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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 聳える氷壁
171/545

櫃015 暴発する火薬石

 黒板の落書き。

 遠回しで陰湿なメッセージ(ロックピック)

 そして普段は、通り過ぎる度に陰口だ。


 もしも私が今のソーニャの立場だったら、そんな奴らを片っ端から胸ぐらを掴みあげてブンブン振り回して、一日毎に十人くらいはダウンさせていることだろう。

 それと比べて、ソーニャはよく堪えるというか、解っている。

 こういったイジメや嫌がらせは、無視に限るのだ。問題の解決や、相手の退屈を待つ。導師さんなどに報告だけして、あとは黙って放置。それが一番の解決方法だと、ソーニャは理解できている。

 いや、もしかしたら、私以外の全ての人ができることなのかもしれない。

 唯一私だけが我慢ならず、クラス全員分の怒りを足しても足りないくらい、一人で幼稚に憤慨しているのだ。


 嫌がらせの犯人を喜ばせないためにも、何より事を荒立てないためにも、私はクラスのみんなのように冷静に、足並みを揃えなくてはいけない。

 私が私の事で怒るのは勝手だろうけど、人のためにと逆に迷惑をかけるのは、最悪だ。




「じゃあ、私これから駐在所に行かないとだから」


 ソーニャはこれから、また聴取があるらしい。

 今日も、何度も繰り返した当時の状況説明など、色々聞かれるのだろう。

 しかしソーニャはちょっと買い物にでも行くような、何の憂いも無い顔で、小さな鞄をまとめ、支度している。

 何も思っていないはずは、無いのに。


「ソーニャ、なら私も一緒に……」

「え、いいわよ。私一人が対象の聴取なんだから」


 彼女が少しでも寂しくならないように。そう思って声をかけたが、当然とばかりにソーニャは払いのける。


「……なら、駐在所まで」

「あのね」


 私が食い下がると、ソーニャは呆れたようにため息をついた。


「まぁ、気遣ってくれるのは嬉しいけどさ。そんなに四六時中いられると、さすがに私も息苦しいわよ」

「うっ……」

「だから、悪い気はしてないって。ありがとう、ロッカ」


 ソーニャのか細い手が、私の肩を優しく叩く。


「ロッカはロッカで、他にやることがあるでしょ」

「他って……そんなの」

「数学とか」

「うっ」

「そもそも基礎理学とか」

「うぐっ」

「ところで魔術投擲はもう出来るようになったんだっけ?」

「うぐあっ」


 今のが一番効いた。

 ああ、そうですよ。未だに魔術投擲はさっぱりですとも。


「私と一緒に時間を無駄にしてたら、せっかくの学園生活。もったいないでしょ?」

「……う、まぁ……」

「ロッカの時間は、ロッカで大事に。いいわね」

「……うん」


 そんな風に正面から言いくるめられ、私は厩舎に繋げられたコビンのように、置いてきぼりにされてしまった。

 別れるソーニャの後ろ姿には、陰りがない。

 彼女の言う通り、わざわざ私が追いかける理由なんて、これっぽっちも有りはしなかったのである。


「うん、今のはソーニャが正しいよ」

「まぁ、ね」


 肩越しに、ヒューゴからもダメ押しされた。

 わかってるって。今回の騒動は、行動に移しすぎても駄目なんだろう。

 暴力的にも、過保護にもならないように気をつけるさ。


「魔術の勉強と特訓、課題は沢山あるもんな?」

「ほっとけ」


 そっちのほうだって、痛いくらいわかってるっつーの。




 と、まぁ、ソーニャにそんなことは言われたんだけど、だからといって、私は毒々しい色をした問題を積んだまま、別の問題に取り掛かれるような器用な人間でもない。

 私にできるのは、必ず一つずつ。それが限界だ。

 なら、自分と勉強とソーニャを取るかで言ったら、迷わずソーニャを選ぶだろう。


 しかし、ソーニャに過剰に張り付いて、傭兵さながらのセイバーになったりだとか、彼女に仇なす陰湿な嫌がらせ野郎共を駆逐するハンターになるわけにはいかない。

