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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第九章 渦巻く波濤

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盥018 回る車輪

 斜に立ち並ぶツララの森。

 足下を浸す魔力の水。


 水と氷の世界で、ナタリーとミスイが死闘を繰り広げている。


 滝のような勢いで噴き出す水流が、ツララを巻き込みながらあちこちを駆け巡る。

 全身に鎧を着込んだナタリーは、常人離れした勢いでツララの森を飛び回りながら、襲い来る水を軽やかに避けていた。

 だが、ナタリーも避けるばかりではない。彼女は攻撃にせよ、回避にせよ、六回までという区切りを持っているのだ。

 逃げに徹していても埒が明かないことを知っているナタリーは、絶望的な状況ながらも果敢に攻める。


「死ねオラァッ!」

「“キュア(氷よ)ラヒル(佇み)ケイジ(壁を成せ)”」


 しかし、水は豊富に満ちている。

 ナタリーの渾身の矛先は、ミスイへ届かない。


「“スティグマ(再び貫け)スティ・レット(我が鉄錐)”ォ!」

「“クロウズ(水よ集まれ)クラムコイザ(ここを閉じよ)”」


 多段階的な動きを見せるパイクの強烈な刺突でさえも、ネタが割れてしまったためか、今ではほとんど有効打を与えられていない。

 氷壁にパイクを突き立てても、ミスイは空けられたヒビや穴を氷で再び埋め固めることで、二度目の強烈な刺突を難なく防いでしまうのだ。


「ぎィ、また……」

「“コイズ(水よ)ガミル(蜂起せよ)”」

「!」


 そして防がれた後は逆に、防戦一方。


 ナタリーの足下から水流が噴き出し、彼女が避ける間もなく直撃する。

 比較的弱い術である事と、重い鎧とパイクのおかげで、身体が派手に浮き上がる事こそなかったが、軋んだ鎧はそれなりの衝撃を内側の中身に与えている。

 何より、ナタリーの身体を覆うそれは鎧とはいえ、魔術によって作られた生成物だ。

 潮風が鉄を蝕むように、じわりじわりと、装甲は損傷の度合いを強めてゆく。


「“キュライア(木枯らしよ)ラギレルテル(跳ねろ)”」

「ぐっ!?」


 冷気の風が氷壁を迂回して吹き荒び、ナタリーの右肩に直撃した。

 鎧の肩を濡らしていた水分は鋭い結晶となって成長し、ナタリーの鎧の一部を凍りづけにしたまま砕き割る。


「少し、薄着になりましたね」

「クソ野郎、やりやがったな」


 ナタリーの鎧が、また欠損した。

 今度は右肩の装甲だ。これで右肩と左肩の装甲が消えたことになり、鎧の防御能力がかなり弱まったことになる。


「その鎧……背中の強い推進力を、武器を握る手先まで伝える役割があるようですが」

「……テメェ、それを見破ってたか」

「両肩の装甲が無いと、もうその利用もできないかもしれませんね」

「……」


 しばらくの沈黙の後、ナタリーがそろりそろりと後ろに歩き、ミスイから距離を取り始めた。

 それまでの、急接近からの一撃を狙った戦法とは真逆を行く動きに、私だけでなく、会場全体が訝しむような唸りを上げた。




「……ナタリー、なんで距離を取ってるんだろ」

「魔杖騎士団の鎧の問題だろう」

「えっ?」


 私は事情を知ってる風なクラインを見やり、続きを求めた。

 けれど、それに気付いたらしいクラインは、ものすごく嫌そうな顔を私に向けた後、またすぐに壇上へと目線を戻す。


「君が相手だと、解説する間に試合が終わってしまいそうだ」

「……ぐっ……そうかい」


 クラインは何も語ってくれなかったけど、とりあえず、ナタリーが接近戦に入れない状態にあるらしいことだけは伝わってきた。




「近づくメリットも無くなった以上、距離を取るのは懸命な判断です……けれど、愚かですね。中、遠距離は、私の得意な間合いなのに」


 二人の間に距離が生まれると、今度はミスイの一方的な攻撃が開始された。

 黒いロッドを静かに傾けて、遠距離のナタリーへ、水流魔術や氷結魔術を、ほとんど休みなく放っている。

 宙に放り投げられた水弾や、尖った氷の礫達が、動きの悪いナタリーを容赦なく襲う。


 小さなものはナタリーの鎧によってある程度まで防げるものの、巨大な水や氷に対しては、魔術やパイクで防ぐ他に手段が無いようだ。

 鉄板で水から身を守ったり、中サイズの氷はパイクで迎撃したりと、その対処能力は目を見張るほど高度なものなんだけど、防戦一方であることには変わりない。


 運の悪い一撃がすり抜けるのも、時間の問題だったのだ。


