釜003 届く風聞
魔金各種の研究。
様々な魔金を用いて、強度や耐性、親和性などを魔具科が独自に再検証した。
既に周知となっているであろう融点なども調べ直し、より詳細な誤差を探る……。
「おお……」
大きな研究資料達が、ひとつの講義室の壁一面を占領している。
どうやらこれは、魔具科学徒さんらが総当り的な実験の末に作り上げた、魔金の性質一覧らしい。
様々な魔金の名前とそのスケッチと共に、魔金の性質などが数値を交えた上で、事細かに書かれている。
ぱっと見ただけでは数字だけがゴロゴロと転がっていて何が何やらだけど、ちゃんと金属名を見ながら目を泳がせ比較していれば、これがなかなかに面白い。
私がよく見知った魔金から、名前も知らないような魔金まで。
まぁよくこんなにも沢山の種類を揃えて検証したものだ。
熱に弱くすぐに赤く錆びる朱金。
鉄と一緒に熔かすことのできる八浜緑。
熱にも衝撃にも強く、高級建材として柱などに用いられるアブロウム。
中にはひとつまみだけでも莫大な値が張るような魔金まで並んでるし……さすが、世界でも指折りの理学機関なだけあって、高い材料も惜しみなく使われている。
「あれ、デムがない……」
眺めていて、ふと気付く。
私の愛用するデムピックの原材料である、デム鉱石の名前が見えない。
おかしいな、デムと同等くらいの価値の魔金はちゃんとあるってのに……。
「やあ、ロッカ。次の喧嘩相手は講義室の壁かい」
「お」
私が貼りだされた資料とにらめっこしていると、ヒューゴが声をかけてきた。
隣にはボウマも一緒だが、両頬がぷっくりと膨れているために声が出ないのか、手だけを振り上げて“いよぅ”と挨拶している。
「よう、二人共……別に睨んでるわけじゃないけどさ」
「裸眼で小さい文字を読んでるクラインみたいな目つきだったよ」
「ヒューゴって時々わざとそういう嫌な例え方するよね」
裸眼のクラインって時点で既に目つき最悪なんだけど。
……いや、そりゃあ、私自身が目つきが良いだなんて思っちゃいないけどさ。
ヤマで働いてれば自然と目つきも悪くなるってもんだし。
「で、ボウマのそれは何?」
膝を折り、ボウマの前髪に隠れた目線と高さを合わせる。
今のボウマの頬はまるで餌を溜め込んだネズミのように、両方がぷっくりと膨らんでいる。
明らかに苦しそうだってのに、本人の口元はちょっと満足気に釣り上がっているのが、ちょっと不気味だ。
「ああ、それね。どうもルウナから飴を沢山貰っちゃったみたいで、一気に限界まで頬張ったらそんな風になったみたい」
「おいおい、この中全部飴かよ」
一つずつ食べればいいのに、勿体無い。
まぁ、ボウマがそれで満足してるなら良いけども。
「それでロッカ、難しそうな顔してたけど、見てたのは……魔金?」
「うん。この表、色々な魔金の性質をまとめてあるんだよ」
「へえ、いかにもロッカが好きそうなテーマだな」
「まあね」
ここを見る前は理式科の発表を覗いていたんだけど、そこに長時間いると私の頭が爆発する危険があったので、急遽こっちの方まで場所を変えたのだ。
文章を読んで意味を汲み取ろうとする必要がないので、私のような足りない頭でも分かりやすい掲示物だった。
テーマも個人的に興味のあるものだったので、なかなか楽しませて貰っている。
「でも、ここにデムが入ってなくてさ」
「デムって、ロッカが使ってるタクトの、だっけ」
「うん、タクトっていうかクランブルピックだけどさ」
「ああ……なんでだろう? やっぱり希少性が高いから、実験で使えなかったんじゃない?」
「そうなのかな」
同格の高級魔金も一緒に並んでるんだけどな……。
「ほら、デムってあれだろ? ロッカの故郷のデムハムドでしか出てこないじゃない」
「あー……そうか、こっちの国とは事情が違うんだ」
デム鉱石は鉄の国でしか採れない鉱石だ。
デムハムドの固有魔族であるデム・テイカーの関節から採取するか、鉱龍トロッコの歯から採取するか、またはそれらの死骸跡を偶然に掘り当てるしかない。
当然、海の向こうの水の国にデム鉱石が取れるはずはない。