 残念ながら、この嫌がらせに関しては、私がソーニャのためにできることは、ほとんどないだろう。悔しいが、それはもう認めるしかないことだ。


 けど、やるべきことが何もないわけではない。

 つまり、ソーニャへの嫌がらせは、今回起こった地下水道の事件がうやむやのままであるが故に起こっているわけで。

 簡単に方法論だけ掘っ建てるのであれば、事件を解決に導いてソーニャへの容疑を晴らしてしまえば、私の頭を悩ませる事のとりあえずの部分は、解決へと至るのだ。


 地下水道の魔道士事件の謎。

 何故、地下水道に魔道士がいたのか。

 魔道士はどうやって地下水道にいたのか。地下水道で、何をしていたのか。何と繋がっているのか。


 それらを明らかにしてしまえば、力づくで陰湿な連中を吊るしあげなくても済むわけだ。

 ならば、私のやるべきことは、もはや一つ。


「事件の調査をしよう!」

「光属性術の講義に行ってくる」

「……」


 私の宣言と同時に、クラインが講義室を去っていった。


「……調査」

『ロッカ、お前は何を言ってるんだ』

「調査!」

『警官と杖士隊に任せておきなさい』


 ライカンは先程のソーニャが呆れるような雰囲気で、肩を竦めた。


「だって、なんか……気長すぎるだろ! 進展があるのかどうか、こっちには全然伝わってこないしさぁ!」

「だからって、僕らが調査かい?」

「ああそうだよ! 少しでも早く解決するために、何かあるだろ!」


 さすがの私にも、二人の態度からある程度の感情は読み取れる。

 この二人、ちょっと面倒くさそうだ。

 いや、面倒というよりは、ダダをこねる子供に“さて何と言い聞かせようか”と考えているような顔だろうか。


「おーいぃ! ロッカがそう言ってるんだじぇ!」


 二人が目線で私を言いくるめる言葉を練り上げているうちに、間にボウマが割って入ってきた。


「ソーニャのために、少しでもできることをやるのが、友達ってもんじゃないのっ!?」

「うーん、とは言ってもな、ボウマ……」

「うがーっ!」

「いってええ! 噛むなッ!」

『こらこら、やめんか』


 特に何か言う前に噛み付かれたヒューゴから、ボウマが引き剥がされる。

 ライカンによって首根っこを掴まれても、しかし彼女の暴れっぷりが衰えることはない。


「あたしはロッカを手伝うじぇ! なんでもいいから調べて、なんかしてぇ、ソーニャが何も悪くないってことを証明してやるっ!」

「……ボウマ」


 ボウマは、本気だ。

 彼女やヒューゴなどは、まだソーニャと付き合って日が浅い。

 ソーニャは入学してからずっと、特異科の皆との交流の薄い、ただ講義中眠ってから、一人帰るだけの、やる気のない学徒だったのだという。

 そんな彼女は私との繋がりによって、最近はみんなと一緒にご飯を食べたり、行動したりといった事も増えていた。

 ボウマにとってはもう既に、ソーニャは守るべき、立派な友達なのだろう。


「……なぁライカン、この二人を放っておくのは、危険すぎるよな」

『ああ、間違いない。釘を刺していても、勝手にタガが外れて大損壊を起こしかねん』

「ひでえ物言いだなオイ」


 まぁ、私一人じゃボウマの暴走を止められないかもしれないけどさ。


「……はー、わかったよ。僕も、ソーニャに対して何ら親しみがないってわけでもないし。無実だとわかっている人を見過ごしてばかりっていうのも、気が引けるしね」

「お、おおっ!」

『俺も、まぁ、あくまで監督だが。手伝えることがあるなら、手伝うぞ』

「ありがとう、みんな!」

「おっしゃー!」


 こうして、地下水道の事件を調査する独自のメンバーが四人揃った。

 クラインはいないが、まぁなんとかなるだろう。ここにいる人だけでも、かなり心強い。


「ところでロッカ、調査っていっても、まず何を調べるんだい?」

「知らない」

「えー」




 魔道士は何者で、何のために地下にいたのか。

 違法ゴーレムを製作し売っていたのなら、誰に、どうやって売っていたのか。

