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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 聳える氷壁
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櫃020 聳える氷壁

「黒幕は、ミスイだった」


 講義室に戻った私は、部屋に残っていた皆に真相をぶちまけた。


「ええと、まずは汗を拭こっか。それから、その目怖いから、とりあえず落ち着いて」


 とりあえず、必要以上に全速力で走ってかいた汗を、ヒューゴが差し伸べたハンカチで拭うことにした。

 ついでに、うん、頭を冷やそう。


 講義室には、三人だけ。ライカンとヒューゴが机に指導書を広げ、ボウマがそれを覗きこんでいる。二人がボウマに対して、初等理学の基礎をわかりやすく教えている最中のようだ。


 ソーニャは聴取があるということで、駐在所に行くと言っていた。

 クラインは、今日もいない。できれば今日に限っては、二人ともここに居て欲しかったんだけど。


 三人は突然私が開口一番に本題をぶん投げたせいか、そんなに驚いているという様子もない。逆に心の整理ができたという様子で、座り方を四人用の状態に整えた。


「で、ロッカぁ。くろまくって、なんぞ?」

『うむ、順を追って話してくれないか』


 あ、駄目だ。いきなりすぎて伝わってなかった。


「まぁ、僕はなんとなくわかってるけど……口は挟まないよ。とりあえず、何があったのかを話してくれよ」

「うん。じゃあ、えっとね」


 自分の中で状況を整理する事も兼ねて、私は皆に丁寧に説明を始めた。




 途中で私的な感情が篭っていたかもしれないけど、ほとんどあったことをそのまま伝えるように、私は細かく噛み砕きながら、昼の出来事について説明する。

 ナタリーが私達と同じ証拠品を見つけたこと。彩佳系の属性科学徒がそれに関わっていたということ。掴み上げて脅したら、ぽろっと黒幕を吐いたこと。

 私は、あまり詳しい説明が得意ではないし、人を笑わせるような面白い話も、いまいち面白さを伝えきれないような喋り下手だ。

 どれくらい正確に言えたかはわからない。ひょっとしたら、少し誤解させるような言葉足らずな所もあったかもしれない。


 けど、ボウマは私の話を聞いて、怒ってくれた。


「じゃあ、ミスイをぶっとばそうじぇ!」

『こら』


 ぶっとばそうって、今でこそそんなのはあり得ないだろうと思うけど、憤りの反応は私とほとんど同じだ。


「ボウマ、あと、ロッカもだ。話はわかった。ナタリーに彩佳系の子……多分、彩佳系の子は水専攻かな? それで、ミスイの言うことを聞かざるを得ない……うん、早とちりをしているってわけでもなさそうだね。けど、ひとまず落ち着くんだ」

