杭005 開幕する大会
セイラの祝祭も今日が最終日だ。
期間中はミネオマルタのどこも賑わっていて……逆に言えば、人で混み過ぎてやりたいことができずに終わった。天候も三日ほどが軽い雨だったし、出掛ける事も億劫になるような日々だった。
旅人と観光客の数がものすごい。あと、多分他の学園の人達も大勢来ていたように思う。それに対応するための警官さん達も、屋根の上をビュンビュン走り回っていた。
特に、学園の屋外演習場のように魔術を使える場所が少なかったのが厳しい。
私としてはナタリーから教えてもらった“スティ・ドット”をもっと使い慣らしておきたかったんだけど、演習に使えそうな場所はどこもかしこも人だらけだった。
結局、私は通りの庇にぶらさがった銀飾りをジャラジャラと揺らしたりしてお祭りを楽しみつつも、それ以外のときはクラインに教えてもらった指導書を熟読して過ごしていたのである。
……ただこの指導書、やたらと古い言葉が多い。理学式を見る分にはまだ大丈夫だけど、解説を読もうとすると結構な時間がかかってしまう。クラームトさんもシコーズさんも言い回しが古風すぎる。
けど他にやることもないし……私は数日間、じっくりと読書に勤しんだのであった。
まぁ、お祭りは最低限楽しんだし、息抜きも十分だったとは思う。珍しい露天で綺麗な青い砂時計も買えたしね。
オイルジャケットをテーブルに広げ、メルゲコ石鹸を良く馴染ませる。これで耐熱性、耐燃性が格段に上がる。
義碗にはコピス油を注して、動きを滑らかにしておく。元々ギシギシと動きの悪い腕なだけに、より入念に。やっておかないよりはずっとマシだ。
ブラウスのボタンはしっかりと補強してある。激しい動きをするとたまに弾けることもあるので、今回は入念に糸を足しておいた。
後頭部で高めに括った長髪は、ソーニャから貰ったツルツルした綺麗な髪留めで留めてある。
デムピックは軽く表面を拭うだけで良い。こっちはあくまで非常用になるだろう。
そして最後……破砕杖アンドルギン。
この杖の手入れは……色々と聞いたり調べたりしてみたけど、現状はまだ必要ないみたい。
というのも、金属部に使われているダークスチールは劣化なんてほとんどしない最高級の魔金だし、柄に使われている木材も又目樫木で、ほぼ割れることはないのだとか。
流石は奇杖職人エルナさんだ。凄い仕事である。まだ生きてたら感謝の手紙とか出してたのにな……。
「……よし」
全ての準備が終わり、窓の外を見やる。
天候は晴れ。
魔術の腕前を奮うマルタ杯の初日としては、絶好の陽気であった。
マルタ杯の予選は、ミネオマルタの各所で行われる。
闘技演習が出来る設備を全て使っての、街ぐるみの大イベントだ。
当然、といったら信者さん達に悪いかもしれないけど、マルタ杯の賑わいはセイラの祝祭を軽く凌駕しているだろう。
それは街を行き交う人々の熱気を見れば明らかだ。
「進まねえ」
「すすまぬぇ」
熱気。もとい、混雑とも言う。
いつものメンバーで待ち合わせした私たちは、足並み揃えてミネオマルタ中央部にあるという水国立ラリマ競技場を目指しているのだが……それまでの道が、なんというか。酷い。
なるほど、前々からミネオマルタが混雑していた理由が今ここではっきりとわかった……これまで街が人で溢れかえっていたのは、皆今日のための人ばかりだったんだな……。
「むぎゃー」
「あ、ちょっと! ボウマが人混みに潰されてるわよ!?」
「あははは、漂流しちゃいそうだなぁ」
「ヒューゴあなた何で笑ってるの!?」
「はぐれたら面倒だね。ちょっと拾ってくる」
どうも人々は揃ってラリマ競技場を目指しているらしく、人の流れが一定だ。
それが密集隊形でジワジワと進んでいるものだから、隊列なんてものに大人しく収まっている質ではないボウマなどは、あっという間にはぐれてしまう。
本当はこうやってボウマを回収するために皆と離れるのも危ないんだけど、幸い私達にはライカンというとても目立つ友人がいる。ちょっと離れても、すぐに合流できるだろう。
「こーら、ボウマ。そうやってすぐふらふらどっか行って」
「うひぇひぇ……ごめんにぇ……」
首根っこを掴んでどうにか回収できたボウマは、人波に揉みくちゃにされ髪も服もぼさぼさになっていた。
