鈎008 解き放たれる調停者
あっという間に夕時である。
モヘニアさんと一緒に飲んだ食ったした腹は適度に空いている。何か美味しいものでもたらふく食べて、満足してから帰りたい気分だ。
そんな感じに財布の紐が緩めなのも、やはり今日の仕事で得たちょっとしたお金のせいなのだろう。
「あんなのでお金貰えるんだね」
「羽振りの良い連中は皆、そのようなものだ」
私とクラインは、各々一万YENという超高額報酬を受け取ってしまった。
実際の所そんな働きはしてないし、何ならこんなボロ儲けな仕事がこの世に存在してほしくない……なんてひねた考えまで浮かんできてしまうけれど、報酬を受け渡してくれた役人のザイキ曰く“もらっておけ”とのことだった。
役人に言われちゃしょうがねえ。貰っておいてやるか。気は進まねえけどな。役人の言うことにゃ逆らえねえわ。
そんなわけで、私は貧乏人らしく気が大きくなっていたのである。
今なら多分、ミネオマルタのどんな店にでも入れるだろうし、どんなものでも買えるに違いない。
中央部にある高そうな店の偉そうな値段した肉だって、指先ひとつで焼きあがってくるわけだ。そんな想像を巡らせながら歩いていれば、自然と涎が垂れそうな心持ちであった。
が、それはもうちょっと後でも構わない。
今はクラインの目的の品を購入するのが、何より先決なのである。
「マスケルト戦杖店は繁盛しているな」
ジューア魔具店に入るなり、クラインはそのようなことを呟いた。
先程歩いてきた通りの喧しさに、色々と呆れたり驚いたりしたのだろう。メイスの売れ行きはなかなか目を見張るものがあるようだった。
「でも、クラインはメイス使わないんだよね」
「ああ。悪くはないがな。長物に慣れると指環の感覚を損なうから、やめておく」
私達が今いるのは、ジューア魔具店。私が以前、最初のタクトと二番目のタクトを購入した、ちょっと古ぼけたお店である。
しかし古ぼけているとはいえ、品揃えは良いらしい。それがどんなもんかは私にはわからないけれど、ヒューゴとクラインがそう言っているのだから多分間違いはないのだろう。
「また冷やかしか。メイスにでも飛びついていればいいものを」
そうしてしばらく待っていると、店の奥にある急な階段からローブ姿の男性が降りてきた。
気難しそうに眉間に皺を寄せたこのジューア魔具店の店主さんである。
彼は降りてくるなり私達をじろりと睨みつけ、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「クラインか。それと、タクトの嬢ちゃん。いや、今やアンドルギンの嬢ちゃんか」
「あ……いや、まぁ……その」
「ふん。別にどんな杖を使おうが人の勝手だ。うちのだろうが他所のだろうが、自分に最も相応しい杖を選べ」
私はここの店で二度、タクトを購入した。一つ目は赤陳のタクトで、二本目は鑽鏨のタクトである。鑽鏨の方はまだ壊れていないし全然使えるんだけど、私はもうタクトを使わず、アンドルギンを主体とした、メイスを杖とするスタイルに変わってしまったのである。
タクトはジューア魔具店のものだが、アンドルギンを譲ってくれたのは隣のマスケルト戦杖店だ。
そのことで、私はこのジューア魔具店にちょっとだけ遠慮するような気持ちもあったんだけど、どうやらこのジューアさんは“気にするな”と言ってくれているらしかった。
「ま、あのマスケルトの坊主もいい加減にエルナの妙ちくりんな杖を売っぱらいたかったんだろうさ。あんなもん、無駄な付加価値が付くせいで誰も手を出そうとせんかったからな」
「え……破砕杖アンドルギンですか? 誰も手を出さないって……?」
「出さんだろ、あんなもん。……なんだその顔は。前も思ったが、変な女だな」
ちょっと呆然とする私を見て、ジューアさんはまた眉間に皺を寄せたのだった。
「で、用があるのはそっちか。クライン」
「ああ。買いに来た」
「ほう、ついにか」
「金ならある」
「だろうな。無ければ足も運ばんだろう」
クラインが静かに前に出ると、ジューアさんはニタリと怪しげに、凶悪そうに微笑んでみせた。
「以前言っていたリングロッドだろう。同じものを一対……そうだったな?」
「ああ」
そうして何度か言葉を交わすだけで、ジューアさんは再び階段を登っていった。