「私は落ち着いてる。でも信じて」

『ああ、信じてるとも。その場にあのナタリーがいたなら、間違いないだろう……が』


 ライカンはそれでも疑問が残っているかのように、首を傾げる。


『しかし、何故ナタリーがそのような事をしているんだ? さっきも聞いていて思ったが、ナタリーがソーニャに肩入れする理由が思いつかないんだが……』

「あ」

「うん。確かにそこだけは、僕も引っ掛かったな」

「ま、まあそれは、良いじゃん。別に」


 ナタリーがソーニャのために動いている理由を話すには、私がスズメから聞いたソーニャの凄惨な過去をについても触れなければならなくなる。

 ここで話せないのはちょっと苦しいけど、私は背景をぼかして、強引に話を進めるしかない。

 二人はどうにも納得がいかないようだったが、私の合わせる様子に何かを悟ったのか、幸いにもそれ以上は聞かないでいてくれた。


 問題はそこじゃない。そう、問題はそこじゃない、別の所だ。

 運良く、ナタリーが黒幕を見つけてくれた。その大収穫こそ、今は一番大事なことじゃないか。それについて話そう。


「うーん……ミスイ=ススガレがソーニャを、か」

「うん、今回は間違いないよ。あのミスイって女は、絶対に腹黒いことを考えてる」

「今回は?」

「えっと今回ってのは、えとルウナ、じゃない、そうじゃなくて。いや、まぁ、あの不気味で、目付きの悪い女のことだよ。私はあいつが黒幕の犯人で、間違いないと思う」


 表情の読めない顔。そのくせ、たまに見せる性格の悪そうな細めた目つき。

 人は大抵、目を見ればその性格や人となりがわかるってもんだ。

 中途半端な長さの私の人生経験だが、断言できる。ミスイは、あの女は、性格の悪い、陰湿な野郎で間違いない。


「……なんだよ」


 私が断言してみせたのに、皆は合点がいってないのか、じっと私を顔を見つめていた。


「いや、別に。まぁ、僕も彼女について、怪しい節は結構あると思うよ。うん」

『うむ、まだ動機はわからんが……証拠も上がっている以上、その見当で動かなくてはなるまい。ひとまず、マコ先生に相談するべきだろうか?』

「マコちゃんよりも、あのミスイって奴に直接聞くのが先だじぇ!」

「証拠らしい証拠もないし、ロックピックだけじゃ、なんともなぁ……うん、そういうことを踏まえた上でも、直接聞いてみるのも妥当かもしれないね。もちろん、その彩佳系の子も一緒にしてさ。ついでにナタリーを交えれば、ミスイも言い逃れはできないんじゃないかな」


 話の末、私達のやるべきことは定まった。

 黒幕と手下がハッキリしているのだ。その二人に会って、直接聞くのが一番だろう。

 もしも言い逃れするようなら私は黙っちゃいないし、多分、ナタリーだって黙ってはいないだろう。

 ミスイの一文字に結んだ貴族の口は固いかもしれないが、昼間締めあげた方の女は、ちょっと脅せばすぐにゲロるはず。


 とくれば、あとは話は簡単だ。言い逃れのできないミスイの頭を下げさせて、ソーニャに詫びを入れさせるばかりである。

 それで全て解決だ。


「よし、じゃあ第二棟へ行こう! そろそろ三限の講義も終わるし、ミスイ達を待ち伏せるには丁度いいはず!」

「おーっ!」

「こらボウマ、あまりはしゃぐなよ、スカート捲れてるぞ。もうすぐ十六近いんだから、ちゃんとしろよ」


 直接詰めかけて、まだ級友の多い中で追い詰めてやる。どうしてやったのか、何をしたのか。何もかも洗いざらい喋らせてやる。

 そうすればソーニャへの理不尽な嫌がらせも、収まるはずだ。


 私達は足早に、第二棟へと向かった。




 そして歩き慣れない第二棟を少し散策しているうちに、水属性専攻の連中が多い階を見つけた。

 講義室の扉の側のプレートを覗いてみれば、そこにはしっかり、水属性術なんたら準備室と書いてある。

 目的の階を見つけたと、私はボウマと頷きあった。

 あとは、虱潰しに講義室の窓越しに中を伺ったり、廊下を歩く彩佳系の学徒に訊いて回るだけである。


 ある程度の学年を、学徒が身につけている一部装飾品だけで見分けられるというヒューゴを先頭に聞き回っていれば、階層内を全て歩かずとも、容易にミスイに関する情報は手に入った。