 事件解決のためには、謎の魔道士の背後を探らなければならない。


 で、探ろうといっても、街に飛び出して走り回って聞きこみを、というわけではない。

 餅は餅屋。どうせ聞くなら、最も詳しいであろう人たちを先に当たるのが一番だ。


 そんなヒューゴの提案によって、今現在地下水道の調査を進めているという、杖士隊に聞きこみをすることになった。

 やっぱり彼らがいると、心強さが段違いだ。

 街へ出てとにかく片っ端に聞きこみしようだなんて口走った私だけじゃあ、何もできなかったに違いない。




「というわけでマコ先生、お願いします」

「と、というわけと言われましてもー……」


 早速、中央棟の廊下でマコ導師を捕獲した。

 講義をしない導師さんは大抵この中央棟にいると聞いていたので、探し出すのはさほど難しくはない。


『マコ先生は、杖士隊にいらっしゃったとか』

「ま、まぁ、やってましたね……?」

「僕達、ちょっと杖士隊の人達と話がしたくてですね。そう思い立ったはいいものの、杖士隊と話なんて、正式な窓口からはできないでしょうし」

「ええ、それは、はい、杖士隊の駐在所は警官さんの所とは違いますから、文書無しで押しかけても難しいですけど……」

「だから、元杖士隊のマコ先生にしか頼めないんです」

「う……うううーん……」

「頼むよぉ、マコちゃーん」


 私達が一斉に頼み込むと、マコ導師は困った顔で頬に手を添えた。

 いつもなら大抵の事は快く首を縦に振ってくれるマコ導師だけど、さすがに杖士隊が絡むとなれば難しいのか、悩む様子は、私達の頼みをどう断ろうか考える仕草にも見えた。


「……杖士隊の調査内容って、大抵は口外できないものなんですよねぇ」

「え、そうなんですか」

「はい、残念ですが……国の重要な組織ですからね。仕事内容も、退役してからも極秘にしなければならない物だって、いくらでもありますし……」


 魔術の上手なすごい警官の集団くらいの認識でいたけど、どうやら私の考えは軽すぎたようだ。

 マコ導師の聞く限りでは、杖士隊に話を伺うのは絶望的か……。


「そうですか……」

「……」


 私はうなだれた。

 マコ導師が駄目となると、もう杖士隊に頼れるようなツテはない。

 となると、警官から話を聞くか……地道に自分たちで調べていく他無いということだ。


「しょうがないよ、ロッカ。マコ先生にだってできないことはあるさ」

「……うっ」

『ああ。マコ先生も、元杖士隊。あまり過去のことで、手を煩わせるべきではないだろう』

「……う、うう」

「残念だじぇ……」

「う、うううぅー……」


 まぁ、私達も駄目で元々な意気込みでマコ先生に当たってみたところはある。

 マコ先生はかつて優秀な杖士隊だったというけど、それも元。昔の話だ。

 望み薄なのはわかっていたことである。ここで心を挫けるのは、まだまだ早いだろう。


「ま、待ってください!」


 私達が諦め、踵を返したその時、マコ導師は大きな声で引き止めた。


「な、なんとか……!」

「なんとか?」

「なんとか、トリスさんに掛けあってみます!」

「先生!」

「さすがです!」

「すげえ!」

『美しい……』


 マコ導師、ありがとうございます。

 内心、その言葉を待ってました。




「我が主の言葉とあれば、断る理由など微塵も有りませぬ。喜んで我々“白失の隊”の捜査状況を報告致しましょう」


 マコ導師がどこかへ連絡を回しに行ってから数分後、私達の目の前には、片膝をついて情報開示を快諾する杖士隊隊員達の姿があった。


 今まで学園の裏にでも待機していたとでもいうのか、彼らはマコ導師の呼びかけに文字通り瞬時に応え、わざわざ私達の待つ場所にまでやってきた。

 息を切らした様子を見るに、おそらく全力疾走だろう。それも、身体強化込みでの全力疾走だ。

 やってきた杖士隊の面々は、服の装飾の緻密さや華やかさから推測するに、隊の中でも重役なのだろう。隊長を名乗るトリスという男性とほとんど変わらない隊服を、他の四人も纏っていた。


