櫃018 掴み上げる容疑者
結果、何もわからなかった。
今度は貴族について、図書室で二日探し続けた。けど、誇張でなく、何一つ収穫が無かったのだ。
冷静に考えてみれば、どの貴族が何を持ってるかなんて、そんな重要な事が本に書かれているはずもない。
貴族の名鑑らしきものはあったのだが、そこから分かることはそれぞれの領地と系譜くらいのもので、しかもそれは、極々断片的なものでしかなく、水の国全ての元貴族を網羅しているという本でもなかった。
つまり、徒労だ。
私が独自に調べ物や勉強をしようとなると、毎度のことだが、ろくな結果に終わらない。
「……腹減ったなぁ」
そして、頭を使いすぎてお腹が空いた。
昼も良い時間だし、街の外に出て、目ぼしい屋台でも物色しようかな。
メルゲコの石鹸も手に入ったし、お金に余裕はある。
最近は肉ばかりな気がするので、今日は何か、野菜多めのサンドを探して食べるとしよう。
探しものに収穫はなかったが、私は心機一転そう決めて、図書室を出たのであった。
結構気易く、外に出たつもりだった。
いつものように買い食いして、のんびりして、やることを思い出したら、学園に戻って。
そんな感じで、ひとまず市場に出ようと思っていたのだ。
「とぼけてんじゃねえぞテメェ!」
けど学園の庭に出た直後で、歩みを止めざるを得ないような怒号が聞こえてしまった。
ガラの悪そうな女の、声だけでわかるような、品のない声だ。
こんな特徴的な声の持ち主を、私は知っている。
「……何があったんだ」
私は嫌な予感を覚え、ナタリーの怒号が上がった方向へと走りだした。
「わ、私は何も……していないですっ……」
私が見たものは、庭園の小川に掛かる石橋の上で揉める、二人の女の姿だった。
「なーにーもー? してないですってぇー? ふぅぅうーん?」
しかし揉めるといっても、それは一方的なものだ。
声を荒らげるナタリーが、もう一人の彩佳系の女学徒の肩を掴み、睨んでいる場面である。
傍から見ても、そうでなくとも、今私の目の前に繰り広げられている暴力は、一方的なものに違いなかった。
「なにもしてねーわきゃねーだろこのクソビッチが! あぁあッ!?」
「ひっ……!」
「おいおいおい!」
さすがに言い寄られている方の子に泣きが入りかけていたので、私はそこに割り込んだ。
「ぁあ? なんだテメ……テメェかよ」
「なんだじゃないだろ、何してんだよ」
「見りゃわかんだろアホ!」
いやだから、どうみても恫喝しているように見えたから私が止めに入ってるんだけど。
こうして私が見られるのもなんとなく嫌だったので、辺りを見回してみるが、幸いなことに、近くに人はいないようだった。
学園の昼休みが、そろそろ終わりそうな頃合いだったのが幸いしたらしい。
けど同時に、そろそろ講義に戻らなければならないような時間に二人が何をしていたのかが、私の疑問として浮上した。
「ぼ、暴力に訴えるなんて最低だわ……!」
哀れ、ナタリーの気迫にやられて半泣きになった女子学徒は、肩を震わせながら、弱々しい抗議の目線を向けている。
整った艶のある藍色の髪に、膝下まで隠した長いローブ。魔道士らしい魔道士の姿で、これといった特徴はないし、何かをしでかすようにも見えない。
「おいおい、アタシは暴力なんてしてるつもりはないんですけどねぇー?」
対してナタリーといえば、スレた女のそのままだ。
黒いコルセットドレスに、トゲ付きの鉄メイス。
仮にナタリーが彼女に迫っていないとしても、二人の組み合わせを見ただけで緊張感を覚えるくらいには、二人の間では印象に開きがあった。
「ナタリー、やめろって。なんでこんな事してるんだよ。もしまた変な事しようってんなら、私が相手になるぞ」
「ぁあ?」
ナタリーとは、多分和解した。
言葉の上で何かしたわけではないけれど、仲直り、みたいなことも、したはずである。
けど、もし彼女がまた人をコケにしたり、貶したり、脅したりしそうってんなら、私はそれを許すわけにはいかない。