「そうそう。ロッカは見慣れてるかもしれないけど、デム鉱石って水の国では相当な価値を持ってるからね。これが絶対とは言い切れないけど、多分そういう理由があるじゃないかな」
「確かに……」
なるほど、そう考えると合点がいく。
試したくてもモノが無いってわけだ。それなら表に載ってないのも当然である。
「そんな学園に、ピックを一欠片ほど寄贈するってのはどうだい、ロッカ」
「絶対にやだね」
「ははは」
これは母さんの形見だ。ほんの少しだって他人に分けてやるつもりはない。
それに、金があるなら自分らで買えば良い。ちなみに私は、どれだけ金を積まれようが売る気は皆無である。
「そうだ。ところで、ロッカ」
「んー」
ヒューゴは更に話題を繰り出すつもりらしい。
私としては、もう少しこの表を眺めていたいんだけど……。
「もしかしたら既に君も聞いているかもしれないけど……ついに、杖士隊と警察が地下水道事件から手を引いたらしい」
「え……」
私の頭の中からダークスチールの熔融条件が吹き飛んだ。
ヒューゴの言葉に一瞬驚かされたが、少し自分の中で考えてみるとすぐに脳は冷めていった。
「……そっか。そういえば、杖士隊のトリスさんも言ってたもんね」
「うん。手がかりになるようなものは結局見つからず終いで、地下四階にいた謎の魔道士が全ての犯人ってことで、落ち着くらしいよ」
……現場に居合わせた身としては、あの魔道士は絶対、何かしら重要なことをやっていたはずだと確信できる。
自作ゴーレムと二人きりで、何の目的もなくあの薄暗い地下水道に長期間いられるはずがないのだ。絶対に怪しい。怪しすぎる。
そうはわかっていても、結局次に繋がる証拠は現れなかった。
「……解決、してほしかったんだけどな」
ソーニャのこともある。彼女の完璧な潔白を証明するためにも、真犯人やら地下水道での怪しい動きの目的やら、全てが明るみに出て欲しかった。
だけど現実はそうもいかないらしく、なんとも中途半端な形での決着となってしまった。
「まあ、けどロッカ、今はナタリーの闘技演習のインパクトとか、発表会の忙しさもあるし……もうソーニャを心配する必要も、あまり無いんじゃないかな」
「……うーん」
ソーニャはミスイの手によって貶された。
そのミスイがソーニャを貶める目的というのが、私にはよくわからないけど……。
多分、特異科が気に入らないだとか、クラインと同じクラスに可愛い子がいるからいじめてやろうだとか、胸が大きいからだとか。きっと、そんな理由なんだと思う。
はっきりした理由を聞いたわけではないけど、間近でミスイの陰湿さを見ているので、おそらくその辺りの、とてもくだらない理由が発端であることは間違いはない。
……そんなくだらない理由で、人一人を侮辱するんだ。
一度ナタリーをぶっ倒して溜飲を下げているだろうとはいえ、ミスイが次もやらないという保証はない。
導師さん達の制止がどこまで通用するかもわからないし……。
「なんだい、ロッカはまだ事件を解決したいと思ってるのか」
「そりゃ、そうだろ」
私個人としても、あの事件が未解決のままで終わるのは歯がゆい。
その上にソーニャが関わるなら、なおさらだ。
杖士隊や警察が手を上げるほどの迷宮入りとはいえ、立ちはだかる障害が金と時間だけの理屈では、私の心は諦めきれないのだ。
「……じゃあ、そんなロッカにこれを渡すよ。僕では、役立つかどうかが判然としなくてさ」
「え?」
私が俯いていると、ヒューゴは鞄の中から一冊の古い本を取り出した。
大判で、薄い。全体が経年と共に黄ばんだ、変わった形の本である。
「ミネオマルタの地下水道の、古い見取り図らしい。整備工事の時のやつ……っていうのが書いてあるけど、詳しくはわからない」
「お、おおおお!」
奪うようにヒューゴの本を取り、私はその場で開き、目を走らせた。
それは、かなり細切れではあるけれど地図。劣化により線が薄くとも、文字が細かく読み辛かろうとも、紛れも無く本物の、地下水道の地図だった。
しかも、探索の時に渡されたものには描いてなかったような、壁内部の細かな仕掛けや装置まで、事細かに記されている。
