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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 聳える氷壁
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櫃019 立ち向かう勇者

 鐘の音とほとんど同時に講義室に、息を切らせた女子学徒が入ってきた。

 慌ただしいその様子に、水専攻の学徒らは一瞬気を取られたものの、慌ただしくするだけの理由がある時間だったので、長く目を留めることはなかった。


「それでね、その小説の作者、冒頭の詩は全部自画自賛だったの。私、それを見てもう、思わず笑っちゃってね」

「ふふ、ルウナさん、そんな本も読まれるんですね」


 まばたきする程のわずかな沈黙を挟んで、再び談笑の空気で講義室が満たされた。

 成績競争の特に激しい属性科の中であっても、属性専攻講義となれば講義室内に多少の仲間意識も芽生えるのだろうか。

 多属性の派閥を交えた普段の講義とは違った温和な雰囲気に、百分にも及ぶ講義を前にして、彼らはおよそ最大弛緩に近い心持ちでいる。


 そう、慌ただしく入ってきた、彼女一人を除いては。


「……ふう」


 彼女の心臓は、講義室に入って着席してもなお、高鳴っていた。

 それは、棟の階段を一階からずっと走り通してきたから、という一つの理由に留まるものではない。


 鼓動は一向に穏やかさを見せる気配はなく、それは入り口から導師が入ってくるまでの間、ずっと続いていた。


「えー、それでは。今日も水属性術への理解を深めて参りましょう。皆様、ペンを手に取って、講義に参加されますように」


 そして冷静さを取り戻すと同時に、彼女は更なる別の恐怖を背中に感じていた。

 誰も座らない机を三つ挟んだ最後列の、陶器人形のような不気味さを持った、少女の動かぬ眼差しに。そこから発せられる、目に見えぬ冷気に。




 水属性専攻のある女子学徒が心臓を鷲掴みにされる思いで受けていた三限目の講義を、鉄属性専攻のナタリー=ベラドネスはいつも通りの面持ちで過ごしていた。

 しかし、真面目に聞いているわけではない。

 ナタリーには、頭の中に収まっている鉄属性術の講義内容を、今更復習する必要などないのだ。

 初心に戻る、という言葉がこの時代にも同様にあるにせよ、反復して定着させるような段階も、今は遥か前のこと。

 対棄散式を研究する学者が、いちいち加線式を学び直すことはないのである。


 今のナタリーの脳内には、ひとつの理学式も浮かんでいない。

 彼女が思い浮かべるのは、彼女の故郷、鉄城都市メインヘイムの雄大な姿だけであった。




 鉄の王、オーディン=ロッドヘイムが支配する鉄の国は、豊富な金属資源と、金属加工品によって成り立っている。

 それは、柱から城壁に至るまで、総金属で造られたロッドヘイム城の力強い立ち姿を見れば、容易に想像できることでもあるだろう。


 悪しき魔族との戦いがひとまずの収束に向かい、国同士の争いも隠五国によって終わりを迎えた。

 優れた武術と鍛冶を誇りとする鉄の国は、その産業の意義のいくつかを失ったが、それでも世に蔓延る魔族や、悪しき者の暴力から、自らを守れなければならない。

 そこで、手に余る力と武器は、向きと性格を変えて、国に残り続けたのである。


 それが、現在のメインヘイムの騎士団。

 男ならば、女であっても、誰でも一度は憧れる、国の守り人。正義の行使者。強き者の証。

 鉄城都市メインヘイムで生を受けたナタリー=ベラドネスもまた、騎士団を夢見る子供の一人であった。


 鉄の国の騎士団は、大きく分けて三つ存在する。


 気術、身体強化を用いて魔剣を握り、鎧を着こみ、国を害する者を素早く斬り伏せる、騎士団でも一番の花型、剣兵(けんぺい)騎士団。