私はこの彩佳系の女に借りがあるわけでも、面識があるわけでもないけれど、ナタリーのそんな行動を、黙って見過ごせはしないのだ。
「おいおい勘弁してよ……ロッカちゃんさぁ、アタシが理由なくこうして雑魚女に絡んでるとでも思ってんの?」
「え? 違うの?」
「ちげーよ馬鹿」
ナタリーは呆れた顔で、私の目の前に一本の何かを突きつけてきた。
最初、ナタリーの印象から鋭い刃物か何かだと思った私は、思わず一歩退いたが、その特徴的な先端部を見て、すぐさま前への一歩を踏み直した。
針金のように細長い、カギ状の金属棒。
「ロックピックだ。アタシは、この女が橋の上にこいつをわざとらしく置いてるところを見つけたのさ」
「そ、それはっ……」
女学徒が何か狼狽えていたが、そんなことはもはや、どうでも良かった。
私の体内で一瞬で燃え上がった血液は、全て頭へと駆け巡ってしまったから。
「どういうことだてめぇコラ!」
「きゃっ!?」
「おい?」
私は右腕で彩佳系の女学徒の胸ぐらを掴み、高く持ち上げた。
首を圧迫するきつい掴み上げに、女の脚は石橋を離れ、ぶらぶらと宙に揺れている。
「あれを、わざと落としたってのは、どういう事だよ。オイ」
「そ、れ……は……」
何かモゴモゴ言ってるが、全く聞き取れない。
はいかいいえか、首を縦に振るか横に振るか、答えようはいくらでもあるだろうが。
ロックピック。それは、第五棟の入り口近くでも落ちていたという、ソーニャへの侮辱を込めた暗号だ。
それを故意にやるってことは、そういうことだ。この女は、腐ったドマグレ野郎ってことだ。
ああ、こいつか。こいつが犯人か。
なら、躊躇する必要もないかもしれないな。
もはや問答無用で、気持ち悪い魚の泳ぐこの小川に、勢い良く突き落としてやるのが一番だろうか。
「おい」
私が本気で女を川に投げ捨てようかと思ったその時、後ろからナタリーの手が、私の肩に触れた。
「退学したけりゃ良いけどさぁ?」
「……」
退学……。
暴力……そうか、こういうことしたら、退学になっちゃうんだっけ。
それはちょっと……困る。
「げほっ、けほ、げほっ……! っ……!」
私は女を掴む手を石橋の上で緩め、彼女を解放してやった。
ずっと首もとを絞めて掲げていたせいか、女は演技ではない苦しげな咳を続けている。
だけど、もちろん私は、こいつを許したわけではないし、弱々しい姿を見せたからといって、許すつもりもない。
「おい」
「ひっ……!」
私がしゃがみ込む女に声をかけると、女はナタリーに対して以上に怯えたような目で、私を見上げた。
「答えてもらうぞ。何故、こんなことをしたのかをな」
私の後ろでは、ナタリーがわざとらしくキヒヒと笑っている。
ナタリーに詰め寄られた時以上に怯えた様子の女学徒は、まるで助けでも求めるように辺りを見回した。
縋るような、弱々しい目。しかし近くには誰もいない。
そろそろ昼も終わり、三限の鐘がなろうというのだ。新たにどこからか現れるということもないだろう。
「観念しな。さっさと言うんだ」
「うっ……」
「このロックピックが、ソーニャへの侮辱を込めた物だってのはわかってる。下手な言い逃れはやめてくれよ。私は口より先に手が出るからな。まだ退学したくないんだ」
“経緯はどうあれ、お互いね”。私はそう付け加え、右手の指を強く弾いて鳴らし、飛び散った火花を女の頬にぶつけた。
その脅しで観念したのか、女は恐怖と抵抗に強張らせていた顔を緩め、悲しそうな表情に変わった。
「わ、わかった……話すから……だから殴るのだけは、お願い、やめて……」
殴りはしない。殴ったら退学になるからね。
それに拷問なんて趣味じゃない。そうまでして、私は人から情報が欲しいとは思わない。
ただ、私がどうしようもなく怒った時は、別の話だ。もしかしたらその時には、手が出るかもしれない。
その時はきっと、話を聞き出したくて暴力を振るうんじゃない。純粋にアンタを殴りたくて、殴るだろうな。
そんな意志を込めた私の眼光を見て、女は唾を飲み込んだ後、ゆっくりと喋り始めた。
