が鉄専攻の奴らに勝って、会場の流れを変えないといけない」
私の心音がより一層大きく高鳴った。
今、このリタという女の子は、私の闘いの前までに流れを変えたいと言った。
それはつまり、私のために少しでも会場の空気を私寄りのものに変えようということか。
これからナタリーと闘う私のために……。
「そうね、ウィルコークスさんは負ける。見世物になっちゃうでしょうね」
「うん」
あ?
「だからその前。一番の盛り上がりであるナタリー戦の前、まだ観客が満員になっている今……リタ。貴女の闘いこそが、鉄専攻の意志を挫く最後の見せ場になる」
「……責任重大ね、私」
「大きな役目を渡してしまって、ごめんなさい。本当は私があの日、ナタリーに勝っておくべきだったのに」
「ううん、いいの。ルウナは最後まで頑張ったよ。最後まで降参せずに、本当によくやったと思う」
「……ありがとう、リタ」
私の奥歯が強く軋む。
「勝ってくるよ。鉄専攻の奴らの声援を消沈させてやるわ」
「頑張って、リタ。水専攻の力を会場に見せつけて――」
ドガン。
控室に爆音が鳴り響く。
私が個室のドアを蹴破った音だった。
どっかの金具のひとつが部屋の端にぶち当たり、石の床の上でからからと音を立てて側溝へと消えてゆく。
その瞬間、二人の会話は止まってしまった。
散弾銃を撃たれた風鳥のような顔で私を見て硬直している。
「あー、よく寝た」
一段と低い男のような声が、私の喉からわざとらしく漏れ出した。
私の身体は手も、足も、指先も。
もうどこも震えていなかった。
「ねえ、そこの二人さ」
「え、あ、うん、何、かな」
「トイレどこだかわかる」
「あ、うん……あっち、ここ出て、あ、すぐ右の……」
「そ、ありがと。頑張って」
ありがとう、ルウナ。あとリタ、だっけ。
おかげで力が湧いてきたよ。本当にありがとう。




