函019 解かれる赤松
大人数で歩くと、一人の時よりも心強い。
知らない場所を歩いていても、友達が近くにいるだけで、慣れ親しんだ場所のように感じてしまう。
混んだ通りも、人だかりのある露店の前も、迷わず突き進めてしまえそうだ。
この気持ちに慣れると、市場を一人で歩けなくなっちゃうのかな。そんな情けない癖は、付けたくない。物怖じせずに、一人で何でもできるようになりたいな。
とはいえ、右も左もわからない今は、人の手を借りざるを得ないんだけど。
「ここがジューア魔具店だよ。値は張るけど、品質は露店よりも安心できるから、買うならここだね」
ヒューゴの先導で辿り着いた場所は、ひっそりとした佇まいの石造りの店。
文字の掠れた古めかしい看板に、店内を窺い難い辛い小さな窓。
周りの店と比べてみても特に古い佇まいで、敷居というよりは間口が狭いという印象を受ける店だった。
「ああ、ここね。前とか路地裏は通るけど、入ったことないのよね。埃臭そうだし」
「大通りにある店なのに、さっびれてんなぁー」
ソーニャもボウマも、結構ひどい物言いだ。
そんなこと言ってたら、多分私の故郷には足を踏み入れることすらできないと思う。
「失礼します」
重そうな木の扉の向こう側は、夕暮れのように薄暗かった。
踏むと軋む古い板張りの床、所々が欠けて煉瓦が露出している漆喰の壁。
壁のほとんどには木製のステップが埋め付けられ、長めのロッドが横向きに何本も飾られていた。
腰ほどの高さのテーブルはそこら中に配置され、指輪やネックレス、腕輪など様々な装飾品が並び、小さな値札と共に商品としての存在感を主張している。
こうして飾ってある物をつぶさに書き上げれば、豪勢な店内のように思えるかもしれない。
だが、品物はどれも一見してみすぼらしいものばかりで、入る前に想像していたような、金銀の艶やかな魔具などはひとつも見当たらなかった。
隣でボウマが「カビくさっ」とオーバーに騒いでいるが、雰囲気だけみれば、あながち間違ってもいない表現だろう。
そんな埃臭い店内を、ヒューゴが先に歩いてゆく。
「ジューアさん、いらっしゃいますかー」
「なんだなんだ、昼間っから騒がしい」
私達の入店を聞きつけて、店奥の急な階段から一人の男性が降りてきた。
くたびれたローブを纏った白髪交じりの中年男。彼がこの店の主人らしい。
ぼさぼさの髪を乱暴に掻きながら、しかしその手をぴたりと止めて、私達をじっと見つめている。
「ヒューゴじゃねえか。後ろの女共はなんだ、全員ガールフレンドか」
「ははは。いえいえ、ただの級友ですよ」
そういや、女三人に男はヒューゴ一人だったか。
傍から見たら、何だと思うような団体だよな。
「今日は、彼女の杖を見繕ってもらおうかと思いまして」
「ほう」
男がずい、と前に出て、私をじっと見据えた。
背は低く、百七十くらいだろうか。歳のせいもあるかもしれないが、私よりも少しだけ小さい男である。
目つきは鋭いものの、高圧的ではない。
単に視力が悪いような、知性に由来した目つきの悪さなのだろう。
「田舎っぽい顔だな、本当にこいつが杖を振るのか?」
「!」
思わず頬に手を添えてしまう。田舎っぽさって、顔に出るのかと。
「僕と同じ特異科なんです。魔術投擲のしやすい、タクト系の……」
「あーあー、ヒューゴ、いい、直接聞く」
男は机の下に入れてあったパイプの椅子をがりがりと取り出して、人数分を並べてくれた。
私達はなされるがまま、その椅子に腰掛ける。
足の一本が長いのか、椅子は座ると、何度かカクカクと傾いた。
