楔010 降臨する大魔導師
ロッカの試合が始まり、少ししてクラインのステージも開始に向けて動き始めた頃。時間は丁度その寸前まで遡る。
待ち合わせも事前の約束もせず、一人でラリマ競技場にやってきたミスイは、無数の人で犇めく観客席を見回していた。
狙いはたった一人。同学年であり年下の友人でもあるイズヴェル=カーンである。どうせ観るならば試合について誰かと話しつつ、というのが狙いであった。
とはいえクラインの試合までもう間もなくであるし、この人の多さである。彼が見つかるとは限らない。もし観客席を眺めてみて居ないようであればすぐに諦めるつもりだった。
「……こういう時だけ、運が良いのね」
だがミスイの薄い期待に反し、イズヴェルはすぐに見つかった。
目の良い彼は試合を近くで見る必要がなく、また混雑を嫌うので学園でも常に最後列を好んでいた。ミスイもまた特有の魔術を扱うこともあって視力は優れているので、イズヴェルと隣り合うことは多かった。そんな慣例もあったので、ざっと最後列を見回していたのだが、まさかこんな大勢の中から探し当ててしまうとは彼女自身としても驚きである。
どうせ運命的に人と巡り合うのなら、もっと別の、それこそクラインが良かった。
そんなやるせないことを考えつつ、彼女はイズヴェルのもとへ近付いてゆく。
「イズヴェル」
「えっ、ミスイ?」
彼は会場のほぼ向こう側にいる、豆粒ほどの大きさのロッカの試合を観戦していたようだ。
岩と炎。フィールドいっぱいに環境戦を繰り広げるダイナミックな試合だが、いかんせんここからでは遠すぎるせいか、周囲の観客の多くはオペラグラスなどを用いて眺めている。
そんな距離でも裸眼で楽しめるのは、ある意味贅沢な体質なのかもしれない。
「観戦中ですか」
「ああ。今ロッカと闘っているベロウズは、僕を倒した魔道士だからね。もちろん気になるさ」
「そう……強い?」
「……いや、今はまだ、なんとも言えない」
言葉を濁す辺り、イズヴェルとしては否定の気持ちを抱いているのだろう。
ざっとミスイが試合を見た感じでも、感想は同じだ。
「さほど強くはないですね」
「……ミスイもそう感じる?」
「はい。術の出力は高めですが、動きが悪いです。実戦経験の不足、勘の悪さ。そういったものがはっきりと見えます」
辛辣だが、その雑感にはイズヴェルも頷ける。
ロッカ自身は慣れない火属性との戦いに四苦八苦しているが、決してベロウズは強くはないのだ。
もちろん相性差はあるだろうが、魔道士としての完成度はそれまでの試合で闘ってきた“天罰のエンドリック”、“日陰者のリュミネ”、“砦のクレア”らの方がずっと上だろう。何ならそれ以前の学園の試合を参照しても同じだ。今闘っている“整備人のベロウズ”には、会場が目を見張るほどの“巧さ”が無い。
「それでも注目に値するのですか」
「……ん」
「イズヴェルの場合、偶然の敗北だったのでは。その相手を研究するほどの価値があるのか、私は疑問ですね」
「……失礼な言い方になるけれど、僕自身もそう思っているんだ」
「では何故」
「あの魔道士の扱う魔術が、ずっと気がかりなのかもしれない」
イズヴェルは冗談を言わないし、変に嘘をつくこともしない。
負けたのが悔しいから感情的に粗探しをしている、ということはないだろう。
彼は本心から、気がかりを抱えているのだ。
「……私としては、今始まったクラインの試合こそ注目すべきかと思いますけどね」
「クラインか……」
クラインの試合は、魔道士であれば誰もが魅了されるであろう、洗練された戦術に満ちている。
一試合一試合が最適解を紐解くような美しい打ち筋ばかりで、観戦し研究するとすれば彼の試合にこそ大きな価値があるだろう。
実際、今日の試合もクラインは絶好調であり、隣のロッカの試合よりも遅く開始されたにも関わらず、決着はそちらの方が早そうなくらいだ。
「相手は弱い水魔道士のようですが、学ぶところは多いはずです」
「……ああ、悔しいけど彼は強いね。一体どのような修練を積めばああなれるのか……」
「決まっています。とことん研究し、とことん強敵にぶつかり続けたのですよ」
「……」
疑問を宿したイズヴェルの目が、ミスイに向けられる。
「幼馴染ですから、私は知っていますよ。彼は自分の宿命を知ってからずっと、己の研鑽だけに時間を注いでいたのです。……子供らしく遊ぶことも、諦めることもせず。小さい頃からずっと……」
壇上で水魔道士と闘うクラインは、今どのような気持ちでいるのだろうか。
涼しい顔で魔術を連発し、常に最適な選択を取り続けていはいるものの、下手な水魔術で足掻く魔道士との闘いは、きっと楽しいものではないだろう。
自分が使えたならばこうする。自分が使うならここで使う。相手を追い詰め、相手の行動を先読みするたび、苛立ちを募らせているに違いない。クラインが無知な人間を嫌っているのは、ミスイ自身よく知っているのだ。
