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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第五章 見えざる人影

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鈎019 見えざる人影


 係員の人に促され、長い廊下を歩いてゆく。

 待ち時間は短く感じられた。だから控室では、ちょっと座ってぼんやりと石造りを眺めていただけ。見事に整えられた均一な壁面を少しの間見つめていただけで、私の出番がやってきたのだ。

 ちょっと早いなとは思った。けれど、準備は既に整っている。心も身体も万全だ。

 だから、無数の観衆に見守られる試合会場に足を踏み入れても、それほど心臓が暴れたりはしなかった。


「いけーッ! ミネオマルタッ! 首都学園の力を見せつけてやれェー!」

「ツルハシ見せてくれー!」

「頑張れー! 理総校の腕の見せ所だぞー!」

「身体強化なんぞに負けるなーッ!」


 なんとまぁ……こんなにも大勢がいっぺんに怒鳴り散らしてるっていうのに、集中してみると聞き取れてしまうのだから、人間の耳っていうのは面白いな。

 私への応援。リュミネへの応援。あるいは双方への鼓舞。

 様々な声を受けながら、私は広めの白い壇上へと上がり、中央に向かって進んでゆく。


 向かい側からやってくるのは、リュミネ。影魔術を操るという魔道士、“日陰者のリュミネ”だ。

 白い丈長のローブに、白い髪。幽霊のように希薄な印象を与えるその女は、無関心そうな目で私を見つめている。

 彼女はそれこそ幽霊か夜魔のように、ふわふわと裾をたなびかせながらやってきた。


「はじめまして。“クランブル・ロッカ”さん。新聞見ました」


 さてなにか言ってやろうか、と思ってた矢先にこれだ。先手を打たれた。


「あ、あー。ありがとう? はじめまして……」

「メイス、本当にツルハシなんですね。凄いです」

「うん。あ、持ってみる? これ本当に持ちやすくて」

「え、いやそこまではちょっと。重そうなので」

「そっか……」


 アンドルギンをちょっと差し出してみたら、固辞された。

 まぁ確かに重いといえば重いからな。線の細い彼女にはちょっと持ち上げるのも難しいかもしれない。

 実際、ソーニャはアンドルギンを持とうとして変な重心がかかってよろめいていたし。


「私は今回、タクトを使います。こちらですね」

「おー」


 リュミネが扱うのは白いタクトだった。上品な艶と硬そうな質感を見るにどうやらそれは象牙か何かで出来ているらしかった。高級品だ。


「……リュミネ。二回戦で当たったボウマって子、覚えてる? あの子、私の友達なんだけど」

「あ、そうだったんですか。特異性持ちの……なるほど。貴女も特異科なのでしたっけ」

「そう。けど、特異科だからって、侮ってもらっちゃ困るよ。私、本気でやるから」

「別に侮ってはいませんが」

「……そうなの?」


 リュミネは無関心そうな顔のまま、それを小さく横に傾けた。


「何が相手でも侮りはしませんよ。ここに立つ以上、そうするべきでもないですよね」

「あ、うん……まぁ、そうだと思う。私も」


 真っ当なことを言い返された気がする。

 ……対戦相手だからって、ちょっと私も喧嘩っぽくなっちゃったかもしれない。


「それだったら、良いんだ。私も相手がこっちを舐めてかからずにきてくれるなら、嬉しいしね」

「そうですか?」

「え?」


 な、なんだよこの人。そうですかって……侮らないって自分で言ったんじゃないのか。


「相手が油断する分には、闘いが有利になるので私は嬉しいですけどね」

「……そう? そうかなぁ……うーん……まぁでも、確かにそれも一理あるか……? ナタリーとの最初の戦いでもそうだったし……」

「そんなに難しく考えずとも。つまり、私は自分が勝てばそれで良いのだと思います」

「……なるほど、そういうことか」


 そう言われてようやくピンときた。勝負事について、リュミネはかなりドライに、現実的に考えてるってわけか。


「なので、私は勝ちますよ。“クランブル・ロッカ”さん。ミネオマルタとミトポワナの間にある確執にはさほど興味もありませんが……本戦に出ないと、特等席で楽隊の演奏を見られませんからね」