ジューアという名の店主の男は私の正面に座り、まっすぐに私を睨む。
「特異科生か。名前は、歳も」
「ロッカ=ウィルコークス、十八歳」
「何故杖が欲しい」
「……えっと、護身用に」
「戦闘用か」
「戦闘用、っていうか……」
「はっきりしろ。お前は杖を何に使うんだ。魔術で人の暮らしを豊かにしてえのか、魔術で何かをぶっ飛ばしてえのか」
男は苛ついた風でもなく、真剣にまくし立てて来る。
かなり強引な話し方をする人だけど、彼の眼差しと声色で私は気付かされた。
この人は、かなり真剣に私を見てくれているという事に。
「ちょっと、初心者にそんなきつい態度……」
「ぶっ飛ばしたい奴がいます」
ソーニャの擁護を抑え、私は言い切った。
ジューアさんは「ほう」と鼻を鳴らす。
「特異科ってこたぁ、どうせ特異属性以外まともな術も使えないんだろ? あいつじゃあるめえしな」
「あいつ……? はい、自分の属性、だけしか」
「お前の特異性は何だ」
「……鉄の術が、全部石に変わるんですけど」
「ほう? そいつはまた珍しいな」
ジューアさんはこの時点で椅子から立ち上がった。
そのまま店の奥の棚をまさぐり、ああでもない、こうでもないと木箱を物色している。
そんな作業を続けるまま、質問は続く。
「で、お前はタクトが欲しいのか?」
「はい、コンパクトなやつが……」
「タクトは慣れが必要だ、手首の曲がり具合で、術の放出があっちこっち、どこにでも飛んでいきやがるからな。魔術投擲は要練習だぞ」
その魔術投擲ってものをそもそもやった経験がないので、何をもって難しいのか、どうしたら簡単なのかもわからない。
闘技演習場で見た試合では、杖を振って超重量の鉄の塊を放り投げていたけど……私もあんな事ができるようになるんだろうか。
いや、投げるとしたら石になるのか?
「……そうだ、お前、馴染みのある木材はあるか?」
「え?」
「柄の材料の話だ、好きな木材があんなら言え、ここではだいたい揃ってる」
「……魔術に向いてる木材とか、あるならそれで……」
「柄材は直接は関係ねえ。魔術ってのは繊細なんだ。本人の気の持ちようが、理論を超えて何よりも大事なんだよ。無いなら無いって言え」
理論の塊のような魔術の店で、そんな精神論を聞くとは思わなかった。
そう言われては仕方ないので、とりあえず、自分の記憶から馴染み深い木材を思い起こしてみる。
私に馴染みのある木材……。
「赤陳、かな」
「アカヒネ……これまた、なかなか面白い素材を言ってくれるじゃねえか」
棚を探る音がさらに大きく、やかましくなった。
……私の方では珍しい植物ではないはずだけど、ここではどうなんだろう。
「ありゃあ確か、松だったな。赤い……おい、物はあるにはあるが、丈夫な杖とは言えん。乱暴に扱ってくれるなよ、ほれ」
店の奥からぽーん、と木箱が弧を描いて飛んできた。
私はなんとか取りこぼさないよう、咄嗟に胸で受け止める。
……つうか、乱暴に扱うなって言ったのはあんただろうが。投げるのは乱暴じゃないのか。
「とりあえず開けて、自分で握って確かめてみな」
「……」
古い木箱を空け、中の布を脇へ寄せる。
ボウマやソーニャは、私の顔の横から中を覗こうと興味津々だ。
「柄は赤陳30センチ、
芯は魔金で三級の八浜緑、
先端の魔石はマギタイト3等級3ミリ……
製作者は知らん、杖も無銘。
だが数打ちの濫造品って程、適当な仕事ではない。
誰かが趣味で作ったモンだろう」
箱の中で、幾重もの布に包まれ眠る木製の赤い杖。
その赤はサビのように濁った、お世辞にも綺麗と言える物ではなかった。