どうしたんだろうと思っていたけど、それから数十秒もしないうちに、彼は小さな平たい金庫を持って降りてきた。
金属製の、鞄ほどの大きさもないような金庫である。平たく慎ましい大きさではあるけれど、三つの錠前で頑丈に封印されたそれは、確かに金庫で間違いないのだろう。
「学生の分際で偉そうにと思ったもんだが、まさか本当に稼ぐとはな。親の力を借りずに成し遂げたのだとしたら、大したものだ」
三つの錠前が黒っぽい古い鍵によって解錠され、開かれる。
「だが、俺もなんとなくだが、クライン。お前がいつの日か、それほどの金を工面するだろうと思ってはいた。そして、この店を訪れるだろうという確信も、抱いていた」
ゆっくりと開かれた金庫の中には――見るからに豪華であろう、二つの指環が納められていた。
……古い新聞紙の緩衝材に包まれながら。
もうちょっとなんかこう、見栄えの良い納め方できなかったのかな、これ……。
「手に取っても」
「構わん」
一言交わすや、クラインは小さなケースの中の指環を無感動に拾い上げた。
「……これは」
「柄は獅子河馬の歯根、芯は剛猿の炭化した腱、先石は地核石コアスチール。……銘は“メンフェニアの調停者”。作者は、不明だ」
その指環は不思議な風合いで、奇妙な威圧感のようなものを放っているように思えた。
クリーム色の石のような材質を本体とし、中央には赤みを帯びた影がうっすらと走って、輪を描いている。
その輪にまとわりつくかのように、金属を流し込んだような解読不能の細い文字が飾られており、指環を影と共に一周しているらしかった。
それらを貫くように埋め込まれているのは鈍色の金属。宝石ほどの美しさは到底ないであろうと思われるのに、しかしその金属は無粋さを感じさせないような力強さで、指環に根を張っている。
……鈍色の、一見するとただの生鉄のようにも見えてしまえそうな、あの金属。
あれが、地核石コアスチールなのか。
「森の王者と水辺の王者。その上に輝く、この星の生命とも呼ばれる地核石。お前好みだろう? クラインよ」
「……魔力を通しても」
「構わん。何なら着けてみるが良い。それはお前の中指にちょうど収まる」
クラインが許可を得る前から指にそれを通すと、指環はまるで最初からそこにあったかのように、彼の装備として馴染んで見えた。
「……素晴らしい」
しばらく黙って指環を眺めていたクラインの感想は、それだった。
なんとも簡潔な一言である。が、指環を見つめる彼の好戦的な笑みを見るに、その言葉には一切の偽りがないのだろう。
「これにする」
クラインの即決であった。
クラインが新たな杖を購入した。
新しい杖を買うという話は以前から聞いていたので別段驚きはしなかったのだが、彼が指環と引き換えに差し出した現金には目を剥いてしまった。
「おい、クラインよ。こんな額を不用心に持ち歩くもんじゃねえだろ。このボロい店だって、銀行とのやり取りくらいはできんだからよ」
その札束と呼ぶべき圧倒的な現金を見て、あまりお節介をかかなそうなジューアさんですら、そんな苦言を呈する始末だ。
「煩雑な入金の手間は省かれるべきだし、オレは自分の財産を守るだけの力は持っている」
「ふん」
クラインはいつも通り聞き入れない様子だけど、こればかりはどうかと思ったね。
……まぁ、人の金だし。貧乏人が外から色々言うものでもない。
ていうかその時はただ指環のとんでもない値段に呆然として、何も口を挟めなかっただけなんだけどさ。
「“メンフェニアの調停者”。雷の国の宝湖街メンフェニアには、世界的にも有名な聖堂が存在する」
「そうなんだ」
店から出た後で、そんな雑学披露が始まった。
「リィンクール大聖堂だ。君でも名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「あっ、知ってる。絵も見たことある。凄い綺麗なやつでしょ」
リィンクール大聖堂。それは私でも、というかだいたい世界中の人が知っているであろう有名な大聖堂だ。
あまりお目にかかれるものでもないけれど、紙幣に描かれている建造物なので、誰しも一度くらいは見ているに違いない。
鋭く尖った四角錐型の上部が特徴的だ。あれは一体どのようにして屋根を組み上げたのだろうか。私の中では長年の疑問だけど、わざわざ調べたいほどのことではない。