 リュミネの見透かすような瞳が私を捉え、僅かに細められる。

 考えが読めない。そうは思ったけれど、さすがに相手も人間だ。試合前にこちらの肌をひりつかせるほどの、ちょっとした感情の起伏くらいはあるらしい。


「勝つのはこっちだ、リュミネ」

「では負けるのが貴女です。“クランブル・ロッカ”」


 喧嘩とは違う。これは戦う前のほんの挨拶でしかない。ただの戦意と戦意のぶつけ合いだ。

 悪いもんじゃない。罵倒したり貶し合ったりとは違って、純粋にやってやるぞって気分になるからだ。

 怒りとは違う熱い炎。それが、私の胸中に灯った気がした。




「これより“クランブル・ロッカ”及び“日陰者のリュミネ”による、マルタ魔道闘技大会三次予選、第十八戦を開始するッ!」


 所定の位置につき、レドラル=ハワード将軍の声が会場全体に響き渡ると、それを上書きするかのような大きな歓声が轟いた。


「すげー声」


 そんな私の小さな呟きが、私自身の耳にも入らぬ内にかき消されてしまいそうだ。


「気圧されたら負けだ」


 大観衆にも。

 向こう側で、タクトを構えている女魔道士にも。

 技術や場数では、きっと足りてないんだ。


「気合いだけは、何倍も用意しとかねーとな……!」


 柄を手のひらの中で軸とし、アンドルギンの左右に長く突き出た頭部を回転させつつ、軽く上下に振る。

 手汗は問題ない。身体も動く。既に何度も確認を重ねたけど、全てにおいて問題なし。


 ツルハシをギュッと握り直し、正眼に構える。

 これで準備は完了だ。


「いざ、尋常に……」


 観客の騒々しい声が、にわかに静まりかえる。

 開戦は秒読み。沈黙も束の間。遠くでタクトを掲げるリュミネの目は真剣味を帯びたままこちらに向けられ……それは開始と共に光を発するかのように思えた。


「――試合、開始ッ!」


 そして、始まった。

 私はアンドルギンを掲げたまま、身体強化を込めた脚で一気に前へ――!


「さ、手加減なしで行きますよ」

「うおおぉ……おおおっ!?」


 ――と思ったけどなんかいきなりリュミネが頭を下げて挨拶し始めた!


 不意のことだったので前へ勢いよく飛び出した私は急停止し、その場で踏ん張りをきかせるように、ブーツでザリザリと床を擦る。


「え、えーと……」


 止まったはいいものの……なんだこれ。

 しかし向こう側のリュミネは頭を上げると、再び何事も無かったかのようにタクトを構え直している。


「……い、行くぞ! 行っていいよな!?」

「どうぞ」

「言ったな!? うおおおおッ!」


 身体強化を込めた脚で、素早く前に駆けだす。

 ついに、私の本戦出場をかけた三次予選が始まった。




 とにかく、前へ。

 接近戦。遠距離攻撃が投石しかない私にとって、勝ち筋はそれしかない。

 けれどそれだけに、迷いは要らない。何の躊躇も無しに、まっすぐ攻め込める!


「“ジック(結べ)ラグ(ここを)ジャク(拠点とせよ)”」

「ッ!」


 リュミネがタクトを振った。振り上げ? にしては低すぎる。だが何かを飛ばした?

 奇妙には感じた。しかし万全を期す!


「ふッ……」


 避けた。右への咄嗟の横飛びだ。距離は一メートルほど。しかし影魔術はほとんど見えないので、本当に避けたのかどうかはわからない。

 ともかく、何も浴びたりぶつけられたりしなかったのは間違いない。


 そしてこのまま再び走る。止まっている暇はないし、魔道士相手に立ち往生しても良いことは無いからだ。

 リュミネは再び接近を試みた私を見て、後ろ歩きを始めたようだ。しかし走る様子はない。


 随分と余裕だな?

 なりふり構わず後ろ走りしとけばよかったなんて、後悔するかもしれねーぞ。


「“ジキア(力よ)テラー(放て)”」

「!」


 リュミネが悠々とした後ろ歩きのまま、タクトを軽く振った。

 同時に感じる、視界の僅かな歪み。

 力を飛ばした。それは間違いない……! 次は左に避ける!


(あめ)……ぇうぉっ!」


 咄嗟に横っ飛びしようと思ったのだ。次もさっと、軽く避けてやると。

 しかし私の回避は万全ではなかったのか、右手に持ったアンドルギンが強く弾かれるように、後ろへと引っ張られる。

 危うく肩が引っこ抜けそうになるほどの、虚を突いた衝撃だ。


「あっぶね……!」


 アンドルギンが手から引っこ抜けるかと思ったが、どうにか丁度いい具合の手汗で堪えることはできた。もう少し身体強化を油断していたら、得物を後ろに吹っ飛ばされていたかもしれない。

 ……思っていた以上に、相手の放つ影魔術の威力が高い。まともに食らうと、かなりヤバそうだ。


「“ジキア(力よ)ティ(解き)テラー(放て)”」

「! “スティ(黒鉄の)ドット(城塞)”!」


 こっちが狼狽えている間に、第二射が来る。

 私は思わず反射で岩壁を生成し、それに備えた。


「――あら」

「うわっ……」


 鉄球を岩の上に落としたような、ズンと肝に響く音。

 リュミネの放った魔術は壁面にぶち当たり、それ全体にクモの巣状の罅を走らせていた。

 ばらばらと大きな破片が落下し、次第に更に大きな塊が脱落し――壁は完全に瓦解する。


 鉄魔術でぶっ刺されたり、貫通されたりで真ん中からポッキリと……なんて経験は何度かある。

 けど、こんな壊れ方は……生成した壁が少しの余地も残さず破壊されるなんてのは、さすがに初めての経験だった。


「一回で壊れるなら、想定より楽そうですね――“ジキア(力よ)ラグルクス(波打て)”」

「!」


 タクトが大きく横に振られ、景色を歪ませる不可視の力の波が、こちらへ押し寄せてくる。

 左右に広く、足元……!