しかし細やかな木目はどこか懐かしく、見ていると不思議と心が落ち着いてくる。
収められた杖を左手で取り出し、握ってみた。
掌に合わせて削られた、カエルを呑んだような凹凸。ツヤの出された滑らかな表面。
すっと手に馴染む感触だ。
思わず無意識で、ぶんと縦に振ってしまう。
杖は風を切る。
三十センチ程度の杖は当然軽く、ただの棒きれと変わらない重みだ。
ただ、握りやすさは枝なんかとは段違いで、どれだけ強い力で振っても、何回振っても、手からスッポ抜けないような安心感がある。
「いい感じ」
「気に入ったか」
「感触は、かなり」
魔術としての使いやすさがどうかはまだわからないけど、ひとまず私は、この杖を気に入った。
坑内を力強く支える赤陳の木の杖。
堅枝もまた握り慣れてはいけるけど、普段から削ってやったり、整えてやったり、手間はかかるけどその分だけ親しみがあるのは、どちらかといえばこの赤陳だ。
私にぴったりな杖。そう思う。
「導芯は低質な八浜緑だが、木の性質もある。錆も劣化もないだろうから、安心しとけ」
「劣化?」
「芯を魔金にすると、たまに柄が内側から劣化すンだ。杖としちゃ芯と先石さえありゃ問題はねえから、柄が朽ちようがある程度は使えるんだが」
「へええ……じゃあ柄も全部魔金なら、それも杖になるのかな」
「理論上は、物によるが、魔金や魔石の棒でも杖にはなる。まぁそんな材料はべらぼうに高くつくし、誰もやらんがな」
杖を手の中で回しながら、よく観察する。
杖の先には黒っぽい石が嵌め込まれている。
これがさっき言っていた、マギタイトという魔石なのだろう。
ぱっと見た限りは、黒曜石のようなただの黒っぽい石にしか見えないけど……名前だけは私でも聞いたことのある魔石だ。
「ん、右腕は義肢か。随分でかいな。それならタクトも納得だ」
「あ、はい。義肢で杖を振るのは、やっぱり良くないですか」
「出来なくはねえ、だがそいつは重いだろう? 腕だけでメイスの代わりにもなりそうだ。左手でタクトを扱うといい」
「わかりました」
私の重い右腕では、身軽に杖を振ることは難しいようだ。それではタクトの機敏さを活かせない。
それに、この右手じゃ杖の方が負けて傷つきもするだろう。
せっかくの気に入った道具だ。このタクトは、ずっと左手で扱うことにするか。
「ロッカ。気に入ったなら即決でもいいけど、買う前に試振してみたらどうだい?」
「試振って、どうすればいいの?」
「杖の試し振りだ。こっちに来い、奥に試振用の石室がある」
招かれた先は、人が一人ずつしか通れないほど狭い扉の向こう側だった。
薄暗い店内よりも一層増して暗く、牢獄のように窓のない部屋である。
奥の鈍い光沢を持つ壁は所々が黒く焼け焦げており、本当に拷問でも行われていたのではないかという、少し物騒な雰囲気のある光景だ。
店主のジューアさんは壁の石灯を叩いて灯し、赤っぽい光で部屋を照らした。
片側からの光源で岩肌の粗さを際立たせた室内は、どこか整った坑道を思い出させてくれる。
「試しに、壁に向かって魔術を使ってみろ。サードニクスの反駁石だから、初等術くらいは心配いらん。全部打ち消してくれる」
「おお、ロッカの魔術が見れるのかー!」
「馬鹿野郎、試振室は術者以外立ち入り禁止だ、てめえらはさっさと出てけ」
「んだとー! 近くで見てもいいじゃんかぁー!」
喚くボウマは子猫のように摘まれて退場した。
冷たい石室には私一人。
といっても、狭い入り口ではみんなが見守っている。
「……じゃあ、ちょっと試してみるか」
普段はこんな人前で、注目されるように魔術を見せたこともないから、ちょっと緊張する。