「水属性術専攻講義室、ここか」


 あとは押しかけ、噛み付いてやるだけ。




「じゃ、そーいうことで、ヨロシクねん」


 私達が講義室のドアを開こうとした時、入り口は逆に向こう側から、先に開かれてしまった。


「あん?」

「はっ?」


 そこにいたのは、どこか上機嫌そうなナタリー=ベラドネスだった。


「ちょっとなんで、ここに」

「へっ、通行の邪魔だ、さっさとどきな」

「ッて」


 水属性の講義室に、どうしてこの女が。

 私が疑問を投げかける前にナタリーはわざとらしく肩をぶつけ、颯爽と廊下を歩いて行く。


「……水属性の講義室じゃないの?」

「いや、中を見る限り、間違いないみたい。どうしてナタリーがここから出てきたのかは、僕にもわからないけど……」

「……まさか」


 なんとなく、物騒な予感がする。

 立ち止まってる場合ではない。私はナタリーが出て行ったそこから、人でいっぱいの講義室内に踏み込んだ。




「あら、また、うるさそうなのが……」

「……ミスイ」


 講義室の中央に、ミスイが立っていた。

 室内は既に鎮まり返っていて、後から追いかけるようにして訪れるべき緊張感も、既にこの場所に満ち満ちている。


 ミスイを囲むようにして、昼間のあの女や、ルウナやリタの姿もある。

 誰もが、何か親の大事な食器を砕いてしまったような青ざめた顔で、私のことを見つめていた。


 ミスイは目を細め、私を値踏みするように睨む。


 嫌な目つきだ。

 私の向こう側を見透かすような、それでいて粘っこいような、不快な眼差し。

 あらかじめ元貴族だと聞いていれば、尚更嫌いになれる目をしてやがる。


「……残念。あなたが、もう少し早ければ良かったのに……」

「何……」

「そうすれば……」


 ミスイは暗色のローブの袖をまさぐり、そこから何かを取り出した。

 それを掲げ、より一層、ミスイは目を細める。


「そうすれば、餌に食いつくのはあなただったのに……」


 ミスイはゴミでも見るような、つまらないものを見るような目で、私のことを眺めていた。

 その手にか細いロックピックを持ち、軽く掲げ、わざとらしくこちらに見せながら。


 ミスイは、掲げたロックピックを静かに揺らしている。隠そうとする素振りは、欠片も見られない。

 悪びれた様子も、皆無だ。


 想定外である。

 正直に吐かせようと思って押しかけたら、こちらが何かを言う前に、相手が既に開き直っているなんて。


「あ、ウィルコークスさん。それに、特異科の皆さんも。どうしてここに?」


 私達とミスイとの間に明確な緊張が走る中、ルウナが驚いた様子で話しかけてくるが、私はそれに応える余裕はない。 

 見下し、嘲笑するようなミスイから、目を逸らせないのだ。


「おい、なんだよ、それ」


 私は、理解できない。

 どうしてこの女は、こんな真似ができるのか。

 その手に持ったロックピックは、一体何のつもりなのか。


「これは、少々乱暴に鍵を開けるための道具ですよ」

「ああ、わかってるんだな……耳かきだなんて言われた時には、どうしようかと……」

「これがどうかしましたか」


 ミスイが手を振って、ロックピックが宙を舞う。

 か細い金属棒は私の足元に落ちて、数回跳ねて静かになった。


「私は、鍵を掛けるのが癖なんですよ」


 足元に気を取られていた私に、ミスイは更にもう一本のロックピックを取り出して、放り投げる。

 甲高い音を立てながら、またロックピックが床に跳ねた。


「寮には、鍵を三つかけています。金庫にもかけています。自分の日記帳にも、小さな鍵がついています」


 ミスイは懐から次々にロックピックを取り出して、それを一本一本、力なく放り投げて、私達の足元に落としてゆく。

 不気味な静けさのある部屋で、ロックピックが落ちて跳ねる音だけが、やけに煩わしく、わざとらしく響き続けた。


「それだけに、一つでも鍵を無くしてしまうと、困りものです。職人が仕上げるまでは、こんな道具に頼らなければなりません」


 投げようとしたロックピックを持つ手が、すんでのところで止まった。


「はあ」


 ミスイが講義室の天井を見上げ、大きな息を吐く。


