嘴012 陽の目見る奇杖
マスケルト戦杖店に入ると、出迎えてくれたのは幽かな油の臭い。
古い木材の中に混じるように香る油は、上品な香油などではなく、実用的な錆止めのものだろう。
その用途が視界いっぱいに並ぶ金属メイス達の整備であろうことは、疑うべくもない。
既に店内に入った皆は、壁に掛けられた重そうなメイス達を楽しそうに眺めている。
鋭い刃を持った物、鋭利な棘を持った物、あるいは斧のように分厚く大きな羽根を何枚も付けた物。
そこに並んでいるものが果たして本当に魔術用の道具なのかと疑ってしまうほどに、店内の品々は解りやすく物々しかった。
「見るのも手に取るのも勝手だが、傷つけたら買い取ってもらうからな」
そしてそんなメイスに囲まれた店内の壁際には、一人の男が座っている。
半分に挽き割りした大丸太のテーブルに頬杖をつき、メイスを見回す私達の姿を怪訝そうに睨んでいた。おそらくは、彼が店主だ。
見事な紺髪からして、彩佳系の人だろう。歳は二十後半といったところだろうか。体格はしっかりしており、魔道士であるようには見えない。
仮に魔術が使えたとしても、ロッドよりもメイスを握っている方が似合いそうな人物だった。
『見事なメイスたちですな。あまり武具には拘らないが、見ていると欲しくなってしまう』
「当然だ。うちの親父が生前、世界中で買い漁った品々だからな」
『ほおー』
ライカンはこういった武器には興味を惹かれるのか、私よりも熱心に見て回っている。
時々大きなメイスを手に取っては、握り心地を確かめているようだ。
「あんたら、学園の連中か?」
「あ、はい」
「ほう」
私が答えると、店主の男は鼻を鳴らした。
「それじゃああんたらも、マルタ杯に備えてメイスを買おうって魂胆なわけか」
マルタ杯。
たしか、ルウナから聞いたことがあるやつだ。
魔術を使った闘技大会で、あと一月後に開催されるとか、なんとか。
「最近は、メイスを買う連中が多いのか」
「あ? あー、そうだな。わざわざ素性を尋ねたわけじゃないが、若かったから多分学徒だろうな。普段はメイスなんざ買わないくせに、この時期になるといつも売れ始めるんだよ」
「ふむ」
クラインの言葉に、店主の男は皮肉ったような笑みを浮かべた。
どうやらこの店主、あまり素直な性格ではないようである。
……しかし、大会前になるとメイスが売れるのか。
学園ではあまりメイスを持ってる人なんて見ないけど、一体どういう事だろう。
「ねえヒューゴ、ソーニャ。なんで闘技大会の前だとメイスが売れるの」
「多分、純粋に接近戦に対応できるからじゃない? 近づいてきた所をガツン。殺傷力のあるメイスだったら、上級保護でも一発だものね」
「マルタ杯は身体強化の制限も無いからね。懐に入られることも、自ら飛び込んでいくことも多いのさ」
えっ、マルタ杯って身体強化使っていいの?
……そりゃメイスも使いたくなるな。だって、メイス握って走ってぶん殴れば良いんだし。
でもそれって魔道士じゃないよな。
「いつもは“魔術に特化したロッドこそが魔道士の誇り”だなんてお高くとまってる学徒も多いけどな。いざ名を上げる大会を目の前にしてみると、メイスに握り替えてやがる。客を悪く言うつもりはないが、笑っちまうね」
人をからかうような笑顔で言われても、悪意しか感じないけどな……。
ジューア魔具店の店主さんもかなり頑固なところがあったけど、隣も隣で捻くれた性格をしているようだ。
「なーロッカ。欲しいもんあった?」
「んー……いや、うん、まあ良いのは多いんだけど……」
店主は時々ライカンやヒューゴとメイスについて専門的なことを語らっているが、私は私で目当ての品を探している。
長いメイス、短いメイス。
突きに特化したもの、切ることに特化したもの。
種類は豊富で、見た目にも性能の違いがわかるので、見応えはある。
確かにこのメイスであれば、私が握ってみても違和感はないかもしれない。
杖というよりは武器だし、魔道士というよりは戦士だからだ。
けれど、これを握ると身体強化のことばかりが頭に浮かんでしまう。
試しに一番安い数打ちのメイスを手にとって握ってみたが、魔術を使うことよりも先に強化する事が頭に入ってしまった。しかも実際、無意識で反射的に身体を強化してしまった。
全身に魔力を行き渡らせ、身体の保護と運動の効率を引き上げるための、軽い強化だ。それはまるで、故郷で道具を握った時のような感覚である。
「……あ」
「んにぇ?」
そうか。私は無意識に、この長い杖に対して故郷の工具達を思い浮かべていたのかもしれない。
岩を砕き、土を掘る、ヤマを生きる者達の道具。私にとって長い柄は、坑道の中に存在するもの。そんな潜在的な無意識が、ロッドへの嫌悪感につながった……のかも?