大会が始まる前だっていうのに、早速ダメージを受けているとは……既にやる気は十分だな。
「ボウマ捕まえた」
「つかまたー」
「……そうして見ると、本当に小動物みたいな扱いされてるわね」
確かに、ボウマの扱いは妹分というよりは、ペットみたいな感覚に近いかもしれない。
飴があれば餌付けもできるし。
「君達、あまりもたつくなよ。マルタ杯の開会式では番号ごとに初戦の会場割り振りもあるし、八人の監督者の発表もある。これらの情報は重要だ。できれば聴き逃したくはない」
ちゃっかりライカンの真後ろに構えて人混みを避けているクラインがそんなことを宣った。
「初戦の会場も発表されるんだ……それが重要なのはわかるけど、監督者って? えーっと、確か……審判する人のことだっけ」
「そうそう。火、水、鉄、雷、風、影、光、闇。色々な国から監督者が選ばれて、その人達が本戦とか、重要な試合を審議してくれるのさ。監督者は各国から出ているから、出身や学園による贔屓は起こり得ないはずだよ。公衆の前での面子もあるだろうしね」
ああ、そういえばそんな話を前に聞いた気がするぞ。
監督者……ええと、確か……。
「あ、思い出した。ルウナだ」
「んぇ? ルウナ?」
「うん。ルウナのお父さんが、確かマルタ杯で“水”の席で監督者を務めるんだって」
ルウナがそんなことを嬉しそうに説明してくれていたような気がする。
『ほう、それは名誉なことだな。水の席、つまりは水の国の代表のようなものだぞ』
「そうね。……もしかすると、学園の修繕作業にサナドルが積極的に協力したっていうのも、今回の人選に関わってるのかもしれないわね。まあ、どうでもいいけど」
「お、ソーニャもそう思うかい? 学園の修繕作業はサナドルが深く関わってたみたいだからね。僕としてもそれはあるんじゃないかって思うよ」
噴水街サナドル。水路や噴水の工事技術では水の国一番とも言われる街だ。
ミネオマルタに恩を売る程の技術力……サナドル……ルウナって凄いんだな……。
「それに、今回のマルタ杯の“光”の席はリゲル=ゾディアトス導師が座ることになるだろうしね。あの人と席を連ねることには、今後大きな意味が出て来るかもしれない。もしもサナドルが席を強請ったのだとしたら、良いタイミングだと思うな」
『ほー』
「ヒューゴ、なんか話が難しいじぇ」
「おっと? ははは、ごめんごめん。まぁ、人気のない新聞にも載ってた推論だしね。あんまり気にしないでくれ」
と言いつつも、サナドルの目論見について語っていた時のヒューゴの顔は、どこか活き活きとしていたように思う。
やっぱり噂話とか、陰謀とか、そういうの好きなんだろうな。ヒューゴは。
しばらく歩き通して中央部に入り、私たちは水国立ラリマ競技場に辿り着いた。
大規模ギルドや銀行など、都市の主要施設が集まるミネオマルタの中央部において、その巨大な建築物は一際目を引いた。
「でけー」
「何度か見たことあったけど、ここが競技場なんだね」
水国立ラリマ競技場。
それは幾つもの石造アーチが並んで外壁となった、一目見て“なんだこれは”という感想しか出てこないような、とにかく巨大な何かだった。
かつて死闘を繰り広げた灼鉱竜でさえも潜れそうな大きなアーチは、競技場への入り口なのだろう。私達が並んでいる行列の先鋒は、複数のアーチに吸い込まれるように入ってゆく。
「ラリマ競技場は歴史ある巨大競技場だ。マルタ杯の本戦でも使われるが、広さは闘技演習場の何倍もあるからな。一度に複数の演習場を設置して試合を行うことになるだろう」
「えっ……なにそれすげえ広いな」
『元々はレースのための競技場なんだろうな。開会式をやるにしてもうってつけだ……お、列がどんどん掃けていくぞ。皆、はぐれないように固まって歩こうな。ボウマ、お前はもうはぐれるんじゃないぞ』
「ガキ扱いすんなぁ!」
大々的に行われる闘技演習、くらいの気持ちで参加したマルタ杯だったけど……建物のあまりの威容に、ちょっと気圧され気味になってきた……。
よく見れば、周りの人達も皆杖持ってるし、ローブとかケープとか、そういう人ばっかりだし……。
……ああいう人達と、これから闘うことになるんだよな……うわぁ、なんだか凄い緊張してきた。
