盥022 打ち込む鉄杭
「っは」
私が持ってきた炒りカシューナッツの紙袋を見て、ナタリーはあろうことか鼻で笑った。
ここで紙袋を思い切り顔面に投げつけなかったのは、ひとえに私の沸点が高かったからだろう。
でもあとちょっと余計な一言が付いていたら、投げてたかも。
「人がせっかく持ってきてやったんだから、感謝くらいしたら」
「なんでアタシの好物を……ああ、そん時居合わせてたんだっけか」
寮のベッドで寝そべるナタリーに、紙袋を投げる。
ナタリーはそれを軽々と受け止めて、なんだかんだ言いつつも、嬉しそうな顔で開封し始めた。
私は今、ナタリーの部屋にいる。
何故いるかって言うと、学園の庭園をぷらぷらと歩いていたら、突然ジキルに呼び止められ、“あれ買って行ってやってくれ、ください”と言われたからである。
頼まれたついでに小銭まで受け取っては、やらないわけにもいかないだろう。
そんな経緯で、私はナタリーの寮室に上がり込み、見舞いの品を届けたのだった。
「ジキルも、いらねえ世話を焼きやがるぜ」
「あれ、ジキルのこと私、言ったっけ」
「やっぱりな。いいや、わかるんだよ。長い付き合いでな」
ナタリーの脚は、当然ながらまだまだ完治には至らないという。
今は少し高めの薬湯などを飲んでいるそうだが、杖をついて歩くまでにも、かなり時間が掛かるらしい。
「……んぐ、んぐ」
ナタリーがナッツを齧る音だけが、部屋の中で寂しく響く。
私とナタリーの二人きり。共通の話はもちろんあるけど、それはナタリーの負けに関わることばかりだ。
彼女がショックを受けているかもしれない今、この場で無闇に言うほど、私も馬鹿ではない。
……ただでさえ世間話には疎いってのに。
でも、このまま手ぶらで帰るのも、見舞いとしては無粋な気もするし……。
「……ん」
私がぼーっとしていると、ナタリーはいつの間にか、カシューナッツのひとつを私の前に差し出していた。
“ん”、って……まぁ、ぼーっとしてた私も悪いけど。
伸ばされた手が丁度良かったので、口で受け取り、よく噛みしめる。
私のその食べ方がさすがに不躾だったのか、ナタリーはあからさまに眉を潜めた。
「それ飲み込んだら、さっさと出て行けよ。アタシは久々の病人なんだ、ゆっくり昼寝させてくれや」
「!」
急に言われ、思わず飲んでしまった。
じゃあ、もう出てけってことか?
病人相手に茶の一杯も、なんて言わないけどさ……。
「……まぁ、帰れって言うなら」
「ああ」
「……また、日を改めて欲しい物とか、ある?」
「ねえよ。これ以上世話焼きが増えるのは勘弁だ」
ナタリーの世話焼きという言葉で、咄嗟に頭に浮かんだのは、ロビナとレドリアだった。
特に小うるさいロビナなんかは、時間が許せば付きっきりで看病をしそうである。
……ナタリーは普段から親衛隊みたいな奴に囲まれているし、その喧騒からわずかでも離れるには、これも良い機会だったのかもしれない。
邪魔しちゃ悪いか。
「んじゃ、またな」
私が手を振り、ジャケットの襟を直して出口へ向かうと、
「おい」
それをナタリーが呼び止めた。
軽薄な印象の強いナタリーにしては、やたらと真剣な表情で。
「見ただろ。奇跡なんて起こるもんじゃねえ。ミスイとは闘うな」
それを、最後に持ってくるか。
最後の最後、長話もできないような時間に、挟み込むように。
「……ああ」
説得力によって打たれた釘が、私に深々と突き刺さる。
この大きな釘、安易に抜くのは、ナタリーの厚意や善意を無駄にするだろう。
……何かの拍子に噛み付くのは私の癖だ。
ミスイが何かをやろうとしても、こっちのむかっ腹が立ったとしても、なんとか抑えなくちゃいけない。
――でないと、アタシみたいになるぞ
私は冷や汗を垂らしながら、ナタリーの寮室を出た。
ナタリーと別れ、再び学園へ。
発表会中は暇なので、特に行ってすることもないんだけど、まだまだ見ていないものは多い。
知り合いや友達を探すのは面倒だから、一人でぶらぶら歩くことになるだろうけど、こうして難しい題材をヒント無しに見て回るのも、勉強のひとつだ。
ナタリー達の闘いを見て、理学に取り組む意欲が、少し高まったのかな。
「さて、けど……」
勉強も良い。けどまずは、飯だ。
ナッツひとつだけじゃ、胃袋をくすぐられただけ。あてもなく歩くより先に、まずは食堂で腹ごしらえといこう。
……学園の食堂、前は高い高いって心の中で文句ばっか言ってたけど。
やっぱり金銭感覚が麻痺してるよな、これ。
食堂は、昼間であることもあって、それなりに混んでいる。
