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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第七章 見果てぬ悪夢

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楔008 受け入れる宣誓


「宣言するぞ、クライン。私は手も膝もつくことなく、君を下してあげよう」


 男はクラインを指さし、そう告げた。

 二つ名は“水鞭のマルロ”。この大会期間中は主に水を使って試合を運び、雷魔術を併用した感電決着型の戦法を得意としている。


 マルロはとある旧貴族の人間であった。しかし家の規模はさほど大きなものでもなく、しかも三男であったために機会に恵まれない過去を過ごしてきた。

 服も道具も兄たちのお下がり。経済的な余裕は兄たちで消費され、マルロには魔術の講師があてがわれることも、良い学園に編入させられることもない。

 そうした環境で育てば自ずと兄たちとの差が目に見えて生まれはじめ、次第に親はマルロへの期待を身勝手に失っていった。マルロ自身も環境的に自尊心や向上心が育まれなかったために、彼の人生は上を見上げることのない平凡な一途を辿ってゆく。


 それでも彼が理学を猛勉強し、血の滲むような努力の末にミトポワナの学園に入学したのは、親の運営する事業を受け継ぎたくなかったからだ。

 両親は鳴かず飛ばずで停滞していた小さな印刷事業をマルロに丸投げし役割を与えようという考えがあったのだが、マルロはその事業が小さく潰れかけの町工場程の実態しかないことを知っていた。

 責任者になってしまえば、その凡庸で小さな仕事に一生を縛られるかもしれない。

 マルロは冒険する性格でも挑戦する性格でもなかったが、まるきり展望の見えない未来に喜んで飛びつくほど欲の無い人間ではなかった。


 マルロは鼻白む態度を隠そうともしない親との暮らしに心労を蓄積させながらも、家業を手伝いコツコツと金を貯め、どうにか自力で理総校に入学するだけの学力をつけ、資金も貯めた。

 彼が理総校の門を叩いたのは、二十三歳。

 決して早いとはいえず、才気溢れる若者に囲まれながらの苦々しい入学である。

 それでも閉塞感ばかりが立ち込める家に居るよりは、若干の好奇の視線と疎外感を我慢した方が気は楽だった。


 マルロが入学し、今年で三年目。

 やはりそれまで積み重ねてきたものが違ったのだろう。学習のピークを過ぎてしまったという要因もあったのかもしれない。マルロは入学こそできたものの、学内での成績は芳しいものではなく、自らの突出したものを見つけられずにいた。

 磨くべき輝きうるものがなく、ただ漠然とした学びと研鑽を積み重ねる日々。

 このまま路傍の石のように転がるだけでは、寂れた家業を継ぐのとさして変わることのない未来が待っている。


 そんな鬱屈とした予感に突き動かされ、マルロは大会の出場を決めたのだった。


「噂では……光魔術を習得したのだろう。なるほど優秀だ。誰もが認めるところだろうね……けど、この大会では光魔術の使用は禁じられている。君が七属性術士(セプタースタッフ)だからといって、それは優位性にはなり得ないんだ」


 出場する以前は実戦にも座学にも秀でるところのなかったマルロ。

 だがこうして試合を煮詰めてゆけば、本戦の第二回戦にまで上り詰めている。

 成功体験の少ない彼にとって、この数日は常に人生の絶頂を登り続けているようなものだった。

 最初こそ緊張で身が竦むばかりだったが、試合を重ねていけばそれにも慣れ、自信と誇りは傲慢な驕りにも変じていた。


「属性の数だけが理学ではない。それを君に――」

「……防御できたか」

「……なんだって?」


 朗々と一人で語っていたマルロが、向き合ったクラインの異変にようやく気づく。

 彼はその薄色の目で自分を見ておらず、先程からずっと隣のステージの試合を眺めていたのだった。


 隣では、“クランブル・ロッカ”と“整備人のベロウズ”の試合が行われている。

 石壁と爆炎による防御と攻撃、メイスによる近接戦闘と牽制を交えながらの退避。クラインはその様子をじっと観察していたのだ。


 当然、マルロとしては面白くない。隣の試合は所詮、隣のものだ。

 自分たちの試合はこれから始まる。だというのにこの他人事のような態度はいかがなものだろうか。

 目上に対する礼儀もなく、旧き良き魔道士としての気構えも見られない。マルロ自身はそれらに何らこだわりを持っていなかったが、他人にそう無礼な態度を取られることは嫌いだった。


