盥002 照れ隠す蹴り
発表会。
それは、中央三棟で行われる大規模な、いわばお祭りだ。
普通のお祭りは酒飲んで騒いでを夜通しするのだが、このミネオマルタにおける発表会はお堅い内容である。
一度も発表会を経験したことのない私が、どうしてそんなことがわかるのか。
それは、今現在やっている作業が答えになるからだ。
「で、あとはこちらの板を張り出していきます」
『お任せください!』
「わー、ポールウッド君は背が高いので、とても助かりますね」
『いやぁははは! それだけが取り柄ですから!』
第一棟の壁各所に、大型の板をひたすらかけてゆく作業だ。
廊下の壁面の煉瓦には、一部の境目に穴が空いている。そこの穴に対応する突起物のついた木板を、黙々と嵌めこんでゆくのである。
「マコ先生、ここの掲示物はこれでいいんでしたね?」
「独性術理式研究会その三……はい、そうですね。それらを三、二、一と順番に張っていってください」
「わかりました」
その板に対して、次は紙の掲示物を貼り付けてゆく。
大判の紙面の中身は、一目見ただけで一気に目が眩みそうになる難しい文言の羅列だ。
これらを、あと数十枚も学園の廊下に張り出してゆくわけだ。
沢山の掲示物の束によって埋め尽くされる廊下。
そんな風景作りを手伝わされていれば、お祭りという名の固っ苦しい行事であろうことは容易に想像できる。
「あー、めんどくしぇえー」
「こらボウマ、私だって面倒なんだ。サボってないで手伝えテメー」
「うがぁん」
ボウマの頭を両手で引っ張り上げて、所定の位置に戻す。
一限目の講義を潰してから始まり、今現在は二限の昼直前といったところだろうか。
私達特異科は随分と長いこと作業を手伝わされているが、それでも未だ、目の前の仕事が終わる気配は見られない。
正直なところ、疲れた。そろそろ休んで飯食べたいです。
「はい、あとちょっとですよー、皆さん頑張ってくださいねー」
「ういーっす……」
でも、昼食は全てが終わってからだ。
マコ導師はこんな時でも厳しく急かさないものだから、怠け者の多い特異科は作業が遅くなる。
もちろん私達、ヒューゴやクラインなんかは真面目にペタペタやっている。ライカンなどは機敏に動き、二三人分の働きすらしているだろう。
不真面目なのは、それ以外の連中だ。
「……真面目にやれー、だなんて、私はそんな事言える柄じゃないからなぁ」
誰がサボってるのか、誰が手を抜いているのかは、見ていればすぐにわかる。
けど私が、赤の他人に近いあまり話さないクラスメイトのそれを咎めるには、ちょっと説得力に欠けるだろう。それは私自身がよく理解しているつもりだ。
「でも、終わらなきゃ帰してもらえないこういう時くらい、テキパキやったらいいのにね」
「……おお」
隣のソーニャを見れば、彼女はてきぱきと仕事を進めている。
目も開いてる。昼前なのに寝ていない。にわかには信じがたい光景だ。
「あのねロッカ……私だってやる時はやるのよ」
私の微笑ましい視線を感じ取ったのか、ソーニャは苦笑いを浮かべた。
ごめん。学園でも活動的なソーニャって、なかなか見れないからさ。
とは、口に出さないけども。
今回の作業は、実質的な学園の雑用係である特異科だけによるものではない。
ちょっと顔をよそに向ければ、廊下は様々な学徒や導師が、大きな荷物を抱えて右往左往しているのがわかる。
さすがに大規模な催しであるからか、今回の準備は学園全体でやっているようだ。
そらそうだわな。三棟全域の準備を私達だけに任せるなんて、さすがにそれは無理な要求である。私達だけにやらせたら、一体何日間の講義を潰すことになるのだか。
なので、発表会の準備に限っては、どの科の学徒も基本的には皆平等である。
今もどこかで、エリートである属性科の奴らも一緒に汗水流して作業しているのかと思うと、ちょっとだけやる気が戻ってきた。
