鏨016 吹き込む熱風
ぼくはベロウズ=ビスマロイド。
火国の整備都市ビスマトーレで整備店を開いている、ビスマロイド家出身の人間だ。
ビスマロイド家は代々整備士や職人で、幼い頃から機械や工具に触れて育っていく。
そのため家の人間は皆、機人整備や重機械関係の仕事に就くことが多い。ぼくの兄は機人の修理が得意だし、一番上の姉などは鉄国で大きな工房で働いているのだという。
だから、ぼくもその道を歩むのは嫌いではない。
実際、ぼくは機械に触れるのも工具を操るのも好きだったし、ゴーレム整備から機人の修理まで、幅広く手を出してはどの仕事に就こうか迷った程だった。
まだまだ小さな頃は自分の様々な可能性に触れては、楽しく悩んだのを覚えている。
けれど、今のぼくは整備士でも職人でもない、魔道士を目指している。
そう思った切っ掛けは、十一歳の頃のことだった。
あの時のぼくは、火の国が誇る世界最大の飛空船、ギア・ピスクの発着場で、巨大飛空船を見学していた。
未だ国が総力を挙げても解明することのできない巨大飛空船ギア・ピスク。何百、何千の人を輸送することができる空飛ぶ機械船の威容に、ぼくは圧倒された。
巨大な鳥のような鉄の塊が空を飛ぶ。話に聞くだけでは疑わしかったその事実も、そんなちっぽけなぼく自身を乗せて空に飛翔されては、信じざるを得なかった。
ぼくは、分厚い窓越しに見える遠ざかる大地と、流れてゆく景色を見て……その日、機械の偉大さに改めて感動したのだった。
『空襲発生! 空襲発生! 後方より爆撃竜が接近!』
しかしそんな心躍る見学会も、空からやってきた魔獣によって一気に恐慌へと変わる。
空からやってきたのは、悪名高き空の破壊屋……爆撃竜スツカの群れだった。
自分たちよりも遥かに大きなオオヴィンやベヒーモスにさえ攻撃を仕掛け、時には仕留めてしまうという、獰猛な竜種。それが空を駆けるギア・ピスクに狙いを定めたのだ。
爆撃竜による事故は頻繁に話題になるため、存在は知っていた。けれどまさか、ぼくが乗船している時にやってくるなんて……。
『ベロウズ、ここは甲板に近い。船倉に避難しよう!』
『あ、ああ、うんっ……!』
運の悪いことに、ぼくと父は見晴らしの良い尾部通路にいた。
そこからは何重にも合わせたガラス窓によって外の景色を眺められる素晴らしい特等席だったけれど……爆撃竜の群れが背後から迫っているともなれば、そこは真っ先に標的となる部分だった。
当然、ぼくと父は慌てて避難した。けれど、脚が震えてしまったぼくは、思うように走れない。
『ベロウズ!? 立ち止まるな!』
あまりの恐怖から無意味に振り向くと……天窓の向こう側には、はっきりと三匹の竜の姿が見えた。
聞いた話では、爆撃竜はたったの三メートルほどしかない小さな竜だと言われていたけれど……あの時のぼくには、それはもっと大きな……この世の何よりも強大な、恐ろしい生物にしか見えなかった。
コウモリのような翼。
細かな歯がギッチリと並んだ顎。
赤茶けた汚いウロコ。
そして……時に大型の生物ですら致命傷を負ってしまうという、爆撃竜のみが定期的に産卵するらしい“爆弾卵”。
人間なんて簡単に殺してしまえる危険物を両手に抱えた竜の群れが、窓越しの僕を確認すると、こっちめがけて飛んできて……。
『“イアズ・リウル・ティ・テルス”!』
――そして、こちらにたどり着くこと無く爆散した。
『やれやれ。今日は昼寝ができると思ったんだが……やってくれたな、放火魔共め』
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
どこからか飛んできた火の玉が竜に当たって、爆発して……翼幕がボロボロになったそれは、急激に勢いを失って後方へと流れるように落ちていって……おそらく、死んだ。
『今日の船守りは俺達“連星団”だ。運が悪かったな』
『襲ってきた自分たちを恨むこったな!』
『よーし、皆! いつも通り被せず的確に狙って行けよ!』
『おう!』
気がつけば尾部の上部甲板には、緊急防風ハッチを背にした魔道士達が続々と姿を見せている。
風除けを背に長いロッドを握る彼らは、強風の中で髪とマントを靡かせながら、恐れる様子もなく爆撃竜に向き合っていて……。
『“イアズ・テルス”!』
『“イアズ・リウル・ティ・テルス”!』
『“イアノ・テルス”!』
『“イアノス・テルス”!』
――ほとんど同時に放たれた魔術の炎は、瞬く間に襲い来る竜達を黒焦げにしていったのだった。
