盥013 潰し合う紋章
試合が終わっても、未だ壇上は火の海だ。先ほどの闘技演習の名残である。
何の影響か、所々の床が割れたり、砕けたりもしているので、次の試合を始める前に、鎮火を待たなくてはならないだろう。
しかし、大歓声と共に、ナタリーは現れた。
様々な学徒の声援や、怨念の篭った罵声を一身に受けながらも、不敵に口元を釣り上げ、手を振っている。
極端な二つの声の間に立ち、堂々と振る舞う姿は、良くも悪くも大物だ。
私はあの場に三回しか立っていないけど、そのいずれもガチガチに緊張していた。ナタリーとでは場数が圧倒的に違うのだし、当然なんだけどね。
「隣、失礼するわね」
「お」
すぐ隣に、ソーニャが腰を降ろした。ちゃんとスカートを整えてから座るあたり、私とは比べようもないほどの何か強大な女としての力を感じる。その力を何と呼ぶかは知らない。
「ロッカの隣が空いてて良かったわ」
「ソーニャも闘技演習、見るんだね」
「……言い方は変だけど、見なきゃいけない義務がありそうな、気がしてね」
……そうか。とも言わず、私は黙って頷いた。
まだ炎も残っている中、ナタリーは壇上に上がり、肩をグルグルと回している。
私なら、衆目の集まるあそこで準備運動をする気にはなれない。絶対に別の所で、少なくとも壇上の外でやるだろう。
「よし、なんとか間に合ったか」
「うわっ」
私が右側のソーニャに気を取られていると、左のクラインが意表をついてきた。
「クラインかよ、忙しいんじゃなかったのか」
「オレがこんな美味しい試合を見逃すわけがないだろう」
「……けど、わざわざ私の隣に座ること……」
「オレも不本意だったが、君の隣だけが不自然に空いてたのでな」
ああ、そうですか。
というか、誰か座れよ。何でこんな満員御礼で立ち見も大勢いるくせに、私の隣にだけ人がこねーんだよ。
「はは……」
ソーニャの乾いた笑いが気になったけど、壇上に変化があったのか、ざわめいた歓声に私の意識は正面に戻された。
「……来たな」
ナタリーの反対側の入り口からの、ミスイの入場である。
濃灰色のロングローブに、自身の丈ほどもある大きな漆黒の木製ロッド。
お飾り人形のような濃紺の長髪に、死人のように淀んだ瞳。
自分のロッドを胸に抱くような姿勢で現れたそいつは、ナタリーとは別の意味で、異様な存在感を放っていた。
雪原を慎重に進むような足取りに、覇気は無い。
ロッドを抱く猫背にも、堂々とした気配は薄い。
しかし、彼女の実力を目の当たりにした人間にとって、今更見てくれ如きが何だと言うのか。
強者は、力があるからこそ強者なのだ。既に認められた力は、それが飾りつけられようがつけられまいが、変わるものではない。
ナタリーが呼び寄せた会場の熱気は、ミスイの出現によって抑えこまれてしまった。
もちろん、完璧に静まったわけではない。それでもはっきりとわかるくらいの静けさが、同時に訪れたのだ。
二人が同じ壇上に立ち、向かい合った。炎は既にそこに無く、床も綺麗に修復されている。
審判役の導師も姿を見せ、いつ闘いが始まってもおかしくない空気が、会場全体に緊張を敷き詰めてゆく。
「よお、“冷徹”ちゃん」
ナタリーがメイスを肩に乗せ、軽薄な笑みを浮かべた。
「はあ……なんですか」
「つれねーな? ちったぁ気のいい返事の一つくらい、返してくれたって良いんじゃないのぉ?」
「気易いですね。私と貴女は、ろくに言葉を交わす仲でも無いでしょう」
「キヒ、キヒヒヒッ! ……なーに言ってんだか!」
観覧席からは、二人が何を話しているのかはわからない。
けど、ミスイの口数少ない言葉に対して、ナタリーは爆笑しているようだった。
なんとなくだけど、ミスイはそんな面白い事など口走らないはずだ。
ナタリーが笑ったのは、ナタリー自身のよくわからない弦に触れたからに違いない。
「……ふひー。まぁ確かに、アタシとアンタは、ろくに話す間柄でもねーな」
「なら、話しかけないで貰えますか」
「そう言うなって。似たもの同士なんだからよ」
「……は」
ミスイの目が細まった。
「だってそうだろ? 雑魚を餌に、大物を釣る。そっくりじゃねえか」
「何を言っているのか――」
「ロッカだよ。てめーの狙いはそいつだろ?」
ミスイがロッドを胸から離し、床を突いた。
「餌がロッカかソーニャか。獲物がクラインかロッカかの違いさ。同じなんだよ、アタシとアンタの、薄汚ェやり方はな」
「獲物が……クライン?」
「おうよ、アタシはもう一度あの野郎をぶっ飛ばしてやるためなら、何だって利用して……」
また、ミスイのロッドが床を突いた。
今度の一発は、強かった。甲高い大きな音が、一瞬、会場を黙らせるほどに。
「クラインを……何ですって。ごめんなさい、よく聞こえなかったわ」
ナタリーがあそこで何を言ったのかはわからない。
ただわかるのは、ミスイの様子が、その目に露出させた殺意が、尋常ではないということだけだ。
一体何を言えばああなるのか、私にはわからない。私にあそこまでの形相を引き出すためには、誰かしらの殺害予告が必要になるだろう。
「イヒャヒャッ! “冷徹”がいっちょまえに怒るか!? 言った通りだよ、クラインに塗られた泥を、この手で塗り返してやるのさ」
「薄汚れたメインヘイムの淫売が……立場を知りなさいッ……!」
「フヒヒッ、アタシを黙らせたきゃ杖で黙らせてみろよ、旧貴族」
「良いでしょう。速やかに終わらせるつもりでしたが、クラインを侮辱するならば話は別です」
ミスイは裾を翻し、所定位置の黒い石版へ歩いてゆく。
「殺すつもりで御相手しましょう」
ナタリーは何を聞いたか、再び顔に笑みを浮かべていた。
「……キシシシ。こえーこえー」
「これより、“冷徹のミスイ”および“パイク・ナタリー”による、上級保護の闘技演習を始める!」
二人が位置につき、石版にて理学的処置を済ませたことで、全ての準備が整った。
あとは導師が一言、開始を告げるのみ。
小馬鹿にしたような、余裕ある表情のナタリー。
怨念の篭った、陰険な目線を差し向けるミスイ。
ナタリーが真横にメイスを構え、ミスイがロッドを正面に突き出したのを合図に、導師が上擦った声を張り上げた。
「闘技演習……開始!」