「がッ……ってえ……な、このっ、クソ女ッ!」


 ついに、飛来する巨大な氷の塊はナタリーのヘルムに直撃し、彼女の顔が外気に晒される。

 臥来系の混じり無い白髪の一部は、赤く染まっていた。


「あら……その様子だと、そろそろ降参を」

「“スティ・ヘル・レット(いでよ鉄鋲)”」


 ミスイが何か喋っていたが、その隙にと、ナタリーが背中の棘を補充したらしい。

 一瞬だけ余裕の笑みを浮かべていたミスイは、言葉を交わすつもりのないナタリーの態度に、すぐに冷めたような顔に戻った。


「……はあ、やるんですね。どうしても」


 ナタリーは無言だった。

 無言でパイクの車輪をずらし、ミスイへと矛先を整える。


「まあ、良いですけどね。私もその方が――」

「ありがとな、余裕ぶっこいてくれてよ」

「――は?」

「ま、そういうこった」


 ナタリーの姿勢が低く落とされる。




 きっと観覧席の皆は、既に二人の決闘の行く末がおぼろげに見えていた。

 だから彼らは、ナタリーがいくら再び矛を構えようとも歓声を上げなかった。

 何度でも立ち向かう姿には、むしろ呆れていたのかもしれない。


 退屈さが射し始めた闘いに目をそむけた奴らが、何人かいたことだろう。


 けど、その瞬間を私はしっかりと見ていた。

 余裕ぶっこいて目を離していた奴は、ざまあみろだ。




「“スティグマ(天を)ステルス(地を貫け)スティ・レット(鉄錐の毒華)”」


 ナタリーの背の棘のうち、四本が光を帯びて、その凝縮された力を解き放つ。

 一本の棘ですら分厚い氷の壁を破砕する威力を秘めているのに、それを一度に四本だ。


 そのエネルギーは、パイクの車輪を馬車以上の速度と馬力で回し、ナタリーの身体を前へと“吹っ飛ばす”。


「な――」


 ナタリーは、ツララや氷片があちこちに散らばる床の中で、斜めに傾いた分厚い氷壁の存在を知っていた。“キュア・ラヒル・ケイジ”の防御が産んだ、巨大な一枚氷である。

 それは丁度、ナタリーの側からは急な坂となっており、勢いさえあれば、駆け上るのには都合の良い傾斜だったのである。


 ナタリーは坂を駆け上がり、そして、高く飛び上がった。




 パイクと共に高く跳び上がったナタリー。

 付け根に備わった車輪は轟音を立てて回転し、着地点のミスイを威嚇しているかのようだ。


 宙を舞うナタリーに、観覧席は大きくどよめいた。

 けど、きっとそれが長く続くことはないだろう。

 ほんの僅かな滞空時間の後に、二人の勝負は決するであろうから。


 宙に浮かび上がったナタリーを、ミスイは驚きの表情で見上げている。

 これで呆けていたなら、決着の色ははっきりしていただろう。しかし、戦闘に臨む心構えを放棄しきるほど、ミスイは油断しきっていなかったらしい。


「小癪」


 それでも、ナタリーは上。

 水魔術は、生成物を行使するものでありながら、投擲距離に難がある。何より真上への攻撃が難しい属性術なのだ。

 水を相手の頭上から落とすだけならば、その重さによる強い衝撃も与えられるし、それだけで中級保護に決着を付ける程度の威力はある。

 けれど、上から落ちてくる相手に対して下からぶつけても、それはよほどの威力でない限りは、丁度良い水のクッションにしかならないのだ。


 しかも、その間に上からのナタリーが、何もしないとは限らない。

 有効打を狙うばかりに、それまでの防御を疎かにしては本末転倒だ。

 つまり、水魔術使いは上を取られてしまうと、攻撃に移れず、後手に回るしかないと言える。


 簡単には対処できない懐まで、入られてしまった。

 与えられた時間の短さと窮地に、ミスイは“不覚だ”とでも思っているのか、唇を強く噛んだ。


「決めンぜ」


 遥か上を取ったナタリーは下のミスイに対し、猛廻天するパイクの矛先ではなく、車輪を向けた。

 回転する車輪。狙いを付けるような鋭い目。

 ミスイは本能的に悪寒を感じ取った。


「まずい……!」

「“スティグマ(再び貫け)スティ・レット(我が鉄錐)”!」


 詠唱の終わりに、ナタリーの口角が釣り上がる。

 車輪が輝き、それが推進力そのものへと変換され切ってしまった後では、ミスイの無詠唱による防御も無意味だったのだろう。


「いっ……!」


 車輪がエネルギーとなり、周りに備わった二十四本のスパイクが、同時に撃ち出された。

 無数に射出された小さなトゲは広範囲に飛び散って、壇上にいくつかの細い砂煙を上げる。


 ミスイに狙いを澄ました何本かは、咄嗟に振るわれた水の鞭によって退けられた。が、運悪く迎撃し損ねた一本はすり抜けて、ミスイの肩を刺したようだ。

