函018 交錯する戦術
寮のメールポストに届いていた一週間分の追加学徒指令は、全て構内の清掃だった。
導師さんのお手伝いなど、小難しいものは無いようだ。
急な事だし、まぁこれも当然なのか。個人的には楽な内容で良かった。
指定された場所、第一棟四階ロビーのモップがけはすぐに完了した。
同じ場所でナタリーと共同作業するような、とんでもないブッキングも起きなかった。
毎日こうして清掃されているためか、モップをかける前から既に綺麗なものだったので、重点的に落とす汚れなどもない。そもそもこの学園の汚い部屋なんて、ほとんど見ていない気がする。
こんな掃除だけなら楽なものだ。
初日にとんでもない大仕事をしてしまったせいで、心が広くなっているだけなのかもしれないけどさ。
「ねえロッカ、聞いたよ? あのナタリーを殴り飛ばしたんだって」
「ああ……うん」
講義室の席に着くと、当然というべきか、その場に不在だったソーニャがかの話題を持ちかけてきた。
彼女は一体どこでその話題を掴んだのやら。ウワサには強そうな子なので、聞きつけたことを不思議には思わないけど。
……この件が学園中に広まってたら嫌だなぁ。
「ちょっと、腹が立って。やっちゃった」
「軽っ、すごいわねロッカ、あのナタリーを“ちょっと腹が立って”で殴るなんて……」
「やっぱ、すぐ喧嘩腰ってのは良くないよね。今は反省してる」
「そうじゃないそうじゃない」
「え?」
ソーニャの呆れ笑いが呆れだけに変わった。
私、不味いこと言ったかな。
「この学園であのナタリーに喧嘩を売ろうなんて奴、一人だっていやしないわよ」
「……あいつ、そんなにヤバい奴だったの?」
一発殴ってみて、その後にラッシュでもかければ勝てそうな感じだったけど……。
まさか、学園関係者の令嬢とか? なわけないか。
「“パイク・ナタリー”といったら、導師でも手が付けられない問題児中の問題児よ」
「問題児……」
この学園の導師といえば、つまり国内最高の魔導師に近い人なわけで。
魔術を学ぶ身分でありながらその人に逆らうということは、相当な実績や地位がいるだろう。
または、よほどの身の程知らずか。どちらかになる。
そして私はその問題児と同等の罰を受けたわけだ。
「属性科っていえばこの学園でも王道のエリート学科だから、どいつもそれなりの余裕があるんだけどね」
「エリートなんだ」
「エリートよ、この学園に入るだけでも、血の滲むような思いをしなきゃいけないくらい倍率が高いんだもの」
私は嫌々で入学したけど、他の学科の人はそうもいかないわけだ。
彼らはきっと、学の無い私には考えの及ばない努力をしてきたのだろう。
……特異科がナタリーに見下された理由の一端も、そこにあるんだろうな。
「属性科の奴らは自分が凄いってことを分かってるし、ここに入学できたからって、そのまま御の字で良いとも思っていないわ。ずっと努力と研鑽を続けてる……けど、ナタリー。あいつはちょっと違うのよ」
ソーニャの表情が曇った。
「あいつは強いし、その強さなりの偉ぶり方をする。あいつにとって自分よりも弱い奴は、属性科であれ独性科であれ理式科であれ、全てが見下す対象なのよ」
「……力が正義って? 剣と魔法の黄金時代じゃあるまいし」
「そう文句を言う奴もいる。けど、そんな奴は片っ端から、闘技演習場でボコボコにされてきたわ」
なるほど。合法的にドンパチできる闘技演習場なら、力で相手を打ちのめす事も許されているわけか。
……逆を言えば、私もそこでならナタリーを存分に殴ってやれたってことだろうか?
「ロッカも気をつけなよ。ナタリーの奴、ロッカを闘技演習場に連れ込むかもしれないわよ」
「私を? ……あー」
“ちっとアガレや”ってやつか。
そこで逃げ腰を見せるのは癪だけど、その場で変な諍いを起こすとまた私が罰を食らってしまう。
真面目にやっていこうと思った矢先にそれは、ちょっと困るな。
喧嘩を売られたら、闘技演習場についていくしかないかもしれない。
「まぁなんとかなるでしょ。連れ込まれたらそれはそれで、また身体強化してぶん殴ってやるから」
「……ロッカ、知ってる? 闘技演習場では身体強化は禁止なのよ」
「えっ」
そんなこんなでマコ導師がやってきて、今日も講義が始まった。
しかし私の内心は穏やかではない。
ついさっき、ソーニャから身体強化禁止の話を聞いてしまったからだ。
考えてみれば当然のことだ。身体強化で戦って良いなら魔術学園の意味がない。
それに、気術使いなら詠唱中の相手の懐に踏み込んで、一発で決着がついてしまう。気術アリだと、あの条件では魔道士が圧倒的に不利だ。
……じゃあ、もし私があの壇上に上がったらどうなるんだ?
