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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第七章 見果てぬ悪夢

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楔028 誘い寄せる義母


 ジェリコ=サナドルにとって、今回のマルタ杯は愛娘のルウナ=サナドルが敗退した時点で既に意義の半分以上を失っているようなものだった。

 それでも残った意義を手放せないのは、己が監督者を務めているためである。しかしそちらも自分よりやたらと目立つ監督者の面々が放つ気迫やオーラに押され、いつでも速やかに辞退したいくらいには立つ瀬のない状況だった。


 本来ならば、彼はもっと目立てるはずだったのだ。サナドルの現当主として、光のリゲル=ゾディアトスと肩を並べ、小さいとはいえ歴史に名を刻むはずだったのだ。

 それが蓋を開けてみれば、将軍や自分以上の大物に囲まれた肩身の狭い集いに放り込まれている。花として真ん中で咲き誇るつもりが、単なる地味な添え物に落ち着いてしまったのが現状である。


 特にアックス将軍の振る舞いや言葉のひとつひとつが恐ろしくて堪らない。

 自分もそれなりに魔術には覚えがあるが、彼がもたらす魔力の残滓に触れただけでも理解できてしまう。あれは旧貴族の作法が通じるような行儀の良い箱に収まることのない、恐ろしい存在なのだと。

 それでも後々のためのコネを作ろうと励むのは、血筋が成せる本能なのかもしれない。ジェリコは頑張っていた。

 だからルウナが本戦の一回戦目で敗退してからも、己が掴んだ役目は最後までしっかりやり遂げようと決意を新たにしたのだが……。


 そう時間も経たぬうちに大事件が起こってしまった。

 ラリマ競技場で堂々と、大観衆の中で実行された魔道士の大量拉致事件。

 かつての魔道士暗殺事件を思い起こさせるそれは、ミネオマルタの数多くの人々を恐怖のどん底に陥れた。


 ジェリコは監督者だが、決して捜査官でも刑事でもない。

 監督者として認められるだけの造詣はあるものの、禁術や専門外の古代魔術ともなればお手上げであった。

 彼もサナドルを継ぐ者として伝統的な文法であったり詠唱や術を修めているが、それも水を中心に偏ったものであり、転移を司る影属性、その上級魔術ともなると甚だ門外漢なのである。

 なので事件が起きた後、会議室において下手人らしきスキラー=ブライオンという男が使った術がどのような性質なのかといった議論には入り込む余地がなく、さながら彫像のような無様を晒してしまった。

 だが、専門外なものはどうしようもないのだ。そういった分野は自分よりも詳しいであろう魔女会のグリンダ=マッキンリィや導師ゲルームに素直に明け渡してしまう他にはできることなどない。

 ジェリコは自分が万能の天才などとは思っていない。そんな根拠のない全能感など、初等教育を終えた数年後には優秀な同期(ラウド=ユノボイド)に既にポッキリと折られている。

 それなりに長く生きている彼は、欲望と向上心の価値を強く認めつつも、自分の分というものをそこそこ弁えていた。

 そんな経験から、今の己にできることはわかっていた。

 貴族らしく、コネと金を使うことである。


『よ、よろしいのですか? サナドル様。これほどの……額としても、相当なものになるかと思われるのですが』

「構わんさ。ベルトール、野営馬車はしばらく使う予定などなかっただろう?」

「ええ、ジェリコ様。元々遠方にて仮拠点を手早く組み上げるものですから、そうそう使うこともありません。これを期にミネオマルタに活用していただければ素晴らしいことです」


 野営馬車は通常の幌馬車をより頑強にし、生活空間の利便性を高めた、いわゆる高級馬車の一種である。

 大きな利点は柱を外縁部に打ち込むことで地面と固定することができ、長期間の快適かつ安定した宿泊が可能になるという部分だろう。

 これはいわば移動できる宿泊所であり、現在宿泊施設がパンクしているミネオマルタにおいてはありがたい存在だった。

 これが十数台もあれば多少は混雑の解消にもなるだろうし、サナドルが得意とする幌を利用した給水システムによって居住性も僅かに上る。十分に警備拠点とすることも可能だ。苦痛なく街道の見張りができるというのは、警備にとってもありがたい話だろう。