「私は、本当なら、こんなことしたくなかった。こんな、危ないこと……本当よ!」
名も知らない女は、目にいっぱいの涙を浮かべ、そう主張する。
けど、やったことには違いない。その瞬間は、ナタリーもしっかり見届けていた。
「じゃあどうしてやったの」
「それは……私の意志じゃないの。私はただ、このピックを渡すように言われただけで」
「なら、誰の意志だ」
罪人は言い訳をするものだ。
他人がやった。やるように言われた。知らなかった。情けない申開きの常套句ってやつである。
ここで同じような言葉を使って泣き喚くような輩は、泣きついて有耶無耶にしようとする下衆野郎と相場が決っている。
「適当な事を言うなよ。慎重に、手早く言え。ナタリーも次の講義があるんだ時間が惜しい」
「れ、冷徹ッ!」
「れい……?」
ほとんど金切り声のような声で、女は短くそう叫んだ。
言ってから、女の顔が急激に青ざめる。汗が引き、手が震え、歯はガチガチと音を鳴らした。まるで、咄嗟に口から飛び出した暴言を後悔するかのように。
「わ、私は言っていないわ……名前、私は言っていないから!」
「あ、おい待て!」
女の豹変ぶりに驚き、動きが鈍った私の手は、逃げ出す彼女を捉えきれず、空を切る。
名前も聞けなかった彩佳系の女は、そのまま学園の棟に姿を消してしまった。
「チッ、逃げやがった。けど、顔は覚えたぞ」
時間も時間だ。今更後を追っても、三限の講義で私のほうが突っぱねられてしまうだろう。
しかしこういうのは、時間を開けないのが肝心だ。相手が不安と恐怖に苛まれている今日のうちに、マトモな情報を吐かせてやるのが一番だ。
「もう必要ないっしょ、ンなもん」
「え?」
私の後ろで、ナタリーがおどける風もなく、そう呟いた。
珍しい真面目そうな声を出すもんだと私が振り向くと、なんと、彼女の顔も笑っていない。
神妙な顔つきで、ナタリーは学園の棟を見上げている。
「聞いてただろ、ロッカ。あのビビリ女が滑らせた、“冷徹”って言葉をよ」
「それって、私に対して……あ」
そうか。
あの言葉は、私に対する暴言ではない。
……そうか、そういう意味か。
私は、ナタリーと共に学園の棟を見上げた。
棟の六階辺りでは、大きな窓の一つが、一面真っ白に曇っているのが見える。
隣のナタリーもそこを睨んでいるだろうというのは、すぐにわかった。
曇った窓の向こう側に、薄ぼんやりと、人影が映っていたから。
「この学園で、“冷徹”なんて呼ばれる奴は一人だけさ。奴自身は、そんな二つ名で呼ばれていても、意に介しやしねえ」
曇った窓に、手が貼り付く。
血の気が薄く、真っ白な、不気味な手。それはゆっくりと真横に動き、窓にかかった薄ぼんやりとした靄を、拭い、取り払ってゆく。
「覚えておけよ、ロッカちゃん。あの死んだ魚みてぇな目をしてる奴が、きっと全ての元凶だぜ」
曇った窓を拭いた、僅かに伺える向こう側に、女の顔が映っている。
真っ白な肌、光のない目、海の底のような濃紺色の髪。
奴は、踏み潰したゴキブリを見るような目で、私達を眺め、見下ろしていた。
ミスイだ。冷徹の、ミスイ。
ミスイ=ススガレ。
属性科の、天才とか言われている奴。
いい家の、元貴族。
クラインの元許嫁。
いや、私の中ではそんなこと、どうだって良い。
「野郎、ぶっ飛ばしてやる」
そうか、お前だったのか。何日もずっとソーニャに嫌がらせを続けていた、カビみてえに陰湿な畜生野郎っていうのは。
どうやってかしらないが、人まで使うとは。自分の手は汚さずに、他人を思う存分汚そうっていう腹積りか。
なるほどな、合点がいったよ。ロビナの言ってた、彩佳系の奴らの動きがおかしいってのは、全部お前のせいだったわけか。
彩佳系には多いもんな、水の国の人間がよ。それに、水の国の出身らしい、水の属性術の使い手も、割合と大勢いるよな。
そんな奴らを束ねられるとしたら、家柄も良くて、水属性術の天才なんて呼ばれる、お前のような奴くらいしかいないかもしれねえな。
けど、偉い? 優秀?