私でもようわからん。
「ウィルコークス君、使えそうなものは見つかったか」
「……うん。ちょっとわかったかも」
「は」
「あの、すいません。ちょっといいですか」
私はクラインをさらりと流して、つまらなそうに頬杖をつく店主に声をかけた。
「なんだい」
「この店のメイスで、変な形の物ってありますか」
「変な形?」
「独特なっていうか、変わった見た目のメイス、っていうか……」
「……あー」
私の言葉足らずな質問に、最初は不機嫌そうな表情を見せた店主だったが、すぐにそれが平時のものへ落ち着くと、大儀そうに立ち上がった。
「店に並べるにはちょっと奇抜すぎるものだったら、向こうの小部屋にいくつかあるぜ。見るかい」
「お願いします」
店主は頭をぼりぼりと掻きながら、小さな鍵を手に扉へ向かう。私もそれについてゆく。
皆はそんな私に“どうした?”という感じの目を向けていたが、これは私でも説明が難しいことだったので、自信を持って疑問に答えることはできなかった。
おそらく。多分。そんな宙ぶらりんな理屈ではあるが。
きっと私は、杖っぽいものが苦手な体質なのだろう。
これまで私が選び、使ってきた杖は、それぞれが独特の素材や形をしたものばかりであった。
最初は坑道でもよく使われている木材、赤陳のタクト。次に手にしたのは岩っぽい見た目をした鑽鏨のタクト。そして予備としてここぞという時に使っている、母さんの形見であるデムピック。
私の杖はどれもが故郷の片鱗を持った杖ばかりで、私はそこに愛着を感じていた。杖に対してはちょっとだけ敷居の高さを感じて萎縮してしまうけれど、身近にあったものと一緒に紐付けされているのであれば、親近感も湧いてくる。
だからきっと私は……杖っぽくない杖じゃないと。もっと言うなら、私が気に入るような見た目の杖じゃないと駄目なのだ。
「ほらよ、好きに見ときな。高い物もあるから、俺の許可無しに触るのは厳禁だけどな」
「ありがとうございます」
扉は開かれ、私はそろりそろりと中へ入った。
小部屋は私の寮室と同じくらいの広さで、あまり広くはない。故に、壁に掛けられた品々もそう多くはなかった。
しかし、真っ先に目についたのはその少なさではない。それぞれのメイスが放つ、特異な雰囲気に、私はぐぐっと引きこまれてしまった。
「まるでエルナのコレクションだな」
私とほとんど一緒に入室したクラインが、そんな感想を零す。
「ああ。伝説的な奇杖職人エルナ。俺の親父は、彼女の作品の大ファンでね。今もまだこうして、大枚叩いて買い揃えたコレクションが沢山残っているわけさ」
壁に直接打ち込まれた端由のストックには、奇抜なデザインのメイスばかりが掛けられている。
明らかに“戦斧”と呼ぶ方がふさわしいような、人の顔ほどもある一枚刃を備えたもの。
両端に複雑かつ美しい紋様の銀棍を揃えた、喩える名称もわからない姿のもの。
あるいは、かなり鋭い穂先を持った三叉矛のようなもの。
「おお、すごいなぁ。僕もエルナのメイスは故郷で見たことあるけど、こんなにあるなんて」
「変わった杖ばかりを作っていた職人だったかしら。確か、どれも一点もので価値が高かったと思うけど……」
「売ったら高いんかぁ」
一見すると、メイスとは呼べないようなデザインのそれらが、この狭い部屋に所狭しと並んでいる。
大きな店内にあった品も見応えはあったが、ここにあるメイスの衝撃はそれ以上のものだろう。
しかもそれら全てが、なにやら一人の職人によって作られたものであるのだという。
ここまでくると杖職人と言うよりは刀剣鍛冶だが、並んだ品々はどれも細部まで美しく、価値が高いであろうことは想像に難くなかった。
「あっ」
そんな目も眩むような奇っ怪なコレクションの中で、私は一つのメイスを前に完全に眼球の動きが停止した。
事前に言われていたのに、私は魂に受けた衝撃のままに、思わず店主に無許可でそれを手に取ってしまう。
「おいおい、さっきも言ったが、傷をつけたら……」
「これ、買います」
