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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第九章 渦巻く波濤

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盥013 潰し合う紋章

 試合が終わっても、未だ壇上は火の海だ。先ほどの闘技演習の名残である。

 何の影響か、所々の床が割れたり、砕けたりもしているので、次の試合を始める前に、鎮火を待たなくてはならないだろう。


 しかし、大歓声と共に、ナタリーは現れた。

 様々な学徒の声援や、怨念の篭った罵声を一身に受けながらも、不敵に口元を釣り上げ、手を振っている。

 極端な二つの声の間に立ち、堂々と振る舞う姿は、良くも悪くも大物だ。

 私はあの場に三回しか立っていないけど、そのいずれもガチガチに緊張していた。ナタリーとでは場数が圧倒的に違うのだし、当然なんだけどね。


「隣、失礼するわね」

「お」


 すぐ隣に、ソーニャが腰を降ろした。ちゃんとスカートを整えてから座るあたり、私とは比べようもないほどの何か強大な女としての力を感じる。その力を何と呼ぶかは知らない。


「ロッカの隣が空いてて良かったわ」

「ソーニャも闘技演習、見るんだね」

「……言い方は変だけど、見なきゃいけない義務がありそうな、気がしてね」


 ……そうか。とも言わず、私は黙って頷いた。


 まだ炎も残っている中、ナタリーは壇上に上がり、肩をグルグルと回している。

 私なら、衆目の集まるあそこで準備運動をする気にはなれない。絶対に別の所で、少なくとも壇上の外でやるだろう。


「よし、なんとか間に合ったか」

「うわっ」


 私が右側のソーニャに気を取られていると、左のクラインが意表をついてきた。


「クラインかよ、忙しいんじゃなかったのか」

「オレがこんな美味しい試合を見逃すわけがないだろう」

「……けど、わざわざ私の隣に座ること……」

「オレも不本意だったが、君の隣だけが不自然に空いてたのでな」


 ああ、そうですか。

 というか、誰か座れよ。何でこんな満員御礼で立ち見も大勢いるくせに、私の隣にだけ人がこねーんだよ。


「はは……」


 ソーニャの乾いた笑いが気になったけど、壇上に変化があったのか、ざわめいた歓声に私の意識は正面に戻された。


「……来たな」


 ナタリーの反対側の入り口からの、ミスイの入場である。




 濃灰色のロングローブに、自身の丈ほどもある大きな漆黒の木製ロッド。

 お飾り人形のような濃紺の長髪に、死人のように淀んだ瞳。

 自分のロッドを胸に抱くような姿勢で現れたそいつは、ナタリーとは別の意味で、異様な存在感を放っていた。


 雪原を慎重に進むような足取りに、覇気は無い。

 ロッドを抱く猫背にも、堂々とした気配は薄い。


 しかし、彼女の実力を目の当たりにした人間にとって、今更見てくれ如きが何だと言うのか。

 強者は、力があるからこそ強者なのだ。既に認められた力は、それが飾りつけられようがつけられまいが、変わるものではない。


 ナタリーが呼び寄せた会場の熱気は、ミスイの出現によって抑えこまれてしまった。

 もちろん、完璧に静まったわけではない。それでもはっきりとわかるくらいの静けさが、同時に訪れたのだ。


 二人が同じ壇上に立ち、向かい合った。炎は既にそこに無く、床も綺麗に修復されている。

 審判役の導師も姿を見せ、いつ闘いが始まってもおかしくない空気が、会場全体に緊張を敷き詰めてゆく。




「よお、“冷徹”ちゃん」


 ナタリーがメイスを肩に乗せ、軽薄な笑みを浮かべた。


「はあ……なんですか」

「つれねーな? ちったぁ気のいい返事の一つくらい、返してくれたって良いんじゃないのぉ?」

「気易いですね。私と貴女は、ろくに言葉を交わす仲でも無いでしょう」

「キヒ、キヒヒヒッ! ……なーに言ってんだか!」


 観覧席からは、二人が何を話しているのかはわからない。

 けど、ミスイの口数少ない言葉に対して、ナタリーは爆笑しているようだった。

 なんとなくだけど、ミスイはそんな面白い事など口走らないはずだ。

 ナタリーが笑ったのは、ナタリー自身のよくわからない弦に触れたからに違いない。


「……ふひー。まぁ確かに、アタシとアンタは、ろくに話す間柄でもねーな」

「なら、話しかけないで貰えますか」

「そう言うなって。似たもの同士なんだからよ」

「……は」


 ミスイの目が細まった。


「だってそうだろ? 雑魚を餌に、大物を釣る。そっくりじゃねえか」

「何を言っているのか――」

「ロッカだよ。てめーの狙いはそいつだろ?」


 ミスイがロッドを胸から離し、床を突いた。


「餌がロッカかソーニャか。獲物がクラインかロッカかの違いさ。同じなんだよ、アタシとアンタの、薄汚ェやり方はな」

「獲物が……クライン?」

「おうよ、アタシはもう一度あの野郎をぶっ飛ばしてやるためなら、何だって利用して……」


 また、ミスイのロッドが床を突いた。

 今度の一発は、強かった。甲高い大きな音が、一瞬、会場を黙らせるほどに。


「クラインを……何ですって。ごめんなさい、よく聞こえなかったわ」


 ナタリーがあそこで何を言ったのかはわからない。

 ただわかるのは、ミスイの様子が、その目に露出させた殺意が、尋常ではないということだけだ。

 一体何を言えばああなるのか、私にはわからない。私にあそこまでの形相を引き出すためには、誰かしらの殺害予告が必要になるだろう。


「イヒャヒャッ! “冷徹”がいっちょまえに怒るか!? 言った通りだよ、クラインに塗られた泥を、この手で塗り返してやるのさ」

「薄汚れたメインヘイムの淫売が……立場を知りなさいッ……!」

「フヒヒッ、アタシを黙らせたきゃ杖で黙らせてみろよ、旧貴族(ラストノーブル)

「良いでしょう。速やかに終わらせるつもりでしたが、クラインを侮辱するならば話は別です」


 ミスイは裾を翻し、所定位置の黒い石版へ歩いてゆく。


「殺すつもりで御相手しましょう」


 ナタリーは何を聞いたか、再び顔に笑みを浮かべていた。


「……キシシシ。こえーこえー」




「これより、“冷徹のミスイ”および“パイク・ナタリー”による、上級保護の闘技演習を始める!」


 二人が位置につき、石版にて理学的処置を済ませたことで、全ての準備が整った。

 あとは導師が一言、開始を告げるのみ。


 小馬鹿にしたような、余裕ある表情のナタリー。

 怨念の篭った、陰険な目線を差し向けるミスイ。


 ナタリーが真横にメイスを構え、ミスイがロッドを正面に突き出したのを合図に、導師が上擦った声を張り上げた。


「闘技演習……開始!」


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