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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第七章 見果てぬ悪夢

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楔005 蹴飛ばす後塵


 袖の匂いを嗅ぐ。

 故郷を想起させる石鹸の香りだ。それは芳香と呼ぶにはかなり癖が強いし、多分大多数の人にとってはさほど良いものでもないのだろうとはわかっている。けど、私はこの匂いが好きだし、落ち着くんだ。

 それに、火属性と闘う前なら余計に意識せざるを得ない匂いでもある。

 メルゲコの石鹸には耐火性と耐熱性があって、そのおかげで私のオイルジャケットは火で炙ってもほとんど焦げないし燃えることもない。

 上手い具合にジャケットで守れば、いざというときの直撃もひょっとしたら防げるかもしれない。


 ……いや、直撃受けるつもりかよ。

 弱気だな私。そろそろ試合だぞ。いつまで炎を怖がってんだ。灼鉱竜とどっちが怖いんだよ。

 守るのも駄目なわけじゃないが、攻めていけ。籠城戦なんて柄でもないんだ。

 私の魔術は自分で距離を詰めていかなきゃ話になんねえだろうが。


 開幕と同時に走るんだ。そのつもりでいろ。今から。最初、できるだけ相手との距離を詰めるために。自分の弱気を振り切るように。

 気構えだ。気構え……。前に、前に……。


「“クランブル・ロッカ”さん」

「ッはい」


 前……!


「……? なんで走り出したんですか?」

「……いや、なんでもないッス」


 声をかけられたその瞬間、私は控室の壁際スレスレのところまで一気に走り出していた。


「そうですか……そろそろ試合なので、外で準備を」

「はい……」


 ……よし、体の方の準備は万全だな。

 この調子なら本番でも動けるだろう。予習は完璧だ。




「うっわー……」


 廊下を歩き、観客席に囲まれたフィールドに出る。すると一気に騒々しい、音の震える空間が私を出迎えてくれた。

 もちろん、昨日一回戦を終えたばかりの私にとってさほど変わり映えのある光景というわけでもない。

 それでもこうして大観衆による熱を浴びせかけられるのは、とても慣れそうもないことだった。あるいは私の精神状態によって、慣れたり慣れなかったりするのかもしれない。


 既にベロウズは入り口傍の椅子に腰掛けていた。

 クラインはフィールド反対側にいる。向こうではクラインが誰かと……多分、対戦相手だろうか。そんな人と話している様子だった。再会は、私とあいつの試合が終わった後になるだろう。



 ……今行われている試合も、そろそろ終わりそうだ。

 一人の水魔道士は氷結魔術を使って上手く地面を区切っていて、もう一人の相手は氷の防波堤に阻まれてうまく水環境を広げられないでいる。

 水魔術による波を寄せ付けない環境は構築済み。そのせいか、既に戦況は大きく傾いているようだった。


「……水同士の環境戦は普通、水量の多い方が勝つよね」


 ぽつりとつぶやいたのは、席に座っていたベロウズだった。

 私に向けて喋ったのだろう。近くには他に誰も居ない。だから私は、彼の近くの席に座って、一言“そうなんだ”と答えた。“うん”とは言えない。この手の話に詳しくはなかったから。


「相手への直撃がない以上は、環境の量が全てなんだよ。だから水魔道士は術の発動効率を重視するし、そのための訓練を欠かさないし、先石の大きなロッドやワンドを選ぶ」

「……で、より多く水を出せたほうが勝つってことか」

「それを覆すこともあるんだよ。それが今、ぼくらの前で起きているあれ」


 あれ。って、どれだ?

 と見てみたら、なんとなくわかった。……多分、今優勢な方の氷の堤防を組み上げた魔道士について言及しているのだろう。


「あの魔道士は上手く環境を変形させて、相手の水環境を排出する仕組みを整えていたんだ。相手の方は序盤の魔術の出力差を見て力押しができると思ったんだろうけど……上手いこと、力の弱い方がひっくり返したんだよ」

「へえ……なるほどね」


 弱い獣だと思って舐めてかかってみれば、知恵のある魔獣だったってわけか。

 確かに闘いは既に一方的なものとなり、氷を基点に組み上げた立体的な環境が相手を包囲しつつある。

 一回一回の防御が厳しい状況になっているようだった。


「だから、力押しっていうのはろくなことにならないんだよ。覚えている魔術の難解さや、撃ち放つ魔術の効率だけじゃなくて。もっと、ああいう……巧さが、必要であるべきなんだ」

「あるべき?」

「……いいや。間違いなく必要なんだよ。ロッカ」


 ベロウズはスパナロッドを抱え込んで、私を睨むように見つめていた。

 私は、彼を怒らせるようなことはひとつもやっていないはずなんだけれども。


「技術だよ。努力や経験で培われたもの。膨大な時間の積み重ね。そういうのって、大事だと思わない?」

「え……うん、まあ、そうだね」

「血筋や楯衝紋だけじゃない。仮に才能なんてものが初等学校でついた差なのだとしても……そんなの……取り返せるくらいのものが鍛錬や研鑽にはあると、ぼくは思っている。それが、ぼくらの見ている試合の結果なんだって、信じてもいる」


 スパナロッドを握る革手袋は、わずかに震えているようだった。


「ロッカ。ぼくは、才能のあるきみが……正直に言うね。あんまり好きじゃないんだ」

「……え」


 才能? 好きじゃない?

 ……一度になんだそれ。一度に言うなよ。どういうことだよ。


「わかってないような顔をするんだよね。でも、きみには才能がある。でなければ……こんな短期間でいくつも新しい魔術を覚えられるわけがないんだから」

「いや……あのさベロウズ。でも私は本当に理学とかそういうのって」

「やめてよ。惨めになるんだよ」


 睨むような、ではなかった。

 ……そうか。ベロウズ。アンタ、私を睨んでいたのか。

 その怪訝そうな、怯えるような目で。


「ぼくは属性科の六年だ。長いこといる。……いや、ぼくだけじゃない。きみに負けてきた人たちだって、同じくらいの時間を魔術のために費やしてきたんだと思うよ。でもきみは、ここでぼくの隣りにいるきみは、何年だい。学費を払って、魔術を専門に学んでから。何年目なんだよ」

「……一年、無いな」

「それをなんと呼ぶか知ってるかな。きみのそれ、“知らない”とは……“才能じゃない”とは言わせないよ。天才なんだよ、わかるでしょ。ぼくはきみのような凄い人がさ、もう、うんざりなんだよ。嫌いなんだよ」


 遠くの方で、巨大な水が弾ける音が聞こえてきた。

 そして試合の終了を告げる大きな声も。

 けれど、私の目は隣のベロウズから離すことができなかった。


「ぼくが一つの魔術を覚えて、それを辛うじて実戦で使える形にするために何ヶ月かけているか……きみは知らないと思う。他人が少しずつ積み重ねてきたものや、歩いてきた道のりはさ。一気に駆け抜けていく君からは、全く見えないんだと思う」


 だからさ。そう言って、ベロウズは立ち上がった。


「ぼくがきみを倒して、教えてあげるよ。長く培ってきた努力や経験が実を結んだ時、勢いよく弾けるんだってことをさ」


 キャスケット帽を深くかぶり直して、彼はフィールドの上を歩いてゆく。

 試合が終わった壇上では、長きに渡る闘いを制した若い水魔道士が氷の上に立ち、杖を掲げ、歓喜の涙を流していた。



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