釜005 敵う眼鏡
朝。私は学園の正門付近で仁王立ちしている。
貫徹。昨日はそのまま寮に帰って寝ようかと思ったが、目と頭が冴えてそれどころではなく、結局カンテラを灯してずっと資料を読み返していたために、一睡もしていない。
堂々と突っ立っているけど、今にもふらりと倒れてしまいそうだった。
薄暗い曇り空の下。まだ、陽が登って数時間も経っていない。
学園の門を潜る人影は少なく、見かける顔は眠そうな、気怠そうな学徒や導師ばかりだ。
彼らはこれから、学園の発表会後半に向けて、様々な準備や調整に追われるのだろう。恩恵や楽しみを受けるだけの私としては、全く頭の上がらないことである。
そんな中に混じり、私としてはあまり頭を下げたくない男の姿が見えた。
癖の強い薄水色の髪に、体調が悪そうな猫背。待ちに待った、クラインのお出ましである。
「よう、クライン」
私が声をかけると、クラインはこちらに顔を向けて、怪訝そうに目を細めてきた。
平素の仏頂面が少々不愉快そうに歪んでいるが、こいつが人と話す時の真顔は大抵いつもこんなものだ。
「ウィルコークス君、何だその目は」
「いつも通りだろ」
「君がそう思うなら、そうなんだろう」
含みをたっぷり持たせた言い方をすることも多いが、いちいち突っ込んでは負けだ。
「クライン、地下水道の事件のこと、まだ覚えてるでしょ」
「覚えてるが、それがどうした」
「その事で、昨日ちょっと分かったことがあってさ。それを皆に話そうかと思ってたんだよ」
「君が一体何を理解したというのだ」
無視だ。ちょっとしたトゲのある言い方は、全部無視である。話が進まねえ。
「私達を殺そうとした正体不明の魔道士、居たじゃん。あいつがどうやって地上と地下を行き来してたのか、分かった気がしてさ」
「……ほう」
クラインが顎を擦り、今度は値踏みするように目を細めた。
少しはこっちの話にも、興味を持ったらしい。
「皆集まってから話そうと思ってるから、まだ言わないけどさ。クラインは今日、何か都合悪かったりする?」
「話は長くなるのか」
「きっとそれなりにね。話も、多分発展するだろうし」
私が自信に胸を張ると、クラインは背筋を伸ばし曇り空を仰いだ。
今日の予定でも曇天に思い描いているのだろうか。しばらく瞬きをした後、彼は“ふむ”と唸り、頷いた。
「今日なら、特に問題ないだろう。ただ、オレが納得できるような話でなければ、すぐに席を外させてもらうが」
「おお、ありがとう! 大丈夫、絶対に実のある話だからさ!」
この話には、私も絶対の自信を持っている。クラインが失望する理由はかけらもないはずだ。
私はクラインの驚き感心する顔を想像しながら、もうしばらく正門近くで待つ事にした。
『お? ロッカとクラインか。久しく見なかった組み合わせだな』
「やほほーい」
「お、本当だ。久々にみんな揃ったね」
十数分後、正門からやってきたライカンは誰よりも背が高いので、すぐに気がついた。彼の背中には、ボウマもへばりついているし、その後ろをヒューゴが歩いている。みんな勢揃いだ。実に好都合である。
「おーい、みんなー」
向こうもこっちに気付いたようで、私が手を振る前から真っ直ぐ歩み寄ってくる。
柔和な笑顔を浮かべていた三人だったが、しかしこちらに近づくに連れ、彼らの顔色は少しずつ曇っていった。
「……ロッカ、なんだいその、すごい目は」
「なにが?」
『気付いてないのか。目の下に隈ができてるぞ』
「うそっ」
「まじまじ、めっちゃ怖いじぇ」
クマ? あれ、うそ、ホント?
