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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第一章 砕けるガラス

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函020 蹴飛ばす小石

 私は、魔道士になる。

 その決意は固めたし、証として杖も買った。


 けど、試しに使ってみた結果は、残念なもの。

 自分の出した魔術で頭にコブを作っているようでは、まだまだ道のりは険しいだろう。

 文字通り、教材を揃えただけ。開始位置に立っただけの、素人同然の状態だ。


 ……や。落ち込む方が間違っているのだ。

 今日のあれは、失敗ではない。出来なくて当然のこと。最初の一歩を揃える時に、ちょっと躓いただけ。

 めげずに頑張らないと。


「はーあ」


 と思っていても、気分は落ち込む。

 ひりひりと焦げるような頭頂部の痛みを感じるたびに、情けない気持ちがこみ上げてくるのだ。


「……おじさん、この飴くれる」

「はいよ、十個入り八十二YENだ」


 ちょっと高いと思いながらも、今の口寂しさを紛らわすために飴を買った。

 ハッカの涼しさで、少しでも今日の憂さを晴らしておきたかったのだ。


 この街に来てから、鬱屈とした気分になるのは珍しいことではない。

 けど今日に限っては、今日の沈んだ気分だけは、早々に取り除いておくべきだ。根拠はないけど、私の予感がそう囁いている。


 口の中で涼しい飴を転がしながら、気晴らしに街を歩く。


 知らない人。知らない通り。

 どこもかしこも知らないことだらけで、初めてある区分には緊張するし、辺りを見回し、身構えてしまう。

 けれど今日だけは肩の力を抜いて、静かに歩こうと思う。

 雑多な大通りも、知らない路地も、ただ呑気に、ふらふらと宛もなく歩くのだ。


 高い建物の三階の窓では、怪しい天気を見越した婦人がシーツを取り込み、旅人と観光客でごった返す大通りでは、青い髪の子供達が一列に並んで、人垣のわずかな隙間を縫うように、慣れた調子で駆け抜けている。