「既に十分な数は揃っているだろうが、足りなければサナドル側に駐留している者達を派遣しよう。その気があっても、何日も寝ずにいることはできまい。身元のしっかりした連中を寄越すから、そちらで使ってやってくれ。執政官殿、調整は任せても宜しいな?」

「もちろん。手厚い助力に心から感謝する、サナドル殿」

「構わんさ。水国の若き魔道士たちの命がかかった一大事なのだ。可能なことがあれば、今後とも遠慮なく」


 人、物、金。様々なそれらを自由に決済し動かせる立場の者が現場に置かれているというのは、非常に効率的な体制であった。

 完全に巻き込まれただけであったにしても、恩を売る機会があればどんどん売り込んでゆかねばならない。それが旧貴族というものなのだから。


「ふむ……」


 しかし、もし仮に(ルウナ)がこの拉致事件に巻き込まれていたならば。

 その時はこうまで落ち着いてもいられなかっただろうなと、ジェリコは眠い頭で考えるのだった。




 今回の大事件は、とても隠匿できるものではない。巨大な会場の中心で堂々と引き起こされたのだから当然だ。噂は紋信もかくやといった速度でミネオマルタを駆け巡り、全ての人の耳へ投函された。

 多くの魔道士が消えた。それも参加者ばかりが。そんな情報が聞こえてくると、心配するのは魔道士達の保護者である。

 付き添いでミネオマルタにやってきた他校の導師は当然として、娘や息子の晴れ舞台の観戦にやってきた父兄も大勢いる。自分の子は。そうして焦るのも無理もないことだろう。


 夜も更ける今になってようやく失踪者のリストも仕上がり、本格的に被害者の全貌も浮き上がってきたところである。

 いつまで経っても集合場所や宿に戻ってこない彼らの安否を求めにラリマ競技場の本部を訪ねる者は多い。家族らの悲痛な声はすぐ傍に張り込む記者達によって速やかに文字に書き起こされ、事の大きさはより鮮明に、そして大きくなってゆく。

 次の厚刷りの見出しには三年前の暗殺事件を示唆する言葉も入っているかもしれない。そんなことになれば、ミネオマルタはかつて経験したことのなかった恐怖に震撼するだろう。


 気の早い者などは、荷造りして疎開を始めることだってあるかもしれない。

 今ラリマ競技場の個室で小規模な家族会議を行っている彼らもまた、その真っ最中であった。


「クライン、大会は辞退しなさい……今すぐクモノス(干満街)に帰りましょう」

「お断りします、ベルベット母さま」


 ユノボイド家である。

 クライン=ユノボイドは当事者であったために事の大きさは肌身に感じているし、貴賓席にいたベルベットにも詳しい情報は集まっている。

 今ここにはいないリゲルの護衛たるクリームも、最新の情報に触れている一人であった。


 ベルベットは眠そうな目でクラインを見ているが、対する彼はといえばポーチの中身を机にぶちまけ、中身の整理に熱中している様子だった。


「“スキラー=ブライオン”……の情報は、まだ集まっていないけれど。もしもそれが古代の魔術を多く修めているのだとすれば、危険よ。わかるでしょう……?」

「もちろんです。古代の魔術は出力が高い。法整備も未熟だったせいで悪辣なものも多いですから。オレは白翡翠の書を途中まで読みましたが、奴はあれに書かれている以上の術を掌握しているかもしれません」