「……ふう」
属性科の連中が働く姿を想像して浮かんできたのは、ミスイとナタリーの姿だった。
あの二人がせこせこと大道具の準備をしてる姿なんて、これっぽっちもイメージできない。むしろ配下の連中を顎でこきつかい、自分は埃も飛ばないような場所で紅茶だかワインだかを啜っていそうである。
冷徹のミスイ。
パイク・ナタリー。
属性科三年の水属性専攻と鉄属性専攻の二人による闘技演習が、発表会の期間中に行われることが決定した。
人と人同士が戦うなんて見世物は、魔術が使えなくとも人気があるのだ。
それが天才魔道士による迫力満点のものであれば、観客達が盛り上がるのも当然であろう。
しかも、それはただの見世物ではない。
学園内での一部の大きな勢力がぶつかり合う、大きな転換点ともなるものだ。
負けた方の名声は落ち、勝った方は逆に名誉を手にするだろう。
真剣勝負。力と力のぶつかり合い。多くの学徒にとっては、そっちのほうが本命の祭りとなるのだろう。
でも、私達だけは知っている。
ナタリーがミスイに戦いを挑んだ理由は、学園での覇権を握りたいだなんて理由が全てじゃない。それも当然あるだろうけど、それだけじゃない。
彼女はもっと別の、ギラギラと鈍く光るような思惑を腹の中に抱えているのだ。
「ナタリーとミスイの闘技演習、すごいわよね」
「えっ?」
私の心を読み取ったように、ソーニャがぽつりと呟いた。
しかしソーニャは私の方を見ておらず、目の前の作業に没頭している。
彼女は彼女で、唐突に話題を切り出したつもりのようだ。
「二人の闘技演習が決まってから、すごいのよ。私に嫌がらせをしてくる奴とか、変な目で見てくる奴とか、急にぱったりいなくなっちゃったんだもの」
「……属性科の連中にとっては、地下水道よりもそっちのほうが大事件だもんね」
ミスイとナタリーの決闘によって、良い影響がひとつだけあった。
それは、ソーニャに対する嫌がらせが収まったというものである。
鉄属性と水属性が派手にぶつかり合い、雌雄を決する一大事が間近に迫り始めた。
他人を気にする余裕なんて無くなるわけである。
当然だ。三件離れた家から登る黒煙よりも、隣家で轟々と滾る業火の方が気がかりに決まってる。
「ミスイがナタリーに喧嘩を売られたから……かもしれない」
「ああ、確かにそうかも……鉄専攻という敵が迫っていて、私に構う余裕なんてないものね」
ソーニャには既に、ミスイが嫌がらせの首謀者であることは話している。
彼女はそれを聞いた時、嫌がらせをされるような事は身に覚えがなく、どうも釈然としない様子だったのが印象的だった。
ミスイはクラインに執着しているようなので、その事で何かあったんじゃないかとも思ったけど……依然として、ミスイの嫌がらせの動機はわからぬままである。
「まぁ、私が嫌がらせをされなくなったのは、それはそれで良かったのよ……私のことは……でもナタリーって、こんなタイミングで大勝負を仕掛けるような奴じゃないと、思うのよね」
ソーニャは不安げな顔をこちらに向けた。
「狡猾で、横暴で、粗野で、どうしうようもないほど強い……それが、私のナタリーに対する印象だったのよ。私の印象では、ナタリーはもっとずる賢く、自分に都合のいい機会を選ぶような奴なのよ」
結構な物言いだけど、私は頷いた。
概ね彼女の言う通りだったから。
「ねえロッカ、変な……すごく馬鹿みたいな事を聞くけれど……ナタリーってもしかして、私のためにミスイに勝負を挑んだんじゃないかしら……」
ソーニャは、難しい表情をしていた。
私は努めて、その形を真似る。
ナタリーは、犯人がミスイだと突き止めてからすぐに、水属性専攻の講義室に乗り込んで宣戦布告した。