これをじっくり読めば、時間はかかるだろうけど、地下水道の仕組みを理解できるかもしれない。
それほど詳細な見取り図であった。
「こ、これどうしたの!?」
だけど、そんなものがどこにあったというのか。
地下水道の地図自体が、そもそも国が管理するような代物だ。
それに、この古さともなれば、当時の現場の関係者くらいしか持っていないはずなのに……。
「ふふっ、まあ、これでも僕は情報通を自称しているからねえ」
普段から飄々としているヒューゴが、この時ばかりはちょっと自慢げだ。
すごい。ものすごく自慢げだけど、ムカつかない。ものすごく頼もしく見える。
「……と、自慢してはみたけどね。なんていうことはないよ。ミネオマルタにいる石工のおじいさんと地下水道の話をしてたら、本当に偶然、こういうものを持ってるって教えてくれたからさ」
「石工のおじいさん?」
「うん、まぁ……つまり、ただその人から借りただけなんだ」
“僕には全然読めなかったしね”と言って、ヒューゴの顔が一転、気恥ずかしそうなものへと変わる。
「……それでも、ありがとう!」
「うおっ!?」
けど、私はこういうものを心待ちにしていたのだ。
地下水道。それに関わるものだったら、何だって良い。
ほんの少しの前進でも、今はそれが何より貴重だ。
これで、もう一足掻きできる。
そう思ったら、私は喜びのままにヒューゴを抱きしめていた。
彼の背中を右手でバンバンと叩き、何度も何度も“ありがとう”とお礼を言う。
それからヒューゴは廊下にうずくまり、数分もの間、収まらない咳と格闘することになった。
ヒューゴから貰った、……貸してもらった、地下水道の資料。
ぱっと目を滑らせてみたところ、片手間ではとても理解できない代物だということがわかった。
所々は紙を挟んでいるだけだったり、大きい図面が折り畳まれていたり、本と呼ぶよりは、資料をまとめたもの、といった趣が強いだろう。
立ちながらの読書はおろか、ベンチに腰掛けての読書ですら、これと向き合うのは難しい。
なので、ひとまず咽たヒューゴや飴を頬張って口の聞けないボウマとは一旦別れ、ゆっくり本を広げられる図書室を目指す事にしたのだが……。
「うわぁ」
図書室に入ろうと扉を開くと、行く手を塞ぐ大荷物が目の前に積まれていた。
机、箱、袋、箱箱箱。
どうやら発表会の期間中は使われないためなのか、色々な場所からの荷物置き場となっているらしい。
強引にでも入れないことはないけれど、ちゃんと訳があって無人である場所に踏み入って利用する気には、さすがの私もなれなかった。
「うーん……」
図書室は駄目かぁ。
かといって、特異科の講義室がある第五棟は、今は立ち入りが禁止されてるし……他の施設をろくに利用したことのない私には、他に思い当たる場所はなかった。
ある程度使える机と、座れる椅子。それだけあればいいんだけどなぁ。
学園とはいえ、なかなか無いものである。
「……自分の部屋を使うか」
本当は、発表会の期間中に寮に引きこもりたくはない。
一度寮に戻ったらそれきり、また学園に足を運ぶっていう気力が無くなるし。
そうなると、待っているのは一日の終わりだ。
欲を言えば、休みじゃない普通の日くらい、友達と一緒に過ごしていたい。
その点でいえば、特異科の講義室に入れないってのはかなり厳しいなぁ。
他の学科の講義室に入って勝手に資料を広げるのも、乗り込んで乗っ取るようで気が進まないし……。
「あー、忙しい忙しいっ」
「お」
そんな風に私が悩み、廊下を歩いていると、二つお下げをぴょこぴょこ揺らす女の姿が目に入った。
すれ違った者に既視感を覚えたのは相手も同じようで、その子は立ち止まり、抱える本の山の脇から、ブラウンの瞳をこちらに向ける。
「おー、スズメじゃん」
「あ、ロッカさんー、こんにちはー」
しばらくの間姿を見かけなかったスズメと、ばったり出くわした。
深緑色の子供っぽいデザインのケープに、膝下までの長めのスカート。
低い身長や幼さの残る顔立ちを見れば、歳はボウマと同じかそれくらいに見えるものの、彼女は私とそう歳が離れていないのだという。
