鈎022 挨拶する黒ブドウ
救護室では軽く打ち身を見てもらい、特に問題はないとのことだったので、特別な処置はなく出してもらえた。
とはいえ、鋼鉄の壁に衝突した時に打った場所が後々紫色に変色するかもしれないということなので、半日以内にソルポットを半分ほど飲んでおけとは言われてしまった。
別に色が変わるくらいならどうでもいいと思ったんだけど、どうも向こうは無言の圧力で“良いから飲め”と言っているようだったので、大人しく従っておいた。
後々、身体の変なとこが痛みだしても困るからね。保険の意味でもまぁ、とりあえず飲んでおくのは正解だろう。
処置やら本戦出場に関する手続きというか確認やらを済ませている間に、試合は順調に進められているようだった。
今は、“雷鎖のジキル”と“闇討ちのサリデ”が行われているらしい。自分の試合だと本当に長く感じられていたけれど、こうして終わってみると試合は幾つも飛ぶように進んでゆく。時間の流れは、なんだか不思議だな。
……ま、そんなどうでもいいことを考えていられるのも、私が無事に勝ったからというのもあるのだろう。
これがもし負けた後だったら……こんな悠長なままじゃ、いられなかったはずだ。
「勝てたなぁ」
壇上で懸命に戦うジキルの姿を眺めながら、私は他人事のようにそう呟いた。
「おめっとぉおおお」
「うっふォぁ」
なんて上の空な祝杯で、皆が許してくれるはずもない。
私は席に戻るや、早々にボウマからの手荒い歓迎を受けたのだった。
「ありがとうなーボウマぁー。でも何度も言ってるよなー突っ込んでくるなってよー」
「いだだだだだ! や、やべでー!」
「えー? 腹の中のソルポットが飛び出したらどうすんだよボウマよー」
「ごめぇええん」
いつものやり取りである。
私はだらんと動かなくなったボウマを解放してやると、今度は他の皆からも苦笑いやら祝福を受けた。
「おめでとう、ロッカ。相変わらず、力強い試合だったわね。でも無事で良かったわ」
「うん、確かに力強かったな。壁に叩きつけられた時は僕も悲鳴を上げそうになったけど……タフだね?」
ソーニャとヒューゴは真っ当に褒めてくれた。ボウマは真っ当ではない。
さっきから“仇取ってくれてありがとぉお”とか言いながら頭をぐりぐりと押し付けてくるからだ。仇っていうか死んでねーだろよ。
『おめでとう、素晴らしい戦いぶりだったぞ。それで、怪我はないか? 首は痛まないか?』
「ああ、うん。今はまだ平気かな」
『そうか。後日痛むようであれば、気を付けておくと良い。後からくる痛みは厄介だからな』
ライカンは祝福というよりは、むしろ私の身体の方を心配している様子だった。
それだけ、あの壁にぶつけられた時の様子が痛ましかったのかもしれない。……できることなら私もそれ、ちょっと見てみたかったな。
未だに、リュミネがどんな風に背後に転移してきたのかもわからないし。
「退屈な試合だ」
クラインはそう呟いた。
なんだとてめえ、とも思ったのだが、彼はどうやら目の前の試合を見てそんな感想を漏らしたようだった。
そうか。私の試合じゃないならまぁいいだろう。許す。けどジキルが可愛そうだから後で謝っておけよ。
「……ウィルコークス君。君の試合は、まあ、一部を除いては理想的だったと言えるだろう」
……その評価の仕方、点数にすると十点中何点くらいなのかな。
七点以上なら、できれば“おめでとう”から言ってほしいんだけど。
「どこが駄目だったのさ、クライン。……いや、まぁ自分でもわかってるけど」
「無論、転移で背後を突かれた時だ」
やっぱそこだよな……あそこで形成が一気に不利になったもんな。
「とはいえ、君には影魔術による転移を口頭でしか教えていなかったし、実際オレも今日、あの“日陰者のリュミネ”が使ってくるとは思わなかった。不覚を取ったのも、仕方ない事とは言えるだろう」
「え、そう?」
クラインはうんともおうとも言わなかったが、どこかばつが悪そうに眼鏡を直したあたり、認めているのだろう。
「クラインにも予想外とかあるんだな」
「当然、ある。オレを誰だと思ってるんだ」
「ほとんど何でも知ってるかと思ってた」
「理学がそう単純なものか。門扉を開き始めただけの段階の者が、そうして学問を低く見るのは愚かなことだぞ」