「申し遅れました、魔系理学特異属性術科の皆様。私、“白失の隊”現隊長のトリスと申します」

「副隊長、ジョニィと申します」

「同じく、タキ」

「同じく、ジャック」

「同じく、ハーパー」


 最後に全員が頭を垂れて、一糸乱れぬ“以後お見知り置きを”を私達に送る。

 杖士隊が凄い組織だってことは話に聞いていたけど、ここまで洗練されているとは思わなかったので、私はすぐに“どうも”の一言も出せなかった。


 驚くのは、礼儀だけではない。

 彼らは誰もがマコ導師と変わらないほどに若く、長身で、そして何より、美男子揃いだった。

 私達はこうして中央棟のロビーで話しているけれど、通り過ぎる学徒や導師さんからの熱い視線をひしひしと感じる。

 そして、その注目のほとんどは、女性からのものだ。中には立ち止まってぼーっと見惚れる学徒もいるくらい、彼ら“白失の隊”の面々は、端正な顔立ちだったのである。


「ええと、彼らが“白失の隊”で、私の元部下です」

「主、我々はいつでも……」

「えー、頼んでみたところ、皆さん調査内容を教えてくださるということなので、とりあえずなんでも聞いて大丈夫ですよ」

「え、いいんですか。なんでもなんて」


 一応、地下水道事件のことって秘密が多かった気がするけれど。


「そのことについてだが……」


 細長い眼鏡をかけた隊長のトリスさんが、立ち上がって話す姿勢を整えた。

 その姿を見て、改めて思う。やっぱり、彼らは身長が高い。背筋が綺麗だ。

 そして魔術のエキスパートなのに、服の上から見える体つきも、しっかりしている。

 まるで完璧を絵に描いたような人間だ。


「君たちは、事件の当事者であり、秘密など元から存在しないようなもの。ならばむしろ、これからの調査のために、こちらから情報を送り、共有したいとさえ思っていたところなのだ」

「ふむふむ。しかし、良いのですか? あまり僕達も言いたくはないですが、僕達と同じ特異科には、警官から疑われている子がいて――」

「あり得ない」


 ヒューゴがこちらの弱みを先に出そうとした時、トリスさんは静かに、しかし確かな強い口調で、それを止めた。


「我が主の教え子が悪の道に走るなど、そのようなことは決してあり得ない」

「そ、そうですか……わかりました、でもとにかく、嬉しい限りです。ありがとうございます」

「構わないよ」


 ……マコ導師の事が少しでも話に絡んだ瞬間、彼らの眼光がとても鋭いものに変化した。

 魔力が私達の身体を吹き抜けていった気持ちさえした。いや、もしかしたら本当に吹き抜けたのかもしれない。


「では、具体的な現在の状況について、皆さんに説明しよう。ここでは少々問題があるので、別室にて」

「はい」


 ちょっと冷やりとする思いもしたが、事態はとてもいい方向に転がったと言えるだろう。

 杖士隊からの調査報告。それを元にすれば、もしかしたら、私達だけでも犯人をつきとめる参考になるかもしれない。


『マコ先生と随分親しげじゃないか……若造共め……』


 よし、とにかく話を聞こう。

 私は忘れっぽいから、メモも取らなくちゃね。




 目を引く杖士隊の人たちの後に続き、辿り着いた先は誰も使っていない会議室だ。

 特に貴重な物が置かれているわけでもなく、頻繁に使われる場所だからだろうか、鍵もかけられてはいない。

 そこに私と、ヒューゴと、ライカンと、ボウマの四人が入る。

 内装は私達が普段使っている講義室とそっくりだが、すり鉢状の机がないため、不思議と広く感じられた。


「さあ、どうぞ。そちらの席に」


 隊の人たちに優しく促されるがまま、私達は席についた。


「なんか、すっげぇ真剣な雰囲気になったなぁ」

『うむ。ま、大事な話だ。こういった場所で話すのが、当然とも言える』


 これから私達が聞く報告は、地下水道事件の最新の捜査状況である。

 こうして部屋まで借りて、杖士隊まで動かしてしまって、思えば随分と大げさな事をしてしまった気もするが、そこはソーニャのためだ。

 私達は大胆にも事件解決を目指してゆくのだから、利用できるものはいっそのこと、より良い物であるべきだろう。




 マコ導師は入り口付近に立ち、私達を見守るような体勢だ。


「では、早速本題に」


 準備は全て整った。

 トリス隊長は眼鏡を整えて、腰の皮ポーチから何枚かの書類を取り出し、話し始める。


「結論を先に。我々も懸命な捜索を続けたが、地下水道四階で死亡したとされる魔道士については、何ら手がかりを掴めなかった」


 頭に持って来られたガッカリ感に、私は肩がずれ落ちそうになった。

 手掛かり、ナシ。その時点で、もう既にこの報告は終わったも同然だったからである。


「調査は、ミネオマルタ地下水道四階のほぼ全域を捜索範囲として、各隊員が地図を埋めながらの総当りで行った。目視だが、水路、壁、天井、格子戸の戸締まり、天井落水口……全てを確認した上で、結論が出たのだ。手掛かりは、一切無かった」