え、やだな。手鏡、手鏡は持ってきてたはず。鞄の中に……。
「ちょ、ちょっと待ってて」
一旦離脱だ。ちょっと確認しよう。仲の良い見知った友人とはいえ、あまり恥ずかしい顔は見せられん。
ちくしょー、まだ暗い時に髪を結い上げたから、鏡に映る顔の酷さに気づかなかったかのか。
迂闊だった。母さんがよく、美容について話してくれたのに。
『うむ。女の身嗜みは重要だからな。しっかり整えると良い』
「ほお、じゃあライカン、マコ先生の場合はどう思ってるんだい?」
『もっと重要だ』
「ねーねー、じゃああたしは?」
「人に訊くなら、ボウマもそろそろ気にしたほうが良い年頃だと思うよ」
鏡を見て確認してみたところ、隈は結構くっきりと残っていた。やっぱり寝なかったのが不味かったらしい。不眠は美容の仇敵という。不覚だ。
だけど今更私がそれをどうにかできるはずもなく、化粧道具なんて洒落た高級品を持っているわけでもない。これを治すには、昨日の不眠の分を、まどろみの中で取り戻す他に手段はない。
今はただ、ボウマ曰く“ひでー顔”のまま、少しの気恥ずかしさを抱えて皆と話すしかなかった。
……そういうものを気にする連中でないとはわかってるけども。
「で、クラインから聞いたけど……あの本でなにか分かったんだって?」
私が顔を確認している間に、クラインと話していたのだろう。ヒューゴは噂好きの目に光を灯して、私に訊いた。
「うん、地下水道の事件のこと。皆を集めて話すくらいには、ネタもあるつもりだよ」
学園の屋外演習場の隅にぽつりと配置されたミネオマルタ十五世のブロンズ像前に、私達は集まっている。
謎の多い事件だ。周りに聞き耳を立てられて、いらぬ噂をぶり返されたくもない。ひっそりとした場所に移ったのは、誰が示したわけでもなく、自然の成り行きだった。
本当ならもっと屋内の、それこそ昨日のスズメと一緒にいた準備室のような所で話したいのだが、今はかいつまんだ説明しかできない。
「とにかく、これを見て欲しいんだけど……」
私はヒューゴから借りた本をブロンズ像の広い台座に置いて、皆に見せた。
皆はミネオマルタさんの足下に群がる形で、古い本に視線を落とす。
「まず、ネタの前に簡単な説明なんだけど……」
何事にも順序がある。私は落水口にいきなり触れる前に、地下水道の構造と落水口の成り立ちなどを、事細かに、しかし素人にも分かりやすい形で伝えることにした。
話す内容自体はそれこそ夜通しで考えていたので、立ち止まったり躓いたりすることもなく、スラスラと喉を通ってゆく。
地下水道の主な構造。施工を行ったサナドルの職人達の気質、それ故に資料が少ないという事情、膨大にして特殊な地下水道の内部機構。
そして、昨日私が奇跡的に気が付いた、忘れられた落水口の存在。
「……存在自体は知ってたけど、そんなものがあったなんてね」
ヒューゴやクラインは、流石に勘が鋭い。落水口の話をすると、すぐさま二人の表情が真剣なものへと変わった。
私から“これは怪しい”と明言していないのに、流石である。
「面白い。なるほどな、落水口……古びた街の遺物を気にかけたこともなかったが、そうか。それを上手く使えば……」
クラインの食付きも、私の期待以上だ。聡明な彼らの興味が引けたということは、私の発見や目の付け所はやはり、間違っていなかったということだろう。
ボウマはまだ理解が及んでいないようで、ぽかんとしているが……まぁ、彼女には後々更にわかりやすく、噛み砕いて話してやればいいだろう。
『ふむ……今のロッカの話が本当だとすると、魔道士は人目につかない落水口を使って、地上を行き来していたというのだな? 屋内にあるかもしれないとなると、それらの落水口の位置を調べないといかんな』
「うん。私はそこまで考えたんだけど、全ての落水口の位置までとなると、さすがに本だけじゃわからないかなって思ってさ」
「国に訊いてみる必要がある、か」
「役所だね。それも、かなり専門の所を尋ねる必要がありそうだ。取り合ってもらえるかなぁ」
「地下とは違って地上の資料を探すだけだ、地下の経路図よりは望みもあるが……となると、気がかりはそこだけだな」
おお、よし、いい感じに話が盛り上がってきた。次に取る行動も、皆で話し合う内にあっという間にまとまりそうだ。
徹夜した甲斐があるってもんだね。
「よし、ウィルコークス君、お手柄だ。予想以上に面白い物を持ってきてくれたな。もっとその資料に目を通したい、場所を学園内に移すぞ」
「おう」
何の期待か、口の端を釣り上げた珍しい表情のクラインに先導され、私達は学園に向けて歩を進めることにした。
途中、ボウマが私の袖を掴んで“寝たら?”と言ってきた。
うん、隙あらばそうしようと思う。
集まったのは、ほとんどクラインの私室と化している準備室だ。
相変わらず足場のない散らかった部屋だが、人が居らず勝手に使って良いというのであれば、これ以上の場所はない。