「あ?」
「買います!」
私はそれを抱えたまま、捻くれた表情の店主に対して、高らかに購入を宣言した。
それまでの悩みが嘘であったかのような、あまりにも突飛な購入宣言。これには当然、一緒に来てくれたみんなも閉口しているようだった。
だけど、私はもうこのメイスを買うことを心に決めている。
先程の部屋で見たメイスも使えなくはないけど、これを見つけてしまったからには、他の物なんて考えられないのだ。
私が胸の前に抱いたメイス。
それは、高級そうな飴色の長い柄の先に、黒光りする立派なツルハシを備えていたのである。
小部屋には沢山の特徴的なメイスが並んでいた。
どれも個性的なデザインで、“本当に杖なのか”と疑いたくなるほど奇抜な形である。人の中にある杖の既成概念を壊す品々は、見ていてとても心地良いものだ。
しかしそれらが、手抜きや適当で作られたような物には見えない。
ただ奇を衒っているわけではない。とんでもなデザインではあっても、断じて粗末では無いのである。
そんな錚々たる商品の中で、私の目が釘付けになったものが、これであった。
「奇杖職人エルナが作りし七十七奇杖のひとつ……破砕杖アンドルギン。親父もそこそこ気に入ってた……まぁ今更だが、変なメイスだよ」
店主の男はその杖を手に黒光りする刃先を見やり、苦笑を浮かべた。
私以外の皆も反応は同じで、それぞれどこか複雑そうな顔をしながら、私の選んだメイスを眺めている。
破砕杖アンドルギン。
長さは丁度一メートルくらいだろうか。
飴色の頑強そうな柄の先には黒々とした見慣れぬツルハシが備わっており、鋭利なクチバシは緩い弧を描きながら左右に伸びている。
その雄々しい姿は、まさしく硬い岩を打ち砕くツルハシそのもの。杖どころか、メイスに見えるかどうかも怪しい商品である。
全体的な完成度から高級感だけはひしひしと伝わってくるが、実際に何度もツルハシを振るったことのある私から見ても、見事なツルハシであるようにしか見えなかった。
また、強度を補正するためか、石突(というか手元?)部分にも同じ黒い金属が使われており、頑丈さという点で見ても、私達鉱夫が使うツルハシよりも遥かに上等そうに見える。
完全にツルハシだ。
けど、こんな杖があるというのであれば、私は是非ともこれを使ってみたい。
というか、これ欲しい!
「ロッカ、私にはロッカのセンスがよくわからないわ……」
「良いじゃんこれ。すごく格好いいよ」
ソーニャは数学の講義を受けている時の私のように、額に手をやっている。
確かに、この杖はソーニャには似合わないかもしれない。ソーニャならもっと軽い杖を選ぶべきだろう。
「はは、おあつらえ向きのがあって良かったね」
「うん。一目見てこれしかないって思った」
「でもこれ、全然杖に見えないじぇ」
『うむ……確かにどこからどう見ても、肉体労働の道具にしか見えんなぁ』
ボウマとライカンは、店主が持ったツルハシ型メイスを、低い目線と高い目線とで舐めるように見つめている。
しかし文字通りどこからどう見ても、それはツルハシだったのだろう。二人は納得がいかないとでも言うように、同時に首を傾げてみせた。
「……破砕杖アンドルギン、か」
クラインもまた、じっくりと値踏みするような目で私の(購入予定の)杖を睨んでいる。
だけど先に買うと声を上げたのは私だったので、たとえ後からクラインが買いたいと言ってきても、私はその権利を譲るつもりはない。
この杖はもう私のものだ。
「いやまてよ、アンドルギン……アンドラか?」
私が密かに目を細めてクラインを威圧していると、彼ははたと何かに気付いたように目を見開いた。
それにニヤリと微笑んで反応したのは、私の杖を持つ店主である。
「おお、さすがは現役の学徒だ。良く知ってるな」
「……仙界竜アンドラ。その変異種たる崩壊竜クシャナアンダ。そしてクシャナアンダといえば……その体内から採れるという希少な魔金、ダークスチールか」
えっ、ダークスチール?
