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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第十章 焼き尽くす業火

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釜006 廻る地球

 デムハムドの坑道を襲った火災と落盤は、多くの人命を地の底に押し潰した。

 死者四十名。怪我人二十九名。当の私も、二十九人の方に含まれている。


 ヤマを掘り起こして遺体を引っ張り出すなんて狂気じみた真似は、このデムハムドでは行われない。

 身体の一片も埋まっていない人の墓石を見ても、私はその習慣を非道だとは思わない。

 死者四十名のうちの二十七名が、もう永遠に、家族と顔を合わせることが無いのだと、わかっていても。


 だって、ヤマは恐ろしいものなのだ。

 佇んでいるだけのそれでさえ恐ろしく、どれだけ用心を重ねていても多くの命をすり潰してしまうヤマを相手に、死者のためとはいえ、迂闊に手を出せるはずがない。

 死者のために命を落とすのは、誰のためにもならない。

 ヤマの恐怖は、掘っている私達自身が、一番よくわかっているのだから。




 ……わかっていたはずなのに。

 なのに私は、母さんの唯一の形見を取り戻すために、やってはならないことをした。


 母さんが遺してくれた唯一の工具、デムピックを取り戻すために、炎禍と崩壊の地下へと、飛び込んでしまった。


「っ痛ぅ……」


 挙句、このザマだ。

 私の右腕は、母さんのピックと引き換えに、デムハムドの坑道奥深くへと引きずり込まれ、一足早く、私の魂から別れを告げた。


 けど、事は腕だけではない。私の軽率な行いで、父さんや、沢山の人に迷惑をかけてしまった。

 痛み止めの薬や、一つしか無いという緊急用の義腕まで使ってしまって。今回の事故の損害は全てクロエが負担してくれたけど、父さんからはこっぴどく怒鳴られ、叱られ、同じくらい強く抱きしめられた。




 どれだけ金銭を積まれようとも、決して渡せない、大切な形見がある。


 だけど、どれだけ形見()が大事であろうとも、父さんにとっては、今を生きている私以上のものは存在しなかったのだ。


 私はそんなこともわからずに無茶をやって、迷惑と心配をかけてしまった。




 事故から一ヶ月近く経ったある日、私は無事に傷口の塞がった右腕の先に巨大な義腕を引っさげて、見晴らしのいい岩場に腰を降ろしていた。

 ここからはデムハムドのいくつかのヤマと、綺麗な朝日が見れるのだ。丁度良い長岩に腰を下ろしてぼーっと朝日を眺めているのが、病み上がり間もない私の日課である。


「でかい腕」


 そして、背後から声が聞こえてくる。

 ぼそりと舌足らずな声をかけてきたそいつは、きっとクロエ(雇い主)の可愛げのない長女に間違いない。


「元々、怪力女って言われてたし、丁度いいさ」

「ふうん……」


 私が振り返りもせずに返すと、ぼさぼさに伸び散らかした黒髪の子供が、私の隣に座った。

 眠そうな目を擦りながら、私と一緒になって、朝焼けの空を眺めようというのだろう。

 無駄に賢いのと身分のせいもあって、同年代の遊び相手がおらず、暇に任せては屋敷を抜け出し、やってくる。それは前々から、時々あることだった。


 タタミ=クロエ。

 私の六つ下の、しかし立場で言えばずっとずっと上の、私達鉱夫の雇い主に当たる家系の娘である。


「……腕、痛い?」


 いつもはもっとそっけない無愛想な子なんだけど、今日の様子は少し、違って見える。

 おそらく、私が腕を失くしてからは、こうして初めて顔を合わせるからなのだろう。


 まぁ……戸惑うだろうな。

 いつもピンピンしてた怪力女が、失くなった右腕の代わりに大の男でも持て余すくらいの、ずんぐりな重い巨腕をくっつけているのだから。


「もう、痛くはないよ」

「本当?」

「風呂上がりと朝の冷たい風は、ちょっと染みるけどね」

「……痛いんじゃん」

「私に風呂入るなってか」


 私が冗談めかしてそう笑うと、タタミは跳ねた髪の頭をこちらに寄せ、倒れるようにもたれ掛かってきた。

 おいおい、こいつは本当にいつもの調子じゃないな、と私が思う間に、タタミは涙ぐんだ鼻を鳴らしている。


「……ロッカ、ごめんね……」

「おいおい、なんで謝んの」


 突然泣き出すタタミ。それをあやす私。

 表面上は笑っているけど、私は今現在、壮絶に混乱している。


 なんたって、あの可愛げのないタタミが、歳相応らしい声と言葉ですすり泣いているのだ。

 普段は絶対に見られない彼女の豹変ぶりは、からかってやろうとか思う前に、なんとかしてやらないと、という気持ちになってしまう。

 そんな繊細な気遣いは、私のガラでもねえってのに。


「ロッカ……ロッカのお母様が死んじゃったのも、山が崩れちゃったせいなんでしょ……?」

「ああ、そうだけど……けどそんなの、タタミが謝るようなことじゃないだろ」

「でも、でもこの山は、デムハムドは、クロエの……」

「だから、クロエがどうとかは、関係ないんだってば」


 寄りかかる歳相応のガキんちょの頭に、そっと右手を置いてやる。

 私の新しい、鉄の右腕。身体と比べて不釣り合いに大きくて、これと並ぶには、私の身の丈が男と同じくらいにまで成長しなくてはならないだろう。


 私の固く冷たい右手に頭を撫でられ、タタミが猫のように目を細める。


「私達は命を粗末にした覚えはないし、クロエがいつも、私達のために頑張ってくれていることは、わかってる。皆頑張ってたんだ」

「……」

「それでも、ヤマが崩れちゃっただけ」


 もちろん、不慮の事故は人の不注意だ。

 だけどそれさえも、言ってしまえば仕方のないこと。

 長年ずっと続けてきて、誰も気付けなかった不注意は、何者にも責められない。


「ヤマはね、怖いんだ。岩はすごい音を立てて崩れてくるし、水が流れれば逃げ道はない……火が燃え広がれば、もう、おしまいだ」


 タタミの頭をぐしぐしと撫でながら、抱き寄せる。


 朝日の輝きの向こう側に浮かぶのは、あの日の惨劇。

 炎が広がり、肌を焦がし、肺を熱し、命を削りとってゆく、死と隣接した薄ら寒い瞬間。

 坑道を下から照らす紅い光の、なんて、禍々しい……。


「ロッカ……?」


 タタミの頭を撫でている内に、私は胸の底に沈んでいたいくつもの感情が、水面に浮き上がるのを感じた。

 自覚してしまえば、私自身、その気持ちを止めることなどできなかった。


「なんでもねえ」


 いつの間にか、私もタタミと同じように、涙を流していた。

 悲しみに。不安に。情けなさに。恐怖に。


 数えきれない感情の混ざりものは、それを腹の中で消化しきるまで、果たしてどれだけの時間がかかるのだろう。

 あの地獄を忘れるために、どれだけこうして、心を空にしようとすればいいのだろう。


 私はただ、共に朝焼けを眺めるタタミの頭を、そっと撫で続けた。


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