「リィンクール大聖堂は黄金のようにも見える、未知の不壊金属で出来ている。そのせいかいつ頃建てられたのかは一切不明だし、内部の機構にも未知が多い。聖堂の宗旨さえも、古代から謎のままだった」
「へー」
壊れない金属か。すごい高値が付きそうだな。
「雷の国ではそういった古代遺跡も珍しくはないのだが、リィンクール大聖堂の神秘性や神々しさは別格だった。かの不滅の大聖堂は、古代の人々を魅了してやまなかった……血で血を洗う、大聖堂を奪い合うためだけの紛争が起こるほどにな」
クラインは中指に嵌められた指環を眺めながら、それに埃でも見つけたのか、軽く息を吹きかける。
「……メンフェニアを中心として幾度も戦いが起こった。崩れることのない黄金の砦は、権力者にとって喉から手が出るほどに魅力的ではあったのだろうが……しかしその地を抑えたところで、国の覇権を掌握できるものではない。メンフェニアは経済的に重要な土地ではなかったし、当時は何かしらの要衝でもなかったからな。結果、玉座を挿げ替えるだけの戦いが続くだけだった」
「なんか馬鹿みたいだね」
「その通り。馬鹿共の無益な権力争い巻き込まれた当時の人々が哀れでならんよ。戦禍は結局、千年近く経ってから有力な貴族によって鎮圧されるまで続いたらしいからな。そしてそれすらも、他の追随を許さない圧倒的な力の登場によるものでしかない。結局は、より強い暴力が打った終止符に過ぎなかったのだ」
メンフェニアの調停者。それはつまり、ただ強い奴ってことなわけか。
なんか夢も希望もない話だな。子供に聞かせるおとぎ話としては最低だ。
「この指環に刻まれた文様は、リィンクール大聖堂にも見られる古代文字だろう。宗教的な意味はあるのかもしれないが……だが、使う者にとってそれはあまり関係がない」
「使えるものなら良い?」
「そういうことだ」
クラインは性格悪そうに笑い、手を握りこんだ。
……まぁ、確かに。色々と武骨だったり血なまぐさい逸話も多そうな指環だけど、クラインの在りようにはとても合致した杖なのだろう。
圧倒的な力。メンフェニアの調停者。新たな杖を手に入れたクラインが、どのように戦うのか。ただでさえ強いのに、さらに磨きがかかってしまうのか。戦いを見るのが、今から楽しみである。
すっかり夜になり、私達は今、一緒に夕食をとっている。
とはいえそれも店に入って席に腰を落ち着けてのものではなく、たまたま目に入った屋台が私とクラインにとって都合が良かったからに過ぎない。
クラインは肉を抜いてトマトソースとバジルを増やしただけのピザで、私はその減らした分の肉を加えたピザだ。
途中で売られていた新聞を購入した私たちは、それを適当に流し読みしながら、大きな劇場の壁を背もたれにして、横着な晩餐に勤しんでいる。
背後の劇場からは、微かに歌声が聞こえてくる。
今日と明日は期間限定の特別な劇が講演されているらしく、クラインはそのなんとかっていう劇について、二言くらいで無感動な解説をしてくれた。彼もこういった劇だとかには興味がないらしく、その視線はもっぱら新聞紙に向けられていた。
「オレはこの後、適当な修練場に赴いて指環の癖を確認してくるつもりだ」
「こんな遅い時間に?」
「眠れば魔力は大幅に回復する。明日もあるにはあるが、使い慣れない杖が手に入ったのだ。その確認のためならば、時間は可能な限り割くべきだろう」
なるほど、確かにその通り……なのかな。
使い慣れない杖だとやっぱり、不都合もあるのだろうか。扱える術の少ない私には想像できない悩みだった。
……でも、確かにそうだ。明後日にはまた大会があるんだから、今のうちに練習しておくべきか。
今日はちょっと羽目を外しすぎたけど、魔術の練習もやっておかないと、不安も募ってしまう。
「クライン、私も一緒に行って良いかな。未だに、夜どこでやったらいいのか分からないんだよね」
「もちろん構わない。君の生み出す生成物は威力を測る的として最適だ」
「……いや、力になれるのなら嬉しいけどさ。なんだろう、喜んでいいのかなこれ」
まぁ、ともあれ特訓だ。
クラインと一緒だったら色々と聞けることもあるだろうし、実りの多い時間になるだろう。
……新聞に書かれていた私の次の対戦相手は、“日陰者のリュミネ”だった。
その対抗策なんかも、ひょっとするとクラインだったら教えてくれるのかもしれない。