そんなもん、知るか。私がそんなもん、知った事か。
許すかよ。許すわけがねえ。
お前がどれほど学園の中で偉かろうが、強かろうが、お前のやった下衆な行いを見ないふりして許せるほど、私は無関係な所に立っちゃいねえんだよ。
「おーい」
ミスイがやったという証拠は、出ないかもしれない。
口を滑らせたあの女の様子からして、これ以上は誰も口を割らないかもしれない。
頭の良い奴の考える陰湿な計画だ。そこに隙なんて、見つからないかもしれない。
けど、私はだからと言って……。
「時間ねーんだから聞けよボケ」
「あだっ!?」
頭に血が登りすぎて沸騰しかけたところで、私の尻を強烈な痛みが襲った。
ナタリーの金属製メイスの、柄による一撃だ。
今の光景が、窓の所のミスイに見られていないか、私は咄嗟に上を見たが、白く曇った窓ガラスのそこには、もう誰の人影も映っていない。
良かった。見られていない。
……けど、鉄で殴られたのだ。鈍い痛みは後を引き、ジンジンしてくる。
「……いてえだろ!」
「バカ。自分の世界に入ってんじゃねえよ。そのまま階段駆け上がって、ミスイを見つけたらぶん殴るつもりだったか?」
「それは……そんなわけないだろ」
「しそうな顔、してたぜ。あの頭のかてぇルウナちゃんそっくりだったもんよ」
図星、かもしれない。
そのまま、あの階まで上り詰めて、怒りをピークにしたままかはわからないが、今の調子で学園の中に飛び込もうとしたのは、多分事実だ。
でも、ルウナを引き合いに出すなよ。
私はそういった抗議の目を向けたが、ナタリーはやれやれといった具合に、半笑いだった。
「やーれやれ。人がせっかく、昼休みのギリギリまで見張って、決定的瞬間を捉えたのにさぁ。その努力をフイにされちゃあたまんねーぜ……」
「え? 見張ってるって、ナタリーがずっと?」
「……」
「それって、ソーニャのため……ってぇ!?」
なんでまた殴るんだよ! やめろよ!
お前だって私と同じで、退学になってもおかしくないような人間だろうが!
「とにかく、落ち着け。まぁ、アタシは薄々あいつだろうとは、思ってたけどな。これで首謀者はわかったんだ、今はそう焦らないで、少し待てよ」
「待てって……!」
「わかるだろ。まだアタシ達はな、テメェら特異科とは違って講義が残ってンだよ。時間が中途半端すぎる」
「ん……」
まぁ、そうだろうけど。
「それに、何か事を起こすにしたってよ。テメェ一人でどうにかなる問題なのか? 準備もなしに、何かドンパチでもやろうってのか?」
「それは……」
「だからバカなんだよ」
「馬鹿とか言うな」
ナタリーは、完全に私を馬鹿にするような顔で、イヒヒと笑っていた。
「とにかく、今日はやめておけ。何かやるにしたって、明日にしろ」
「……うん、わかった」
小馬鹿にするような言い方や顔は気に障るけど、彼女の言うことは最もだ。
私が一人で動くと、大体はろくなことにならない。それは今日だって、学んだばかりのことである。
「チッ、時間もギリギリだな……じゃ、あばよ。アタシは次の講義があるんだ。さっさと行かせてもらうわよん」
ナタリーはそう言い残して、メイスを肩に預けて駈け出した。
講義に遅刻するのを気にするような人間にも思えないけど、急いでいる様子に嘘は無さそうだ。
意外と、律儀で真面目な部分があるのかもしれない。
「ナタリー!」
「ぁあ?」
私は去りゆくチビな姿に声をかけた。
「ありがとう!」
「……死ねよ!」
なんだよ、それ。
私は思わず噴き出した。