 低い、なら跳……いや駄目だ! 空中で無防備は一番マズい!


「うおおッ!」


 私はアンドルギンの歯先を壇上に突き刺すと、そのまま鈎で引っ張るようにして、身体を大きく放り飛ばした。

 両足込み、勢いにアンドルギンの力も足して。


「っしゃ……!」


 回避は功を奏した。私はその場での咄嗟の動きとは思えない程の距離を一瞬のうちに駆け抜け、リュミネの放った地を這う波から逃れることに成功した。

 そして不可視の波は、僅かな砂埃を巻き上げながら……私の壁だったものの破片を勢いよくふっ飛ばし、それらを地に着かないうちに消し去ってしまったようだ。

 ……対消滅。異なる魔道士がぶつけ合う魔術は打ち消し合う。それによって私の小石が綺麗に“掃除”されたのだろう。

 さっきの壁を一発で壊した魔術もそうだし、今の地面を這うような魔術も……私の岩を効率よく消すには、最高の魔術かもしれない。


 大きな歓声が耳に入ってくる。今の私の回避か、リュミネの魔術への喝采か。

 見世物としての貢献はどちらが上か。……気にしていられるほどの余裕はない。


 やべえな、リュミネ。

 飛んでくる姿がほとんど見えない影魔術に、私の壁を容易に全壊させる高威力。

 ひょっとするとこいつ、今まで闘ってきた中でも……いや、今はやめろ。そんなこと考えてる場合か。


「……ぅオラッ!」

「!? ジキア(力よ)ッ」


 無詠唱で右手に握り込んだ小石を、身体強化で思いっきり投げ放ってやった。

 が、ほとんど不意打ちだったそれもリュミネが咄嗟に振ったタクトの一掻きで、呆気なく真横に弾かれてしまう。

 ……無詠唱で魔術、その直後に身体強化でぶん投げるのって、大したことしてないように見えても切り替えとかでかなり疲れるんだけど……効かねえか。数投げりゃいつか不意を突けそうにも見えるが、先にこっちが根負けしそうな予感がある。


 やっぱり私は、近づくしかないってわけね……知ってたけどよ。


「“ジキア(力よ)ダウ(堅く)ヘンディア(左手を守れ)”」

「“スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”!」


 リュミネが自身の左手にタクトを振るうと、彼女の左腕に赤黒い靄のようなものが見えた。

 ……影魔術の、目にも見えるほどのしっかりした力場、ということだろう。一度クラインにも似たようなものを見せてもらったので知っている。

 あの赤黒いオーラは防御壁のようなもので、ある程度の衝撃までならば防いでくれるという代物……だったはずだ。

 もしかしなくとも、私の投石対策のつもりだろう。内心、もうちょっとやりようによっては……なんて算段を浮かべていたので、そいつが先に潰されたのが痛くはある。腕力の投擲はもう駄目そうだ。


 が、こっちはこっちで石柱の生成をさせてもらった。

 六メートル超えの立派な石柱だ。しかし、防御面積自体は先程の城塞(ドット)よりも遥かに劣っている。クラインとかに言わせりゃあまり賢い防御壁とは言えないだろうが……いざという時のお守りがわりにはなってくれるかもしれない。


「さて、おそらくは万全です」

「行くぞ、リュミネ」


 未だ距離はある。

 だが、相手は後退しているし、こちらは着実に詰め寄れてはいる状況。


 縮まるほどに相手の放つ影魔術が避け辛くはなるだろうが、それは宿命みたいなものだ。

 短い期間だったけど、クラインやナタリーとの特訓で近距離での避けには自信がある。大丈夫だ。一撃で決めれば問題ない。


「“スティ(黒鉄の)ドット(城塞)”」

「……は? え?」


 玉砕覚悟で突っ込んでやる。なんて思ったその時、中腰になったリュミネは思いもよらない魔術を発動した。

 この状況で、まさかの“スティ(黒鉄の)ドット(城塞)”。金属の壁を生み出すだけの、防御壁の魔術。


 だが白銀色の壁は小さく、彼女の姿を覆う程度の頼りないものでしかない。

 いやそもそも、こっちは相手の影魔術を警戒していたのに、そんな……視界を遮るような守りを建てるなんて……。


「けど、チャンスか!」

「“ジック(結ぶ)ログ(彼の地へ)テル(跳ぶと)ジョイ(受け入れる)”」


 今は絶好の好機だ。相手がこちらを視認できていないなら、鉄壁があろうがなんだろうが逆に攻めやすくなった!

 アンドルギンならあの壁を一発で壊せる!

 躊躇はいらない。私はアンドルギンを強く握りしめ、壁に向かって走りだした。


 観客達の大きなどよめきが聞こえる。

 この後、僅かな時間の内に闘いが大きく動くような、そんな空気のうねり。


 さあ、やることは同じだ。防御を重ねる相手に強いのはクレアの試合ではっきりしている。


 私は恐れずぶち壊すだけ――。


「“ジキア(力よ)ティ(解き)テラー(放て)”」

「――え」


 アンドルギンを高く振り上げたその瞬間。

 私の背後から、リュミネの詠唱が聞こえてきた。



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