「鍵を無理やり抉じ開ける魔術でもあれば、便利なのに」


 私はその言葉を聞いて、一瞬のうちに理性を失った。

 手の中に小石を生み出したのは、全くの無意識。

 それを思い切り握りしめ、振りかぶったのも、無意識である。


 ただ、ああ、こいつは一発やらなければならないんだろうなと思った。

 罪と罰の釣り合いなど、頭に浮かぶ前のこと。正面で薄目を開いた女への殺意が、私を愚直に突き動かしたのだ。


 殺してやる。お前は魔族だ。

 さっさと死ね。死んで、黙るべきだ。


「おら」


 私は全力で、手に取った石をミスイへと投げ放った。


『落ち着け、ロッカ』


 けど、石は短い距離を半分も進むことは無かった。

 真横に突き出されたライカンの腕が、その拳が、私の投げた石を止め、砕いてしまったのである。


 石が空中で炸裂する音に、講義室内の属性科学徒達は一瞬、竦み上がったようだった。


「野蛮」


 当のミスイは、ぴくりともしなかったが。


『ミスイ=ススガレだな。俺は特異科のライカン=ポールウッドという。ここに転がっている金属棒について訊きたいことがあるのだが、良いだろうか』

「はあ、別にいいですが」

『うむ、ありがとう』


 ライカンは手を横に伸ばし、私を制したまま言葉を続ける。


『このロックピックには、見覚えがあってな。実は数日前にも、第五棟の入り口に落ちていたのだが』

「そうですか」

『覚えはあるか』

「ないですね」


 ないですねじゃねーだろぶっ殺すぞ、と私が叫ぶ前に、後ろからヒューゴに肩を掴まれ、動けなかった。


『そうか。では、今日の昼間、このロックピックと全く同じものを故意に地面に置こうとした者がいたのだが……』


 ライカンの眼光ランプが輝くと、その明かりに怯えるように、一人の女子学徒が肩を震わせた。

 ミスイの後ろにいるそいつこそ、今日の昼間、私とナタリーが締めあげた実行犯である。


『それについては?』

「さあ……私は、この道具が沢山余っていたので、それを友人に譲っただけですから」


 再び、ミスイの目が細められた。


「よろしければ、特異科の皆さんにもお譲りしましょうか?」

「ロッカ、やめるんだ。あとライカン、君もだ。らしくないぞ」


 私が何かをする前に、まずヒューゴが止めに入った。

 動く素振りも見せなかったライカンにまで声をかけたのは、ヒューゴの直感か、経験によるものなのか。


『ふむ、すまんな。少々らしさを欠いていた』


 ヒューゴに謝るライカンを見るに、きっと彼も、内心で相当怒っていたのだろう。


『よし、では質問を変えようか』

「手短にお願いしますね」

『おう、いいぞ。ならば答えてもらおう。数日前、特異科講義室の黒板にデカデカと落書きがされてあったのだが、それについて心当たりはあるか?』

「ああ、以前に導師が仰っていましたね。そういうことがあったのだと……」


 白々しい態度しやがって。

 お前らがやったってのはわかってるんだよ。


「心当たりはありませんね」


 畜生が。

 しらばっくれてんじゃねえ。


「お前、あたしたちのことをバカにしてんだろ。頭吹っ飛ばすぞ、コラァ」


 ボウマも牙を剥いて威嚇し、いよいよ私達の怒りも、ヒューゴ一人では抑えられなくなってきた。

 特に今のボウマの言葉は、きっと比喩じゃない。ボウマは、私も同じようなものだけど、人並みのタガが外れている。

 ボウマの言う吹っ飛ばすとは、つまりそのまま、ミスイの頭を吹っ飛ばすということなのだ。


「おいボウマ、堪えろ。今までの努力はどうしたんだ」

「うっせー知るか、ズタズタにしてソーニャの前に突き出して、土下座させてやらぁ」

「へえ、怖い……」


 ああ、もう。駄目だ。我慢ならねえ。

 この女、最初に会った時のクライン以上に腹が立つ。

 あいつは天然のもんだからまだ諦めもつく。けど、こいつは全てが故意によるもので、罪を認めようともしていない。


 ボウマ、悪いがそっちでズタボロにする前に、私の方でボコボコにさせてもらうぞ。

 ソーニャを悲しませまいと穏便に事の解決を図ろうかと思っていたが、急遽予定変更だ。


 こいつは許さねえ。

 例え大監獄(コケージ)にぶち込まれようとも、私が直々に鉄槌を下してやる。

 