 痛みのためか、ミスイは黒いロッドを手放して、石壇の上に落としてしまった。魔道士としては致命的なミスである。


「野蛮人ッ……!」

「ヒャハッ!」


 記念すべき、この闘いにおいて初めての、ナタリーからの一矢だ。

 ナタリーは嗤い、ミスイは睨む。


 巨大なパイクの矛先が、今度こそミスイに向けられる。

 かなりの高さからの、斜めからの落下。車輪によって勢いのついたナタリーの身体は、落下すればタダでは済まないだろう。

 それこそ、以前私が彼女を高所から落としたように、その衝撃だけで試合の決着を付けるに至るかもしれない。


 けど、ナタリーはパイクを構えている。

 そのまま、いくつもりなのだ。自分の脚とか、着地とか、そんなことは一切、考えていない。


 きっと、ナタリーはこう考えている。


 “自分より先に、相手を倒せればそれでいい”、と。

 “勝てばいいのだ”、と。


 貪欲に勝ちに拘るナタリーらしい戦法だ。

 乱暴で、横暴で、だけど、自分の身体を張って、無理矢理にでも貫こうとする。

 やろうと思えばできるはずの身体強化を抑え、高所からその力のままに落下することが、どれほど恐ろしいか。

 だが、ナタリーにはそれができる。彼女なら、やってしまえるのだ。

 たとえ、そのパイクを貫いた勝利の先に、壮絶な痛みが待ち構えようとも。




「――貴女なんて、見たくもない」


 肩を押さえるミスイにパイクが迫る一瞬、二人の間に青白い魔光が瞬いた。

 次の瞬間、勝負を決するパイクの矛先が勢い良く“着弾”し――。


 ミスイの頬を掠め、後ろの石壇を深々と貫いた。




「え……」


 勝利を称える歓声がすぐに力を失い、闘技演習場に沈黙が訪れる。

 黙りこむ静けさと、疑問を隣の人間に訊ねるぼそぼそといった声だけが、つい先程まで騒がしかった会場を支配する。


 壇上は、静かだった。

 いや、静かすぎた。


 だって、そこにナタリーがいないから。

 そこに立っていたのは、ミスイ、ただ一人だったから。




「勝者、“冷徹のミスイ”!」


 審判役の導師の声が、高らかに響き渡る。

 同時に、興奮にお預けを食らっていた観客たちが、雄叫びのような祝福を轟かせる。

 ただ、何の理解も追いついていない私にとって、その決着や声援はあまりにも虚しく、現実感がない。


 何故、どうしてと二つ隣のソーニャを見れば、私と同じような、何があったのだろうという、腑に落ちない表情を浮かべていた。

 次に私が辺りを見回せば、確かに壮絶な闘いの決着に観客は興奮しているのだが、それはただ、ナタリーという名の暴君が敗北したという結果に反応しているようで、敗北の理由までには、理解が追い付いていないような雰囲気が見て取れる。


 上がる声は、“ざまあみろ”。“これが水だ”。“水の国だ”。

 派閥と、私怨と、よくわからない、たぶん、湿っぽい感情ばかりの、なまっちょろい心の遠吠えばかり。


「……そうだ、ナタリーは!?」


 こうしている場合じゃない。

 何が起きたのかはわからないけど、壇上にはナタリーがおらず、ミスイがいる。

 導師さんはこの勝負の決着を、ミスイの勝利と判断した。

 つまり、ナタリーが負けた。じゃあナタリーは一体、どうなったんだ。


「え、ええっと、負けたんだから、救護室に転送されているはずよ!」

「行かなきゃ!」

「そ、そうね……!」

「何故わざわざ君たちが行くんだ」

「うっせえよ!」

「ぐっ」


 私は今ですらすまし顔のクラインの胸ぐらを掴み、無理矢理に立たせた。

 引き寄せて、何もわかっていない血の気の薄そうな本の虫の顔を、思い切り睨みつける。


「何を、する」

「いいから、来いよ! アンタも!」

「意味が……」

「意味なんて訊くんじゃねえよ! 天才だろうが!」

「ロッカ、とにかく今は、急いで救護室に!」


 クラインの、人の感情をわかっていないような顔が、今この時ばかりは、許せなかった。

 短絡的だ。理論も糞もない。わかってる。けど、私は怒りをぶちまけるしかなかったのだ。

 何故、どうして、ナタリーが負けたのか。ナタリーはどうなったのか。一瞬後で勝つはずだった彼女が、どうして負けたのか。その理由が、何も理解できなかったから。

 そのモヤモヤと納得の行かなさを、咄嗟に彼にぶつけてしまったのかもしれない。


「……急ごう!」


 私はオイルジャケットの裾を翻して、脚に魔力を込めて、救護室を目指した。

 負けたとしたら、彼女はそこにいるはずなのだ。



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