これまでの、自分の配下まで動かすような大規模な犯人探しもそうだけど、正直、ナタリーはソーニャのために全力で動いているとしか思えない。
献身的すぎる動きの全容は、直接話に聞いた私にしかわからないことだ。
聞いているからこそわかるし、断言できる。
ナタリーがソーニャのためにミスイに喧嘩を売ったのは、間違いないだろう。
だけど。
「それは……私にはわからない」
「ん、そっか。そうよねぇー……うーん……」
“ナタリーはソーニャのためを思ってるんだよ”なんて私の口から言ったなら、そしてそれがナタリーに知れたなら。
ナタリーはきっと顔を真っ赤で怒り、また私の脚に蹴りをいれてくるだろう。それはちょっと御免である。
「うーん……」
ソーニャは煮え切らない様子だけど、まぁ、ナタリーも結構わかりやすい奴だ。
いつか彼女の隠れた善意が本物であることには、ソーニャも気付くことだろう。
その時こそソーニャには、ナタリーに言ってやって欲しい。“ありがとう”と。
特異科による発表会の準備は、マコ導師が持ってきた差し入れのクッキーにより四倍速になったライカンの働きで、意外と早く完了した。
マコ導師が特異科のみんなに配った手作りクッキーは、ものすごく甘かった。
どのくらい甘いかというと、小麦の代わりに砂糖を入れてしまったんじゃないかってくらい、甘ったるい。
ライカンはこれを三日ぶりの飯であるかのように喜んでバリバリと食べてたけれど、噛んでてジャリジャリ音がするクッキーなんて、私は嫌だ。
けど、貰い物は貰い物。
クッキーは、クッキーだ。
自分じゃ滅多に買う気の起きない甘い菓子は、なんだかんだと貴重である。それがマコ導師お手製とあらば、食べないわけにはいかない。
ていうか、ありがたく戴かないと誰かに刺されそうな気がして怖い。
内心、砂糖そのままの甘ったるさにうんざりはしている。
けど、マコ導師の気遣いによって、皆よりも数倍の量はあるだろうクッキーの詰め合わせをプレゼントされた時のソーニャの固まった表情を思い返せば、残りの分の処理も頑張れそうな気がした。
「……いないなぁ」
マコ導師の手作りクッキーを食べながら学園の構内を歩き回り、一時間ほどが経った。
学園の廊下は、いつになく人の姿が多い。
掲示物を並べる人、掃除をする人、大きな荷物を運ぶ人。
発表会の設営のために駆り出された多くの学徒は、昼を過ぎた今も尚、その作業の手を休めることはない。なまじ特異科とは違って、学科として自分らの発表するものがあるだけに、手も抜くことが出来ない。
頭脳系の彼らは慣れない力仕事に四苦八苦しながらも、真面目にやっているようだった。
沢山の学徒が行き交う、慌ただしい発表会の準備風景。けどそこに、ナタリーの姿がない。
ナタリーを探し出して、ミスイと戦う彼女の意志について、色々と訊ねたいことや、言いたいことがあったんだけどな。
「いないなら、仕方ないか」
ぶらぶらと呑気に歩いていたって、しょうがない。
今日はもう、自分のために時間を使うことにしよう。
私だって魔道士を目指す身だ。講義の復習をしたり、未だできない魔術投擲の練習をしたり、やるべきことは沢山ある。
「うんしょ、うんしょ……」
さて、帰ろう。
そう思った途端、私のすぐ近くを、背の低い女の子が重そうな木箱を抱えて通りかかった。
「ん、貸しな。手伝うよ」
「えっ、あっ……ありがとう、ございます……」
勉強だって学徒の本分だけど、力仕事は私の領分だ。
魔道士としての研鑽は、これを手伝い終えたらにしようと思う。
学園の敷地内は、今日ばかりは屋外演習場も展示やら何やらで人が沢山だった。
屋外演習場で魔術投擲の練習でもしようという目論見はすぐさま砕け散り、私のやる気は、次に自宅学習の方に矛先が向けられたんだけど……。
「うーん」
けど、どうにもやる気が湧いてこない。