「え、ちょっと待って……ください」


 手掛かりがなかった。

 つまりそれは、何もなかったってことか。


「あの魔道士は、ゴーレムを作ってるって言ってましたけど」

「サードニクスの事か」

「はい、なんか、人に売ってるようなことも……工房がどうたら、とか」

「うむ……しかし、それらしい工作施設は確認できなかった」

『ん、つまり、工房云々は全て、魔道士の嘘だった、ということですか』


 ライカンの言葉に、トリス隊長は静かに頷く。

 隣に並ぶ杖士隊の面々も、自らが赴いたからであろうか、どことなく他人ごとではない険しさを帯びていた。


「三階と五階にも調査の手は入ったが、結果は四階と同じ。君たちはサードニクスと交戦したらしいし、その傷跡も多く残されてはいたが……」

「ん? 工房も無いのに、ゴーレムって……」

「そこが不可思議な所だ」


 お、落ち着こう。よく考えよう。

 杖士隊の捜索の結果、地下四階に怪しいものは見つからなかった。

 けど、魔道士は居たし、ゴーレムもあった。現に私は、その両方に襲われている。

 でも、だとするとおかしい。

 魔道士もそうだけど……ゴーレムは一体、どこで作られた? どこから現れた?


「限られた材料の中でサードニクスを製作して、材料の余りは全て見つからないように廃棄したのかもね」


 ヒューゴは私が導き出そうとした結論を、先取りして呟いた。

 彼の言う通り、そう考えるのが一番手っ取り早いのだ。

 魔道士が何故立ち入りできない地下水道にいたのかを説明することは難しいが、ゴーレムについては、ひとまずそれで結論付けられる。

 ……ああ、でもというと、やっぱり魔道士ありきか。魔道士が何故そこに、という疑問が、また再浮上してしまう。


「謎の魔道士についてだが……やはりレトケンオルムの酸による影響か、遺品物から探ることもできなかった」

「遺品……」

「溶けかけたブレスレット、ローブの切れ端、といったところだな」

「というと、残留魔力も……」

「既に消えていたらしい。魔道士は君たちとの戦闘中に何度も魔術を発動させたということだが、使っていた魔術が火属性であることもあって、記録はできなかった」

「魔力による手掛かりもなし、か……」


 魔力。そして、その魔力の個性ともいうべき楯衝紋。

 個人の特定は、基本的にこの楯衝紋さえ把握していれば、何も問題ない。

 ここミネオマルタのような学園では、魔術を教えると同時に学徒の楯衝紋を取っている。だから、謎の魔道士がどこかの理学機関に通って魔術を納めた身であるならば、楯衝紋は学園に残っているかもしれないのだ。

 しかし、謎の魔道士は私達を攻撃する際、常に火魔術だけを使ってきた。


 衝紋を採取するには、衝紋記録紙が必要だ。

 記録紙は強めの魔力や魔術に触れさせることで、術者の魔力の形を記録できる道具である。

 クラインは都合よくその紙を持っていたが、当然、紙を炎に当てることはできない。

 今にして思えば、彼はなんとかして魔道士の証拠を残そうと最後まで頑張っていたのだが、結局衝紋を得るには至らなかった。


 ……あの魔道士は最初から、徹底的に証拠を残さないような戦い方をしていたということか。

 レトケンオルムだけでなく、使っていた魔術まで考えていたなんて。


「なーなー、杖士隊の人、ひとつ聞いてもいい?」


 私達が悩む中、ボウマは呑気な声と共に、細い腕を高く掲げた。


「なにかな、ええと……ボウマ君」

「うん」


 挙手したボウマに反応して、入り口で待機するマコ導師がぴくりと動きかけたが、この場での先生役は無用と考えたのか、そわそわしているだけに留まった。


「あの魔道士、何を食って生活してたの? 水は綺麗だったし平気だろーけど、食べられるものなんて、魚くらいしかなかったじぇ」

「ふむ」

「ギルドがやった地下水道調査で、壁の傷が見つかった時からあいつが地下に居たんだとしたら……結構、食べるものも必要だじぇ?」


 言われてみれば、彼女の疑問は最もだ。

 調査を委託されたギルドが不可思議な壁の傷を発見してから、日はかなり経っている。それから私達が地下水道に踏み込むまでの間、ずっと飲まず食わずで地下水道をさまよっていたなんてことは、絶対にあり得ない。