手が……手に汗がブワッと……あ、でもアンドルギンの柄、手に汗握ってもそんなに滑らない。すげぇ。
競技場に入ると、一定間隔で大きな掲示板が並んでいた。
天井までびっしりと石造りの荘厳な競技場の内部において、木製の無骨な掲示板はどこか浮いている。きっと、このマルタ杯のために設営されたものなのだろう。
掲示板には細かな文字がびっしりと書き込まれており、若い魔道士達はそこに蟻のように群がっている。
よく目を凝らしてみれば、掲示板の上の方には大きな文字で“一次予選 北部公開修練場”と書かれているようだ。
「あの掲示板にはオレ達が初戦を行う施設と時間が書かれている。自分の番号が書かれている施設まで移動しろということだ」
「そうなんだ。じゃあ、私達も早く確認しないと……」
「君は馬鹿か。そんなものは後からでも出来ることだろう。今は競技場の座席の確保こそが最優先事項だ。一時間以上、ずっと立ち見がしたいのであれば話は別だがね」
……棘のある言い方だけど、なるほど、そうか。確かに正論だ。
私たちはこうして大所帯で来てるわけだし、先に席を確保しておくのが大事だよな。
馬鹿って言われた後に頷くのは癪だけど、一応“なるほどな”って感じに小さく頷いておく。本当に、小さくだけど。
「……」
「? 何、クライン」
「いいや」
一瞬だけ、クラインの視線を感じた気がするけど……何だ。私に“その通りですね、クラインさん”とでも言って欲しかったのだろうか。
「……プラチナムチャフカのシルクと、それによって編み込まれる紋章菊模様のレース生地は雷国でしか生産されていない。ガンダーロ王家御用達の歴史あるブランドだ」
「ん?」
「ブランド名はレミー・テッチという。首都にあると思われがちだが、工房を構えているのはハルギンだ。様々な衣類や装身具の製造を依頼することもできる。我が家のウィスプ母様も度々買い付けている店だ」
一体何事だ。いきなりどうしたクライン。大丈夫か。
故障か。アンタもボウマみたく試合前にダメージ負ったのか。
「おーそうだクライン、上行く前に売店寄ってこう! 実は僕、近くの良い店知っててね!」
「ん、おい、なんだヒューゴ」
「ごめんごめん! 皆の分の飲み物とかクラインと一緒に用意しておくから、先に僕らの分の席も取っといてくれよ!」
『おお、すまんな。ならば、入り口付近で待ち合わせするとしよう。俺がいれば場所はわかるかもしれんが、一応な』
「頼むね!」
「あたしリンゴジュースにぇ!」
そんなこんなで、よくわからない内に二人は離脱していってしまった。
けど、なるほど。競技場ともなると売店もあるわけか。酒を飲みながら闘技演習の観戦もできるかもしれない……ちょっと退廃的な感じもするけど、楽しそうだな。
「あれは酷い」
「ん? どうしたのソーニャ」
「なんでもないわ……」
色々と疑問に思うところはあったけれど、今もなお大勢の人が競技場内に雪崩れ込みつつある。
みんなバラバラにならないように、早めに席を確保しておかないとな。
競技場の観客席は、とてつもなく長い大階段を登った先にあった。学園の階段に匹敵する長さのあまりに、ソーニャが途中で“引っ張って”と私に駄々を捏ねる程である。
けどライカンが“よし、おぶってやろう”しゃがみ込むと急にキビキビと歩き始めたので、まだまだ余力はあったようだ。
その時のライカンはちょっとだけ寂しそうだったけど、直後にボウマが引っ付いていたので問題は無い。
「わあ、凄いな……これ、全部人か……」
観客席の最上段から見下ろす競技場は、絶景……というよりは壮観だった。
特に観客席が圧巻だ。既に多くの人々が席についており、全体を見れば人の蠢きがまるで波のように見えてくる。この大観衆の中で闘うかもしれない……ということを考えると、初戦を通過してもいない今でも胸が締め付けられそうだ。
「んー、後ろの方は結構空いてるけど、ここからじゃフィールドはほとんど見えないわね」
「そだにぇ。人が豆粒みたい。前のが見やすくて良いよ?」
確かに、ここからだとフィールドの様子なんて全く把握できなさそうだ。
私としても、可能な限り前の方を陣取っておきたい。特別目が悪いってわけじゃないけどね。
