盥017 直進する兵站
刺の騎士。
鎧全体の要所要所から突出した鋭利な金属が、そんな言葉を連想させる。
そのまま走って体当たりを見舞うだけでも、辺りどころによっては上級保護の警鐘すら鳴らしてしまうのではないか……そう思えるほどに、ナタリーの鎧は危険な装飾に満ちていた。
しかし、如何せんここは、闘技演習場だ。
身体強化を禁じられたこの場所では、全身鎧を纏ったナタリーがミスイの懐まで無事に走り込めるかどうかは、実に怪しいと言わざるをえないだろう。
――そう、ナタリーの“手押し戦車”さえ無ければ。
「“パイク・ナタリー”、参る」
ナタリーの正面に構えられた、巨大なパイク。
鉄製のメイスの先端から延長するようにして生成された槍先は非常に長く、人間を貫き通すには十分なサイズを誇っていた。
パイクの根本と柄の丁度中間辺りには、トゲ付きの車輪が一枚、武器の重量を支えるために床に食い込んでおり、ナタリーが一歩踏み出すごとに、小さな破砕音を立てて駆動していた。
魔道士を相手に、鎧と槍。
普通に考えたらそれは、とても無茶な装いだ。私の未熟な常識にさえ、真っ向から反発する闘い方である。
「オラァアアアアアッ!」
でも、そんな常識を当然知っているはずのナタリーが、手押し戦車と共に特攻するその姿は、私の常識をぶっ壊してしまう程に、格好良かった。
ナタリーが、最初はゆっくりとした足取りで。しかし力が乗るにつれて、段々と速度を上げ、ミスイに迫りつつあった。
二十四本のスパイクを備えた車輪はガリガリと音を立てながら回転し、ナタリーの尖峰として恥じない威容を見せつけている。
「“テルス・キュアー”……!」
しかしそんな堂々すぎる攻めの手を前に、ミスイが何も対策を取らないはずもなかった。
煌めく冷気を帯びた風が水面を叩き、ナタリーの進行方向にツララの槍衾を形成する。
斜めに生え揃ったツララの壁は、およそ幅二メートル。
そのまま突っ込めば、ナタリーのパイクと同じように串刺しになることは請け合いの、しっかりした防御壁である。
対処するには、遠距離から魔術によって破壊するか、今からでも戦車の針路を変更するしかないだろう。
私は、戦況の僅かな変化を予感した。
「粗末なモンを向けてんじゃねぇぞコラッ!」
だが、ナタリーはそんな一般論や予想に構わず、そのまま正面に突っ込んだ。
氷の槍衾に真正面からパイクを突き立て、スパイクの車輪で粉々に破砕し、頑丈な鎧で力任せにへし折りながら、ミスイの作った防壁を強行突破したのである。
「おっ、おおおおっ!」
私と、そして観覧席は大きな歓声をあげた。
鈍重な鎧。巨大すぎる槍。
それらは決して飾りではないことを、ナタリーは一瞬のうちに証明してみせたのである。
「……蛮族が」
「どうしたァ優等生。さっさと対策おっ立てないと、ミンチにしちゃうわよぉおん? イヒャヒャヒャッ!」
氷の破片を振り撒きながら、ナタリーはさほど変わらぬ速度で前進を続ける。
ガチガチと音を立てる行軍の速度は、そろそろミスイにとっても、油断ならない領域に入りつつあった。
「“クウザ・ラギレルテル”」
ミスイが黒いロッドを水平に持ち構えて、呪文を唱える。
変化はすぐに現れて、走るナタリーの正面から水の柱が立ち上った。
「吹き飛ばしなさい」
水流の柱は蛇のように大きくうねると、素早く形を変えて、ナタリーの正面から襲いかかった。
大きなパイクと凶悪な車輪を持ってすれば、氷の障害ならば力任せな対処も可能だろう。
しかしそれは、パイクによって破壊できる固形物であるからこそ、成せる技だ。
破砕しようのない水流が目の前に迫った時、杖を武器に変えてしまったナタリーは、どう対処するというのだろうか。
ナタリーの手押し戦車が、濁流のアーチと対峙する。
「――“スティグマ・スティ・レット”」
直撃する。
私が確信に背筋を凍らせたその時、ナタリーの軌道が不自然なほど大きくねじ曲がった。
