櫃013 試される装甲
凄まじい衝撃に土が捲れ、無骨な機体がこちらに迫る。
身の丈二メートルを越す、騎士のような風貌の巨大ゴーレムだ。
灰色の腕は同じサイズの人と比べても明らかに大きく、やろうと思えば私の頭を掴み、そのままレモンのように握り潰してしまえるだろう。
それは困る。なので、捕まるわけにはいかなかった。
「オラァッ!」
『ゴッ』
向かい来るゴーレムに先んじて、一歩踏み込む。
相手が攻撃に移る寸前に割り込み、私は渾身の右拳を振り抜いた。
『ガッ』
下から腹をえぐり込む一撃の、重い感触が腕に伝わる。
ライカンと同等はあろう重量のゴーレムは、わずかに後方へと吹き飛んだ。
「おお、あの重量を殴り飛ばすとは!」
「ドライア・ゼクスは総重量百五十はあろうというのに……!」
見事に決まった私の一撃に、小屋の周りの外野から歓声が上がる。
が、そこで照れ隠しに頭を掻く程の余裕はない。
退けたゴーレムは、鈍重な歩みを響かせながら、何の痛みもなく、再びこちらへと進行を始めたからだ。
「チッ、前よりずっと頑丈になってやがる……」
舌打ち混じりに、右手を握り直す。
軋んだかもしれない部品のガタを気持ちの上でも整えることで、次の一発に思い切りをつけるのだ。
相手は、硬い。
八割以上の身体強化を右腕に注がなければ、こっちの拳が傷んでしまう。魔力の消耗は馬鹿にならないが、攻撃は通じなければ意味が無い。
そして攻めの手を休めれば、相手の力任せな猛攻がやってくる。防戦一方はあり得ない。
つまりこの戦い、手の抜きようがないのだ。
攻めて攻めて、攻め続けなければならない。
「うおおおおッ!」
『ガコンッ!』
迫り来るゴーレム。振り上げられる、両者の拳。
二つの鉄拳が交わろうというまさにその時、鐘の音が鳴り響いた。
「はい、終了ですね」
「う」
鐘の音とイツェンさんの言葉と共に、私とゴーレムの動きがピタリと止まる。
ゴーレムはギラギラと滾らせた眼光ランプで私の顔を凝視しながらも、荒い息遣いもなく微動だにしていない。
「あちゃー、もう予鈴かぁ。残念だけど、仕方ないね」
「けど、あのロッカさんと戦って故障が無かったんだ。実戦上の良いデータは取れたと言っても良いんじゃないかな」
遠目に伺っていた学徒達が、緊張の解けたこちらの空気に踏み込んで、嬉しそうに話し合っている。
手元の手帳に何か書き込んだり、笑顔で立ちながらの討論を始めたり、まるで止まっていた時間が動き出したかのようだ。
「ねえ、もう終わりでいいの?」
「ええ、もう大丈夫です。ありがとうございます。ドライアから……いえ、ドライア・ゼクスから離れて良いですよ」
殴り合うコンマ一秒前の彫像のままでいるのも何だったので、私とゴーレムの時間も動き出すことにした。
「……くっそー、壊したかったわけじゃないけど、こうまで頑丈になってるとはなぁ」
『ガコン』
「ははは、今回は、そうはいきませんよ」
今回はゴーレムに触れないように、慎重に離れる。
ゴーレムも姿勢を正し、闘う前の直立姿勢で待機状態になった。
主人の命令に忠実で、しかも頑丈で、強いゴーレム。
騎士風の見てくれと相まって、ゴーレムながらも、少し格好いいなと思ってしまった。
話は少しだけ遡る。
私は朝、いつものように学園にやってきた。
すると正門付近で、魔具科の先輩であるイツェンさんが立っていた。
私を待っていたらしく、“来て欲しい”と言われるがままについていった。
で、新作のゴーレムと闘う事になったわけである。
色々と細かな経緯を端折ったが、つまりそういうこと。
前のゴーレムを私が壊しちゃったので、その改良型のお披露目と、耐久試験を任されたのだ。
正直、“もっと強いゴーレムと戦ってみたくはないですか?”と言われて首を縦に振りたくはなかったんだけど、向こうの言い方にどうも、“君は闘う事が好きなんだよね”というようなニュアンスを含まれていて、そこに多少の善意も混ざっていたので、断る事ができなかった。
それに、前作“ドライア”の重要部品を殴り破壊したのは私だ。イツェンさんには頭も上がらない。
この上更にメルゲコの石鹸を要求しようというのだから、まぁ、闘うしかなかったのだ。
「お疲れ様、ロッカさん。怪我はない? 手は大丈夫?」
「いやー、高度な身体強化ってすごいんだな。ドライア・ゼクスがあんなに吹き飛ぶとは」
「ああ、手は大丈夫……です、はい」
今回のお披露目は、庭園から少し外れた場所にある、例の人気のない広場で行われた。
私がナタリーと決闘する前に何度もお世話になった、小屋のある空き地だ。
そこに魔具科のイツェンさんをはじめ、他ゴーレム製作に関わった何人かの学徒さん立会いのもと、私とゴーレムのどつきあいが始まったのである。
