函017 守られる学徒
「ペルラビッツ学園長、困りますな」
「何がです?」
「あわわ……」
講義前の明朝から、学園長室に二人の導師が集まっている。
一人は属性科三年のAクラスを受け持つ、長い白髪と髭が特徴的な老導師、ゲルーム。
もう一人は特異科を受け持つ中性的な美男子、マコである。
ゲルームはコーヒー豆を砕く学園長に詰め寄って、険しい声色で語り続けていた。
対するマコはおろおろと慌て、ゲルームを止めようとする手を宙に泳がせている。
しかし学園長は、詰め寄るゲルームに対して無関心だった。
そんな態度が年長者であるゲルームの気に障ったのだろう。老人は更に声を低くし、迫るのだ。
「何故、学徒指令程度で事を済ませるのか。わからんと言っておるのです」
「あれは軽率なベラドネス君にも、それに手を出したウィルコークス君にも、同じくらいの過ちがある。会議でそう落ち着いた、その上での決定だったじゃあないですか」
「だが、後から聞きましたぞ。ロッカ=ウィルコークスは入学時に問題を起こしていると。暴力沙汰が二度目であるというならば、話は変わりますな」
「あれは本入学前の事、問題とはしていないですよ」
「しかしですな、近々理総校からゾディアトス殿が来られるという、この大切な時期に……」
学園長は詰め寄る老導師から三歩逃げ、挽きたての豆に湯を注ぐ。
ペルラビッツ学園長にとって、朝のこの焙煎こそが至福の一時であり、唯一の癒やしである。
こればかりは誰にも邪魔されたくないのだ。
それでもゲルームは険しい顔のまま、食らいついて離れない。
そんな彼に対してようやく、マコからの制止が入った。
「あ、あの! ゲルームさん、ちょっと落ち着きましょう……?」
「落ち着いてられますか、セドミスト導師も甘いですぞ。口頭注意にせよ、もっと導師としての威厳を示さねばならぬというのに」
「い、威厳と申されましてもぉ……」
若き男性魔道士、マコ=セドミスト。
年齢は男盛りだろうが、しかし彼には一切の威厳も、まして男性らしさなどというものは微塵もない。
もちろん、それは学園内の導師全てが知っている事である。
知った上でゲルームは言ったのだ。
「だがしかし、ゲルーム殿。それを言うならば、あなたがベラドネス君に示している普段の威厳とやらの効力はあるのですかね」
「……む……奴はどれだけ叱ってみせても、聞かないだけなのです」
「本当のきかん坊はそんなもんです。言ったってどうにもなりゃしませんよ」
三つのカップにコーヒーが注がれ、香ばしい湯気が部屋に登る。
学園長はそのうちの二つをマコとゲルームに差し出して、ソファーに腰を落とした。
「ウィルコークス君の場合は、割り合いと素直な感はありますがね。いや、ベラドネス君を悪く言うわけではないのですが」
ゲルームはむすっとした皺顔でコーヒーをすすっていたが、一口飲み干せば、その顔も若干柔らいだ。
マコは心底苦そうに、ちびちびと口付けている。
しばらくの沈黙の後に口を開いたのは、ゲルームだった。
「ロッカ=ウィルコークスは、大丈夫なのでしょうな」
これが、三人が部屋に集まった理由だ。
馬車荒らしを殴り飛ばしたロッカ。
問題児ナタリーを殴り飛ばしたロッカ。
まだ半月もしないうちに起こされた二つの事件。導師一同がロッカという人物に警戒心を覚えるのも、無理はない話であった。
「わ、私の目から見て、ウィルコークスさんは良い子ですよ。間違いないです」
「僕も、セドミスト導師と同意見。そう思いますね」
本来ならば少なくとも厳重な処罰や隔離、また退学処置も十分に視野に入れた措置が取られるべきなのだ。
しかし、担当導師と学園長のふたつの声により、それは食い止められていたのである。
「あの、彼女はそれまでの境遇によって、無学なところはあります。都会に慣れていないということも……」
「ふむ」
「けど、根は真面目な、とても良い子なんです。あの騒ぎは、慣れない環境のせいもあってのことだと、思います、だから……」
「……」
「あの子を信じてあげてほしい、かなって……」
ゲルームは深く考えるように、ひげをもしゃもしゃと弄り初めた。
この行為に意味は無い。実際、この手癖をする時には既に、彼の考えは決まっているのだ。
ただ、ずばりと言ってやることが出来ずに参っているだけで。
マコの潤んだ瞳には、男性導師でも勝てない。
つい最近の会議でもそんな流れで、論理的とは程遠い感情的意見に大勢が流れる決着を見せたのだ。卑怯である。
「はぁ……まぁ、相手も学園に慣れておらん子供。罰の件は追加学徒指令、それで良しということにしましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「今回だけですぞ」
今日も負けた。そんな情けない気持ちで、ゲルームはコーヒーを一気に煽り、席を立った。
が、最後に噛み付いておくことも、彼は忘れない。
「今回限りのことであると、多めに見るのです。また次、ロッカ=ウィルコークスが問題を起こした時には……長期謹慎なり退学なり、してもらいますぞ」
「退学ですね、それも良いでしょう」
学園長はコーヒーを煽りながら言い切った。
その答えに満足したのか、ゲルームは軽く頭を下げて、右足をひきずりながらひょこひょこと去ってゆく。
部屋にはマコと、学園長バラン=ペルラビッツがいるのみとなった。
ひとまず属性科導師連中による圧力は過ぎ去り、後々の事はロッカの素行次第となるだろう。
学徒を殴って追加学徒指令処分。これは、風当たりが強い特異科に訪れた危機としては、運良く小火で済んだと言える結末だ。
「んー……特異科学徒とナタリー=ベラドネス……属性科の導師としては、両方共々去ってほしいというのが本音なんだろうな」
ナタリー=ベラドネスの悪行の数々を知らない導師はいない。彼女は、導師の誰もが手を焼く素行の悪い学徒として有名だ。
今回だけでは理由が薄いものの、次に同じような揉め事が発生すれば、近頃素行に問題が目立つナタリーに釘を刺せるかもしれない。
そんな語らざる思惑が、学園の導師達にはあるのだ。
「ひどいです……二人共、この学園で学ぶ子なのに……」
「とはいえ、ベラドネス君の日頃の行いは、最近目に余るものがあるのは確かだ。今回の処分、軽すぎるといえば、その通りさ」
コーヒーを自分のカップに追加して、学園長は深い息をつく。
学徒を軽く、物のように扱う今の学園の総意には、やりきれない思いがある。しかし導師の総意は全てだ。
グルームの言う通り、間違いなく次は無いのだろう。
彼はただただ、ロッカ=ウィルコークスとナタリー=ベラドネスが邂逅しないことを祈るばかりだった。
「……あの、学園長」
「ん。まだ、何か憂いでもあるのかな、セドミスト導師」
ともあれ、現状ではそこそこ、良いところに落ち着いたと言うべきだろう。
それでも浮かない顔のマコに、ペルラビッツ学園長は疑問を抱き、訊ねた。
マコは顔を赤くして、ソファーの上に縮こまる。
「あの……お砂糖、くれますか……?」
「……うむ」