「良い質問だ。魔道士はどれほど潜伏していたのか。潜伏していたのだとすれば、魔道士は食料をどう確保していたのか。これは、当然の謎だな」


 トリス団長は手元の書類を並べ替え、そこに目を落としながら続ける。


「地下水道には清涼な水が流れている。魔道士に火属性術が使えるので、そこから完全に無害な水を取り出すことは造作も無いだろう。となれば、

唯一の問題は食料なのだが……我々は地下四階のあの環境で長期間生きるのは、難しいと判断した」


 ほう、とライカンが呟き、ふむ、とヒューゴが唸る。


「ミネオマルタの旧地下水道には、様々な生物が息づいている。その生態系の複雑さは地下深く潜る程に多様となり、より自然に近づくのだが……四階程度では、大型のものでは水竜(デオルム)幽魚(クラヴァ)しかおらず、とてもではないが人が食用にできるものは、少ない」


 水を吐き出す水棲竜に、不気味な白い肌の魚。

 地下水道で出会ったいくつかの生物を思い起こしてみるが、簡単に浮かぶものでも、とても食えそうなものはいなかった。

 出会った魔族も、ナイトジェントル……死ねば消滅するような夜魔だったし、無害そうな小魚もいるにはいるが、それをいちいち捕まえて、主食にするのは難しそうだ。


「魔道士は空間接続の影魔術を使っていたようだが、あれは始端と終端に式や魔具がなければ自在な行き来は不可能で、魔力も長期間残留し、証拠も残る。かといって、食料のような大量の物を何度も往来させるのは困難だ。と、なれば……」

「……やっぱり、外に出る手段が?」

「方法は解明できていない。しかし、杖士隊も警官も、そう結論付けている」

「んー」


 私は腕を組み、低く唸った。

 難しい事を考えた挙句、結局そういう結論になっちゃうわけかと。


 もちろん、納得できないといちいち折にふれて考えてしまう事だから、今のうちにあり得ないことは、ばっさりと切り捨ててはおきたいけれど。


『しかしそうなると、地下水道と地上が繋がる……ということになるのでは』


 重苦しい沈黙の中で、ライカンが狼の鼻の頭を掻きながら言った。


「と、いう考えのもとで、我々は捜査を続けている。かといって、格子戸の鍵の管理は厳重だし、扉そのものも魔金を併用した堅牢な作りになっているので、正攻法での破壊や侵入は、ほとんど不可能。ならば他に可能性があるのは、地下水道の“隙間”を利用する事なのだが……」

「隙間?」


 私達は首を傾げた。


「そう、複雑な地下水道の機構に存在する、わずかな隙間だ」


 トリス隊長が細く鋭い目線を真横に動かすと、横に控えていた、確かジャックと名乗っていた男が、資料を片手に一歩前に出た。

 水色の髪に、優しげな顔立ち。やはり彼もまた、目鼻立ちは整っている。


「機構については、私が」


 彼は手元を見ながら、顔に似合う優しげな声で話し始める。


「ミネオマルタの地下水道は、古代の王政時代に作られたものです。地下深くの強岩盤の狭間に流れる地下水を汲み上げる画期的な機構は、当時の国の水事情を一変させたと言われています」


 この国の地下の岩盤がどれくらいの深さまであるのか知らないけど、きっとものすごく深いのだろう。そこまでよく、地下に空間を作ったものだ。

 しかも、強岩盤。あれをいじるなんて、熟練の鉱夫集団でも、なかなか出来ることではない。

 近くの水流まで手を出すとなると、限定的ではあるが、昔のミネオマルタの地下開拓技術は、今のデムハムドを超えていたのかもしれない。


「工事の指揮はミネオマルタの設計士によるものでしたが、実働の職人はサナドルより招かれた名工によるものだったようです。資料には、工事の途中からサナドルの名工達も設計に加わり、かなり構造に手が加えられたようですが……」