 全機人のみが配属でき、鎧のような機体を与えられ、生身では困難な任務に従事する、機人ならばだれでも夢見るであろう、鎧戦(がいせん)騎士団。


 そして、強力な鉄魔術を扱える者のみが配属でき、かつ剣の才もなければ入隊を認められない狭き門、魔杖(まじょう)騎士団。


 かつてナタリー=ベラドネスが目指していたのは、剣術と身体強化が全ての世界、剣兵騎士団。

 幼少の剣術ごっこから形を変えて続けられてきた研鑽は、入隊可能年齢になるまでに相当の練度として積み重なり、それは大の大人ですら負かす程にまで、磨き上げられていた。

 それは、彼女の揺るぎなき強さであり、誇りでもある。

 入隊試験の当日の日も、ナタリーは同じ横並びに立つ筋肉質な男達を見ても、ほんの少しだって負ける気はしなかった。

 幼い頃より共に“訓練”を続けてきたロビナや、レドリアや、ジキルはまたその物々しい雰囲気の試験当日には怯えていたかもしれないが、少なくともナタリー=ベラドネス彼女だけは、絶対の自信を持って臨んでいたのである。


 “お前と、お前と、お前”。


 横並びに立たされた候補生の中で、ナタリーが騎士団から個人的に声をかけられたのは、全二十人中三人目の最後、三番目の“お前”が最初であった。


 “失格だ、今すぐに帰れ。お前たちにはそれ以上の立端(タッパ)は望めん”。


 ナタリーは、得意の槍の腕前を披露することなく、剣すら振らせてもらうこともなかった。

 ただ一言、母ゆずりの身長それだけで、夢が潰えてしまったのである。

 その時の彼女の表情は、すぐ隣に立つジキルだけが見ていたという。


 彼女が自分のベッドと閉じ篭もった部屋から出たのは、それから二日後の事になる。

 その日こそが、ナタリーが魔杖(まじょう)騎士団を志し始めた最初の日。

 ナタリーが、元々僅かに扱えた鉄魔術の勉強に没頭する、最初の日だった。




 三限の終わり、四限前の休み時間。

 第二棟の廊下を、ナタリーが取り巻きも連れずに歩いている。


 彼女は右手にメイスを持ち、左手は首から下げたペンダントを握っていた。

 それは出来の悪い、鉄の国の騎士団のペンダントのレプリカだ。

 紋章は所々実際の物と異なっているし、形は粗く、色もくすんでいる。

 しかし、それはナタリーにとって掛け替えのない代物であり、退屈な講義よりもよほど立ち返るべき価値のある、大事な大事な原点でもあった。


 鉄の騎士よ、弱きを助け、強きに立ち向かえ。

 鉄の騎士よ、善きを助け、悪しきに立ち向かえ。

 鉄の騎士よ、当たり前の事と、その心を忘れるな。




 講義が終わってから、まだ多くの学徒が荷物をまとめていないようなその時、水属性専攻の講義室の扉が、勢い良く開け放たれた。


「うっす」


 そこにいたのは、背の低い一人の女だ。

 ショートブーツの高めの踵で背をごまかし、華奢な身体を豪奢なコルセットドレスの印象強さに隠した、一人の女だった。


「ミスイちゃん、ちょっとさあ」


 それでも、少しでも彼女を知る者ならば、この突然の訪問に戦慄を覚えずにはいられない。口を閉ざし、顔を強張らせずにはいられない。

 彼女を知っているからわかる。一度でも戦っているから、分かるのだ。


「発表会前に、アタシの星になってくれよ」


 ナタリー=ベラドネスとは関わるな。ナタリー=ベラドネスとは闘うな。

 でなければ、あの人や、あの人のように、酷い目に合わされるから。


「……それはつまり……私と闘う、ということなのでしょうか……」

「ああ、そゆこと。さすが天才、本物の神童は理解力もあって良いわねん」

「はあ……」


 冷酷なあいつに立ち向かえるとしたら、歯向かえるとしたら、きっとそれは……。


「まぁ、貴女が良ければ、構わないんですけど……」


 冷酷よりも恐ろしい、冷徹な人間だけだ。



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