「……良いだろう。さっさと終わらせてやる。早く位置につきなさい」


 自分よりも優秀な年下は、マルロにとって目障りでしかない。

 ならばこれまでのように、目障りなものを消し飛ばしてやろうではないか。

 そのような心持ちで、彼は所定の開始位置についたのだった。




 一方、クラインは対戦相手のマルロを脅威と認識してはいなかった。

 水環境を蓄積し大出力の雷で仕留める。そのありがちなスタイルの魔道士は古今東西いくらでも存在するし、対処法もまた相応に豊富だった。

 水と雷を併用する魔道戦は嵌まれば強いが、絶たれるとどうしようもなくなる展開もまた多い。なので魔道士にはそれを防ぎ軌道修正するための技量が求められるのだが、クラインがデータを見た所ではこのマルロという男には、そういった“定石”の理解が無いか、あるいは不足しているようだった。

 型にはまっているわりに定石を知らない。そんな相手との闘いは、クラインにとって何よりも簡単なものだ。

 ロッカの試合に気を取られているのは油断でも慢心でもなく、それ相応の余裕がある故のものでしかない。


「試合、開始ッ!」


 事実、闘いが始まればマルロとクラインとの間には、歴然とした力の差が見えてくる。


「くっ……! また消されただと!」


 水を撒き、氷柱を立て、時に雷を射出し牽制する。

 マルロはこれまでの試合以上に動き、魔術を放ち、奮戦した。

 それでもクラインを相手にするとその全てがいまいち噛み合わず、自分の全力が空回りしているような錯覚に陥ってしまう。


「“キュー(水よ)ディア(襲え)”ッ!」


 自分の力はこんなものではない。今までの試合で出せていた力こそが本物で、今はまだ本調子ではない。

 そんな言い訳を内心でぶちまけたくなるような、目に見えるほどのジリ貧。

 今日の試合を第三者として観戦していたなら、きっと自分でも“こりゃ決まったな”と半笑いになってしまうほどの劣悪な戦況。


 水の環境は尽くが打ち消され、炎の環境が逃げ場と展開を阻害し、何よりも残存する魔力に余裕が無い。

 試合前は手も膝もつかないことを高らかに宣言していたが、既にその両方を破っている上、ケープの端はみっともなく焦げてすらいた。握りしめたロッドの石突きも、転倒の際に歪んでいる。

 対するクラインは全くの無傷。当然ながら相手は手も膝もついていないし、思い返してみれば慌ただしく走ることもしていなかった。


「くそっ、くそっ……! なんでだ、なんでこんなガキに……!」


 クラインは嘲笑うでも勝ち誇るでもなく、淡々とした無表情で近付いてくる。試合中には無駄口を叩くこともない。ただ機械的に試合を運び、勝利という結果を掴むだけ。

 慌てふためき、意地汚く後退りするマルロとは対照的すぎる魔道士だった。

 そしてマルロは自分を客観的に見つめ、ごちゃごちゃの歓声の中に自分への罵倒が混じっているかもしれないことを想像すると、昔の実家にいた頃の惨めな気持ちが胸に湧き上がってきた。


「やめろ、来るな……! 私は、こんなものではないんだぞ……!?」


 詰めの段階。クラインはマルロの動きに注意を払いつつ、念入りに地面に点在する水環境を消し飛ばしてゆく。

 自陣を組み上げながら一歩一歩と歩み寄り、あとは最適な距離で確実なチェックメイトを打つだけだ。


 マルロは自分の絶頂期の終焉がすぐそこにまで迫っていることを理性では悟っていたが、しかし根っこの部分ではそれが受け入れられなかった。


「まだ勝てる……まだ終わりじゃない……! あれだけ魔術を覚えたのに、あれだけ彼と修行したのにッ……! 終わってたまるか、私はまだ本気じゃないんだっ……!」


 クラインの両手に宿る“メンフェニアの調停者”が怪しく輝く。

 試合の末尾を飾るであろう術の集中と詠唱が、今にもマルロの元に飛来する。


「お、お願いします……受け入れますから、貴方を受け入れますからッ……!」


 彼はどうしても、輝ける今を手放したくなかった。


「だからどうか、私に勝利の栄光を!」

「――っ!?」


 マルロの握る杖が輝きを放ち、昏い魔力が辺りに迸る。



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