ライカンは後から来る二人を待ってもらって、私たちは先に席で待っていることにした。私達六人が横並びに座れる場所が理想だけど、変則的に前と後ろで分かれるような並びでも問題はないだろう。皆で話す分には、そっちの方が良いかもしれない。
「あー、ルウナだぁ」
「え? あ、本当だ」
遠くから見ると座席は人で埋まっていそうな威容を放っていたけれど、私たちは思いの外かなり前の場所を陣取ることができた。早めに席取りしておいて正解だったのだろう。ここからなら、フィールドの近いところにいる人の表情まで良く見えそうだ。
そして、私達よりも前の方の座席には、なんとルウナが座っていた。
周りにはルウナの友人らしき彩佳系の女魔道士もいて、今は開会式前の談話に興じているのだろう。こちらに気付く様子はない。
「ルウナの服、今日はおしゃれしてるんだにぇー」
「そうだね。いつもは結構地味な感じなのに」
「うんうん。地味ーなローブなんだけど、こういう時はおめかしするみたいー」
「へー」
そういえば発表会の時も、ルウナの服はちょっと豪華だった記憶がある。
式典の時にはちゃんと着飾る当たり、さすが旧貴族だなと思う。いや、別に関係無いのかな? 今日はソーニャもいつもより綺麗な格好だし……私が無頓着なだけだったか。
「ん? どうしたのよ、ロッカ」
「いや……私って地味かな」
「何変なこと言ってるの。ロッカが地味だったら他に誰が目立つのよ」
「え……目立つって……いや、なんだろう? その励まし方ちょっと微妙な感じかも」
「心配しなくても、ロッカはロッカで魅力的よ。……私のプレゼントした髪留め、ちゃんと付けててくれてるしね」
「あ、うん。結構気に入ってるんだ、これ」
「ふふ、ありがとう。似合ってるわよ」
ソーニャからそう言われると……勘違いかもしれないけれど、ちょっと自信湧いてくるな。
……よし、私もアンドルギンに劣らない、魅力的な女になろう。
二人を連れたライカン達も合流し、私達六人は無事に揃って着席できた。
ヒューゴとクラインが持ってきた飲み物は少し割高だったらしいけど、なんとなくその値段に合うくらい美味しい……ような気がする。場所のおかげっていうのもあるかもしれない。
軽い食事をつまんだり、会場の豪華さとか周りの人達とかについて皆で話していれば、開会式の時間はすぐにやってきた。
『そろそろ始まりそうだな』
既に会場は満員御礼。寝起きが悪いんだか間の悪い人達は、大勢が最上段の場所で背伸びしながら立ち見をしている状況だ。早く席を取って本当に良かったと思えた瞬間だった。
フィールドには四つの白い石壇……おそらくは闘技演習と同じようなものが並んでいる。
白い石壇は所々が四角く隆起しており、フィールド上においても座席のようなものを形成しているようで、そこに着席する人もいた。ただ、そこにいる人は魔道士というよりはお偉いさんのような身なりをしているので、きっとあそこは開会式のための専用の来賓席とか、そういったものなのだろう。
四つの石壇の対角線上、競技場のど真ん中には、一際大きな円形の石壇が置かれている。この競技場で、多分最も目立つ場所であろう。
そこには背広を着た男性が小さな紙のようなものを手にして立っており、近くの人と何やらゴニョゴニョ話をしているようだった。
「あれは……多分拡声の魔具だね。競技場全体に声を行き渡らせる道具だから、慣れないとびっくりするかもよ」
「へー……拡声の魔具なんてあるんだ。便利そう」
「にしし、あれ奪い取って大声で歌いたいなぁ」
「やめなさい」
『ゴホンゴホン。あー、あー……』
うわっ、びっくりした。
やたら腹にくる声が響いたかと思ったら、あれか。この声が拡声魔具か。身構えてたはずなのにちょっと驚いたぞ。
他の人も突然の大声に驚いたのか、会場内はしんと静まり返った。
そんな中で、壇上の初老の男性が再び口を開く。
『……生憎の空模様ではありますが、この雨も無く陽射しのない日和は、若き魔道士にとって過ごしやすい天候と言えるでしょう。書を捨て街に出ることもまた、魔道への一歩。若き魔道士達が日頃学んだその粋を験す時が、ついにやって参りました。……マルタ魔道闘技大会。開会式を、執り行わせていただきます』
男性の物静かな語り口とは裏腹に、会場は鼓膜が破れそうなほどの拍手と喝采に包まれた。