魔術の扱いは並みの学徒より遥かに長けており、地下水道事件で同行した際には、様々な魔術を披露し、私達を助けてくれたものだ。
少々ほわほわと浮いた印象は受けるけど、リゲル導師の付き人をやっているのも頷ける、かなりの実力の持ち主である。
「忙しそうだね」
「はい、もうリゲルさんが働かないから大変で大変で……」
あのニコニコ顔の偉大な導師さんは相変わらずこの子に雑用を押し付けてるのか。
いや、それなりに偉大な人だとはわかっているけど……。
「……運ぶの手伝うよ。丁度、暇だしね」
「本当ですか! ありがとうございますー!」
本は、いざとなれば寮に戻ってゆっくり読める。
学園にいる今は、学園の学徒らしい事をして過ごすのが良いだろう。
なに、焦ることはない。この資料を見たからといって、事件の究明に繋がるものが出るとは限らないのだ。
なら人助けをひとつ分挟むくらい、なんてことはない。
それに、このスズメは私と同じで、地下水道事件の当事者でもあるのだ。
手伝いながら彼女に話を伺ってみるのも悪くはないはずだ。
「じゃあ、ええとぉ……この資料、私と一緒に第三棟の十階まで運んで下さい……」
「……じゅ、十階か」
けど、まさか遥々十階まで運ぶことになるとは思わなかった。
……そういえば、まだ私は第三棟の十階まで登ってないな。これを期に、どうなってるのか見てみよう。ちょっとした暇つぶしってことで。
学園の全貌は、左右対称だ。これは遠目からもわかること。
第二棟の対極の位置に存在する第三棟の構造は、どうにも第二とあまり変わらない造りらしい。
同じような場所に講義室があって、同じような場所に倉庫があって。花壇があって。
第三棟にも闘技演習場があることは以前聞いたので知っていたけど、こうも似ていると、なかなか面白いものである。
「あれ? ロッカさんって闘技演習場、知ってますよね?」
私が物珍しそうに見回している様子が気になったのか、隣歩くスズメが首を傾げた。
「いや、もちろん知ってるけど……第二棟じゃない闘技演習場は初めてなんだ。本当にそっくりなんだね、ここも」
「あー、そういうことですかぁ」
私がよく足を運び、よく闘い、よく血や汗水を流したのは、第二棟の闘技演習場。
私の感覚で言ってしまえば、あの闘技演習場も随分と綺麗で、豪華な造りだったように思うんだけど……それが二つもあると思うと、改めてすごいと思う。
金のかかった学園だとは常々思っている事だけれども、そのスケールの大きさはいつだって私を新鮮な気分にさせてくれる。
「属性科さん以外にも、独性科さんの闘技演習もありますからねー。あまり属性術と独性術の闘いが混合すると、練習の上では良くないんですよ」
「ふうん……?」
未だに私は独性科ってものをよく理解できていないけど、とりあえず頷いておいた。
「えーと、これらの資料や荷物は、近日この上の闘技演習場で行われるリゲルさんの大講義で使われる予定なので……今日の所は、こっちの準備室にまとめて置いておこうと思います」
「あ、うん」
「いやぁ、ロッカさんが居てくれてすごく助かりました。本当に感謝です!」
感謝は素直に嬉しかったものの、私以上に学園の内部構造に詳しそうなスズメに対して、少なからぬショックを覚える昼下がりであった。
指示のままに荷物を準備室へ運び、ついでに彼女の手が届かない場所の整理などもしてやると、スズメは両手を叩きながら喜んでくれた。
力持ちですねー、だなんて素直に褒められるとこっちも気が良くなってしまい、ついつい余計に張り切ってしまう。
そうして、終わりの見えない手伝いを十数分もやり終えてから、私はふと、荷物の上に置きっぱなしにしていた本の存在を思い出した。
「そうだ、スズメ。この本なんだけど、ここで見ていいかな」
「本、ですか?」
向こうも一段落したのだろう。私が適当な椅子に座って、適当なテーブルの上に古びた本を広げると、スズメは釣られてひょこひょこ近づいてきた。
一緒に見ようとしたのは、軽い興味からだったのだろう。しかし私が古い本を広げて中身を露わにすると、スズメの顔が引き締まったように見えた。