「ご明察だ。その通り、この破砕杖アンドルギンの黒い金属部分は全てダークスチールで出来ている」
「……ああ、なんということだ。馬鹿げている」
「俺もそう思う。エルナはとことん変人だが、何を考えてこんなものを作ったんだか」
ちょっとオイなに二人して私の選んだ杖を馬鹿だのこんなものだの……いやいや、今はそんなのどうだって良い。
それよりも、重要な事を聞いてしまった。
「え、あの。これって、ダークスチールで出来てるんですか……?」
ダークスチール。通称鎧奇稲。
それがデム鉱石と並ぶ超高級な魔金であることは、こんな私でもよく知っていることだ。
「その通りだ。柄の石突から先石に至るまで、全部ダークスチールなんだなぁ、これが。もったいないことに」
ダークスチール製のツルハシメイス。
それは言うなれば、黄金で作ったツルハシのようなものである。
本来ツルハシを使って掘り当てるべき至高の魔金が、ツルハシになっている。私のデムピックもそこそこ似たようなものではあるが、使われている金属量があまりにも笑えない。
店主の男性が零した“もったいない”という言葉には心底同意する。
「ええええ、これがあのダークスチールなのかぁ」
「嘘でしょ? なんでこんなのに?」
「もったいにぇ」
『……それでもあくまで杖なのか?』
……ダークスチールはものすごく高価な魔金だ。
私の持っているデムピック……それを構成するデムよりは値が落ちるものの、世界でも有数の強度を誇る魔金であることには変わりない。
あらゆる衝撃に耐え、折れず曲がらず歪まない、不屈の黒鉄。
魔力を含ませて繰り返し鍛造すれば、流される魔力によってその形状を大きく変化させるという、悪魔の鉄。
ダークスチール。
この神秘の鋼を求める剣士は、大規模な戦争が終結した今の時代においてもなお、非常に多いのだそうな。
……これ、買えるの?
「ようやくそんな顔を見せてくれたな。大体想像の通りだ、こいつは目玉が飛び出るくらい高いぞ」
「うっ……」
高いと言われると、私は弱い。
安いという文句にも弱いけど、高いのはもっと弱いのだ。
「諦めたまえ。この馬鹿げたメイスはおそらく……エルナが晩年、金を持て余していた頃に作り上げた規格外の奇杖なのだろう。使われているダークスチールの量からして、とても一介の魔道士で購入できるものではない」
「う……でも、これ……格好いい……」
「現実を見たらどうだ」
クラインに言われ、重苦しい無慈悲な現実が私の頭をがくりと項垂れさせた。
「アンドルギン……」
ものすごく高い。そう言われては、もう何も言い返せないじゃないか。
どんなに欲しくたって、全く買える見込みが無いのであれば、手のうちようもない。
「ちなみにこの破砕杖アンドルギン。石突に強化系の魔力を通すとだな……」
「……?」
もはや手の届かない破砕杖アンドルギン。店主がその柄の端を握り、ゆっくりと魔力を込め始めると……。
「変形する!」
「えっ!?」
なんと、石突部分の魔金が変形して握りとなり、ツルハシだった先端部分が幅広のスコップへと姿を変えているのではないか!
「はは、どうだ。ダークスチールの特定魔力による変形を利用した、二段構えの構造だ。見てくれはツルハシだが、この機構を見ればエルナの作品に相違ないとわかるだろう」
「な、なんで!?」
「柄を隔てて独立しているように見える握り部の魔金が、柄の木材を通って先石……先端のツルハシ部分にまで繋がっているんだろうな。同時に変形用のこの導芯部分が、杖の導芯としての機能をもたせた中心の魔金を保護する役目を持っているわけだ」
「おおー……!」
石突部分に特定の強化を込めれば、スコップに。
普通に木製の部分を握ってツルハシ状態のまま使えば杖になる。
……なんと天才的な発想だろうか!