手の中に石を生み出して?
投げる?
バカ言え。
魔道士相手に石投げで戦う私を想像する。
相手が誰であれ、数秒のうちに決着する未来しか見えない。無様だ。
「どうしよう……」
「ん? ウィルコークスさん、どうかしましたか?」
不安げな独り言はマコ導師に拾われてしまった。
このまま“なんでもないです”と撤回するほど、私も落ち着いてはいない。
「マコ先生。鉄の術って、どう対処すればいいんですか」
私は現状起こり得るかもしれない悩みを訊ねることにした。
「えっと、それは……ベラドネスさんのことを意識してのことでしょうか?」
「うっ」
遠回しに聞いたのに、さすがは導師。悩みの内容までしっかり見破られていた。
質問の内容は実践的な物騒なものだったが、それでも彼女……彼は、優しく微笑んで応じてくれる。
「鉄の魔術への対抗……そうですね、私も実際の戦闘には詳しくありませんが、ある程度の基本的な対処法は心得ているつもりです」
『なんだロッカ、ナタリーと決闘でもするのか?』
「する、とは限らないけど……いざするようになった時、何もできないんじゃ困るからさ」
何の対抗手段も知らずにいるよりは、ある程度知っていたほうがいいだろう。
あの女に絡まれる事がなければ、それはそれで“気のせいで良かった”で済む話だし。
……それに、合法的にあいつの泣き顔が拝めるってんなら、それはそれで、是非もない話じゃんね。
「でも鉄魔術に対する有効な戦術って専門的な事となると……教科書に載っている事でもないし、一概に言えないことばかりだよな」
と冷静な意見はヒューゴ。
「何が来ても、ドッカーンとやっちゃえばいいんでね?」
と要領を得ない意見はボウマ。
「魔術なんて避けるしかないわよ」
とある意味核心を突いてそうな意見はソーニャ。
『身体強化さえできれば白刃取りでもなんでも出来るが、無しとなるとな。鉄の術を真っ向から防ぐのは至難だなァ』
と悩むのはライカン。
白刃取りってなんだ?
「こっちの術を当てて対消滅を狙うか、相手の術を反駁するかのどちらかしかないだろう、馬鹿共め」
と貶すのはクライン……っておい、馬鹿共って何だ。殴るぞ。
「ユノボイド君の言う通り、闘技演習場のような条件付きの魔術戦では、対消滅狙いでこちらも術を放っていくのが良いですけど……エスペタルさんの言うように、回避する動きを織り交ぜながらでないと、位置取りも不利になりがちですし……何より、打ち合いの消耗が大きくなるのは良くないですね」
つまり、なんだ。どういうことだ。
えっと……。
「こっちもバンバン撃ちながら、ひょいひょい避けるってことですか?」
「そうなりますね。後は状況や環境、距離に応じて魔術を変えていけば、セオリー通りではあります」
セオリー通り、か。
その魔道士たちの言うセオリーってものがイマイチまだよくわかっていないけど……。
つまり、相手の攻撃を撃ち落とすつもりで、こっちも魔術で牽制しながら、避けつつうまい具合を探っていくってことか。
言葉の上では簡単そうに感じるけど……私の投石に、そんな真似が出来るとは思えない。
「でもウィルコークスさん、それは杖がなければ難しい戦術なんですよ」
「え? 杖?」
「はい。杖です」
私は杖がなくても魔術を扱える。
手の中に石を出して、全力投球。今のところ、私の魔術はそれが全てだと思っている。
だから、杖を持つ魔道士の気持ちはわからないし、それによる優位性っていうのもまだ、よくわかっていない。
私の中で杖という道具は、足腰を支えるためのものという認識でしかないのだ。
掌でやるだけじゃ不都合でもあるのかな。
「杖を持つと、何か良いことがあるんですか?」
「もちろんありますよ。杖の特性によって、先ほど言った魔術の撃ち合いができるようになるのも大きな利点ですし……そうだ! じゃあ、せっかくなので今日は杖についての講義としましょう」
「ええっ」
私から振った話題によって、今日の講義内容は変更となってしまった。
ありがたいけど、本当に適当にやってるんだな、ここは。
「長さは様々ですが、魔道士が扱う杖の基本構造はどれも同じです」
黒板に綺麗な図が描かれる。
杖の断面図だ。