「これ、ミネオマルタの地下水道じゃないですか……一体どこで?」
「友達が見つけてくれたんだ」
ヒューゴにはただただ感謝である。
言いながら本を開き、見取り図を広げ、メモ紙を並べ、展開してゆく。
何枚かある地図は、単純な経路図。ただし役所で貸してもらった地図よりも遥かに詳細に描かれており、それ故に何枚にも数を増している。
地図を詳細に、膨大にさせている原因は、この細かな壁内部の見取り図で間違いない。
内蔵水車、内蔵水路、パイプ、通気口……。一部簡略化されてはいるものの、それを伴う地図の情報量は凄まじいものがあった。
ただでさえ迷路のような地下水道の水路が、様々な色で混線して意味のわからないものになっている。
スズメも地図を見て、数秒してからようやく“あ、やっぱり地図”だとか言う始末だ。
見慣れない者にとっては、さながら理学式のようにも見えるのかもしれない。
でも、私にとってこんな地図は分かりやすい方だ。
デムハムドの広がり続ける立体的な坑道を頭に叩きこむよりは、平面である分より一層理解もしやすい。
「……けど、さすがにわからない記号が多いな」
とはいえ、畑違い。
私はヤマのクランブルであって、水道の整備工ではない。地図上に記された線の色や記号の形から意味を汲み取るのは、さすがに無理である。
「あ、ロッカさん。こっちのノートに記号の説明が書かれてますよ」
「お?」
悩んでいる所に、スズメが私の欲していたものを見つけてくれた。
地図に書かれているいくつもの記号の、その意味や読み方を記した解説ページである。
本のページ部分に書かれていたこれと、地図を照らしあわせていけば……きっと、地図を正確に読み取れるに違いない。
「サンキュー、スズメ」
「えへへ」
かわいいなこいつ。
畜生、私もこんな可愛らしい女の子になれたらなぁ。
「……えーっと」
まぁ、無理なものは無理だ。床に叩きつけて木っ端微塵にぶっ壊した盃に水が帰ってくることなどありえない。
淡い夢をひっそりと心の中に蹴り入れて、記号と意味の照らし合わせに集中する。
「この線が通気口ね……へえ、水車と繋がってる。風通しも工夫されてんだな」
折り畳まれた大きな紙は地図。ノートは説明や、工事に置ける注意や指示のメモ書きと、現場日記。
これらを見るだけでも、全体を把握するのは十分だ。探検するだけならば、地図と本の二つがあれば事足りるだろう。
しかし、最後に残った数多くのメモ書きは、私にとって目を離せない代物だった。
「……うっわ」
機構図。石壁の中に封じられた、数々の機構の造りを事細かに記したそれは、地下水道を支える最も重要なものであると言ってもいいだろう。
水車がなければ、水は揚がらないのだ。それらのパーツをより効率よく、より狂いなく作動させる知恵の結晶であるこの図面こそが、昔の噴水職人にとっての誇りであったことは、疑いようもない。
「細かいですね……」
「……うん、すごい仕事」
緻密で、面倒。水を揚げるだけのものにしたって、手を掛ける労力や精神力は並大抵のものでは済まされない。
大胆で大雑把なデムハムドとは大違いの、丁寧な仕事だ。考えてみれば、畑が違うのも当然である。あっちは華やかな水の職人。こっちはただの、石掘りなのだから。
「なーんか、悔しいな」
そうぼやきながらも、心の中で賞賛する気持ちは変わらない。
水の国は、ただ魔術だけってわけでもないということだ。それを知って、植えてもないお株を取られた気分だけど、自分の理解が及ぶものがあって、ちょっと嬉しいとも思う。
「ん」
資料と地図に目を走らせると、丁度水路の真上に、またもや理解できない記号が見つかった。
記号と、数字。はて。この記号は、確か落水口だ。しかし数字なんてあったかと本をパラパラ捲ってみても、それらしい解説は見られない。
おかしいな。記号は落水口で間違いないはずだけど。
地図を色々と広げて、見ているそこが地下四階の、私達のいた事件現場近くということもわかっている。
じゃあこの記号は一体何なのか……。
「ロッカさん、これじゃないですか?」
私が悩んでいると、都合よくスズメが助言を授けてくれた。