最近の講義で習う数学は、どれも一人でやるには難しすぎるのだ。
あやふやな記憶のまま独自に勉強を進めるのは、非常に危険である。
「そう、仕方ない」
これは決して、数学をやるのが面倒くさいからってわけじゃあない。
魔術をやってて数学なんてちっとも役立たないじゃないかなんて思っているわけではない。
今は、あえてやらないだけなのだ。
「うん」
というわけで、勉強おわり。
今日は学園の手伝いを頑張ったのだ。砂糖だって苦労して、食べきった。
私はもう、既に一日分の努力を達成している。
ならばこれからグログを喉に流し込んで燻製肉を貪ろうとも、誰に咎められようはずはないのだ。
「む?」
「お」
小奇麗な酒屋の寂れた一角で、私がグログの緑瓶に手をのばそうとした時。
その手の上に、筋肉質な大きな手が重なった。
ミネオマルタの酒屋は繁盛しており、店の中には何人もの客が居たが、それはどれもワイン目当てだ。
まさか数本しか並んでいない不人気のグログに同時に手を伸ばす客がいるとは思わなかったので、私はとても驚いたのだった。
「お前は、特異科のロッカ、だったか」
「あんたは、前にライカンとやりあったデリヌス……だっけ」
「うむ」
しかもそれが少なからずも知った顔だったのだから、更に驚きである。
波打つ黒い長髪には艶がなく、そこだけを見れば不潔な男のようにも見えるだろう。
しかし端正な渋い顔立ちと、ガッシリとした厚い体躯は、雄々しい野生味に溢れている。
肉体派の臥来系。鉄の国の、騎士を目指している人間であろうということが、一目でわかる男だった。
「ミネオマルタは、ワインばかりでな。最初は俺も飲んでいたのだが」
「やっぱこっちだよね」
「うむ。ビールで気を紛らわそうとしても、結局最後に戻ってくるのは、これだな」
デリヌスが斜めに置かれたグログの瓶を掴み上げ、宙で一回転させて手に取った。
綺麗な緑色の硝子瓶。その中には、故郷の味がいっぱいに満ちている。
どれだけ鉄の国が遠かろうとも、グログの味は変わらない。
これを飲んで酔っ払っている間は、故郷への寂しさも、異国での憂さも消えて無くなる気分になれるのだ。
私はデリヌスが手にした瓶を手にとって、くしゃくしゃに皺の寄ったラベルを眺める。
うん、やっぱりどこか見知った、懐かしいブランドだ。
デムハムドでも、このグログを飲んだことは多い。
「だけどまぁ、鉄の国よりちょっと値が張るってのが、気に食わないけどね」
「はは、違いない」
私が苦笑いすると、デリヌスも低い声で笑った。
こうして同郷の人間と気持ちを分かち合えるのは、かなり嬉しい。
私はどこか弾む心地で、グログの瓶を片手に会計へと足を運ぶのであった。
「おい待て、それは俺も目をつけていたぞ」
……チッ、やっぱりそう上手くはいかねえか。
どさくさに紛れて私の物にできると思ったんだけどな。
「なあ、いいだろう。私、あんたのことは良く知らないけどさ。同郷のよしみってことで」
「俺もお前のことはよく知らん。同郷はお互い様だ」
「先に見つけたのがどっちかなんて事で張り合うつもりはないんだ。ここはひとつ、譲ってくれよ。今私どうしても、こいつが必要なんだよね」
せっかくグログを飲むって気分でいたんだ。
私のわがままではあるけれど、ここで譲ってやることはできない。
「それを言うならば、こちらは仲間も飲みたがっているのだ。ナタリー達がどうしても飲むんだといって聞かないものだから……」
デリヌスはそこまで言って、表情を固まらせた。
「……失言だったな」
「いや、私にとってはナイスだよ。ナタリーが何だって?」
「む……」
「私、ナタリーに用があるんだよね」
私はデリヌスの肩を掴み、優しく微笑んだ。
彼はしばらくバツが悪そうに視線を斜め上に逃していたが、すぐに根負けしたようで、大きな溜め息を吐いたのだった。