「私には、何故そこまで暴れたがるのか、わかりませんが……それほど荒事が好きなのでしたら、闘技演習場でお相手になりましょうか」


 ミスイは口だけで薄く微笑み、気味の悪い表情を作ってみせた。


「そこならいくら相手を傷つけても罪にはなりませんし、負かせば地位を貶める事だってできます」

「良い度胸だ」

「ロッカ、罠だぞ。ミスイには勝てない。やめるんだ」


 闘技演習場を使った戦い。つまり、決闘だ。

 文字通りのルール無用の殴り合いをするのも悪くはないが、それだとソーニャが悲しむし、私の今後にも大きく関わる。

 魔術しか使えないのは大きな欠点だが、衆目の中で合法的に相手をぶん殴ってやれる場所は、この国では貴重だ。

 誘われている。わかっていながらも、私は相手の用意した土俵に強く惹かれた。


「あれ、ススガレさん、ウィルコークスさんとも闘技演習を行うの?」


 好戦的な私の勇み足を踏み留まらせたのは、きょとんとした顔のルウナの問いかけであった。


「私……とも? って?」


 視界の隅で、ミスイが露骨に苦虫を噛んだような顔をした。

 “余計なことを”。口が声なく、そう動いた気がする。


「いえ、言ったことそのままよ。ススガレさんは、さっき入ってきたナタリーからの挑戦を、受けてたみたいだから」

「ナタリーの……」

「ええ。突然やってきて、いきなりススガレさんに決闘を申し込んだの。相変わらずとても失礼な態度だったわ」


 そうか。さっきこの部屋から出てきたナタリーは、ミスイに闘技演習の話を持ちかけていたんだ。

 そんなことがあったから、入る前から室内がピリピリしていたのだろう。


「ロッカ、そういう事だ。先客がいるなら、急ぐことはないだろう」


 ヒューゴの手が、今までで一番強く私の肩を掴み、彼の正面に無理矢理振り向かせた。

 年相応のそこそこの腕力に私は一瞬戸惑ったが、怒りに熱くたぎった血液は、まだ冷めていない。


「私は別に構いませんよ。同じ日に演習を組んでいただいても、こちらは欠片も支障はありません」


 ミスイは、口だけで笑っている。

 あからさまに私を挑発し、戦いの場に引きずり出そうとしている。


 見え見えの罠に引っかかるんじゃない。

 そうヒューゴは何度も私に自制を求めるし、私自身の頭も警鐘を鳴らしている。

 暴走するのは、感情だけだ。

 売られた喧嘩を買ってやるという想いだけが、私の首を縦に振らせようとする。


「駄目よ、ススガレさん」


 今にも私が“上等だ”と啖呵を切ろうとした時、ミスイを呼び止めたのは、またしてもルウナだった。

 予想外の人物の予想外の介入に、講義室中の学徒がルウナに注目する。

 当のミスイはというと、ルウナに対してものすごく面倒くさそうな目を向けていた。


「ナタリーとの戦いは、きっと激戦になる。そのために今はまだ他の試合のことは考えず、身体と精神を温存しておくべきだと思うの」

「……サナドルさん、私は別に」

「いいえ、油断はいけない。誉めたくないけど、あの女はとても強いもの。私は、ススガレさんにそんな冒険をしてほしくないわ」


 講義室中の学徒の誰もが、今の状況を把握している。

 それは、冷や汗の浮かんだ顔を見れば明らかだ。


 ロックピックの事や、落書きの事。彼ら個人が、それらをどこまで知っているかはわからない。

 しかし、ミスイが何かよからぬことをして、私達と対峙しているのだと、そのくらいは感づいているはずである。

 そして、ミスイという強力な存在に対して、口を挟めない。ミスイが威圧的に振る舞う今、彼らは誰もが窮屈な想いをしているはずなのだ。


 けど、ルウナは何の窮屈さも、居心地の悪さも感じていない。

 というか、気付いていない。

 この中で彼女だけが、空気を読めていないのだ。

 すぐ後ろのリタなどは、ものすごく焦った顔で、ミスイとルウナを交互に見ているというのに。


「ルウナの言う通りだよ」

「つっ」


 いよいよヒューゴが、私の肩に力を入れてきた。

 暴力なんてちっとも柄じゃない彼の、最大で最後の忠告である。

 私は彼にそんな真似をさせて、ようやく自らの愚直さに目が覚めた。


「……ミスイ」

「なんでしょう」


 企みが瓦解したのを悟ったのか、彼女の表情は面白くなさそうだ。

 今の落ち着いた心ならば、そんな顔に“ざまあみろ”と思っていられる。


「私は、絶対に許さないからな」

「はあ、そうですか」


 乗り気でなくなった途端に、少しの感情も込めない生返事だ。

 つくづくふざけた女である。けど、これ以上奴に構うのは、時間の無駄に違いない。


『では、失礼する。邪魔をしたな』

「僕たちはこれで。ほら、ボウマもいくぞ」

「がるるるるる……」

「野生かっての」

「君も変わらなかったぞ、全く」


 属性科水専攻の学徒達の緊張したまなざしを受けながら、私達は堂々とその場を後にする。

 廊下に出れば、不思議と室内よりも生ぬるいような、しかし不快ではない空気が、私達を迎えてくれた。


『おお、そうだ』

「ん?」


 私の後ろにいたライカンが、何か思い出したように、講義室に体を突き出した。


『ほれ、忘れ物だぞ』


 彼は何かを投げるような素振りを見せて、すぐに私達と一緒に廊下へ出る。


「どしたん、ライカン。忘れ物て?」

『いや、ちょっとな』


 こうして、属性科水属性専攻講義室への押し掛け騒動は、ひとまず収束した。

 しかし、何かが解決したわけではない。

 後に残った問題は未だに多く、新たな波乱の予感も増えてしまった。


 ミスイに戦いを挑んだという、ナタリー。

 彼女の思惑を、新たに訊ねる必要がありそうだ。




「……不快な連中」


 私達が去った講義室の中。

 預かり知らぬ所で、ミスイは奥歯を噛み締めていた。


 彼女の正面には、高い氷の壁がそびえ立っている。

 幅は人二人分以上はあり、高さは天井にまで達するほどの、立派な氷壁だ。


 その氷壁が、つい先ほどライカンが投げ放った“ロックピックの塊”を受け止め、全体にヒビを走らせている。

 投げつけられた塊自体には、それほどの威力はない。

 それを咄嗟に防御するだけの氷壁を作るためには、壁自体の強度を犠牲にする他なかったのだ。


 ミスイは、目の前で崩れゆく壁が不愉快でならなかった。

 講義室にいる他の誰にも真似のできない防御魔術ではある。

 しかしそこに生まれた亀裂は、魔術においての完璧主義者であるミスイの自尊心を、大きく傷つけるものだった。


「投げるなんて、危ないわね、ポールウッドさん」


 訪れるであろう波乱が複数あることに気付いていないのは、ルウナだけである。






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