結果は、始業前の短い時間ということもあって大した時間動かしてはいないけれど、彼らのちょっと興奮した顔色を見る限りでは、私は役に立てたようである。
実を言えばちょっぴりヒリヒリする右手も、彼らの笑顔のためならば全然気にならない。
「ほー、見事見事。なるほどな、これがかの、レトケンオルムと戦ったロッカ=ウィルコークスさんの実力ってわけか」
あと、魔具科の他数名。
今回のゴーレムの試運転を見ていた人がいる。
実用性重視のジャケットに、ガッチリした丈夫そうなブーツ。
屋外での仕事によって日に焼けた、ちょっと赤っぽい肌。
筋肉質な体躯を見れば、彼らが傭兵であることは一目瞭然だろう。
彼ら討伐ギルド“カナルオルム”の数名も、駐在している小屋がすぐそこにあることもあって、戦いを立ち見していたのだ。
駐在している間も、やることがなくて暇だったのかもしれない。
小屋の中にいたであろう傭兵たちは、全員横並びに揃って、この戦いを見ていたようである。
「なんで私がレトケンオルムと戦ったことを?」
「そりゃあ、巷で有名だからな。敷地内にいれば噂話も耳に入ってくるさ」
「……やっぱり」
棟から離れたこんな小屋にいても、噂の広がりから逃げることはできないようだ。
ほとんど学園の部外者である彼ら傭兵が知っていて、学園の学徒らが知らないはずはない。
強力な魔族を撃退した事が広まるのは悪い気はしないけど、同時にソーニャのでっちあげな悪評が流れるのは、ちょっと嫌だ。
私の目の前にいるこの男は、確か“カナルオルム”の団長さんだ。
背が高い私よりも、二十センチはタッパがある。
さすがにライカンよりは低いものの、ガタイの良さはこの街においてはなかなかのものだ。
野性味あふれる男の中の男。
大抵そういう人は仕事ができるので、嫌いではない。
「あ、そうだ」
「ん?」
頭の中でわずかに鉱山を思い浮かべ、メルゲコの石鹸を思い出した。
この機を逃す手は無いだろう。
「イツェンさん、あの、お願いがあるんですけど……いいですか」
「なんでしょう? 私に協力できることであれば、力になりますよ」
「実は、今メルゲコの石鹸が欲しくて……」
「ほう、メルゲコの」
「譲ってください!」
イツェンさんは少し驚いたように、軽く目を見開いた。
「以前、露店で買った物の使いかけがひとつありますが……もちろんお譲りすることは、全く構わないですけども」
「え、いいんですか!」
「しかし、使いかけですよ。もう残り、半分もないかと」
「大丈夫です! 嬉しいです!」
「そ、そこまでですか」
メルゲコ! もらえる! 半分ある!
「まぁ、確かに良いオイルになりますよね。これを使うと耐火性に大きな違いが出るので、特定の作業では重宝しました」
「ですよね! メルゲコってどこでも使えて……あ、でもそれじゃ、やっぱり駄目ですか……」
「いえいえ、代用が効かないってわけでもないですから、お譲りしますよ」
イツェンさんはそう言って、小屋近くに固めて置いた鞄の中から布に巻かれた物を取り出し、私に差し出した。
見なくても布越しの形と、その匂いだけでわかる。
これは紛れも無く、私がこの人生の中で慣れ親しんだ、メルゲコの石鹸だ。
「ありがとうございます! またいつでもゴーレム殴らせてください!」
「は、ははは、いや、こちらもそこまで喜んで貰えるなら、嬉しいよ。道具も幸せだね」
よっしゃあああ!
講義室に戻ったらジャケットとブーツに塗りたくってやるぞ!
メルーク石鹸、あんたとは仲良くなれそうな気もしたが、残念ながらもうおさらばだ!
「ところで魔具科の学徒さんよ、そのゴーレムはもしや、発表会に出すものなのかね」
「ええ、そのつもりです」
「発表会?」
“カナルオルム”団長とイツェンさんの会話に、早くも石鹸に鼻を近づけていた私は首を傾げた。
「ええ、……ああ、そういえばロッカさんは初めてでしたか。発表会が近々、学園でありましてね。年に二回ある、文字通り、学徒や導師のそれまでの研究成果を発表する催しのことですよ」
「へー」
「我々が寄贈した灼鉱竜の幼竜とその観察記録も、そこでお披露目されるわけだ。その後はまぁ、処理をして、俺らの仕事は終わりになる」
「なるほど……」
発表会。
なるほど、こういう大きな学園になると、そんな催しがあるんだ……。
つまり、祭りのようなものなのかな。
初等学校に居た頃は特にそんな思い出も無かったので、ちょっと想像できない感じだ。
「ところでロッカさん、もう予鈴鳴ってますよ。急がないと……」
「あー、いっけね!」
やばいやばい、あまり呑気に話してる場合じゃなかった。
急いで講義室行かないと!