『……すごい』
『おお……助かった。さすがはギア・ピスクの護衛団だ……』
絶望を打ち破る火炎の群れ。
強大な竜さえ退ける魔術の可能性。
それが、ぼくの契機。
それが、今なお忘れ得ぬ魔術の憧憬。
ぼくはこの旅行で、沢山の人を乗せた飛空船ギア・ピスクの技術力にも驚嘆したけれど……それと共に、船を護衛していた魔道士達にも、強い憧れを抱いてしまったのだ。
整備士になるか、職人になるかそして……魔道士になるか。
ひとつだけ増えた選択肢は、長い間ぼくを悩ませ続けたけれど……。
やはり……あの光景と胸の高鳴りが忘れられなかったぼくは、“魔道士”という選択を手に取ったのである。
それがぼく、魔道士ベロウズ=ビスマロイドの始まり。
だけど、それは同時に……ぼくの苦難の始まりでもあったのだ。
魔道士を目指す。
そんなぼくの夢に反対したのは、家族だった。
心が狭いと思ったりはしなかった。何故ならビスマロイドは代々機械を弄る家系だったし、かくいうぼく自身だって、その日までは家族と一緒の道を目指していたのだから。
だから家族皆からしてみれば、ぼくの抱く夢は一時のものでしかない、すぐに消えるはずのものだったのだ。
旅先で見た魔道士の格好いい活躍を見て、憧れる。……傍から見れば、陳腐な理由だったに違いない。
けれどぼくは、ぼくの抱いた想いが軽く、陳腐に見られるのが悔しくて、より意欲的に勉強に励んだ。
あるいはそこで家族が反対することもなければ、これほどの反動も生まれなかっただろうと、そう思えるくらいには、必死になって机に齧りついた。
もちろん、だからといって仕事の手伝いを疎かにすることはできない。一日中勉強することだけを許してくれるほど、家族に余裕があるわけでもない。
だからぼくは家の手伝いをしながら、機械への理解も深めつつ……同時に立派な魔道士となるために、理学の勉強を続けたのだった。
……視力は元々そんなに良くなかったけれど、この時に更に悪くなったんだと思う。
ミネオマルタ水国立理学学園に入学したのは、十五歳の時だった。
ぼくは必死の勉強の甲斐あってか、どうにか周りと足並みが揃う程度の年齢で、名門と呼ばれる学園に飛び込むことが出来たのだ。
今にして思えば、あの当時試験に合格したのは奇跡だったのかもしれない。それほどの僅差でギリギリの合格を果たしたぼくは、もちろん喜びもしたけれど、安心して脱力することはできなかった。
けど、そんな気持ちでいられたからこそ、入学後も真面目に取り組んでいこうと思えたのだ。
夢を叶えるために……この学園を卒業する頃までに、立派な魔道士になる。
ぼくは一切油断すること無く、勉学に励むことを決意したのだった。
……それは本当の話。
実際ぼくは全力で頑張ったつもりだった。
それでも、結果は……なかなかついてこなくて。
周りの学徒たちは皆、いつだってぼくよりも優秀で……なんというか、センスが良くて。
焦り、努力し、それでも自分の立ち位置は変わらず……気が付けばぼくは、結果を出せないまま上級生になっていた。
ぼくが住んでいる場所はミネオマルタの外周部にある機人整備店で、夜と休日には整備の手伝いや翌日準備のために働いている。
普通、住み込みとはいえ、僅かな時間しか働かないような余所者を何年も置いてくれる親切な店は、そうそう見つかるものではない。
けれど、整備店の主人を務めているノーマさんは、中途半端なぼくを六年間もずっと雇ってくれた。
晩ご飯も用意してくれるし、仕事も教えてくれるし……ノーマさんからは、一生かけても返しきれるかどうか解らないほど、色々なものを借りてしまったような気がする。
だからというわけではないけれど、結果は出さなければならなかった。
ノーマさんのため、だけではない。もちろん、自分の夢を叶えるために始めたことだ。それを忘れたわけではない。
けれど、どうしてもぼくは“優秀”の域に入れなかった。
学業においては研究者志望の人達に大差を付けられ、闘技演習では魔術の扱いや素質で圧倒され……これといって得意なものを持たないぼくは、何年たっても“平凡”、あるいは“出来損ない”のままだった。
努力はしている。それこそ、血の滲むような事だってやっている。
遅れを取り戻すために、基礎は重点的に反復した。取りこぼした知識がないよう、様々な指導書に手を出した。
自惚れではない。実際、ぼくは少しも遊ぶことも無しに、何年も何年もそうやって自己研鑚を続けてきたのだから。
