砥006 立ち聞く酒場
「鉄の将軍と雷の将軍が私兵を動かしてるんだって。中央じゃ大勢で見回りしてたみたいよ」
「よその国でやることかね……外交問題にならないのかしら」
「それが、水の王も認めてるらしいんだよ。五大国間では連携を密にってさ」
「犯人が見つからないと、ミネオマルタも落ち着かなくなりそうね……」
立ち飲みのパブで赤ビールを一杯飲んでいると、そんな世間話が聞こえてきた。
暇そうな奥さんたちがパブの壁際に陣取って情報交換に興じているらしい。彼女らの手元には曇ったワイングラスが握られていたが、その中身はほとんど飲み干されている割に新しい酒を注文する様子がない。何十分もあそこで楽しく粘っているのだろう。
店内はそんな長閑な喧騒に満ちていた。
いい雰囲気のパブだ。
町の井戸端会議が密集したような空気に浸っていると、不思議と心が落ち着いてくる。
ミネオマルタにありがちなお高い店よりも、こういう方が私にはずっと馴染む。
『どうした、ロッカ。俺は仕事だが気にすることはないぞ? 飲みたければ飲んでくれ。俺はこっちのグリーンスパイスハーブティーがあるからな』
「うん……まぁ、ちょっとね」
このお店に寄ったのはたまたまだった。
ノーマさんと話して、ベロウズのことを考えてちょっと気持ちが落ち込んで。
そんな時、ミネオマルタにしてはちょっと牧歌的で暖かい感じの店構えが見えちゃって。
気持ちを整理して一息つきたいって思いもあって、ついつい明るいうちから酒場で一杯を……なんて運びになってしまったわけだ。
仲間内とはいえ、護衛中で飲酒できないライカンにはちと悪いとは思う。けど頼んじまった。ごめん。
『悩み事か?』
「……うん。まぁ、うじうじしてるだけなんだけどね」
『さっきのノーマ機人整備店の……ベロウズのことでか?』
「うん。人が失踪するのって、わかってはいたけどさ……やっぱ、大事件なんだよなって思って。悩み……とは少し違うんだけど」
感傷的っていうのかな。
自分のことでもないのに、落ち込んでる人を見て落ち込んで。献杯する宛もないのに酒を飲んで。
……ブライオンの野郎のおかげで酒を飲む機会を逸したってのもあるし、色々と消化不良だったのがここでほろりと決壊した……っていうのが正しいかもしれない。
けど、馬鹿みたいだよな。ベロウズのこと考えながら、けど何もせずに酒を飲んでるってんだからさ。
『ロッカ、無理はするなよ』
「してないよ」
『いや、お前は後々しそうだからな。灼鉱竜とか、地下水道の時もそうだった。だから今のうちに言っておこうかと思ったんだ』
無茶ねえ。……正直、できるもんならしたいとは思ってたけどね。
スキラー・ブライオンの足跡が全く掴めないから身動きできていないだけで、燻っているところだ。そいつは間違いない。
『人がこなせるのは、いつだって手の届く範囲だけだ。届いたって万能でもない。得手不得手もある。専門的なことは、専門家に任せるのがいつだって一番なのさ』
「……クラインみたいなこと言うな、ライカン」
『おっと、説教を垂れてしまったか。悪かった』
「ううん、ライカンの言う通りだよ」
赤ビールの残りを一気に飲み干し、大きく息をつく。
「……実はちょっと、ブライオンを自分で追いかけてみようとか思ってたんだけどさ」
『はは、穏やかじゃないな』
「うん。でもまぁ、私がでしゃばったところでさ。結局、どうにかなるわけでもないんだよな」
だって今や、国が動いている。
水の国だけじゃない。鉄の国、雷の国、風の国。色々な国の将軍さんが先頭に立ち、事件解決のために、奮闘し始めたのだ。
そこに私が突っ込んでいって何になるだろう。いいとこ、お騒がせして終わりだろうな。また変にうるさい警官に見咎められて学園からお叱りをもらうのがオチだ。
「わかってはいるんだけどさ……けど、わかってたってもどかしくてさ。私にできることがあればなって、思っちゃうんだよね……」
「わかる。すごいよくわかる。俺もジェーンさんとこの捜索部隊に志願しようと思ったんだけど、募集してなくてな。力になれなくてやきもきしっぱなしなんだよ」
「だろ? わかってくれるか……って」
誰だ今の。
ライカンの向こう側にいる男に顔を向けると、その正体はすぐに明らかになった。
「よう、“クランブル・ロッカ”さん」
「……き、き……“切り捨てのガルハート”?」
「おう。切り捨てじゃないんだな。“切り込みのガルハート”なんだな、これが」
バーカウンターに肘を乗せ、様になる仕草で酒を飲む青藍系の金髪男。
本戦でクラインと闘い善戦したものの、あえなく敗北した彼がそこにいた。
「そっちは俺のこと、あんまり知らないかもしれんけどな。俺は知ってるぜ? あんた、竜を殺したっていう人だろ?」
「いや……殺したっちゃ殺したけどさ。それ私、これからずっと言われんのかよ」
「言われるさ? なんたって男が羨むドラゴンキラーだぜ。騎士団だったら名誉なことだしな。集団で討伐しても階級が一つ上がるくらいの偉業って言えば、わかりやすいかね」
「……私、鉱夫なんだけどな」
「あっはっは! ただの鉱夫はドラゴンに立ち向かわないだろ」
ぐうの音も出ねえけどさ。
「……何か用?」
「おう、すまんな。いや、この場所で酒注文したら偶然お前さんを見かけてな……」
『嘘は良くないな、ガルハートとやら。お前は外でロッカを見つけてからさりげなくこっちに来ただろう』
小気味よく喋ろうとしていたガルハートが、口を止める。
ライカンの言葉が正しかったのか、顔色もどこかバツが悪そうだ。つーかライカン、お前よく見てるな。
「悪かったよ、ちょっとした建前だ。……でもあんたらを見つけたのは偶然だぜ? 声をかけたのも悪気があったわけじゃない」
『うむ、悪気がないのはわかっていた。今の俺は護衛なのでな。騎士団ならば悪く思ってくれるなよ』
「もちろん。……誰だか知らないが、なかなか強そうなお人だな。俺はガルハート=レンドベック。迅雷騎士団からミネオマルタの独性科に留学してる」
『特異科のライカン=ポールウッドだ。よろしく』
二人は自己紹介し、握手を交わした。
いいねえそういう挨拶、爽やかでさ。私とも握手してくれないかな。
「私はデムハムドのロッカ。よろしく」
「お、デムハムド? デム鉄鉱のところか。よろしく。お互い敗退仲間だな」
「その言い方やめてよ。私はまだ負けたの悔しいんだけど」
「おお? はは、すまんな」
ガルハート=レンドベック。クラインとの試合では軽装鎧を身に着け、魔剣を振るっていた男だ。
身体強化もできるし魔術も扱える剣士。闘い方が独特だったし、何より実践で磨き上げられたらしい冴えを感じられたので強く印象に残っている。
「わざとらしく声をかけてすまなかったな。けど、そこのロッカに聞いてほしいことがあったからよー」
「私に? 何を」
「聞きたいか?」
「勿体ぶんなよ」
「悪い悪い」
ガルハートは言う割に悪びれもせず、むしろ悪そうな笑みを浮かべていた。
「今日の夜にでも、またこの店にきてくれないか? そうしたら、きっと面白いことになってるからさ」