故郷では石を出すだけの魔術なんて、けらけらと嗤われ、「ボタ増やすない」とからかわれるものでしかなかったんだけどな。
でも今は。この石がいつか私の身を守ってくれるものだと信じて、杖を振ってみよう。
柄を強く握り、いつも石を出す時のように、精神を集中する。
とはいっても、自然体。瞑目し瞑想するような堅苦しいものではない。
ただ魔術を使うという意志を明確に心で定め、そして手を構えるのだ。
不思議と、使ったこともない杖に違和感は覚えない。
手には馴染み、そこから延長線上として、杖の先で魔術が使えそうな気がしてくる。
いける。随分と良い調子で撃てる。
詠唱や理学のイメージなんて知らないけど、私はこれだけならできるんだ。
自信を得て、そのままの勢いでカッと目を見開いた。
「やあっ!」
杖を前に突き出し、魔術を放つ。
「……」
杖の先で石が生成され、それは重力に一方的に降伏して、コトンと床に落ちていった。
石と石がぶつかる小さな音だけが、静寂の中で響く。
……みんなの冷めた視線が痛い。
「なあヒューゴ、この子は魔術投擲を知らんのか」
「あー、ですね。詠唱もまだで、今は全て我流の段階です」
「……魔術より、哀れみを誘う土下座の練習でもしてた方が良いかもしれんぞ」
「どげっ……!? 絶対土下座なんてしねえぞ!」
ナタリーに頭を下げるくらいなら、顔を殴って退学になってやる方がまだマシだ。
「魔術投擲なんてよく知らないけど、要するに杖を振りながら魔術を使えば良いんだろ!」
「いや、ロッカ、あまり適当にやらないほうが良いよ」
「見てな、豪速球の石つぶてを見せてやるから……!」
もう一度精神を研ぎ澄ませる。
身体強化ではなく、魔術のための集中。
再び杖に魔力を流し込み、石を生み出す。それと同時に、杖を振ってやるんだ。そうすれば闘技場で見た時のように、魔術を飛ばすこともできるはず。
「てい……やあっ!」
杖を鋭く振りかざす。振ってから、杖の先で石が生成された。
またもや石は、虚しく床に落ちる。
「今度こそっ!」
もう一度石を放り投げるイメージで、杖を真上から振る。
しかしこの時も同じで、振ってから石が現れてしまった。
振るタイミングが早すぎて、後から石が作られてしまうのか。
石を投げるなんて事くらい、五つのガキでもできるのに。
今度は早めに石を出すつもりで、そこから杖を振ってみよう。
「いけっ、これなら……!」
渾身の力を込めて杖を振り下ろす。
「いっ!」
こぶし大の石が私の頭に降ってきた。
頭に大きなたんこぶを作ったものの、杖は安く買えた。
七百YENも支払ったが、それでも杖として見れば安い買い物だったらしい。
タクトという分類だけで見ても、端由や鉛帽を柄に使った高級品は、それだけで数千もするようだ。
タクト以上のサイズのロッドともなれば、それなりの品は平気で万の値がつくのだとか。
先石のサイズや質の兼ね合いもあるだろうけど、さすがに万は手が届きそうもない。
私の杖の場合は、サイズの小さいタクト型である上に、それぞれの素材が廉価なものであるから、この値段設定になっているのだろう。
個人的にはこの赤陳の杖で満足してるから、別に良いんだけど。
「ロッカぁー、大丈夫か?」
「ってー……」
それにしても、みんなにはマヌケなところを見せちゃったなぁ。
杖を使えば魔術が自在に操れるなんて、さすがにそこまで都合のいいことは無かったらしい。
「まぁ、最初だから仕方ないよ。明日から、練習しないとね」
「うーん……」
魔術の練習。それはつまり、理学の勉強である。
勉強、かぁ……。