……それでも勝てない人が多すぎる。届かない相手はいくらでもいた。
目の下に隈ができるくらい本を読んだって、日が沈むまで屋外演習場で杖を振っていたって、その道の人には少しも敵わないのだ。
後から入学してきた“激昂のイズヴェル”や“冷徹のミスイ”などがそうだ。彼らのような天才の領域には、決して届かない。
たった一年前に現れたような“名誉司書クライン”にも、既にあらゆる面で劣っている気さえする。
後から入ってきた後輩たちが、皆次々にぼくの先にゆくのを見て……ぼくは次第に、なけなしの自信さも失っていった。
……所詮、才能というやつが全ての世界なのだろうか。
ぼくが必死になってしがみついている努力というやつだけでは、全体の上半分に行くこともできないのだろうか。
ぼくはもう六年になる。
来年には卒業しなければならない。
けれど、このままでは……今のままでは、ギア・ピスクの護衛任務につくことなんて、絶対にできやしない。
……ビスマトーレに戻って、家族に泣きついて、頭を下げて……実家の整備店で働くべきなのか。
それとも、傭兵ギルドに加入して、力が認められるようになるまで任務を……それはあまりにも現実的ではない……。
ぼくが、空回りのような努力を続けつつも、そんな風に悩んでいた時のことだった。
『“ステイ”!』
屋外演習場の片隅から聞こえてきたのは、威勢の良い女の子の声だった。
ふとそちらを見れば、学園ではあまり見ないような……どこか威圧的というか、男らしい装いの子がタクトを振っている所であった。
見た目よりも実用性を重視したような、裾の長い……多分男物のジャケット。
そして動く度にゆらゆらと揺れる、高く括った茶色の髪。
ぼくは頻繁に屋外演習場で練習していたけれど、彼女は見覚えの無い子だった。一度見たら絶対に覚えているような姿だったので、きっとその時が最初で間違いないのだろう。
その子は木製のタクトを何度も何度も振り下ろし、変わった魔術を連発し続けていた。
発動する魔術は最初からずっと同じ、鉄の初等術“ステイ”。人によっては一桁の年齢で覚えて扱えてしまえるような、簡単な魔術だった。
それを魔術投擲することもせず、ただ黙々と足元に落としていくだけ。そんなよくわからない繰り返しを、女の子は続けている。
奇妙だった。そして、同時に励まされたような気がした。
その時の女の子は、笑っていた。
魔術を発動して、同じことを繰り返していても……それが本当に楽しいものであるかのように、ちょっと目つきは怖かったけれど、確かに笑っていた。
何故笑っているのだろうか。ぼくは疑問に思ってじっと見ていたけれど……女の子の足元に積もった歪な岩を見て、ぼくはようやく理解した。
そう、彼女は“特異性”を持っているのだと。
それに気付いた途端、ぼくはどうしてか、彼女を応援したくなってしまった。
恵まれない才能を持って生まれてしまった彼女に自分を重ねたんだと思う。ひたむきな努力を続ける姿と一緒に、自分を励ますとしたんだと思う。
……そして、それだけじゃない。
ぼくは、ぼくよりも才能に恵まれてないであろう、“魔術が上手く使えない”人を見て……自分の立っている場所が上に登ったと錯覚して、ほっと胸を撫で下ろしてもいたのである。
可哀想に。
悲しいね。
才能がないって、辛いよね。
相手が求めてもいない、そんな同情を一方的に思い浮かべて、自分を慰めていたんだ。
……一ヶ月後。その才能に恵まれていない女の子、ロッカ=ウィルコークスが、“神童”と呼ばれるナタリー=ベラドネスを倒すまでは。
特異科の学徒が、属性科の学徒を倒した。
その一大ニュースはあっと言う間に学園内を駆け巡り、誰の耳にも知れ渡ったのだと思う。
ぼくは、その光景を直に見ていた一人だった。直に演習を見ていて、信じられない気持ちで心がいっぱいになってしまった。
ありえないほどに高く隆起した岩石の柱。
それは、鉄専攻の六年が挑んでみたとしても届きそうもないほどに巨大な、おとぎ話のような生成物だった。
見ていた人は、あの生成物を“精神と術が偶然に噛みあったもの”と結論づけていたことを薄っすらと覚えている。
実際、それ以外では説明しようのない、不条理なまでの巨岩だったのだ。
……偶然。
けど、ぼくはその偶然を起こしたことなんて一度もない。
ぼくはそれまでに何百何千と火球を放ったけれど、一度もそれが家を飲み込むほどに膨れ上がったことはないのだ。
それなのに、あのロッカという子は土壇場で、“偶然”起こしてみせたのか?