「クライン、書のことは外で口に出してはなりません」

「……はい」


 クラインは他の誰かが見ていたなら“なんだコイツ気持ち悪いな”と言われそうなほど素直に頭を下げた。


「古代の術には未知の部分も多く、対処法どころか概要すら判明していないものが沢山ある……今回は魔女会の長が直々に調査をされているけれど、あの方でも突き止めることは困難かもしれないわ……」

「……ベルベット母さまが強く警戒するのも理解できます。オレが目にした幾つかの魔術だけでも……奴は規格外の存在だと解る」

「クライン、その古いパン切れは今すぐに捨てなさい。お腹を壊すかもしれません」

「……はい」


 開封して一日程度しか経っていない保存食は廃棄されることとなった。


「クライン。なにも私は、いえ……私だけでなくラウド様やウィスプ様も、貴方の無事を願っているの……それは、わかるわね?」

「……はい」

「クリームだって同じよ。貴方の……」

「あれは知りません」

「とにかく、危険を冒してまで大会で功績を積み上げる必要はないの」


 クラインは振り向き、義母の顔を見た。

 時代が時代ならそれこそ国を傾けていたであろう、涼やかで妖しげな美しい母。

 いつもは思わせぶりな澄まし顔を小揺るぎさせることもないが、今この時だけは、心からクラインのことを心配しているように見えた。


「光魔術を会得して、貴方は既に……自分の実力を示しているわ。正式な発表がなされれば、誰もが貴方の努力を認めるの。今度は誰も否定することはできない。だから……」

「だからといって、オレが故郷に逃げ帰る必要などないでしょう」

「拉致された魔道士たちが助かる術があるかどうかも……わからないのよ。もしクラインが、得体の知れない場所に閉じ込められたのだとしたら……」

「だとしたら、ベルベット母さま。どうしますか、その犯人を」


 問いかけに、義母は目を細めた。


「見つけ出して殺すわ。何者であったとしても」

「殺すかどうかはわかりませんが、オレもそのつもりです」


 クラインの目には、確かな意志が宿っていた。

 彼の目に浮かぶ類いのものにしては、なかなか珍しい光である。ベルベットは意外に思い、小首をかしげた。


「オレは完全に勝っていた。あのままでも、確実に。劣勢なんかじゃない、いくらでもやりようはあった……それを証明しなくては。オレの試合に水を差したことを、そして……手を出したことを。奴に後悔させなければ、とてもこの怒りを整理できそうにない」

「クライン。怒っているの……?」

「当然です。だからここから逃げ帰るなど有り得ない」


 言う時ははっきりと言う。宣言する時は、大抵のことでは反故にしない。

 クラインの頑固さは、幼少の頃より深く知っていた。


「それに、今このミネオマルタ以上に安全な場所など水国のどこを探しても存在しないでしょう。将軍三人と多くの護衛に守られていながら敗走するなど、古びた旧貴族の価値観を参照しても尚センスが悪い。オレは残ります。ベルベット母さまはご随意に」

「クラインが残るなら私も残るわ」


 即決であった。


「……でも、クライン。忘れないで。もしもこの件が手に負えないものであることがわかったなら……その時は強引にでも貴方を連れ出し、安全な場所へ移ってもらいますから……矜持も大事ですが、嫡男としての責務を果たしなさい」

「……ええ、良いでしょう」

「母さまとの約束よ……」


 そう言って、ベルベットは部屋を出ていった。

 廊下には待機していた家令のシェレンスに、護衛のレティーの姿もある。その他新たに増員した警備も並んでいた。

 クライン個人の警備は、過剰なくらい万全に整っているのだ。


「……それでもどうなるかは、わからないな」


 だが、“スキラー・ブライオン”の力量は未だにはっきりしていない。

 考察すればする程に、不可能を可能にするような神がかった印象ばかりが目につく相手だ。廊下の精鋭たちの守りも、どこまで有効かわかったものではない。


 強がってはみたものの、現状クラインにできるのはあらゆる状況に対応できるよう、ポーチの中を吟味することだけであった。


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