「そろそろ決着だろうね」
「ええ。“水鞭のマルロ”でしたか。逃げ場もないようですし、多くともあと数手でしょうか」
近くの環境は全て消され、動ける場所は限られている。魔力の残量も怪しいところだ。
二人の闘いがあと数秒で決着することは疑いようもない。ミスイもイズヴェルも、そう考えていた。
「――だからどうか、私に勝利の栄光を!」
終わるはずだった。
だが、最後の最後で、マルロの抱くロッドが不気味な魔光を発した。
「なっ」
「え……?」
魔光。魔術を発動させる際に浮かび上がる一瞬の明滅。
それがマルロの先石に灯り続け、異常な光量を放っている。
会場は困惑にどよめく。しかしそれは無理もない反応だ。
通常魔光には輝きと呼べるほどの光量はない上、一瞬のうちに収まる静かなフラッシュでしかない。
それがステージの上に転がる小石の影をくっきりと伸ばすほどに強く、長く発光し続けているのだ。
傍目から見れば光魔術の発動を疑う光景だったし、観客席の多くもそれを予想していた。
「魔光……光、いえ、光魔術はあのような不気味なものでは……」
観る者を圧倒する紫色の妖しい輝き。
クラインも突然のアクシデントを前に、無計画に攻め込むことはできないのか、何歩か後ずさって警戒している。
一体何が起こっているのか。
独性術なのか。それとも光魔術なのか。マルロはこれから何をやろうというのか。
「う、くぅ……なんだ……? ちょっと、苦しい……?」
「……イズヴェル?」
イズヴェルは胸を抑え、苦しそうに眉を歪めていた。
観客が見守る中、光に呑まれたマルロが杖を掲げる。
『――よかろう。私は求め、受け入れる者全てに授けよう。永き時の中に埋没した力を明示しよう』
野太い男の声が聞こえた。
観客席の喧騒で埋め尽くされているはずのラリマ競技場で、しかしそれは間違いなくステージの上から、はっきりと。
『――我が究極の技法を魅せてやろうッ!』
「ぐっ……」
「……!」
地を揺るがすほどの大声量が鼓膜を打ち震わせ、妖しげな紫の輝きが炸裂する。
観る者全ての視界が眩み、肌は本能的な悪寒に強く粟立つ。
『“コアル・デナ・ヘイル・グラハナ・タルハ・ヘイリアル”!』
長く力強い詠唱と共に、輝きは消えた。
「なんだと……!」
代わりに現れたのは、クラインのいる白い壇上全てを飲み込むほどの津波の如き激流。
“大波濤”の水量を何倍にも増して、そのまま真横に倒したようなそれは、まるで巨大な川の流れが出現したかのようだった。
左右に避ける場所はない。激流の高さは五メートルはあるだろう。それはまさに自然の暴威であった。
普通ならば全てを諦め、恐怖に足を竦める他ない状況だ。普通ならば。
「――ふっ……!」
だがクラインは跳び上がった。
設置型の防御魔術という手段を迅速に頭から切り捨て、全力で扱える魔力の全てを身体強化に注ぎ込み、真上に跳躍してみせたのだ。
「“ラギル・テルザム・ティアー”……!」
そしてジャンプの最頂点で発動したのは、自身を強風で煽る補助魔術。
杖も持たず身軽であることが功を奏したのか、はたまた彼自身の術が強かったためか、両手から発せられる風はクラインの身体を宙に浮かべ、静止させることに成功した。
非現実的な水の激流はクラインの足元すれすれのところを掠めている。上空での回避がうまくいくかどうかは僅差であった。
「なんだこれは……!何が起こっている……!?」
手から全力で魔術を放出し続けるという油断のできない苦境であったが、クラインはそう悪態をつかずにはいられなかった。
それまで凡庸の域を少しも出ることのなかった魔道士が突如として豹変し、与太話や伝説のような域の大魔術を放ったのだ。冷静沈着な彼でも気を乱しても仕方がない。
だが驚いたのはクラインだけに留まらないだろう。今は何もかもが激流の音にかき消されているが、観客達もこの状況についてこれているはずもない。それはイズヴェルやミスイほどの魔道士であっても同じだ。
『この術を凌いでみせるとは驚いた!』
マルロがいるであろう場所からは、しかし彼ではない謎の男の声が響いている。
明らかにただ事ではないし、真っ当な状況であるはずもない。
『だが才気に満ち溢れる若者よ! お前は――』
「――もはや見過ごすことはできないね」
だからこそ、この大会を裁定する立場にあった監督席は、いち早く動き出していた。
『奴を無力化するぞ。できるならば無傷でだ』
機体全身に斧を纏った風の将軍アックスが。
「了解です!」
「可能な限りは!」
全身鎧の鉄将軍レドラルに、女騎士団長の雷将軍ジェーンが。
「すまんが任せたよ。アレはあまりに危険すぎる」
影の席の魔女長グリンダ=マッキンリィが発動した“黄色い道の扉”によって、マルロの目と鼻の先に送られた。




