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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第九章 渦巻く波濤

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盥016 一徹するパイク

「おらあああッ!」


 ナタリーがメイスを構え、開いた距離を埋めるために突進する。

 一歩一歩踏み出すごとに、水浸しの床が飛沫を上げた。


「“テルス(北風に)・キュアー(凍えよ)”」


 接近戦に持ち込むには、まだまだ距離がある。

 ミスイは迫り来るナタリーに杖を振り、輝く冷気を放射した。


「効かねえ!」


 が、ナタリーは私とは違い、遠距離での対抗手段はいくらでもある。

 ナタリーが輝く冷気に合わせて素早くメイスを薙ぐと、氷の破片だけを散らせて、ミスイの魔術を粉砕してのけた。


「“スティ・フウル(鉄の輪)”!」


 近づきながら、今度はナタリーが返しのメイスで、直径一メートルの鉄の輪を投擲する。

 足を狙った低めの一撃。床上の浅い水面を一度だけ跳ねて、ミスイへと迫ろうとするが、


「“キュア(凍てつけ)”」


 鉄の輪は着水の隙を突かれ、氷結魔術によって床上に凍りづけにされた。

 とても人の力では止まれないほどの勢いだったが、氷の頑丈さはそれを上回ったのだろう。鉄の輪は時間が止まったように、ピタリと水溜りの中に縫い付けられている。


「チッ」

「この環境下で低位置からの攻撃なんて、下策ですね……まぁ、どこから来ようとも、変わりはないのですが……」


 ミスイは床に垂直に立てた杖を軽く浮かし、そして、足下の水溜りと一緒に床を衝いた。


「“クウザ(水精よ)・ラギレルテル(跳ねろ)”」

「うっ、“スティ・バーマル(いでよ鉄の盾)”ッ!」


 ミスイの杖が床を軽く小突くのと同時に、ナタリーの足下から水が伸び、高さ二メートルほどの急なアーチを形成する。

 別の言い方をするなら、アーチとしての不合理な形を保てるほどの速さで動く水流だ。

 鋭い弧を描くそれは今もなお走るナタリーを着地点に定めていたが、直撃の間際に顕れた鉄の板に阻まれて、水はあえなく四散、力なく床へと還った。


 だが水流の一撃は鉄の盾を持ってしても威力があったのか、ナタリーの身体はバランスを崩し、前進が止まる。

 ミスイはそれを見逃さない。


「“テルス(北風に)・キュー(凍え)・ディア(砕け散れ)”」


 よろけたナタリーを眺めながら、ミスイの杖が再び床を衝く。

 魔石が輝き、術は床を浸す水を伝って、ナタリーの後方へと変化を生みだした。


 前を向いたままのナタリー。その真後ろの水溜りに生成されてゆく、謎の魔術。


「はっ!?」

「遅い」


 客の声援の急沸騰から異常を察知したナタリーが振り向く頃には、既に術は発動寸前だった。


 水溜りが辺りの水分を凝縮し、凍らせ、膨張と共に爆発。

 大きなガラスが砕け散ったような音と共に水面が爆ぜ、無数の氷片を振り撒きながらナタリーへと襲いかかる。


「ぐわっ」


 氷の爆弾。振り向いたナタリーを吹き飛ばしたのは、まさにそんな言葉が似合うであろう魔術。

 爆発は鋭利な氷の欠片を四方にばらまき、強烈な冷気は同時に外側へツララを伸ばす。


 破片と氷柱の二つの猛威をマトモにうけて、ナタリーは水溜りの上を転がった。

 飛沫が跳ねて、水面がわずかに、赤く染まる。


「“テルス(北風に)・キュアー(凍えよ)”」


 魔術の直撃で、悲鳴にも似た歓声が上がるが、ミスイは外野の反応など全く意に解さず、淡々と追撃を行った。

 むしろ、今こそ好機とばかりに杖は振るわれ、水溜りの上に倒れたナタリーへと冷気を放つ。


「ぶはッ……“スティ・レット(いでよ鉄槍)”ッ!」


 勝負が決するかと思いきや、ナタリーは直前のダメージなど構わずに跳ね起きて、相手の冷気を鉄針で貫き返した。


「ぐッ」


 けど、無理をしてる。

 氷の刃に傷つけられた身体は、それほどでもなくとも血を流し、ナタリーの体力と動きを着実に奪いつつある。

 膝は力なくガクリと下がり、体勢は今にも崩れそうだ。


 無傷のミスイに、手負いのナタリー。

 床は水浸しで、ところどころには凍り付いている。


 勝負は見る間にミスイ優勢へと傾き、その勝利を確かなものに変えつつあった。


「畜生、ナタリー……!」


 私は力いっぱい拳を握ったが、それと同じくらい力を入れるべき声援が、どうしても出てこない。

 “がんばれ”。“やっちまえ”。


 もう、私は応援できないのだ。

 ナタリーに“死ね”と言うような、そんな酷いことなんて。




