盥016 一徹するパイク
「おらあああッ!」
ナタリーがメイスを構え、開いた距離を埋めるために突進する。
一歩一歩踏み出すごとに、水浸しの床が飛沫を上げた。
「“テルス・キュアー”」
接近戦に持ち込むには、まだまだ距離がある。
ミスイは迫り来るナタリーに杖を振り、輝く冷気を放射した。
「効かねえ!」
が、ナタリーは私とは違い、遠距離での対抗手段はいくらでもある。
ナタリーが輝く冷気に合わせて素早くメイスを薙ぐと、氷の破片だけを散らせて、ミスイの魔術を粉砕してのけた。
「“スティ・フウル”!」
近づきながら、今度はナタリーが返しのメイスで、直径一メートルの鉄の輪を投擲する。
足を狙った低めの一撃。床上の浅い水面を一度だけ跳ねて、ミスイへと迫ろうとするが、
「“キュア”」
鉄の輪は着水の隙を突かれ、氷結魔術によって床上に凍りづけにされた。
とても人の力では止まれないほどの勢いだったが、氷の頑丈さはそれを上回ったのだろう。鉄の輪は時間が止まったように、ピタリと水溜りの中に縫い付けられている。
「チッ」
「この環境下で低位置からの攻撃なんて、下策ですね……まぁ、どこから来ようとも、変わりはないのですが……」
ミスイは床に垂直に立てた杖を軽く浮かし、そして、足下の水溜りと一緒に床を衝いた。
「“クウザ・ラギレルテル”」
「うっ、“スティ・バーマル”ッ!」
ミスイの杖が床を軽く小突くのと同時に、ナタリーの足下から水が伸び、高さ二メートルほどの急なアーチを形成する。
別の言い方をするなら、アーチとしての不合理な形を保てるほどの速さで動く水流だ。
鋭い弧を描くそれは今もなお走るナタリーを着地点に定めていたが、直撃の間際に顕れた鉄の板に阻まれて、水はあえなく四散、力なく床へと還った。
だが水流の一撃は鉄の盾を持ってしても威力があったのか、ナタリーの身体はバランスを崩し、前進が止まる。
ミスイはそれを見逃さない。
「“テルス・キュー・ディア”」
よろけたナタリーを眺めながら、ミスイの杖が再び床を衝く。
魔石が輝き、術は床を浸す水を伝って、ナタリーの後方へと変化を生みだした。
前を向いたままのナタリー。その真後ろの水溜りに生成されてゆく、謎の魔術。
「はっ!?」
「遅い」
客の声援の急沸騰から異常を察知したナタリーが振り向く頃には、既に術は発動寸前だった。
水溜りが辺りの水分を凝縮し、凍らせ、膨張と共に爆発。
大きなガラスが砕け散ったような音と共に水面が爆ぜ、無数の氷片を振り撒きながらナタリーへと襲いかかる。
「ぐわっ」
氷の爆弾。振り向いたナタリーを吹き飛ばしたのは、まさにそんな言葉が似合うであろう魔術。
爆発は鋭利な氷の欠片を四方にばらまき、強烈な冷気は同時に外側へツララを伸ばす。
破片と氷柱の二つの猛威をマトモにうけて、ナタリーは水溜りの上を転がった。
飛沫が跳ねて、水面がわずかに、赤く染まる。
「“テルス・キュアー”」
魔術の直撃で、悲鳴にも似た歓声が上がるが、ミスイは外野の反応など全く意に解さず、淡々と追撃を行った。
むしろ、今こそ好機とばかりに杖は振るわれ、水溜りの上に倒れたナタリーへと冷気を放つ。
「ぶはッ……“スティ・レット”ッ!」
勝負が決するかと思いきや、ナタリーは直前のダメージなど構わずに跳ね起きて、相手の冷気を鉄針で貫き返した。
「ぐッ」
けど、無理をしてる。
氷の刃に傷つけられた身体は、それほどでもなくとも血を流し、ナタリーの体力と動きを着実に奪いつつある。
膝は力なくガクリと下がり、体勢は今にも崩れそうだ。
無傷のミスイに、手負いのナタリー。
床は水浸しで、ところどころには凍り付いている。
勝負は見る間にミスイ優勢へと傾き、その勝利を確かなものに変えつつあった。
「畜生、ナタリー……!」
私は力いっぱい拳を握ったが、それと同じくらい力を入れるべき声援が、どうしても出てこない。
“がんばれ”。“やっちまえ”。
もう、私は応援できないのだ。
ナタリーに“死ね”と言うような、そんな酷いことなんて。
「あら……もう、死にかけではないですか」
ミスイが片手で長い紺髪を梳く。
全身が水に濡れ、手入れのしようがないナタリーに対する、ある種の挑発なのかもしれない。