理学を親兄弟のように庇い立てする言い方がちょっと面白くて、私は笑い出しそうになってしまった。
「よっしゃー! どうだー! みんな見てたかー!」
気がつけば、壇上でジキルが雄叫びを上げていた。
どうやらジキルは“闇討ちのサリデ”に勝利したようである。鉄専攻も勝者が一人増えたようで何よりだ。
「あとは、鉄専攻はデリヌスだけかな? 僕らはその試合が終わったら合流って感じだよね」
『うむ。まぁ、クラインとロッカの試合は終わったし、俺達の用は済んでいるが……デリヌスの試合は気になる所ではある。最後まで見ていこう』
「もちろんそのつもりだじぇ」
試合が終われば後は高みの見物だ。緊張感も何も無い中で人の試合を見下ろせるというのは、結構心地良いものがある。
後はもう、隣のクラインと一緒に知ったふうな顔しながら魔道士達の術を眺めているだけだな。
私はそんな風に気軽に考えて、試合の推移を見守っていたのだが。
「もしもし」
「ん?」
あまり聞き慣れない女の声に、後ろから呼ばれてしまった。
誰だろうか。ミスイか、それともモヘニアさんか……。
「え」
が、振り向くとそのどちらでもなく、しかもかなり意外な人物であることが判明した。
「リュミネ?」
いたのはなんと、リュミネであった。すぐ近くまでいたのに、存在感が薄かったからだろうか。クライン以外の皆も今しがた気付いて、びっくりしている様子である。
「で、でたなぁー!」
「なにがです」
「“日雇いのリュミネ”!」
「辛辣ですね」
彼女は他に誰も伴わず、一人で私達のところまでやってきたらしい。
騒がしくしているボウマにカーテンを押すような返答をしている姿を見るに、ひょっとするとそんな群れる性格でもないのかもしれないが……。
「あーっと、リュミネ? なんでここに」
「はい。せっかく私を倒した人が現れたので、これを機にもう少し話しておこうかと思いまして」
学園も違いますし。そう言って、リュミネは深々と頭を下げた。
「本日は対戦ありがとうございました」
「あ、うん。どうも……」
なんとなく連られて、私も頭を下げる。
目線を下げてその時初めて気がついたが、リュミネの腕には軽く包帯が巻かれているようだった。
「お怪我はありませんでしたか」
「うん、私は平気。そっちこそ、腕……大丈夫だった?」
「これは特には。骨も傷ついていないので問題なしだそうです。そして、そちらの……“炸裂のボウマ”さんは」
「え、あたし?」
ボウマはキョトンと口を半開きにして、首を傾げた。
回りの皆は、声を挟まない。きっと成り行きに変に介入せず、静かに見守っているのだろう。
「前回も少し、手荒な場面で術をかけたので。身体に痛みなどはありませんか」
「えぁーうん……ヘーキ……」
「それは何よりです。実は、結構気にかかっていたので」
リュミネは無感情そうな顔をしているのであまり表には出ないが、ボウマの言葉を聞いて安堵した様子だった。
「……“クランブル・ロッカ”。本戦の前には楽団の演奏会があるので、そちらはしっかりと聞いておいて下さい。間近の下段で演奏を見れる機会など、なかなか無いのですから」
「演奏ね……わかったよ。一応、ちゃんと聞いておく」
「ん。それが聞けただけでも、十分でしょう」
何に納得したのか、リュミネは力強く頷いて、さっと身を翻した。
「では、わたしはこれで。“クランブル・ロッカ”、貴方のこれからの躍進にも、期待しています」
聞きたいことを聞いて、言いたいことを言う。
どこか一方的な話を終えると、リュミネはさっさと階段を登り、帰っていった。
本当に簡潔な用件でびっくりだ。残された私達は、思わず顔を見合わせてしまう。
「……変わってるけど、悪い人ではなさそうね」
「うん。まぁ……そうだね。ちょっと、変わってるかもしれないけど。魔道士ってそういう人多いし」
魔道士なんてみんな変わってる……とさほど外れてもいないであろう所感を抱きつつも、その変わった人からのエールは純粋に嬉しかった。
……本戦か。
無数の魔道士の中にいる、私という不純物。その中でも私は戦って、勝ち残っていきたい。
自分の名前が、マルタ杯のどれだけ深くにまで刻めるのか。行ける所まで行ってみたいな。