 知らない街の、故郷とは比べようもなく小奇麗な、けれどどこか共通する素朴な温かみを残した、日常の景色。

 それは当然デムハムドとは全く違うものなんだけど、それでも私は何故か、心が安らぐような気分になった。


 特異科学徒として六年間をこの街で過ごせば、もしかしたらこの街も、私の第二の故郷になるのかもしれない。


「なんてな……」


 そんなこと、さすがにあるわけないか。


 灰色に煤けた故郷のぼんやりした全体像を思い浮かべ、自嘲する。

 すると急に、目の前にどこまでも続いていきそうな賑わう大通りが眩しく見えてしまって、私はすぐ近くの路地へと逃げ込むように、歩みを曲げた。


 人気のない、静かな細道。

 誰かの家と家の狭間にある、どこへ続くかもわからない、きっと私には何の関係もない道。


 壊れた雨樋が立てかけられ、底の抜けたタライは中にきめ細かな蜘蛛の巣を広げていた。

 古い白煉瓦の壁に据えられた古い水車は、中に土を詰められて、育ちの悪いナナイロバナのプランターになっている。


 生活臭のする、表通りにはない日陰の世界。

 恐ろしかったり汚いわけではないけれど、ただ寂しい世界。

 どちらかといえばこっちの方が、私の故郷の姿にはあっている気がした。


 ハッカの涼しさが、今の気分に丁度いい。




「よう、お嬢ちゃん。ちょっと待ちなよ」


 そんな感傷的な青い気分で歩いていたが、それは下卑た男の粘っこい声によって遮られた。


「……」


 細道を抜けた人気のない小さな広場で声に言われるままに立ち止まると、数人の男が四方から姿を現した。

 しかし先ほどの声も、今のこいつらのニヤついた顔も、どれを取っても悪意しか感じられない。マトモな連中ではないのは確定だ。

 ただでさえイマイチな気分だってのに、眉間に皺がもうひとつ増えてしまう。


「ロクデナシっつうのはわかってるけど、何者だよ、アンタらは」


 ポケットから手を出して、私は左手の指を鳴らしながら訊ねた。

 すると、私を遠巻きに囲む男どもは、大げさに“おお怖い”だの“そうでなきゃ”だの、愉快な感想を並べ立てる。


 ……数は、四人。

 前に二人、左右に一人ずつ。今来た後ろの路地はがら空きだけど、私は今の気分がどうであれ、そこを逃げ道にする気は毛頭無い。


「俺らかい。田舎者でも、聞いたことはあるんじゃないかねえ。ロッカちゃん、だったかな?」

「……なんで、私の名前を」

「いやいや、これはただ聞いただけさ。ちょっと、盗み聞きが得意なもんでねぇ」


 正面の男の一人が、にきび面に醜悪な笑みを浮かべ、前に一歩踏み出した。


「俺の名前はエドアッド。ミネオマルタで暗躍する、エドアッド窃盗団の頭領だ」

「窃盗団……?」


 微かな記憶をたぐり寄せてみると、思い当たる小さな節が頭の角に引っ掛かった。


 窃盗といえば、私がミネオマルタにやってきた直後の、あの男だろうか。

 猛々しくも私の目の前で鞄を持ち去ろうと企み、見つかったと知るや鞄を私へ乱暴に投げ捨てて、追いつかれたら追いつかれたで、ナイフで脅した上に切りつけてきた男である。

 最初から最後までとことん性根の腐った畜生だったので、一発顎へぶち込んでやったのは、まだ辛うじて記憶に新しい。


「何故俺が、お前の前に現れたのか……わかるかな?」

「……さあ」


 言う前から、左右に控えてるアンタの部下は、手元に剣を握ってるんだけどな。


「ふふ、優秀で貴重な部下を一人監獄送りにしてくれたお礼を、どうしてもしたくてねぇ……色々と、事前に調べておいたのさ」

「まだ監獄じゃなくて診療所にでもいるんじゃない」

「軽口を叩くな、状況を良く見ろよ」


 調子に乗せていた男の声のトーンが、突然に低く下がる。

 細い目が殺気立ったように更に鋭くなると、私の左右から刃物を構え直す音が聞こえてきた。


「お前はそこそこ、身体強化が使えるらしいな。恵まれた体質だぜ。こっちの業界では、お前のような奴は女でも重宝するが……」

「なんだよ、居なくなった奴のかわりに、私をそっちで雇ってくれんのか」

「いや、殺す」


 少しも溜めない、演技もつけない、平坦な男の声が合図だった。

 私を挟む左右から、剣を構えた男二人が一気にこちらに迫ってきた。




 振り上げた剣。怒気の篭った顔。鈍く光る刃。


 現れ方も、口上も、襲い方も、何もかも分かりやすい連中だ。

 この街に来てから小難しい事ばかりだったので、いっそ逆に嬉しくなってしまう。


 嬉しい。それは嘘じゃない。

 ここで今までのモヤモヤした鬱憤を、一気に晴らせるのだから。


「オラァッ!」

「ぎゃあ!?」


 身体から魔力が噴き出し、身体を覆い、上乗せされた力となる。魔術とはほとんど対を成す気術、身体強化が発動したのだ。

 自然に構えた脚から、一気に地面を踏み込み前へ出る。振りかぶった私の右腕は、通常時の数倍の速度でもって繰り出された。