「先端の魔石。先石と呼びますね。魔石に繋がり、柄の中心を真っ直ぐ通る導芯。そして導芯を覆う柄。この三つで構成されています」
「三つ」
多いんだか少ないんだかよくわからない構造をしている。
正直、木製の杖なら木だけで作られているくらいに思っていたけど、やっぱりそこは普通の杖と違うらしい。
中に芯を入れるということは、刳り抜いたりで手間もかかっていそうだ。
「杖の役割は楯衝紋による理学式の一時的な保存と、その発動の二つにあります。杖の無い人が魔術を扱う場合……例えば、手から魔術を出すとしましょうか。発動する直前の掌の中の魔力は、イメージした魔術の理学式を形取る波紋を表します。これが、楯衝紋による理学式の形成ですね。理学式に魔力を流すことで、魔術が発動します」
人が手を突き出す図の差し出した右手が、丸い線で囲まれる。
「杖のない人は、理学式のイメージを頭で保ちながら、掌で魔術を発動させます。詠唱によって素早くイメージと式を結ぶ工程までは杖の人と変わりませんが、そこから式を保持しながら発動するのが、なかなか難しいのです」
今度は杖を持った手を前に突き出した人が描かれる。
「対して、杖を持つ魔道士の場合。イメージから書き起こした理学式の保持は容易になります。杖の先にある魔石が、一時的に楯衝紋による理学式を保ってくれるため、魔力を流す事に集中できるからです」
杖の先端と、その杖を持つ人間の頭が、それぞれ線で丸く囲まれる。
「杖に理学式のイメージを留めておけるので、魔力を回路に流し込む際に、理学式のイメージを継続する必要がありません。ちょっとした違いのように感じられるかもしれませんが、実際に杖を使ってみれば違いが体感できるかと思います。杖があるということは、考える脳が二つあるようなものですからね」
脳が二つ。そう言われるとわかりやすい。
確かに、私が魔術を使う時には、少々頭が痛くなるような、精神的な疲れを覚えることが多かった。
それが和らぐだけでもかなり良い道具だ。
「結果として精神力の温存、魔力使用の効率化が望めるので、激しい魔術の撃ち合いには欠かせませんね」
「杖ならなんでもいいんですか?」
「はい、紛い物でなければなんでも……ですが、魔石や導芯には善し悪しもあります。そういったものが魔力効率や、理学式の保持時間に関わってきますから……買われる前に一度、店頭で試振されて、自分に合ったものを確かめるのが良いでしょう」
なるほど、確かに。
まがい物の普通の杖を、高値で買いたくはないからな……。
「杖かぁ、でも邪魔になるのは嫌だな……」
正直、私は杖というもののデザインはどうでもいい。
技巧を凝らした杖の芸術性に惚れ込む人は多いと聞くけど、私はそんなものには一切興味がい。
人によっては大きくて、装飾の豪華な杖を欲しがるのだろうけど、私には魅力が感じられない。
できればヒューゴが持っているような長い杖ではなく、もっと邪魔にならない、持ち運びに苦労しない杖が欲しいところだ。
「ロッカ、長い杖も悪くはないよ? 魔術投擲にも向いているし、丈夫だし、原材料費が嵩むからか、なかなかハズレ商品にも出会わない」
「うーん……」
ヒューゴは趣きのある流木の杖を見せびらかしてくるが、その品の良さは私にはわからなかった。
たぬきのようにデコボコした杖の形も、あまり好みじゃない。
「ノムエル君のような杖の他にも、色々な種類がありますよ」
マコ導師が黒板に、様々な杖の絵を描いてゆく。
……綺麗だ。絵うまいな。
先生自身が普段から講義で描き慣れているというのもあるだろうけど、絵心を感じさせる、わかりやすい図柄ばかりだ。
「杖には、人気のあるもので四種類ほどあります。他にも沢山あるのですが、それらは好き好きですね。後々上達したら、使ってみるのも良いと思いますが……まずは、これらのうちから選んで始めるのが一番です」
黒板に四種類の杖が描かれ、マコ導師は丁寧にそれぞれの説明をしていく。
ロッド、タクト、ワンド、メイス……。
専門的な細かい所まで説明してもらったところの概要は、こうだ。
ロッド型。
かなり一般的な杖がこれ。初心者から上級者まで、広く使われる扱いやすいタイプ。
日用品の杖と同じく、1mを超えるものが多い。中には身の丈を超えるほどの大げさなものまであるという、とにかく長めの杖だ。