……ぼくは理屈には納得しつつも、心のなかではそうは思えなかった。
……ぼくは、才能というのは、尖っているものを指すのだと思うようになった。
凹んでても良い。歪でも良い。どこか尖った、何かに噛みあうような……そんな形をしている才能だからこそ価値があるのだと、そう考えるようになった。
今や有名人であるロッカ=ウィルコークスのような……特異科の人達には、そんな才能がある。
人は特異性を“ハンデ”だとか“障害”だとか言う人もいるけれど、僕にはそうは思えないのだ。
……そう思わないと。
ぼくは何にも秀でていない、丸っこい人間だから劣っているのだと……そう思い込んでいないと。何かの理由が付けられていないと。
そろそろ、努力に縋るぼくの心は、辛くなってきてしまったのである。
「はあ……」
夜。学園が暫く休みになったために、ぼくは珍しく勉強をすることなく、外を出歩いている。
仕事の準備も終わり、ノーマさんを手伝うこともない。かといって薄暗い部屋で本を読みたいと思える程、今日はやる気がこみ上げてこなかった。
言い訳のようにスパナロッドを手に持って、宛もなくふらふらと散歩をしているだけ。
兵舎場まで足を運べば魔術の練習はできるけど……今のぼくには、そんな気力もない。
……マルタ杯。
身体強化の使用も許されたこの魔術大会で良い成績を修めることができれば、僕は一躍、注目されるだろう。
そう思って、近頃は実技を重点的に特訓していたけれど……。
属性科、独性科……そして特異科。色々な学科の優秀な人達と闘った場合、果たして自分は勝てるのだろうかと考えた時……ぼくは、少しの良いところもなく敗北する未来しか想像できなくなっていた。
鉄魔道士と戦えば一発目の錨に押し潰されて。
水魔道士と戦えば足元を凍らされた上で次の一発で沈み。
火魔道士との撃ちあいでは、すぐにこちらがジリ貧になって、正面から負かされて……。
……そんな悪い想像しかできなくなっているのだ。
「……無理だよね。ぼくの軟弱な魔術じゃ……」
人気のない路地裏で、白い壁に背を預け、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは数々の“駄目な想像”。
自分が一方的に敗北するだけの、観客の嘲笑と失笑を受けるだけの無様な姿だ。
これが悪い想像だとはわかっている。わかってはいるんだけど……。
どうしたって今のぼくには、前向きになれるだけのものが、一つもないんだ……。
「若者よ、恐れるな」
「!」
無人かと思われた路地裏の向こうから、野太い声が聞こえてきた。
「え……えっ」
「何も恐れることはない」
薄い月明かりだけが届く闇の裏路地から、大きな人影が現れた。
それは、巨漢だった。
僕の二倍はあろう厳つい肩幅に、見上げるような体躯。
露出した上半身は鎧のように屈強な筋肉の束が犇めき、逆に下半身は幾重もの生地が垂れ、隠されている。
そして顔は……神官帽と聖布によって覆われ、定かではない。
「あ……あなた、なんです……ぼくに、なにか……」
一見して、怪しい。そして、恐ろしい。
目の前に立つこの大男は一体何なのか。ぼくに何をするつもりなのか。未知の恐怖と直前までの喪失した自信が、ぼくの足を震えさせる。
「若者よ。力が欲しいか」
「ち、ちから……え……?」
「未知なる魔術を修め、力を手に入れたくはないか」
ふと気がつけば、大男はその太い右腕の先に、宝石だらけの豪奢なロッドを掴んでいた。
そして反対側の左腕には、何らかの十年鑑と見紛う程に分厚い、黒い魔導書を抱え込んでいる。
杖。そして魔道書。
……筋骨隆々の姿からは想像できないけれど、もしかして、この人は……。
「未知を恐れるな。知識に手を伸ばせ。力ある魔術を求めるならば、私の教えを求めるのだ」
「……力ある、魔術……」
「そう、力ある魔術だ。万敵を排し、栄光を掴み取る、気高き古代の大魔術……私はそれを、授けてやろう」
魔術……栄光……。
怪しい、怪しすぎる……。
けど、何故だろう。
こんなにも怪しいのに……この人の言葉からは、ぼくを騙そうとするような様子は、微塵も……。
「手を伸ばせ。お前の求める魔術は、ここにある」
……。