 私の金属の右腕が、男が握った剣の柄を殴り、打ち砕く。

 同時に指の骨の何本かもへし折って、勢いをそのままに、更に男の胸を撞いた。


「げばッ!」


 男は拳の勢いのまま宙に浮き、白い壁面に叩きつけられた。

 壁にベタリと四肢を打ち据えた男は、そこからずり落ちるように静かに地面に落下してゆく。


「ひ、ひい!」

「今更ナヨナヨ怯えてんじゃねーよドマグレモンが!」

「うげぁッ」


 勢いついでに怯んだ左の男の頬骨を叩き割って、同じように地面へ沈める。


 一瞬の攻撃。拳たったの二発。

 それだけで、大の男二人がうずくまり、うめき声をあげたまま動かなくなった。


 正面に立つリーダーを名乗る男は、さすがに二人が倒れ伏すのは予定外だったのか、顔色からは今までの余裕が嘘のように消え去っていた。


「で、私へのお礼ってのは、なんだったっけ。金とか土下座は、別にいらないんだけど」

「ふ、ふふ……何を……何を言う! 調子に乗るなよ、女ぁ!」


 男は強気を取り繕いながらも、私から二歩退いた。


「先生、お願いしますっ!」


 そして、予想はしていたものの、隣にいたもう一人の男に助力を求めた。

 指示を出して威張るだけ。とんだ腐れ上司もいたものである。

 今のやりとりから、窃盗団団長のエドアッドの人望の無さが透けて見えた。どうせ手持ちの部下は、たった今私がのした二人だけに違いない。


「やれやれ、身体強化持ちか……確かに、何も使えない一般人には荷が重い相手だろう」


 けど、先生と呼ばれたこいつは別格だ。

 全身を隠す風体も、怯えも見せない堂々とした振る舞いも、他の連中とは全く違う。


「ふふん」


 短い金髪の男は私を見やると、不敵に笑って勢い良く外套を翻した。


「あ……!」


 男は、外套の中に杖を、ロッドを持っていた。


「だが、身体強化の使い手など、ある程度熟練した魔道士には全くの無力。無意味さ」


 気迫のない優顔に、細めの身体。

 それでも暴力を目の前にして自信に満ちているのは、なるほど。その手に握ったロッドのせいか。


「ふ、ふはは、この御方は我々が雇った用心棒、ザイン様だ! こんなこともあろうかと、裏で雇っておいたのだ!」

「おい、エドアッド。敵の前で喋り過ぎだぞ」

「はっ、す、すいません!」


 つくづく小物臭い窃盗団団長は、魔道士の男には頭が上がらないようで、彼が声に怒気を乗せただけで、一瞬で縮こまってしまった。


「私の名まで聞かれたからには……もはや、生かす気分でもなくなったな」

「……へえ」


 最初から生かすつもりはなかっただろうに、今更白々しい脅しだ。


 けれど、そんなわかりきった脅しの言葉に、今の私は少しだけ不安を覚えている。


 なにせ、目の前のこの男は、魔道士だ。

 私は喧嘩こそいくらでも経験はあるが、魔道士とやりあったことなんて全くない。


 相手がどう動き、どう攻めてくるのか。

 どの距離から、どんな事をしてくるのか。

 ……これっぽっちも予想できない。


 ……けど。


「へえ、アンタ、魔道士なのか」


 私はジャケットの内ポケットを探り、温かみのある木の握りに手を掛けた。


「じゃあ、私と同じだな」


 そしてそれを、勢い良く抜き放つ。


 買ったばかりの、赤陳(アカヒネ)のタクト。

 私が決意を込めて購入した、覚悟の証だ。


 私が杖を取り出したことが意外だったのか、魔道士の男の表情がわずかに崩れた。


「……なに……おい、魔道士だと。聞いてないぞ」

「す、すみません! こちらの方でも、暴力女としか……」

「ええい、使えない男だな!」


 魔道士ザインは団長を強く叱りつけ、気迫だけで男を壁際まで追いやった。

 そのほうが私としても、相手にする数が減ってありがたい。


「魔道士……なるほど、学園の人間だったか。ならばもはや、容赦はできん。後輩とはいえ、手を抜くには危険な相手だ」


 しかし、私が虚勢で杖を抜いたのは間違いだったか、魔道士の青い目が、本気に変わる。


「今の学徒の実力、お手並み拝見といこうか!? “ステイ(顕鉄)”!」


 洗練された素早い動きと共に、ロッドが大きく横に薙がれた。

 一瞬の振りの間に、杖の先の黒い魔石が、怪しい光を煌めかせる。


「うわっ!?」


 身体強化を解かないでいたのが、幸運に傾いた。

 ほとんど目に見えない早さで打ち出された“何か”は、私の膝があった場所を通りすぎて、地面を深くえぐったらしい。


 咄嗟に飛び退いていなければ、私の脚は地面のように、とんでもないことになっていただろう。


「う、わ」


 地面を砂糖のように綺麗に抉り取ったのは、拳ほどの大きさの、黒い鉄の砲丸によるものだった。

 杖を振るだけで、人を頭蓋を容易に叩き割る程の鉄塊を撃ち出す。


 魔術。これはやっぱり、危険な代物だ。