魔術が発現する発動点が身体から離れるので、大きな魔術の余波から身を守れるという利点がある他に、先端に大きな魔石などが取り付けできるので、余裕を持った魔術の発動ができるのだとか。
魔術の発動がスムーズにいくことは、精神力の摩耗を抑える事に繋がり、つまりより多くの魔術を放って戦うことができるという、とにかく魔術の行使に特化しているタイプの杖と言える。
ただ長く、結構重いという、シンプルかつ大きな欠点がある。
魔石を大きくしたり、高級な物にする場合にも、それ相応のコストがかかるようだ。
タクト型。
ロッドほどではないけど一般的な杖がこれ。小さく、全く邪魔にはならないので、予備の杖としてロッドと併用して持ち合わせている人も多いとか。
長さは二、三十センチ程度で、総じてかなり細い。
軽く短く、そのため取り回し易いので、動きながらの素早い魔術の行使に利点がある。多方向へ柔軟に魔術を放つこともできるので、室内や森林など、活躍する機会は多そうだ。
ただし発動点が手元に近いため、大規模魔術の行使を失敗すると大事故に及ぶ危険がある。先端が細いために、魔術投擲にもコツや慣れが必要だ。
細いために先端の魔石のサイズが小さいものが多く、長い時間理学式を保持できない事も見逃せない欠点。ロッドと比べると、理学式の保持時間は何秒も違ってくるのだという。そこらへんの違いは私にはよくわからない。
聞く限りでは、上級者向けのようだ。コンパクトなのは良いと思うんだけど……。
ワンド型。
錫杖ともいう。ロッドとタクトの中間くらいのサイズの杖。使用感も、大体そのくらいだとか。
大きすぎるロッドよりも杖の持ち運びが簡単で、抱えたり手に持ったりせずとも、腰につけて携行できるので比較的邪魔にならない。
また、ロッドほど長くないので、タクトのような柔軟な取り回しができるのも魅力。
術の発動自体はロッドに近いらしく、理学式の保持時間は長め。
が、ロッドやタクトを使った人がこれを持ってみると、凄い違和感を覚えるのだとか。その気持ちはようわからん。
欠点は特に無いらしいけど、帯に短し襷に長しか、特化した長所もない。器用貧乏というと、マイナスイメージが大きいな……。
メイス型。
丈夫な柄の先に金属製の刃物や突起物を取り付けた、打撃もできる実用的な杖。
先端も柄も重いので魔術の取り回しに苦労する人もいるが、魔術の他に近接戦にも対応できるのは、武器として大きな利点となる。
純粋な魔道士よりも旅人や傭兵が好む、世間では広く普及しているタイプの杖だ。
欠点は、とても重い。見た目が物々しい。
打撃のための金属部分が大きいために、先石として埋め込む魔石は小さくなりがちで、そのため理学式の保持時間は、一般的には短め。
一度殴ったら、魔術に切り替えるという気持ちが薄れる。
使っている内に殴る方が得意になって、むしろ魔術を使わなくなる、など。
……私も、これを使うと殴る方ばかりになりそうだ。
「基本的にはこのくらいですね。生活様式に合わせて色々と使い分けるのが、魔道士として長続きするコツですよー」
「うーん……」
正直、私にはどれが良いか全くわからなかった。
「あたしは杖とか使わないから全然わかんないなー」
「ボウマさんも、そろそろ杖に慣れておいたほうが良いですよ? 強力な魔術を使うには、理学式を保存しながら組み立てていかないとなかなか……」
「やはぁ、杖ってなんか、めんどくさそうじゃん」
ボウマの言う気持ちもわかる。本当なら私だって杖を持ちたくない。
普段から邪魔な棒きれと一緒に過ごすなんて、ちょっと考えられない。
……とすると、小さい杖の方が良いな。値段も安そうだし。
そう考えたりしていると、マコ導師が杖の必要性について、踏み込んだ説明を始めてしまった。
こうなると専門的すぎて、理学初心者の私にはついていけそうもない。
とはいえ、ライカンを含めて熱心に聞いている人も何人かいるし、質問して話の腰を折るわけにはいかないな。
悩んでいる所で、前の席のソーニャがこちらへ悪戯っぽい笑顔を向けてきた。
「ねえロッカ。杖、買うつもりなの?」
「うん……でもあんまりお金もないし、とりあえず安いのを買おうかなって」
「安いの……となると、タクト系になりそうね」