「黙れ、こんなもん、ただのかすり傷だ」
「へえ……じゃあ、棄権なんてしないということですよね?」
「……舐めンな、クソ女」
ナタリーのメイスが、まっすぐミスイに向けられた。
「アタシがまるで、そろそろ棄権でもしそうな口ぶりじゃねえかよ、オイ」
「尻尾を巻いて逃げ出すには、十分な頃合いだと思いますけど」
あ、ナタリーの目がヤバい事になってる。
遠目からでもわかるほど、ヤバい。
「ほー……頃合いと。もうアタシの負けが決まってると。ほー」
ナタリーの肩の上で、ゆっくりとメイスの柄が跳ねる。
隙だらけの構えだが、わざわざそのナタリーを襲うつもりもないのか、今の状態を楽しんでいるのか、ミスイは攻めようとしない。
「……困るわねぇ、ミスイちゃん。人がまだ全力じゃないってのに、もう勝った気でいるなんて……」
「ふふふふふふふ、負け惜しみですか。古いですね」
「負け惜しみ……んー、違うなぁ、ミスイちゃんよ」
「ふふふふ、見苦しいですね。やめてくれませんか。往生際が悪すぎて、吐き気が込み上げてくるので……」
ナタリーの真っ赤な舌が、頬を伝う血をペロリと舐め取った。
「……“スティ・フェイブルム・ロッドヘイム”」
「!」
ナタリーが呪文を唱え、彼女の身体が鈍色の魔光に包まれる。
同時に、口元だけで笑っていたミスイの余裕の表情が、一瞬のうちに強張った。
「あれは」
クラインが呟くうちに、ミスイは大きなロッドを振っていた。
無詠唱による素早い魔術は、冷気の風となってナタリーの右足へと襲いかかる。
直撃すれば、足は水溜りと共に凍り付き、しばらくの動きを封じられるだろう。
そうなれば、脱出にさほど時間はかからないとしても、ナタリーは少しの間、隙だらけとなる。ミスイ相手に隙を作れば、当然待っているのは、敗北のみだ。
「うお、冷てえ」
凍てつく風がナタリーの足に当たった。
ナタリーの、黒錆色に輝くグリーブに……。
……ん、グリーブ?
「ま、冷たいだけなんだけど。残念だったわねぇ、ミスイちゃん。術の構築が成される前に阻止したかったんだろうけどさぁ……」
ナタリーが右足を一歩、前に動かす。
金属製のグリーブに包まれた彼女の脚には霜の一つも結ばれておらず、軽快な動きと音で、堂々たる一歩を踏み出した。
鉄のグリーブ。鉄のスカート。鉄のアーマー。鉄のガントレット。
金属音をガチャリと立てて、そいつは悠然と現れた。
「これが本気ってことだ。必死に止めようとする辺り、アタシの秘術、ちったぁビビってもらえたってことで、良いのかしらん?」
「……」
そこにいたのは、もはやナタリーらしい名残を残さない、一人の騎士だった。
憎々しげな笑みを浮かべていたその顔さえもプレートヘルムの下に隠し、唯一彼女だと判別できるものは、その手に握られた、銀色に輝くメイスのみ。
……あれは、ナタリーなのか?
ナタリー、だよな。メイスもあるし、よく見れば背も低い。
鉄の術はいろいろあって便利だなとは思っていたけど……まさか、全身に鎧を着こむ術なんてあったなんて。
「やっと見せたな、この術を!」
立ち上がったクラインは興奮したように目を輝かせ、再び盛り上がった観覧席の中に溶け込んでいる。
……しばらく落ち着くまでは、現状の解説もしてくれなさそうだ。
「……ッ」
対するミスイは壇上で爪を噛み、恨めしそうな目を鎧騎士に向けていた。
思い通りにいかない。想定外。面倒事。そんなイメージを彷彿とさせる、わかりやすい表情だ。
「舞台は整ったぜ。ここまで存分に見せ場を作ってやったんだから……“スティ・フェイブルム・スティパイア”」
両手に構えたメイスが光り輝き、その先端に二メートル近い長さの円錐形の槍を形成する。
槍先の付け根には一枚のトゲつき車輪が顕れて、それが巨大に膨らんだメイス……もとい、パイクの重量を担う支点となった。
「悪役には、そろそろ退場してもらうわよん?」
小さな騎士と、手押し戦車。
血だらけのナタリーの、思いがけない大変身。
試合の流れが変わった。
ナタリーが、まだやるつもりだ。
会場は、耳がビリビリと痛くなるほどの声に包まれて、新たな騎士の登場を祝福した。