「どうしたね、動きがなっていないぞ。“ステイ(顕鉄)”!」

「くっ……!」


 魔道士は次々に、鉄の塊を放り投げてくる。

 投げる場所は、決まって下方向。私の脚を潰す狙いで、容赦ない位置に射出し続ける。


 避けられなくはない。

 けど、相手が打ち出す早さは、男が思い切り投げるそれ以上のものだ。

 脚はブーツ以外には保護も無い生身だ。当たれば、身体強化をしていてもただではすまないだろう。


「はは、なんだそれは、その杖は飾りか!?」

「くっ……!」


 防戦一方。うかつに手を出せない。

 けど、今の言葉にはちょっとむかっ腹が立った。


 一瞬の隙を見つけ、脚を構え直す。しっかりと地面にくっつけて、重心をずらさない、最も安定した体勢だ。


 そして、その不用心な短い機を逃さぬよう、素早くタクトを振り上げる。


「――」


 短く息を吸い、わずかな時の中で、自らの魔力に意識を集中させる。


 私が何をするか察したのだろう。

 魔道士ザインはハッとした表情で、振りそうになった杖を胸元に戻し、おそらくは防御の構えに転身した。




 相手が何を、どういった手段で防ぐのかはわからない。

 けど、馬鹿にされたまま、それを認めて逃げてられるか。


 相手は鉄を撃ち出す魔術を使ってきた。

 私の魔術も、相手と同じ鉄属性。ならば、その術は私にだって使えるはずである。


「――“ステイ”ッ!」


 力を込めて、私は怒声と共に右腕を振り下ろした。


「ぐっ……!」


 同時に石が直撃し、苦しげなうめき声が漏れだした。




 ……私から。




「……は」


 石は、投げたつもりだった。私は相手のむかつく顔めがけ、本気で投げた。……つもりだったのだ。

 けど、実際はどこにも飛ばず、ただ重力に従って落下しただけ。


 よりにもよって、私の頭頂部に。


「は、はははっ! うひゃ、うはははっ!」


 それを見た魔道士ザインが、目に涙を浮かべながら大笑いする。

 釣られたように、壁際に退避した盗賊団長も、引きつり笑いを浮かべやがった。


「うは、うははっ! な、なんだそれは! ま、魔術投擲のつもりか!? それがっ!」

「……」

「く、くくく、しかも、なんだその術は……鉄でもなんでもない、ただの石ころ……! こ、これは傑作だ! 初等学徒のような失敗を、ここにきて見せつけてくるとはな!」


 私は、頭の上に鎮座する石を手に取り、握りしめた。

 その間も、魔道士はゲラゲラと笑い続ける。


「そ、そのような練度で私に魔術戦を挑もうとは……! 魔術投擲もできない素人のくせに、ははははっ!」

「……できる」

「は?」


 私の右手が、赤っ恥を作った石を強く握ったまま、小刻みに震える。


「魔術投擲……やってやるよ……」

「ふ、ふふ、出来るものならぜ、是非見せてほしいもの……」

「これが私の魔術投擲だオラァッ!」

「え」


 魔力全開。

 ありったけの魔力を注ぎ込んだ、正真正銘本気による身体強化。


 怒りのままに石を握り、怒りのままにそれを振りかぶり、私が今持てる限りの憎しみと怒りと八つ当たりを込めて、それを文字通り、“投げる”。


「な――」


 豪速で投げ放たれた石つぶては、相手が感知する間もなくその杖を真っ二つにへし折り。


「げびゃぁッ」


 そのまま魔道士の脳天に直撃し、派手な音を立てて石が粉々に砕け散った。


「ばか、な……」


 額から血を流し、魔道士が力なくその場に倒れ、静かに横たわった。


「ひ、ひいい!」


 雇われの魔道士は、私の魔術投擲によって成敗された。

 残るは一人。路地の隅で震え上がる、にきび面の窃盗団団長のみ。


「ど、どうかおたすけ……」

「笑ったろ」

「え」

「笑ったよな」

「いや、その」

「オラァッ!」

「いぎゃぁっ!?」


 何本かの何かが折れる音が響き、汚い顔の男もまた、仲良くその場に寝転がった。




「……はーあっ!」


 一対四の喧嘩。返り討ち、見事に完了。

 デムハムドにいた頃なら箔のつくような誇らしい戦果であるが、しかし今の私は、そんなことはどうだって良かった。


「なにが、“これが私の魔術投擲だ”、だよ。馬鹿じゃんか、私」


 ただ、虚しい。ただ、帰りたい。

 魔力を膨大に使ったせいもあるだろう。とにかく、疲れた。

 それだけである。


「こいつらは……そのままでいっか」


 自ら警官に知らせて、また停学を食らうのは御免だし、今度は退学になってしまうかもしれない。

 どうせ放っておいて、誰にも見つからずに奴らが逃げおおせたところで、再び私に襲い掛かることも、おそらくはあるまい。


 私は知らん顔で、早々にその場から立ち去った。



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