私達は適当な場所にスペースを作り、適当なものを椅子にして、テーブルの上の資料を囲んだ。
ちょっとした会議の始まりである。
「んで、これ結局なんなのん? でかいマンホールが犯人ってこと?」
「その線が濃厚だと思うよ。普通のマンホールなら、ボウマだけじゃなく僕らでも苦もなく入れるだろうけど……そこから行けるのは下水道だ。地下水道とは、ちょっと違うんだ。つまり……」
ヒューゴは落水口のレリーフを模写したメモで風を扇ぎ、ボウマに優しい解説を続ける。
ボウマだって当事者だ。理解するまでしっかり話を聞く権利は、当然ながら持っている。
「さて、こっちはこっちで話を進めるか。まず、現状は国に話を持っていかない限りには、大きな進展は望めない」
「うん」
私とライカンは、クラインの言葉に頷いた。
こうして資料を見るだけでもわかることは多いけど、落水口の場所の特定まで話が進むかと言えば、それは否だ。落水口の場所は国に聞かなければわからないし、それは本の中には存在しない情報だからだ。
「だが、これは既に終わった事件。この情報をいたずらに役所に持っていったところで、相手にされず突き返される可能性がある」
「それは、最悪」
『国の仕事だからなぁ。仕方あるまいよ』
ここまでこぎつけたんだ。あっけなく“子供の戯言だ”と突き返されたら、やるせないを通り越して殺意が湧いてくる。その時の私が自らの怒りを抑えられるかどうかは、かなり疑問だ。
「だから、ここでオレ達である程度、情報を纏めようと思う。役場の受付が納得し、地図を貸し出す程度のものにな」
「おー」
私は軽く拍手するが、クラインはそれを軽く手を掲げ、止めさせた。
「ただし、既存の情報だけではどう調理しても、淡白な内容にしかならないことは目に見えている。麦を煮詰めたところで、出来上がるのは所詮ただの粥」
「ああ、まぁ、僕らの憶測でしかないからねぇ」
憶測……まぁ、そうバッサリと言われるのは気に喰わないけど、間違いない。これは私の予想と、勘でしかない。これだ、という証拠は、どこにもないのだから。
「重要なのは味付けだ」
「味付け?」
「わざと危機感を煽る。つまり、大げさに説明して相手の気持ちを揺さぶり、一笑に付す間を与えないということだ」
「わお」
そりゃ面白い。勢いで押せ押せってことか。良い提案だ。
『うーむ、上手くいくだろうか』
「なんだぁクライン、つまり脅すってことか?」
「強盗するわけじゃないけどね。まぁ、でも揺さぶるって意味では、似たようなものだろう? クライン」
「ああ。考えられる限りの“最悪の未来”を挙げて、速やかに地図を持ってこさせる」
「……性格悪いな」
「効率が良い」
私の一言を褒め言葉とでも受け取ったかのように、クラインが笑った。
……しかし、まぁそうなると、そうだな。
落水口と地下水道を使って、魔道士は何をしようと目論んでいたのか……そこらへんを考える必要があるだろうか。
さすがの私も“もしかしたら”の脅しくらいで、警官や杖士隊の組織が動くとは思っていない。落水口の位置がわかる資料さえ差し出してくれれば、あとはどうだって構わないのだ。
そこから先は、再び私達が頭を動かせばいい。国が出し渋るようなやる気と労力は、こっちの自前で用意してやる。
「……よし」
やっぱり、仲間がいると心強い。
やること自体は変わらなくとも、私一人では難しかろうと思えていた事が、皆がいるだけで簡単に出来そうに思えてくる。
『こちらの要求が聞けなければ、と言いながらリンゴでも握り潰すのはどうだ?』
「発想がボウマと同レベルだよ、ライカン」
「スイカにしようじぇ! ブシャッと目の前でなっ!」
「いや、こっちのが一枚上手だったか」
「馬鹿な口を閉じて真面目に考えろ。地下の図面から地上の落水口位置を割り出すのは面倒だ。なんとしても、ここは決めるぞ」
騒ぐボウマ。唸るライカン。宥めるヒューゴに、思考するクライン。
これから役所に行って、役人を口八丁手八丁で丸め込むのだ。考えてみれば非常識な行いだが、不思議と嫌な気分にはならない。
「――で、あのゴーレムを例にして」
「ということにすると、話題は――」
地上の落水口の位置を特定する。
地下四階に繋がるものに、数を絞る。
そして、屋外に存在しないものに、更に絞って。
「じゃあ、そういうことで――」
「――行こうじぇ」
「――ん、おい、――ッカ――」
それで、怪しい所を見つけたら、きっと、そこにいる奴が……。
「あーあ、寝ちゃってるね。どうも静かだなと思ったら」
『まぁ、仕方あるまい。ロッカも一人で頑張ったみたいだからな』
「ん。じゃあ、ここに寝かせとこ。毛布も、かけてやってさ」
「……ふん、さっさと行くぞ。昼前には終わらせ、今日中に次へと進んでやる」
「はは、そうだね、そうしよう。けどロッカが起きたら、びっくりするだろうな」
この謎の、一番奥まった場所にいる奴こそが……全ての元凶。
そいつらをぶん殴って……それで、万事、解決……むにゃ。