「お、おおお!?」
眼下の様子を見ていれば、思わず変な声も漏れるだろう。
だって、あんな重い鎧とパイクを備えて走るナタリーが、まるで身体強化を施した人間のような勢いで脇道に逸れて、向かい来る濁流を回避したのだから。
「な、なんでだ!?」
「見ればわかるだろう」
私が狼狽えるあまり立ち上がると、いつの間にか落ち着き払って着席していたクラインが静かに口を挟んだ。
「“パイク・ナタリー”が着込んだ鎧の背中に備わった複数本のトゲ。その一部を“スティグマ・スティ・レット”で推進力に変換する事で、強引な軌道修正を可能としたのだろう」
“あーなるほど”と私が理解し納得する前に、戦況は目が離せない所にやってきた。
氷の障害物を破壊し、水流攻撃さえ突破して、それでも接近の勢いを緩めなかったナタリーは、ついにミスイの懐と呼べる距離にまで侵入してのけたのである。
冷徹の魔道士に、蛮勇の騎士。
近づく距離に応じて、会場はクラインの解説が耳に入らないほどの大音量で、期待の叫びを轟かせる。
「“キュア・ラヒル・ケイジ”!」
ミスイのロッドが床を衝き、彼女の正面に幅五メートルの分厚い氷壁を生成した。
気泡の一切ない、不気味なほど透明で均一な、氷の城壁。
「待ってたぜ、こういう力勝負をよォ……!」
ナタリーは、ほとんど硬質な岩石と変わらないであろうその氷壁に向かって、パイクを握ったまま突っ込んでいった。
「上等ッ!」
車輪付きパイクが氷の壁にぶち辺り、透明な壁が中心から白く放射状に曇った。
パイクの突撃により、透明な氷壁に無数の亀裂が走ったのだ。
「力勝負は私の勝ちですね」
だが、それだけだった。
パイクは壁を壊すことなく、貫くことなく、壁の中程で完全に動きを止めてしまったのだ。
あのパイクは、ナタリーのメイスと一体化した杖でもある。
それが少しも動かせないというのは、鉄魔術の本領である魔術投擲が封じられたということで……。
「つまり、私の勝ちということです」
透明な壁越しに、ミスイの杖がゆらりと動く。
汚泥を塗り固めて作ったような漆黒のロッドがまっすぐナタリーへと向けられ、先石が淡く明滅し始めた。
無防備なナタリー。襲い来るであろう魔術。私は、ナタリーの痛手を予感したが、
「いいや、アタシの勝利だぜ!」
ナタリー自身の大声が、それを否定する。
彼女が高らかに宣言すると共に、氷壁に突き刺さったパイクが微かに震え出す。
「“スティグマ”――」
「これは……!」
「――“スティ・レット”ォ!」
軋む音を聞いたミスイは、それまでの落ち着き払った態度を投げ捨て、咄嗟に真横へ飛び込んだ。
それと同時に、二人を隔てていた氷壁が派手に砕け散り、氷礫がキラキラと宙を舞う。
ナタリーは壁を破砕した勢いのまま突き進み、つい先程までミスイがいた空間をパイクで貫ききった後に、ようやく急進撃を停止させた。
……身体強化も無しに、人間以上もある厚みの氷をぶち抜きやがった。
魔術の補助があるとはいえ、手にしているのは紛れも無く、普通のパイクだ。信じられない。
「あーら、びしょ濡れ。アタシにビビっておもらしでもしちゃったかしらん?」
「……!」
黒鉄の鎧騎士が、表情の読めないヘルムをミスイに向ける。
ミスイは緊急の回避により、水浸しの床の上に倒れ、全身を自らの生み出した水に濡らしていた。
膝のみならず、身体に土をつけられたことが怒りを誘発したのか、ナタリーを見上げるミスイの表情は凄まじい。
だが一番に殺気立っているのは、何よりも至近距離でパイクを握ったナタリーの方だろう。
「ほおら、もっと泣いてみろよ!?」
ナタリーが手押し戦車の矛先をミスイ側へ向ける。床は車輪についたスパイクにより、“ガリリ”と音を立てて削れた。
「ヒャハハハハッ!」
「うっ」
ナタリーはまるでピザでも切り分けるように、スパイク付きの車輪を勢い良くミスイの方へと押しやった。
勢いに躊躇はない。