 良いのかそれ。


「そういった事もあり、元々の設計図にはない機構や機能が、多く備わってしまったようで。利便性や効率そのものが飛躍的に上がったそうですが、一部の扱いが非常に繊細さを要するものとなってしまったり、結局、整備の観点から後年の人々からは、あまり良い評価を得られなかったようですね。現在地下水道が使われていないのには、そういった事情もあるそうです」


 何やってんだその馬鹿職人共は。はりきりすぎだろ。

 王都での仕事に舞い上がって、つい本気を出しちゃったのか。


「サナドルって、あれだよなー。ルウナの苗字だよなぁ」

「ああ、そういえば、ルウナ=サナドルだったっけ……」

「ええ、ルウナ=サナドルさんは、現サナドル家の御令嬢で合っていますよ」

「んっ?」


 ジャックさんの言葉に、私の思考が凍りつく。


「現在の噴水街サナドル。古代は、水回りの細工を得意とするミネオマルタの友好国でした」

「えっ、なにそれ……」

「おー、じゃあルウナ偉い奴だったんだなー」

「えっ」


 え、なんだそれ、初めて聞いたんだけど。

 ていうことは、え。ルウナって時代が時代なら、お姫様ってことかよ。


「あれ、ロッカ、もしかして知らなかったのかい?」

「初耳……」

『まぁ、ルウナといったか。なかなか、素朴な雰囲気だからな。なかなかそういったイメージが結びつかないのも、わからんではない。しかし俺でも知っているくらい有名な、元貴族の家の人間なんだぞ』

「うっそ……」


 じゃあ私って、お姫様と友達ってことなのか。

 ……そういうわけじゃないか。


 ええ、でも、お姫様じゃないとしても、つまり領主? 町長ってこと?

 それでも十分、凄すぎる。


 ……あんなに人当たりの良いルウナが、そんな偉い人だったなんて。

 化粧気も無いし、飾り気もないから、全然考えたこともなかったぞ……。


「一応、当時の設計図は残されています。十数年、数十年毎に写しも作られ、全体の細かな機構は今に伝えられていますが……それでも、当時の設計に混乱が生じていたこともあり、完全なものではないとされています」

「不明な箇所もある、ということですか?」

「はい。地下水道には、国にも把握しきれていない仕組みが沢山あるようです」


 まぁ、地下深くで外壁を取っ払って中の構造を見るなんて、そんな危険な真似は昔でもできないだろうし、仕方ない事か。


「水流や水量を操作する無数の魔金水車、地上や上部水道で水害が発生した際に緊急で水を地下水道に逃がす落水口、地下全体に新鮮な空気を送り込む通風口や換気口、更には風を送り込むためだけに据えられた水車……それらを使えば、もしかしたら、格子戸を開かずに地下四階へ進む事も、可能なのかもしれませんが……」


 ジャックさんがそこまで説明すると、トリス隊長が続きを手で制した。

 一歩引き下がるジャックさんと共に、再びトリス隊長が前に出て、私達に視線を送る。


「……様々な可能性は残っている。やろうと思えばできなくはない。といった手段も、いくつかある。しかし、現在の杖士隊としては、このまま魔道士に関係する捜査からは手を緩め、次第に離れていくつもりでいる」

「え、何でですか」


 地下水道四階の全域を捜索までしたのに、何故手を引くのか。


「何者かと繋がっている……というのも、所詮は推論に過ぎない。犯人が死に、証拠も何もない以上は、地下水道に必要以上の脅威や危険を見出すことができないのだ」

「つまり、我々の出る幕ではないということです」


 ジャックさんは更に“元々、レトケンオルム討伐のために駆り出されたようなものですから”と付け足した。


「……この世のあらゆる謎が、そう都合よく解決するわけではない。あまり、我々が公言して良い類の言葉ではないが……折り合いも必要なのだ」


 トリス隊長は眼鏡を直しながら、重々しく言う。


「地下水道の事件については、犯人の死亡の時点でほとんどが解決した扱いになっている。何故地下水道に居たのか、という謎は残るが、それも巡回の頻度と回数を増やすことで対策されることになるだろう」

『……ふむ、まぁ、それならば、根本的とは言えなくとも、十分な安全対策にはなりますな』


 ライカンは少し考えたようだが、すぐに納得したように頷いた。

 ヒューゴも続けて、難しそうに首を縦に動かした。


「……心苦しいが、当事者である君たちには、そういう結論で納得してもらいたい」

「……」


 私とボウマだけが、納得できないまま、ずっと動かなかった。




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