彼女が横から差し出してきたのは、メモ書きの一つ。バラにされた紙切れの右上を見れば、そこには地図に書かれた不可解なものと同じ、記号と数字が描かれていた。
メモ書きの内容は、落水口の構造である。
「ああ、そっか。物によってはメモ書きと照らし合わせる必要があるわけね……」
「みたいですねぇ」
これまた面倒な。けど、職人同士でしか通じないような暗号じゃなくて助かった。
目は右へ左へ忙しくなるけど、時間をかければ読み解いていけないわけでもない。
「……これは、ソーニャさんのためですか?」
私がテーブルの大部分に本の中身を広げて集中していると、スズメはしんみりした声で呟いた。
「ああ」
私が同じくらいの大きさの声で呟き返すと、スズメは間を開けた後に、“ありがとうございます”と言った。
ありがとう、か。
でも、これは別にスズメから礼を言われるようなことじゃない。
私はただ、事件を解決したくなったからやっているのだ。ソーニャのことはもちろん意識してるけど、きっとソーニャ自身は、私がこうして有耶無耶になりかけた事件に再び首を突っ込むのにはいい顔をしないだろう。
だから、これはもう、これは過保護。ソーニャのためというより、私の意地と呼ぶに近い。
伸ばせる所まで、もがく手を伸ばしてみたい。そう思っているから、こうして柄にもなく本に齧りついているのだ。
……私じゃ、ミスイとやりあっても勝てないしね。
「……うーん」
メモ書きを手に取り、窓の灯りに透かして眺める。
落水口。地下水道の天井に開けられた、巨大な縦穴である。
大雨、洪水など有事の際にはこの落水口が開放され、水が地下へ流されるのだとか。
構造は、まんま縦穴。しかし径は巨大で、何メートルもある。
……私達が地下水道の探索をしている時に出会った、謎の魔道士。
そいつは逃げながら、この落水口の近くまで私達を誘導し、落水口に隠していた違法守護像をけしかけてきた。
突然真上から落ちてきた巨大ゴーレムには、それはもう心臓が破れるほど驚かされたものだ。
その後に召喚されたレトケンオルムの戦慄に薄れがちだけど、あの闘いも死に物狂いだったのは間違いない。
魔術は通らず、ライカンの蹴りも有効打にならない。状況によってはレトケンオルム以上に厄介な相手だ。
「……んー」
そのサードニクスが降ってきたのは、落水口。
サードニクスの球体を隠すほどの巨大な縦穴だ。道具を用いれば、そこにゴーレムを隠すのは難しくない。実際、サードニクスが現れた落水口には軽い調査が入り、固定のために使われたであろう木材がいくつも見つかっているし、私達もサードニクスの出現時に、木片が飛び散るのを目の当たりにしている。
それを思い出しながら、メモ書きを見やる。
落水口の構造。それは、巨大な縦穴と、その真上に置かれる巨大な丸い鉄板蓋によって構成されている。
落水口の蓋は水路の底面にあり、専用の鎖を四つほど繋げた上で回転させなければ開かない、非常に重いマンホールだ。
当然、物によっては蓋が水路の中で水没しているので、そのほとんどは機能しないと言っても過言ではない。あくまでこの機構は、非常用なのだ。
「……」
……しかし、と、頭に閃きが生まれる。
地下三階以降はそうだ。地下水道はしっかり存在し、水路は水に満たされている。落水口は水没し、その蓋を開けることは叶わない。
だが、地下二階までは別だ。あの低層には水がなく、ただ乾いた水路が広がるのみ。
そこの落水口であれば、蓋を開くのはさほど難しくはない……。
「もしかして……」
「? 何かわかったんですか?」
「いや……どうかな。わかんない……」
落水口。
これを使えば、地下水道の厳重な扉を使わずとも、謎の魔道士は階層を行き来することが可能だ。
けど、地下水道の二階や、闇市がある一階も、杖士隊によって調査され尽くされている。
魔道士が生活していたような痕跡は、全く見つかっていないし……。
「ぬぬぬぬぅ……あーもう面倒臭えッ!」
「きゃっ!?」
長時間に及ぶ熟考の末、ついに頭の回路を切らせた私は、思わず全力で古い机に拳を叩きつけた。
机割れた。どうしよう。