必死になってミスイが転がったからこそ無事で済んだものの、直撃していれば凄惨な点線がミスイの身体をなぞっていたことだろう。
ミスイはこれ以上相手の好きにはさせまいと、転がる勢いのまま立ち上がり、ロッドを構える。
対するナタリーはというと、それまで通りだ。
「ほォら、次はどう来るよ!? もう一度壁作って防いでみるぅ!?」
突進。突撃。鎧を着込んだナタリーのやることは、ただそれだけ。
それだけなのに、どうしてか彼女は、強いのだ。
小手先の技を華麗に避けて、巨大な防御を打ち破って、ナタリーはただただ攻め続けた。
「“キュア”」
「無駄無駄」
「“コイズ・ディア”」
「当たらねえ!」
「“キュア・ラヒル・ケイジ”」
「効かねえっつってんだろうが!」
氷の障害物も、水の塊も、ナタリーはありえないほどの機動力で回避してしまう。
ミスイが再び氷の壁を展開しようとも、ナタリーはそれを同じように貫き、砕き散らせてみせた。
両者の距離はあまりにも近く、ミスイがひとたび術の手を休めれば、その差は一気に縮まり、矛先が決着をつけることは容易に想像できるほど。
二人の上級保護の闘技演習は、一体誰がこれを予想しただろう。ナタリーの圧倒的な優勢へと転じたのだった。
「いける、いけるぞー! ナタリー!」
私は席を立ち、叫んだ。
「頑張ってーっ!」
私の隣ではソーニャも立ち上がり、か細い声で懸命な声援を送っている。
いつしか会場は、異様でいて、しかし華麗な闘いを魅せるナタリーの名を呼ぶ声で埋め尽くされていた。
魔術の不慣れを肉体の能力で補うライカンの時とは違い、ナタリーは魔術をふんだんに交え、取り入れた戦術で会場を沸かせている。
物珍しさや現実離れした闘いではない。ナタリーの魔術そのものが、会場に熱気を沸かせているのだ。
「まあ、そろそろ限界だろうがな」
「えっ?」
声援を送る私の横で、クラインが目を細めながら、ぽつりと呟いた。
「言葉そのままの意味だ、限界は近い」
「限界っておい、何言って……ナタリーはまだまだ動いてるだろ」
「じきに動かなくなる」
「お前……馬鹿なこと言うなよ。動かなくなるとしたら、それはむしろミスイの方……」
私がすまし顔のクラインに目をやって、すぐに壇上に視線を戻す。
「ああっ!?」
そこには、ミスイの放つ水流を真正面に受けて、何メートルも濁流の中に転げるナタリーの姿があった。
「ぐえッ」
鎧姿のナタリーが濁流に押し流され、床を転がる。
捩れた水流によって身体が半回転し、変な姿勢で肩を打ったように見えた。
水そのものには、あまり大きな殺傷能力はない。
しかし水流が持つ勢いと押し出す力によって生まれる二次的な衝撃は、時として鉄魔術の投擲以上の効果を生む。
「やっぱり、そういう仕掛けでしたか」
ミスイが作り出した水流は一瞬だけのもので、ナタリーが何メートルも床を跳ねると、すぐに放水は止まった。
しかしその一発が効いたのだろう。ずぶ濡れのナタリーが立ち上がるまでには、少しの時間を必要とした。
「くっ……」
ナタリーは床を転げる途中もパイクを手放すことはなかったので、壇上にダウンした直後も、すぐにパイクの矛先をミスイに向けることで、追撃に対する牽制はできていた。
しかしその執念は逆に自身への重荷となったか、ナタリーは床を転げる際、パイクを構えるための無茶な姿勢矯正のために、痛手を負ってしまったようだ。
「ヘマ踏んじまったな」
衝撃により、鎧の左肩から肘にかけての装甲が消え失せている。
堅牢な黒鉄に包まれた鎧装束の中、唯一覗けるナタリーの白い二の腕は、とても細く、ちょっとしたことで簡単に折れてしまいそうだった。
あの姿では、氷の槍衾に突撃……という無茶な芸当も難しいかもしれない。
「なあクライン、どうしてナタリーは、あの水流を避けきれなかったんだ。さっきまで、全部簡単に避けてたのに」
私は壇上から目を離さないように気を付けながら、隣のクラインに訊ねた。