「あー、じゃあそれにしよっかな」
安さに勝るものは無し。
一般的な種類の杖らしいし、癖はあるみたいだけど、慣れれば欠点も気にならなくなるだろう。最初にクセのあるものを選んでおけば練習にもなる。
それに、どれを選んでも素手よりはマシらしいから、とりあえずの気軽さでタクトを買って見るのも悪くはないだろう。
「じゃあ今日講義終わったら、一緒にお店を回ってみない?」
「え、今日も付き合ってくれるの?」
「もちろん! 私も暇だもの」
「ありがとう、ソーニャ!」
ああ、ソーニャが一緒に回ってくれるのなら心強い。
今回も良い買い物ができそうだ。
今日も昼前に講義が終わり、特異科学徒達はぞろぞろと帰ってゆく。
みんなそれぞれ、遊ぶなり何なりの用事があるのだろう。あくびをしていた男子学徒も、すっかり覚めた顔つきで教室を後にしている。
かくいう私も、これからソーニャと一緒に市場へ繰り出すつもりだ。
さっさと買って、ちょいと使ってみる事にしよう。
ジャケットを深く羽織り直すと、杖を持ったヒューゴがこちらに近づいてきた。その背中にはボウマがしがみつき、けらけらと笑っていた。どんな状況だ。
「おや。ロッカはソーニャと買い物かい?」
「ああ、うん。ソーニャは買い物が上手だからね」
「買い物かー……あ! じゃーあたしもついてきたいなー」
「僕もご一緒して良いかな? ソーニャ」
「えー」
ソーニャは少しだけ、真顔で考えるような、そんな顔をしてみせる。
ただ、嫌というわけでもないのだろう。
今日の晩ご飯のおかずにシイモチを加えるか加えないか、おそらくそのくらいの軽い思考の末に、ソーニャは答えを出した。
「……うん、そうね。私は杖に詳しくないから、一緒に来てくれると助かるわ」
「任せてくれ。タクトなら結構、見る目あるつもりだからさ」
「やったーロッカと買い物だー!」
「でもボウマ、あんたはあまり市場で暴れるんじゃないわよ」
「わあってるよぅ、大人しくしてぇって」
考えるような素振りを見せたのは、ボウマがいるからか。
確かに歳のわりにはしゃぐ子だから、目を離さず見ておかないと、トラブルのひとつやふたつ、簡単に起こしてしまいそうだ。
でも、少し騒がしいくらいが丁度いいかも。賑やかな雰囲気は嫌いじゃない。
四人での買い物、楽しみだ。
「なんだ、ウィルコークス君はタクトを使うのか」
「ん」
隣の席のクラインが、講義とは全く関係なさそうな紙の束を整理しながら訊いてきた。
……向こうからのコミュニケーションとは、珍しいな。
「タクトが一番安いらしいから、市場に買いに行くんだよ」
「ほう……それは“パイク・ナタリー”と決闘するための物か?」
こいつとの会話が成立している今の時間が奇跡のように感じられる。
まるで同じクラスの友人との会話みたいだ。
「ナタリーが突っかかってきた時の保険って意味もあるけど……魔術、少しやってみようかなと思ってさ。後々のために」
スムーズな流れに乗せられて、私は随分と素直に答えてしまった。
クラインはこういう時に限って、“君には一生かかっても魔道士になんてなれないね、フフン”くらい言ってきそうなものだというのに。私も、懲りないんだろうな。
「そうか、悪い選択ではない」
あれ?
痛烈な見下し発言が来るかと身構えたが、クラインは小馬鹿にするような素振りを見せなかった。
そればかりか、
「奴は確実に、ウィルコークスくん。君に決闘なり、復讐を仕掛けてくるだろう。杖は入念に選ぶことだな」
多少迂遠ではあるけど、励ますような言葉まで寄越してきたのだ。
いつものイメージとはかなり違うクラインの一面に、私は口がきけなかった。
そんな私の返答なんて最初から待っていないとばかりに、クラインはさっさと講義室から去ってしまった。
私は“ありがとう”の一言も言えなかった。あっけにとられていたとはいえ、ちょっと失礼だったなと、去り際の背中を見送って後悔する。
「……クライン、あんなやつだっけ」
「ああいう奴だよ、クラインは」
「だね」
ヒューゴやボウマは、そんな彼の一面を知っているらしい。
しかし私にとっては相変わらず、謎の多い奴に違いない。
……でも、私ももう少し、人の評し方を改めるべき、なのかもしれない。そう思った。