常時開放されている発表会中ということもあり、席はほとんど埋まりきっていた。座るとすれば、相席になるのは間違いないだろう。
けど、今回はちょっと食べてすぐに行くだけなので、深く気にする必要はない。
パパッと食べられるものを選んで、さっさと退散しようと思う。
「……肉……は、やりすぎかな」
すぐに食べられて、あと、そろそろ財布をいたわる意味で、安いものを……。
レンガパンと日替わりのスープ。よし、これなら安い。これにしよう。
私は迷いに迷って半券を千切り、人のいないテーブルを探しに食堂へと踏み出した。
目立つ場所にあったテーブルに、空席を発見した。
食堂のほとんど中央。誰にでも見つけられるだろうし、私も真っ先に目がいったテーブルだ。
そこだけは、不自然にがらんとしていて、座っている人間は、たったの一人。
六人分のテーブルの中央を陣取るように、ミスイが昼食を摂っていた。
「……」
私が半券を手に歩いていると、ミスイがこちらに目を向けた。
無感情で、濁った色の深い瞳。
人形のように不気味な目だ。
だけど私は、その目を恐れていないぞと。お前なんか、これっぽっちも意識していないぞと。そんな気持ちを奮い立たせたくて、理由に逃げず、ミスイと同じテーブルに着席した。
だって、そこに空席があるのだから。相手が苦手だからと避けるのは、そんなの、有り得ないことだ。
椅子に腰掛ける一瞬、周囲からの視線が私に集まった気がした。
多分、気のせいではないのだろう。
「相席、良い」
私は座ってから、ミスイの真向かいで訊ねた。
「どうでも良いですよ」
ミスイは本心からどうでもよさそうに、ザクロのサラダにフォークを突き立て、咀嚼に勤しんでいる。
……大丈夫。
別に、ただ相席になっただけ。
ナタリーから言われた言葉を忘れたわけじゃない。闘うつもりは、本当にない。
私はただ偶然に座り、居合わせただけ。たったそれだけなのだから。
着席後、言葉は交わされない。
向こうはただ、黙々と食べるだけ。こっちもそれを邪魔するつもりはないので、テーブルの上に右手をドンと置いて、関節の動きを確認するのみ。
……陰湿な女だ。きっと、食事の合間にも色々突っかかって来るんじゃないかと内心で身構えてたけど……何もない。
少し、肩透かしを食らった気分だった。
ミスイは黙々と、テーブル上の皿を食べている。
ザクロの入ったトマトサラダに、薄切りのパンと、あともう一つ……ゴツゴツした貝殻付きの、まるで内臓のような、大きな貝の身。
熱を入れていないであろう生々しい色のそれをフォークで串刺しにし、白い牙を突き立てる。
血の気ない顔もあって、ミスイの食事風景はかなり不気味だ。
「……これはカキと呼ばれる食材です」
私の目線を読んだのか、ミスイは半分になったカキとやらを軽く掲げ、口を開いた。
「へえ、知らなかった」
言葉をかけられ、無視を決め込む理由もない。
私が正直に答えると、ミスイは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「そうでしょうね。私と、クラインの故郷の特産品ですから」
クライン、が強調されている気がする。
勝ち誇る理由がよくわからなかったけど、その後ミスイが齧り付いた一口は、それはそれは美味しそうなものだった。
……味を知らないと、内臓を食ってるようにしか見えない。
これっぽっちも羨ましくないんだけど?
多分、自慢するくらいだから高い料理なんだろう。
でも正直、隣のテーブルのコビン肉の方がずっと美味しそうに見えた。
「別に、クラインの故郷だろうが何だろうが、私は興味ないね」
「……へえ」
半券を軽く掲げていると、食堂の人が皿を運んでやってきた。
薄切りのパンとスープが私の目の前に並ぶと、抑えられてきた食欲が唾液となって口内を湿らせる。
「人の好みなんてそれぞれだし、アンタが何を好きだろうが、別に。それこそ私は、これっぽっちも興味ない」
「……」
私がパンに食って掛かると、それきり、お互いに言葉が交わされること無く、黙々とした食事が始まった。
言いたいことは言ってやったぞ。
こっちはな、お前の好物なんて知ったこっちゃねえんだよ。
カキだかクリだか知らないけど、高級品を食いたきゃ勝手にどうぞ。心ゆくままに貪ってりゃいいさ。
「ふう」
私はミスイよりも先にさっさと軽食を平らげて、喉に詰まるパンをスープで流し込むと、すぐに席を立った。
ミスイとの会話らしい会話は、ほとんどない。
けど、ちょっとやってやったような感じが、私の心の中に残った。
「んッ」
食堂を出て、苦しい胸を叩く。
……やっぱ、食べるの急ぎすぎたかも。