ツルハシからスコップへの、もはや美しいまでの見事な変形!
まさかこの破砕杖アンドルギンが、ツルハシだけでなくスコップとしての機能までも備えていただなんて!
採掘のみならず、ボタ石の掻き出しまでも兼用できるだと!?
「ほ、欲しい欲しい! 絶対に欲しい! 絶対買いたい!」
「ロッカやめて、貴女もう十八よ」
「ガキがおるじぇ」
「僕の目にはただただ、もったいないとしか映らないよ」
『職人技ではあるがな』
破砕杖アンドルギン。これはもはや、私が十年や二十年タダ働きしてでも手に入れたいツルハシ……いや、杖だ。
高価な魔金を使っているのは承知の上だ。けど、だからこそこれにしたい!
というかもう、これ以外なんて考えられない! 普通のメイスじゃ嫌だ! これにする!
「お願いします! こ、これを……なんとか……!」
「ウィルコークス君、見苦しいぞ」
「んーまぁ懇願されてもね。どうしてもっていう熱意は伝わるんだが、こっちも商売だし、何より親父が遺してくれた宝でもあるからなぁ」
「うぐ……」
そうか、これは店主のお父さんがコレクションしていたものの一つだった。
そんな高価で貴重なものを、そう安々と私に売ってくれるはずがない。そもそも私は金がない。
今もザッと銭入れの中身を確認してはみたが、そこに収まっていたのは極々現実的な中身である。
私は計算が苦手だが、私の全財産が破砕杖アンドルギンを買い取るに至らないということだけはよくわかる。
……うう、どうしても欲しい……。
けど、だめだ。お金がないんだから、この杖は諦めよう。
父さんも言っていたことだ。身の丈に合わないことはするな。身の丈に合わないものは買うなと。
私には、この杖を扱えるだけの力がない。そう思って、諦めて……忘れてしまおう。
「……なぁあんた。あんた、学園を竜から守ったとかいう、ロッカ=ウィルコークスだろ? “竜砕き”で有名な」
「え……あ、はい……」
私が深く沈み込んでいると、店主の男が私の名前を訊ねてきた。
といっても、私の名は最初から知っていたらしい。だけどそんなことで嬉しい気分になれるはずもなく、私はなるべく杖を視界に入れないように頷いた。
「学園は、その学徒は、どいつもこいつも生意気で正直あまり好きじゃあない……好きじゃあないが、そいつらもこの店のお得意様なのは確かだ」
「はあ……」
「だからロッカ=ウィルコークスさんよ。あんたが学園を守ったってのは、俺の客を守ってくれたっつうことでもあるわけだな」
「!」
な、なんか話が良い方向に流れてる気がする!?
「もちろんだからといってこのツルハシを譲ってやるわけにはいかないが」
「ぁああー……」
だめだ、もうおしまいだ。上げて落とされた、もう希望なんて無い。
「しかし、条件付きで貸し出してやることはできる」
「……貸し出しぃ?」
「ちょっと貴方、客の足元を見るなんて酷いわよ!?」
「まあまてお嬢ちゃん。なにも変な取引を持ちかけようだなんて思っちゃいないさ」
「……えー」
男は軽薄に笑うが、私の心に芽生えた猜疑心は薄まらない。
上げたり落としたり、頭の悪い私に難しそうな商談を持ちかけたり、なんだかこの人は信用できないな。
そもそも貸し出しなんて言われたって、いつか返さなきゃいけないんだったら、そんなの欲しくはない。
道具は壊れるまで付き合うべきものだ。中途半端なところで取り上げられる道具なんて、そんなものに真の愛着が芽生えるわけでもないし……。
「もしも俺の頼みを聞いてくれるなら、この破砕杖アンドルギンをあんたに譲ってやっても良いんだが……」
「私にできることなら!」
「ちょっとロッカ! 少しは疑いなさいよ!」
私はそれまでの鬱屈とした気分を再びどこかへ放り投げ、背筋を伸ばして男の目を見た。
その時男は、どこかクラインにも似た悪どい笑みを浮かべていたのだが……“もしかしたらもらえるかもしれない”という希望を追いかけるのに夢中だった私には、彼の顔色などは見えていなかったのであった。