「単純に、避ける手段を失ったんだろう。“冷徹のミスイ”はそれを見破り、堂々と攻めに転じた」
「避ける手段?」
「“パイク・ナタリー”の背中にあった、六本の棘のことだ」
六本の棘……。
私は少し前の鎧の状態を思い出しながら、ナタリーを注視した。
「貴女が私に矛を突き出した時、横から背中の棘が見えました。それは一見飾りのようにも見えましたが、貴女が何度も発動させていた“術の分解”による推進力は、そこで賄われていたというわけですね」
「へえ……さっすが優等生。よく見てるじゃねェか」
観覧席から、ナタリーの背中がわずかに見えた。
彼女の鎧の背中部分には、意識していなかったけど、六つの穴のような構造が確認できる。
クラインのいう棘というのは、そこに付いていたものなのだろう。
「背中にある棘の数は六つ。つまり、発動できる回数は六回まで」
「わざわざ数えてたんだ、暇だねぇ」
「退屈でしたから」
ミスイの目が細まり、薄笑いも相まって、不気味な表情を作った。
性格の悪そうな、悪女の微笑みだ。
「……面白え、アタシの攻撃が生っちょろかったって事かい」
「まあ、そうなります。あ、別に“今から本気を”なんて言わなくてもいいですよ。興味ありませんので」
ミスイの黒いロッドが、わずかに持ち上がる。
「せっかく耳煩い翅をもいだのです。害虫は、この機に潰すのが上策というものでしょう」
「……! “スティ・ヘル・レット”」
「遅い。“ラテル・ヘテル・キュア”」
ナタリーが嫌な気配を察知したか、後ろにステップし、回避を図る。
しかしミスイのロッドが壇上を衝いた途端、鈍重な鎧を纏ったナタリーではとても抜け出せないほどの広範囲が、青白い輝きに包まれた。
「ぐッ」
風を切る鋭い音と共に、壇上の水が波立ち、大きな飛沫を上げる。
左回りの巨大な旋風は極度の冷気を含んでおり、暴風に巻かれた水溜りはすぐさま凍てつき、細いながらも人の身の丈ほどもあろうツララの槍となって、急激に伸びた。
ミスイを中心とした、氷の針地獄。
ナタリーは必死に避けていたが、彼女はあえなくそれに巻き込まれた。
「……!」
しかも、よりにもよって、氷の針地獄は左回りにツララの槍を並べている。
ナタリーが失った鎧の一部は、運の悪いことに左腕の装甲だ。
急激に伸びた氷の棘はナタリーの左腕に容赦なく突き刺さった。
観覧席からでもわかる程の赤い血が、ナタリーの腕から流れ出る。
「うっ……!」
会場がやかましい。悲鳴。歓声。
ナタリーが受けた致命的な傷は、良くも悪くも、全ての観覧席を大いに熱狂させた。
その大音量のせいか、壇上のナタリーが呻きや叫びを上げた様子は、私からは確認できない。
苦悶を浮かべているのか、それとも堪えているのか、傷を受けたナタリーの表情さえ、ヘルムに隠れて伺うことはできなかった。
それでも、血は流れ出る。全く無事であるとは思えない。
「ッ……フーッ!」
しかし、ナタリーは頭上で超重量のパイクを大きく取り回し、すぐに周囲の氷を薙ぎ払う。
尋常ならざる痛みを受けた直後であるにも関わらず、自らの行動範囲を確保する冷静な判断に、私は思わず変な声を零してしまった。
邪魔な氷の柵をへし折ったナタリーの背中には、先ほどまではなかった六本の棘が生えている。
ナタリーは痛手を受けたが、どうやら再び対等に闘える状況を掴み取ったらしい。
「そのまま死ねばいいのに……“コイズ・ディア”」
「調子乗ってんじゃねえぞクソ女ッ! “スティヘイムの盾”!」
撃ち出される大きな水の塊を、ナタリーはもっと巨大な盾で防御する。
両者を隔てるものと縛るものが消え、再び魔術と接近の合戦が始まった。
しかし、これまでと決定的に違うのは、ナタリーの消耗だ。
ミスイが無傷であるのに対し、ナタリーが受けたダメージは、とても無視できるものではない。
……嫌な予感がする。
私はやっぱり、大きな声も出せず、心の中で静かに祈ることしかできなかった。