「あら……もう、死にかけではないですか」


 ミスイが片手で長い紺髪を梳く。

 全身が水に濡れ、手入れのしようがないナタリーに対する、ある種の挑発なのかもしれない。


「黙れ、こんなもん、ただのかすり傷だ」

「へえ……じゃあ、棄権なんてしないということですよね?」

「……舐めンな、クソ女」


 ナタリーのメイスが、まっすぐミスイに向けられた。


「アタシがまるで、そろそろ棄権でもしそうな口ぶりじゃねえかよ、オイ」

「尻尾を巻いて逃げ出すには、十分な頃合いだと思いますけど」


 あ、ナタリーの目がヤバい事になってる。

 遠目からでもわかるほど、ヤバい。


「ほー……頃合いと。もうアタシの負けが決まってると。ほー」


 ナタリーの肩の上で、ゆっくりとメイスの柄が跳ねる。

 隙だらけの構えだが、わざわざそのナタリーを襲うつもりもないのか、今の状態を楽しんでいるのか、ミスイは攻めようとしない。


「……困るわねぇ、ミスイちゃん。人がまだ全力じゃないってのに、もう勝った気でいるなんて……」

「ふふふふふふふ、負け惜しみですか。古いですね」

「負け惜しみ……んー、違うなぁ、ミスイちゃんよ」

「ふふふふ、見苦しいですね。やめてくれませんか。往生際が悪すぎて、吐き気が込み上げてくるので……」


 ナタリーの真っ赤な舌が、頬を伝う血をペロリと舐め取った。


「……“スティ(我)・フェイブルム(黒鉄の王に)・ロッドヘイム(仕える者なり)”」

「!」


 ナタリーが呪文を唱え、彼女の身体が鈍色の魔光に包まれる。

 同時に、口元だけで笑っていたミスイの余裕の表情が、一瞬のうちに強張った。


「あれは」


 クラインが呟くうちに、ミスイは大きなロッドを振っていた。

 無詠唱による素早い魔術は、冷気の風となってナタリーの右足へと襲いかかる。


 直撃すれば、足は水溜りと共に凍り付き、しばらくの動きを封じられるだろう。

 そうなれば、脱出にさほど時間はかからないとしても、ナタリーは少しの間、隙だらけとなる。ミスイ相手に隙を作れば、当然待っているのは、敗北のみだ。


「うお、冷てえ」


 凍てつく風がナタリーの足に当たった。

 ナタリーの、黒錆色に輝くグリーブに……。


 ……ん、グリーブ?


「ま、冷たいだけなんだけど。残念だったわねぇ、ミスイちゃん。術の構築が成される前に阻止したかったんだろうけどさぁ……」


 ナタリーが右足を一歩、前に動かす。

 金属製のグリーブに包まれた彼女の脚には霜の一つも結ばれておらず、軽快な動きと音で、堂々たる一歩を踏み出した。


 鉄のグリーブ。鉄のスカート。鉄のアーマー。鉄のガントレット。

 金属音をガチャリと立てて、そいつは悠然と現れた。


「これが本気ってことだ。必死に止めようとする辺り、アタシの秘術、ちったぁビビってもらえたってことで、良いのかしらん?」

「……」


 そこにいたのは、もはやナタリーらしい名残を残さない、一人の騎士だった。

 憎々しげな笑みを浮かべていたその顔さえもプレートヘルムの下に隠し、唯一彼女だと判別できるものは、その手に握られた、銀色に輝くメイスのみ。


 ……あれは、ナタリーなのか?

 ナタリー、だよな。メイスもあるし、よく見れば背も低い。

 鉄の術はいろいろあって便利だなとは思っていたけど……まさか、全身に鎧を着こむ術なんてあったなんて。


「やっと見せたな、この術を!」


 立ち上がったクラインは興奮したように目を輝かせ、再び盛り上がった観覧席の中に溶け込んでいる。

 ……しばらく落ち着くまでは、現状の解説もしてくれなさそうだ。


「……ッ」


 対するミスイは壇上で爪を噛み、恨めしそうな目を鎧騎士に向けていた。

 思い通りにいかない。想定外。面倒事。そんなイメージを彷彿とさせる、わかりやすい表情だ。


「舞台は整ったぜ。ここまで存分に見せ場を作ってやったんだから……“スティ(我)・フェイブルム(黒鉄の王に)・スティパイア(戦槍を捧げん)”」


 両手に構えたメイスが光り輝き、その先端に二メートル近い長さの円錐形の槍を形成する。

 槍先の付け根には一枚のトゲつき車輪が顕れて、それが巨大に膨らんだメイス……もとい、パイクの重量を担う支点となった。


「悪役には、そろそろ退場してもらうわよん?」


 小さな騎士と、手押し戦車。

 血だらけのナタリーの、思いがけない大変身。


 試合の流れが変わった。

 ナタリーが、まだやるつもりだ。


 会場は、耳がビリビリと痛くなるほどの声に包まれて、新たな騎士の登場を祝福した。


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